sage's scribbles
about YOKOHAMA FLUGELS

同一チームに、代表ゴールキーパーが複数いる状態は好ましくないとして、
トルシエ日本代表監督が、楢崎正剛に移籍を勧めたようです。
移籍候補としては、Jチーム以外にもドイツやスペインのチームも挙がっているようです。
98.10.31
前夜の決定通り、サポーター有志が合併凍結を求める嘆願書を、川淵チェアマンに出しに行きました。
アポなしだったにもかかわらず、サポーターたちに会ってくれたようです。
そして、その際と夕方事務局を離れる際の2度、涙を見せたと報じられています。
「何十万人もの横浜市民が動けば、分からない」と、理事会の決定が覆る可能性すら示唆していました。

30日、Jリーグ選手委員会がとないの事務局で行なわれ、選手救済策として、
Jリーグ各チームに、ひとりずつの特別枠を設けることを決定しました。
25人枠を越えて、ひとりだけ横浜マリノスと横浜フリューゲルスの選手とプロ契約できることになります。
また、特別枠にあてる選手については、移籍金を派生させないことも決定しました。
来月の実行委員会と理事会で承認された後、正式決定されます。

合併問題に関して、選手の親睦団体であるJリーグ選手協会(JPA=柱谷哲二会長)が、
川淵チェアマンと直接話し合いの場を持ちたい旨を、語ったそうです。
また、選手協会の対応を決定するため、近日中に都並敏史、井原正巳両副会長と、
今後の方針にいついて話し合いの場を持つようです。

98.10.31
セレッソ大阪が楢崎正剛獲得に向けて、動き出しているようです。
楢崎は奈良県生まれで、出身校である奈良育英高校はセレッソ大阪と親交が深いそうです。
加えて、山口素弘もセレッソ大阪の獲得候補に挙がっているようです。
早ければ、31日の試合で直接打診するものと思われます。
また、楢崎正剛には浦和レッズも興味を示しているようです。
98.10.30
新聞等で報じられているように、横浜フリューゲルスは横浜マリノスに吸収合併されます。

引き金となったのは、出資企業である佐藤工業が、業績不振を理由に経営から撤退することでした。
全日空単独では運営しきれないため、出資企業を新たに探したものの見つからなかったそうです。
一方、マリノスの出資企業である日産自動車の経営も苦しく、また同一都市に複数のチームが存在することで、
スポンサーがつきにくいという問題点を鑑みた結果、急速に合併の話が持ち上がったということです。
29日、“超法規的措置”によって、Jリーグ臨時理事会で合併が承認されました。
同日、都内のホテルで横浜フリューゲルスの山田恒彦社長と横浜マリノスの高坂弘己社長が、
川淵三郎Jリーグチェアマンとともに会見し、正式発表されました。

経営は、マリノスが70%、フリューゲルスが30%出資する法人「株式会社横浜マリノス」に引き継がれます。
愛称は「横浜F・マリノス」となり、フリューゲルスの頭文字は残るものの、事実上の吸収合併です。
超法規的措置の主な内容は、以下の通り。
 ・横浜・Fマリノスには、来年から適用されるプロA契約選手の25人枠は適用されない。
 ・マリノスとフリューゲルスから移籍する選手には、移籍金がかからない。
 ・選手を受け入れたチームは、25人枠に制限されず両チームの選手を保有できる。

新チームの役員構成は、日産と全日空の出資比率に準じ、社長にはマリノスの高坂社長が就任します。
なお、フリューゲルスのプロパー社員9人は、全員新チームに採用される見込みだということです。
本社所在地は横浜市新子安で、新横浜のフリューゲルスの事務所は閉鎖されます。
練習場は、マリノスの獅子ヶ谷グラウンドとフリューゲルスの東戸塚のトレセンが併用されるようです。
この事態を受けて、Jリーグはチーム経営の監督機関となる経営委員会(仮称)の発足を決定しました。

選手への説明
29日9時半より、東戸塚のクラブハウスで、山田社長が選手たちに突然の吸収合併の事情を説明しました。
事実は新聞で知らされ、それを裏付ける紙きれいちまい渡されただけ、という声もあがっていたようです。

サポーターへの説明
29日20時より、新横浜の事務所会議室において、山田社長からサポーターに対しての説明が行なわれました。
話し合いは平行線を辿ったまま、2時間半で終了しました。
なお、話し合いに進展が見られなくなった段階で、オーレの竹内さんが退席して、
事務所のあるビルの前に集まった私たちファンに、説明と話し合いの内容を伝えて下さいました。
その模様は、Ole! YOKOHAMAの今月のNEWSに詳しく記されています。
選手の比率も7:3となるために、フリューゲルスから新チームに加われるのは7人程度という話でした。
また、この場で翌30日11時に虎ノ門のJリーグ事務局に、嘆願書を出しに行くことが決まりました。

マリノス側の対応
獅子ヶ谷グラウンドで、高坂社長と谷口常務が選手たちに事情を説明しました。
サポーターへの説明は、谷口常務と中村運営部長が出席して、神奈川区の事務所で行なわれました。
20時から行なわれた話し合いは、深夜にまで及んだようです。

98.10.30

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