sage's scribbles
about YOKOHAMA FLUGELS

横浜F・マリノスの吉田孝行が、大分トリニータに移籍することになりました。
00.6.26
アルビレックス新潟の服部浩紀が、アビスパ福岡に移籍することになりました。

服部浩紀
「セカンドステージも間近なので、早くチームに慣れ、試合に出場して貢献したい」

00.6.20
13日、18日のキリンカップ・ボリビア戦に挑む日本代表22人が発表されました。
フリューゲルスに在籍していた選手では、楢崎正剛、三浦淳宏が選ばれました。
強化指定選手として、フリューゲルスのサテライトでプレーしていた西紀寛も選ばれました。

ボリビア戦は2−0で勝利した。楢崎正剛はフル出場、三浦淳宏は先発出場して88分に途中交代、1アシスト。
得点は柳沢敦2。

00.6.14
8日、11日のキリンカップ・スロバキア戦に挑む日本代表17人が発表されました。
フリューゲルスに在籍していた選手では、楢崎正剛、三浦淳宏が選ばれました。

ハッサン二世杯では、左サイドハーフに入った中村俊輔がフィジカルの弱さを露呈。かといって、名波浩ではあまりにスピードがなさすぎる。
一方の右サイドハーフはといえば、2試合に先発した伊東輝悦も、右膝内傷で代表を辞退した望月重良も、期待に応えているとは言い難い。
それだけに、左右どちらでも結果を残した三浦淳宏は、トルシエ監督にとって試合の流れを変えることのできる貴重な選手になるだろう。
テストの色合いが濃い試合を除いては、日本代表から楢崎正剛と三浦淳宏の名前が外れることはないと思われる。
 

スロバキア戦は1−1で引き分け。楢崎正剛、三浦淳宏ともにフル出場した。
得点は中村俊輔。

ジャマイカ戦が行われたのが7日、モロッコから帰国したのが8日。時差と疲労を考えれば、こういう試合になるのは目に見えていた。
あまりの退屈さに、テレビの前で寝てしまったよ…… まぁ、こういうのもひとつの経験だとは思うけどね。

00.6.9
京都パープルサンガの木村文治統括部長が、総監督を兼任することになりました。

ぶわっはっはっはっ……(爆笑) よりにもよって、諸悪の根元が現場介入するかね。
どうやら、J2降格へのシナリオは陳腐なものになりそうだ。とりあえず、ゲルト・エンゲルスが不憫で不憫で(涙)

00.6.8
京都パープルサンガの加茂周監督が、成績不振を理由に解任されました。
後任には、ゲルト・エンゲルスヘッドコーチが昇格することになりました。

2勝1分12敗、もちろん1st Stageの最下位。まぁ、解任は当然といえば当然なわけで、むしろ遅すぎたくらいでしょう。
──というか、日本代表の監督経験者ってJリーグで成功してないよね。横山謙三、森孝慈、岡田武史、そしてもちろん加茂周も。
成功とは言い難いが、ジュビロ黎明期の監督として、かろうじてハンス・オフトが置き土産を残したかなぁ、という程度。

とりあえず、監督と一緒に統括部長も解任してくれれば、サンガの未来も少しは明るくなるんじゃないかなぁ、と思うんだけど(苦笑)
 

どうやらサンガ側が主張するには、加茂周監督は解任ではなく、成績不振と健康上の理由で契約を解除した、ということらしい。
解任ということであれば、契約期間中(2002年1月まで)の報酬を支払う義務があるので、そういうことにしておきたいのだろうが……

加茂周前監督
「俺は健康や。病人にされたことが腹が立つ。この問題は代理人に任せてあるが、長引けばJリーグの裁定委員会に訴える。
 これは金の問題ではない」

00.6.6
セレッソ大阪の原田武男が、川崎フロンターレにレンタル移籍することになりました。

なにも優勝を阻まれたクラブに移籍することもなかろうに……
バックアップだとしても、セレッソにとって得難い選手だと思うけどなぁ。ただでさえディフェンスに難があるんだから。

00.6.3

1998年10月 1998年11月 1998年12月
1999年1月 1999年2月 1999年3月 1999年4月 1999年5月 1999年6月
1999年7月 1999年8月 1999年9月 1999年10月 1999年11月 1999年12月
2000年1月 2000年2月 2000年3月 2000年4月 2000年5月 2000年6月
2000年7月 2000年8月 2000年9月 2000年10月 2000年11月 2000年12月
2001年1月 2001年2月 2001年3月 2001年4月 2001年5月 2001年6月
2001年7月 2001年8月 2001年9月 2001年10月 2001年11月 2001年12月
2002年1月 2002年2月 2002年3月 2002年4月 2002年5月 2002年6月

Back