sage's scribbles
about YOKOHAMA FLUGELS

ガンバ大阪が、三浦淳宏と山口素弘の獲得に興味を示しているようです。
アントネッティ監督は、守備面の戦力補強を行う意向のようです。

横浜マリノスの契約更改がはじまり、解雇された選手こそなかったものの、厳冬更改となったようです。
他チームからオファーのあった野田知、安永聡太郎ら4選手については、移籍を前提とした条件が提示され、
残りの選手については20人がA契約、4人がB契約での条件提示となったようです。
またA契約を提示された選手の中でも、井原正巳や三浦文丈といった高年俸選手に対しては、
大幅な年俸ダウンが提示された模様で、今後の動向が注目されています。

98.11.30
29日12時から、フリエ元町で「横浜フリューゲルスを存続させる会」の第一回活動報告会が行なわれました。
詳細はこちらをご覧になって下さい。
98.11.30
26日、フリューゲルス選手会と全日空スポーツの山田恒彦社長ら幹部が、
東戸塚のトレーニングセンターで、1時間にわたり会談しました。
移籍交渉がはじまる中、オファーもなく、失業の危機に立たされている選手、コーチングスタッフに対して、
「最低1年の身分保障」などをクラブ側に求めました。
クラブ側はこの要求に対する回答を、30日にすると約束したようです。
また会談後、前田浩二選手会長が、天皇杯について、
「マリノスとの合併後の身分保障が約束されない場合は、出場しない選手がでるかも」
と発言し、天皇杯出場が選手の自主性に委ねられる可能性を指摘しました。
山田社長は、報道陣に「ノーコメント」とだけ言い残し、その場を立ち去ったそうです。
98.11.27
来季のヴェルディ川崎は、李国秀総監督、松永英機監督の二頭体制で戦うことになりました。
李氏は、読売クラブ(現ヴェルディ)や横浜トライスター(現フリューゲルス)などで活躍。
現役引退後、87年から桐蔭学園の監督に就任し、指導を受けた選手が何人もヴェルディ入りしています。
李氏、松永氏ともにプロチームを指導した経験はなく、経費節減のための日本人監督起用と見られています。
98.11.26
25日の練習後、サンパイオが、古巣のパルメイラス(ブラジル)とオリンピアコス(ギリシャ)から、
獲得のオファーがあることを明らかにしました。

楢崎正剛獲得へ向けて、ジュビロ磐田も名乗りをあげたようです。
またジュビロは、手薄なセンターバックの補強として、佐藤尽の獲得にも興味を示しているようです。

98.11.26
25日、横浜ベイスターズの波留敏夫外野手が、「横浜フリューゲルスを存続させる会」の会員で、
友人の川村環さんの呼びかけに応じ、都内のホテルで会談。合併反対を訴えました。
波留外野手は、社会人時代に所属した熊谷組野球部が、突然休部する悲劇に直面しています。
98.11.26
三浦淳宏、永井秀樹が24日までにマリノスとの移籍交渉を行いましたが、態度を保留しているようです。
マリノスは、優先交渉権の切れる30日までに、結論を出すよう迫っているようですが、
非公式ながら他チームからのオファーも来ており、交渉は12月にずれ込みそうです。

マリノスは、若手救済を名目に、高年俸選手に対し大幅ダウンを提示することが確実視されています。
今季の1億円から40%ダウンの6000万円(金額はいずれも推定)となる井原正巳などは、
他チームより好条件(つまりは年俸アップ)を出してまで、フリューゲルスの選手を獲得することに、
強い不満を示していると言われています。

98.11.25
横浜F・マリノスの監督に、マリノスのデラクルス監督が就任することになったようです。
これにより、コーチングスタッフもマリノス一色になる可能性が高くなりました。

フリューゲルスの下部チームであるジュニア、ジュニアユース、ユースは、
マリノスとの合併後も、当面は存続するようです。
しかしながら、「フリューゲルス」の名称がつくことはなく、
横浜F・マリノスと区別できる名称が用意されることになるそうです。
これにより、「F」の文字が形骸化することが確実となりました。

98.11.22
20日、全日空が「マリノスとの合併は回避できない」と最終回答したことを受け、
「横浜フリューゲルスを存続させる会」(辻野臣保代表)は、合併回避の運動を断念することを表明しました。
今後は、フリューゲルスの名前を残すため、横浜F・マリノスから「F」の文字を削除し、
横浜フリューゲルスの意匠権、商標権を全日空から譲り受けることを目指していくようです。
また、サポーターたちには、受け皿となるべき組織もスポンサーもないため、
横浜フリューゲルスに関する権利を、Jリーグに一時預けることも提案しています。
この提案について、全日空は再度検討した上で、12月4日までに回答するようです。

「横浜フリューゲルスを存続させる会」の名を騙り、募金集めをしている人物が出没しているようです。
その手口は、ネットの掲示板へ書き込むもので、現段階では詐欺の被害は確認されていません。
「横浜フリューゲルスを存続させる会」では、募金の最終的な送り先が不明で、
募金が宙に浮いてしまう危険性があるため、募金活動は一切行っていません。

98.11.21
ヴェルディ川崎のチーム登録名称である「読売日本サッカークラブ」が「FCニッポン」に変更されました。
あくまで、日本サッカー協会などへの登録名称であり、
Jリーグでのチーム名称は、「ヴェルディ川崎」のままです。
98.11.19
18日、フリューゲルスとマリノスのサポーター代表23人が横浜市役所を訪れ、
同市に対して、フリューゲルスの存続に支援を求めました。
長岡英昭市長室長に要望書を手渡し、市民株主制度の導入の検討などを求めましたが、
高秀秀信市長は、16日に「企業側のことなので、積極的な関与は考えてない」と発言するなど、
合併問題には、依然として及び腰なようです。

川淵三郎チェアマンが立命館大学での講演会で、「責任をどう取るつもりか」との学生の質問に、
「私は責任を負うつもりはない」と、一蹴したようです。

98.11.19
読売新聞社と読売ランドの経営撤退に伴い、ヴェルディ川崎の運営会社の名称が、
「読売日本サッカークラブ」から「日本テレビフットボールクラブ」に変更になり、
森下源基社長と河野慎二副社長が退任して、坂田信久専務が社長に、森田貴之取締役が常務に、
それぞれ昇格することが発表されました。
98.11.18
楢崎正剛が、フリューゲルス存続の可能性があるうちは、移籍交渉を凍結する意向であることを明らかにし、
グランパス移籍決定との報道に、不快感を示しているようです。
98.11.18
17日、Jリーグ理事会が開かれました。
しかし、「白紙撤回」の話題はいっさい出ず、あくまで吸収合併を前提とした話し合いだったようです。
この日の決定事項として発表されたのは、以下の通り。
 ・マリノスとフリューゲルスの選手に限り、25人枠のプロA契約とは別に、ひとりと契約できる。
 ・マリノスとフリューゲルスの構想外の選手が移籍する場合、移籍金は発生しない。
 ・横浜F・マリノスが契約を希望するフリューゲルスの選手は、
  吉田孝行、久保山由清、永井秀樹、三浦淳宏、佐藤一樹、波戸康弘の6選手。
 ・横浜F・マリノスが契約を希望するフリューゲルスの選手については、
  30日まで横浜F・マリノスに優先交渉権がある。他クラブは12月4日からオファーを出せる。
 ・楢崎正剛については、移籍を公正に進めるためJリーグ選手協会が窓口となる。

マリノスの高坂弘己社長が、フリューゲルスから大量に出ると見られる「移籍先未定選手」について、
可能な限り、プロB契約選手として受け入れるとの意向を示したようです。

また、理事会終了後にマリノスサポーターが高坂社長に詰め寄る一幕がありました。
マリノスサポーターがひとり、事務局から出てきた高坂社長に対して、
「思い通りになると思ったら大間違いだぞ」と怒鳴り、つかみかからんばかりの勢いで行く手を遮りました。
職員が制し、大事には至りませんでしたが、そのサポーターは「横浜マリノス」とひとり大声で連呼し、
合併への反発を示していました。
そうそう、わずかながら唱和もありましたっけか。

98.11.18
フリューゲルスの6選手に、横浜F・マリノスからの獲得通知が届きました。
通知が届いたのは、吉田孝行、久保山由清、永井秀樹、三浦淳宏、佐藤一樹、波戸康弘の6選手です。
獲得選手は当初7人と見られていましたが、サポーターなどからの批判を受けて、ひとり減らし、
当初獲得リストに入っていた、辻本茂輝、手島和希、遠藤保仁、大島秀夫の獲得もなくなりました。
辻本ら新人4選手については、他チームからオファーが来ているようです。
なお、通知の届いた吉田ら6選手は、合併を回避する可能性があるうちは、横浜F・マリノスとの交渉を凍結することを表明しているようです。

※三浦淳宏には、ヴェルディ川崎がオファーを出しており、すでに断られたとの情報があります。
※永井秀樹には、セレッソ大阪がオファーを出していましたが、交渉は決裂したとの情報と、
 いまだ交渉中(もしくは交渉はこれから)との情報が、入り乱れているようです。

98.11.17
16日、前田浩二選手会長ら4選手が、都内のホテルで川淵三郎チェアマンにチーム救済を直談判しました。
80分間に及ぶ会談も、具体的な解決策は見出せなかったようです。
23日の移籍交渉解禁日まで残り1週間を切り、選手たちはいよいよ決断を迫られることになりそうです。

同日、「横浜フリューゲルスを存続させる会」(辻野臣保代表)が、
Jリーグ事務局、全日空本社、横浜市役所を訪れ、フリューゲルスの存続を訴えました。
全日空には、マリノスへの吸収合併発表以来、約2週間で集まった34万7613人分の署名も提出しました。
全日空は同会に対して、再度検討の上、今月24日までに回答することを約束したそうです。
横浜市役所では、高秀秀信市長宛て(応対したのは長岡英昭市長室長)に要望書を提出しました。

98.11.17
楢崎正剛の名古屋グランパス移籍が、濃厚になったそうです。
グランパスの守護神・伊藤裕二は33歳とベテランの域に達しており、控えの層も薄いことから、
年俸4500万円(今季3800万円、金額はともに推定)を提示して、獲得に乗り出していました。
楢崎には、グランパスの他にも、コンサドーレ、レッズ、セレッソなどからオファーがありました。

また、高卒新人の目玉だった、市立船橋の西紀寛の進路が白紙になりました。
指定強化選手としてフリューゲルスで練習しており、フリューゲルス入団が内定していたようですが、
今回の合併問題で入団を白紙に戻し、進路を考え直すことになったようです。

98.11.16
ベルマーレ平塚が経営縮小のため、来季のプロA契約選手を20人に抑えて存続することになりました。
「1年間通してトップ出場するのは18人前後なので20人で十分。良い選手を育てて送り出したい」
と、ベルマーレ平塚の重松良典社長が明らかにしたものです。
98.11.15
14日、厚別で行なわれた今季最終戦、コンサドーレ札幌に4−1で快勝しました。
ベンチ入りしない選手たちも自費で観戦し、大勢のサポーター、ファンも横浜から駆けつけました。
その数は、500人とも1000人とも言われています。
コンサドーレの好意により、試合後のセレモニーにも参加し、場内を一周しました。

同日、横浜国際で行なわれたマリノス−ベルマーレ戦の前に、
マリノスの高坂弘己社長と谷口武彦常務がゴール裏に出向き、5回目の説明を行いました。
マリノス側は、合併の背景などを詳細に記したビラを1万枚用意し、来場者に配りました。
また、同競技場の会議室でサポーター約70人が集まり、代表者12人を選出しました。
17日には中央区の日産自動車本社に代表者が訪れ、合併に対する声明文を提出する予定です。

98.11.15
出資企業であるフジタの経営不振で、その存続が危ぶまれていたベルマーレ平塚ですが、
規模を縮小した経営を行うことで、今後もクラブを存続させることを決定したようです。
13日、ベルマーレ平塚の重松良典社長が会見し、身売り報道を否定しました。
フジタの出資率は69.88%で、現在のところ年間約14億円を負担しています。
年間5億円を出資してくれる企業を探し、場合によっては銀行からの融資も考えているそうです。
年間運営費の大幅削減を図るため、高額年俸選手の放出や、契約選手数の削減などが予想されます。
98.11.14
山口素弘がヴェルディ川崎に移籍するようです。
ヴェルディはフリューゲルスにすでに獲得の意思を伝えており、来月にも本格的な交渉に入りそうです。
大規模なリストラが敢行されることは確実で、カズ、柱谷哲二といった主力の放出も噂される中、
引退するラモス瑠偉に代わる新しいチームリーダーとして、白羽の矢が立ったことになります。
98.11.14
横浜F・マリノスに、フリューゲルスから加わる7人の、最後のひとりが判明しました。
佐藤一樹(情報源によっては佐藤浩)のようです。
ヴェルディ川崎の出資企業だった読売新聞社が、今季限りで撤退するようです。
ヴェルディには読売新聞社49%、日本テレビ49%、読売ランド2%の割合で出資していましたが、
今後は日本テレビが全株式を取得して、経営にあたることになるようです。
98.11.13
Jリーグ今季最終戦となる14日、すべての試合会場で横浜Fのフラッグが振られることになりそうです。
8日に行なわれたJリーグ選手協会の代表者会議で決定されたことで、
試合終了後、選手がグラウンドを一周する際に、自分のチームのフラッグと横浜Fのフラッグを同時に振ることで、全国のサッカーファンに横浜Fの存続をアピールすることが目的だそうです。
98.11.13
フリューゲルスの選手に対する、横浜F・マリノスからのオファーは、15日から電話で伝えられるそうです。
連絡がなかった選手については構想外ということになり、
Jリーグ選手協会の上田浩事務局長が代理人として、他チームへの移籍を斡旋することになります。
98.11.12
10日、Jリーグ選手協会(柱谷哲二会長)が、フリューゲルスとマリノスの合併問題に関して、
川淵三郎チェアマンに要望書を提出し、11日にその内容について明らかにしました。

11日、マリノスのサポーター代表3人が虎ノ門のJリーグ事務局を訪れ、
川淵チェアマンに、合併の白紙撤回などを盛り込んだ要望書を提出しました。
話し合いは30分ほど行われましたが、川淵チェアマンは要求を一切受けなかったようです。

98.11.12
永井秀樹が、セレッソ大阪に移籍することが内定したそうです。
永井はヴェルディ時代に、セレッソの松木安太郎監督の下でプレーしています。
セレッソは、前々日にもサンフレッチェ広島の柳本啓成獲得に動いていることを明らかにしており、
積極的な補強を行うようです。
98.11.11
10日、全日空スポーツの中西久憲取締役と前田賢一総務部長が、エンゲルス監督、コーチングスタッフ、
トレーナー、育成部コーチら19人に、合併の経緯を説明しました。
説明は納得いくものではなかったらしく、エンゲルス監督は落胆の色が濃かったそうです。

同日、前田浩二選手会長と佐藤尽副会長が、約2時間に渡ってフロントと話し合いを行いました。
要求には変化がなかったようですが、話し合い後の前田浩二のコメント、
「フロントから白紙撤回は可能性ゼロと言われたので、可能性を求めていろんな方向で考えている」
を、やや態度を軟化させたと捉える向きがあるようです。
また、川淵三郎チェアマンとの面談を求めていた件でも、木之本興三専務理事との面談を断っていましたが、
要求をそのままチェアマンに伝えることを条件に、妥協する可能性が高そうです。

10日夜、マリノスフロントとサポーターの4回目の話し合いが行われましたが、進展はなかったそうです。
また、14日のベルマーレ平塚戦の前にサポーターの代表者を選出し、
来週中にも日産自動車本社へ要望書を届ける予定だそうです。

98.11.11
アビスパ福岡が、フリューゲルスの選手の獲得を検討しているようです。
すでに、クラブ間での話し合いは行われているようで、合併成立の場合、
大量に解雇されるフリューゲルスの選手が移籍する可能性が出てきました。
98.11.9
8日、Jリーグ選手協会(柱谷哲二会長)の代表者会議が、都内のホテルで行なわれました。
鹿島アントラーズを除く17チームの代表39人が出席し、5時間にわったって激論をかわしました。
フリューゲルスとマリノスの合併問題への、具体的な打開策は見出せなかったようです。
98.11.9
先日報道された、フリューゲルスとの合併に伴うフリューゲルスからの補強選手、
ならびにマリノスから戦力外となる選手について、マリノス関係者が全面否定したようです。
7日、三ッ沢で行なわれた今季最後のホームゲーム、アビスパ福岡戦は2−1で辛くも勝利しました。
試合後のセレモニーでは、エンゲルス監督、サンパイオ、前田浩二選手会長がそれぞれ挨拶に立ち、
マイクに向かってフリューゲルス存続を訴えました。
セレモニー後、山田恒彦社長がサポーターに挨拶しましたが、
「吸収合併は回避できない」と、型通りの原稿を読み上げるに留まりました。

試合に先立ち、サポーターが「横浜フリューゲルスを存続させる会」を組織し、
代表の辻野臣保さんをはじめ、12人が発起人となりました。
サポーターの了承を得た上で、同日20時より発起人ら11人が全日空との交渉に望みました。
全日空側の解答は、マリノスへの吸収合併の白紙撤回の意思がないこと、
新チーム名は横浜F・マリノスとする方針などを、あらためて伝えたようです。

98.11.8
6日、93−94年にフリューゲルスに在籍していたアマリージャが、東戸塚のトレセンを訪れました。
パラグアイの英雄と湛えられた彼は、今年7月までオリンピア(パラグアイ)の監督を務めており、
U-19代表監督就任の要請を断って、現在はフリーの代理人をしているそうです。
福岡での代理人の仕事のため来日していた彼は、山口らとの電話で今回の悲劇を聞いたそうです。
むろんチーム存続を願うものの、もし選手が行き場を失った場合は、全面協力することを申し出たそうです。
バルセロナをはじめとして、プレーしたチームとは深いコネクションがあるため、
最悪の事態を迎えた場合、選手たちにとって海外への移籍という選択肢が加わることになります。

6日、オーレの竹内さんを代表とするサポーターが、
チーム存続の救済措置を求める陳情書を、横浜市議会に提出しました。

6日、「フリューゲルスはおれたちが守る!」と記された横断幕を作成し、
選手全員とアマリージャがサインしました。
7日には、それを掲げて三ッ沢公園競技場を一周するセレモニーを行う予定です。

98.11.7
5日、フリューゲルスの選手たちが、東戸塚のクラブハウスでクラブ側と話し合いを持ちました。
練習終了後の17時から1時間半に渡って、選手27人と山田恒彦社長ら3人が話し合いました。
会談終了後、前田浩二選手会長が報道陣に応対し、
「具体的なことは言えないが、感情的になってしまった。本当にチームを愛していること、
これまで頑張ってきたことを伝えたが、いい話し合いにはならなかった」と、言葉少なに語ったようです。
その前田の目は赤く、悔しさに満ちていたそうです。
川淵三郎チェアマンとの直接会談を求めていた件に関しては、川淵チェアマンの体調が思わしくないため、
木之本興三専務理事が対応する用意があるとの解答が得られたようです。

一方、その川淵三郎チェアマンは、フリューゲルスの選手たちとの話し合いが平行線に終わったことに対し、
フリューゲルスフロントに、もっと誠意を持って話すように注文をつけたようです。
また、山田社長以外のスタッフへの不信感を表し、フリューゲルスの対応の拙さを指摘しました。

木之本専務理事は、合併の根拠がなくなるとして、合併後の新チーム名「横浜F・マリノス」から
「F」を取ることを認めない方針を明らかにしたようです。
日産自動車は、サポーターとの話し合いの中で、「F」の削除を前向きに検討するとしていました。

5日、フリューゲルスのイメージソングを歌うTHE ALFEEが、横須賀市のコンサート会場で、
フリューゲルスの存続を呼びかけました。彼らは、ファンとともに青いリボンをつけていたようです。
公演前から署名活動が行なわれ、約1300人の署名が集まったようです。
年末までの残る24公演でも、可能な限り署名活動を行う予定だそうです。

カード未定だった衛生放送第1のJリーグ中継のうち、7日23時50分から、
フリューゲルス−アビスパ戦が録画中継されることになりました。

98.11.6
フリューゲルスの選手たちが、川淵三郎チェアマンに直接会談を申し入れたようです。
4日、東戸塚のクラブハウスで、Jリーグ選手協会(JPA=柱谷哲二会長)の
上田浩事務局長らと話し合い、選手たちは選手協会に以下の3つの要求を提示しました。
 ・川淵三郎チェアマンとの直接会談
 ・親会社の全日空からの事情説明
 ・横浜マリノスとの合併の白紙撤回
4日、Jリーグの木之本興三専務理事は、署名運動などの高まりを牽制する発言をしたようです。
「マリノスもフリューゲルスも、組織での決定(合併合意)を踏まえてやってほしい」だそうです。

選手の移籍について──
 ・フリューゲルスの選手の中で、新チームに移行できない選手は、フリューゲルスが就職先を探す。
 ・移行を望まず、他チームからオファーが殺到されると予想される選手に関しては、
  公正さを保つために、第三者である選手協会が窓口となり仲介する。
 ・移籍金に関しては、フリューゲルスの選手はゼロで、マリノスの選手については従来通り派生する。
 ・11月15日から30日を、フリューゲルスとマリノスの選手に対する、優先交渉期間とする。
この案は、17日の理事会で承認される見通しです。

これを受けて、選手協会の上田浩事務局長は、4日13時に横浜市内のマリノスのクラブハウスを訪れ、
今回の合併と移籍について、選手たちに説明しました。マリノスからは選手20人が参加したようです。

98.11.5
3日、広島ビッグアーチでサンフレッチェ広島戦が行なわれ、2−1で勝利しました。
サポーター、ファンの中には、朝まで徹夜で全日空と交渉し、そのまま駆け付けた人も多数いたようです。
この試合で、監督や選手たちが、青い翼運動の象徴である青いリボンを左肩につけていました。

交渉の結果、再交渉の場を設けることすら拒否していた全日空が、サポーターたちの執拗な要求に折れ、
7日の20時から、三ッ沢でのアビスパ戦の後、新横浜の事務所に場所を移して再度交渉の席につくようです。
フリューゲルスの山田恒彦社長は、「合併の調印は7日から最低2週間後にする」と明言しました。
フリューゲルス存続のための署名活動が、各地のJリーグの試合会場で行なわれ、全国規模に広がりました。

3日10時から、国立競技場の会議室で、マリノスの代表者とサポーターの代表が話し合いましたが、
折り合いがつかず、平行線を辿ったまま終了しました。次回は、10日に話し合いの場を持つそうです。

98.11.4
横浜F・マリノスに、フリューゲルスから加わる7人が判明しました。
前日報道された新人4人に加え、三浦淳宏、吉田孝行の両名が加わることは確認できました。
残るひとりが誰なのかは、現在情報が入手できておりません。

横浜マリノスの三浦文丈が、来年度のA契約26人から除外され、戦力外通告を受けるようです。
高い年俸と、28歳という年齢がネックになったようで、マリノスのリストラ第1弾となります。
三浦文丈の位置には三浦淳宏が入る予定で、奇しくも三浦姓同士の入れ換えとなりました。

98.11.3
2日20時から、横浜国際競技場で前回の続きともいうべき話し合いが行なわれました。
サポーターは200人ほど集まりましたが、全日空側の要請で、
抽選で選ばれた代表者60人が、事務所へ場所を移して話し合いをしました。
当初2時間を予定していた話し合いは延々続き、休憩を挟んで翌日の8時過ぎまでかかりました。
詳細はこちらこちらにありますので御覧になってください。
全日空からは丸尾鉱治郎業務部長、佐藤工業からは金岡隆管理本部広報部長が出席しました。
スポーツ報知にて「吸収合併白紙か」と報じられましたが、どうやら誤報である可能性が高いようです。

同日、川淵チェアマンが虎ノ門の事務局に、横浜マリノスの高坂弘己社長、ジュビロ磐田の荒田忠典社長、
セレッソ大阪の鬼武健二社長の三者を招き、緊急会議を行ったそうです。
マリノスはフリューゲルスとの合併問題の渦中にあり、ジュビロはエスパルス、セレッソはガンバと、
いずれも近隣にライバルチームがあるという共通点があります。偶然かもしれませんが……

フリューゲルスの選手たちは、3日に広島で行なわれる試合のために、新横浜駅から新幹線で移動しました。
飛行機の揺れで体調を崩す恐れがあるから、というのが表向きの理由ですが、
全日空には金輪際乗りたくないと話す選手もおり、抗議の意味も含まれているようです。

98.11.3
横浜F・マリノスに、フリューゲルスから加わる7人のうち、4人が判明しました。
その4人は辻本茂輝、手島和希、遠藤保仁、大島秀夫で、いずれも今年の高卒入団選手です。
フリューゲルス入団時に複数年契約を結んでいたため、自動的に新チームに吸収されるようです。
マリノスの下条佳明ゼネラルディレクターは、
「4人のために、既存のうちの選手を無理して放出するわけにはいかない」
と語っており、獲得後に他のチームにレンタル移籍される可能性が高そうです。
98.11.2
1日、フリューゲルスの選手24人が練習終了後に、横浜駅西口でチーム存続のための署名活動を行いました。
選手会(前田浩二会長)が自主的に発案し、エンゲルス監督が賛同して実現したものです。
98.11.2
札幌の栗本直強化部長が、楢崎正剛にラブコールを送っているようです。
同部長は、かつてフリューゲルスのGKコーチ時代に楢崎に目をつけて獲得した、という経緯があります。
98.11.1
31日、横浜国際競技場でセレッソ大阪戦が行なわれ、7−0で大勝しました。
フリューゲルス存続のための署名活動が開始され、同時に青い翼運動が始動しました。
試合終了後、17時半頃からゴール裏スタンドにて、山田恒彦社長をはじめとする全日空スポーツの面々と、
サポーター、ファンたちの間で話し合いが行なわれました。
話し合いは、会場の閉鎖される20時になっても、平行線を辿ったままで納得のいく解答は得られず、
西ゲート前に場所を移して続けられ、一応の決着を見たのは翌日の2時半でした。
参加者の数は報道によってまちまちですが、話し合い当初は野次馬も含めて4000人ほどはいたと思います。
時間の経過とともに徐々に減少して、最後まで残ったのは300人弱といったあたりでしょうか。
詳細はこちらに記されていますので、御覧になってください。

同日、西京極総合運動競技場で、横浜マリノスと京都サンガの試合が行なわれました。
試合自体はサンガの勝利に終わりましたが、こちらでも試合終了後に、事情説明が行なわれました。
居残った300人ほどのサポーター、ファンの前で、マリノスの谷口武彦常務が説明を行ったのですが、
この席上で、ひとりのマリノスサポーターが、持っていたハンドマイクを常務に投げつけたようです。
幸いなことに、常務は左目付近を2cmほど切っただけの軽症で済んだそうです。
訴えれば傷害事件にまで発展しますが、告訴はしない模様です。
医務室で応急措置を施した後、事情説明は続けられ、1時間ほどで解散となったようです。

98.11.1

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