sage's scribbles
about YOKOHAMA FLUGELS

ガンバ大阪の遠藤保仁が、日本代表候補に追加招集されました。

同時に、サンフレッチェ広島の藤本主税も追加招集された。ありていに言えば、紅白戦要員が必要だったわけで……(笑)

02.2.26
東京ヴェルディ1969の永井秀樹が、右膝内側側副靱帯損傷で全治1ヶ月と診断されました。
02.2.24
エドゥー・マランゴンがポルトゲーザ(サンパウロ州)の監督に就任しました。
02.2.20
ベガルタ仙台の中田一三が、左膝前十字靱帯損傷および左膝内側半月板損傷と診断されました。
靭帯については断裂の疑いもあるため、再検査を受ける予定です。
02.2.20
19日、日本代表候補34人が発表されました。
フリューゲルスに在籍していた選手では、楢崎正剛、波戸康広が選ばれました。

最終登録メンバーは23人。いよいよ絞り込みが始まった──と見るのは早計。負傷者があまりに多すぎるというのが真相。
右膝前十字靭帯断裂で全治8ヶ月、ワールドカップはおろか今季中のプレーも絶望視される上村健一は別格としても──
服部年宏(急性汎発性腹膜炎)、森岡隆三(右太腿肉離れ)、田中誠(右太腿痛)、名波浩(右膝半月板損傷)、三浦淳宏(左脛痛)、
北嶋秀朗(右内転筋痛)といった具合。27日には"有料試合"となる紅白戦があるだけに、ここにきての負傷が致命的となる選手も……
ところで、負傷の報もなく選から漏れた、都築龍太と吉原宏太はすでに見込みがないってこと?

松田直樹(右太腿裏肉離れ)が辞退、代わって鈴木秀人が追加招集。合宿は静岡県で行われるだけに、紅白戦要員としてはまさに適役。

02.2.20
大嶽直人が、京都パープルサンガの普及部コーチに就任することになりました。
02.2.14
大久保貴広が、Honda FCスクール普及クラス担当(U-15コーチを兼任)に就任しました。
02.2.3
京都パープルサンガから戦力外通告を受けていた大嶽直人が、引退することになりました。
02.2.3
31日、8日〜13日のメディカルチェックに参加する日本代表候補41人が発表されました。
フリューゲルスに在籍していた選手では、楢崎正剛、波戸康広、三浦淳宏が選ばれました。
02.2.1

1998年10月 1998年11月 1998年12月
1999年1月 1999年2月 1999年3月 1999年4月 1999年5月 1999年6月
1999年7月 1999年8月 1999年9月 1999年10月 1999年11月 1999年12月
2000年1月 2000年2月 2000年3月 2000年4月 2000年5月 2000年6月
2000年7月 2000年8月 2000年9月 2000年10月 2000年11月 2000年12月
2001年1月 2001年2月 2001年3月 2001年4月 2001年5月 2001年6月
2001年7月 2001年8月 2001年9月 2001年10月 2001年11月 2001年12月
2002年1月 2002年2月 2002年3月 2002年4月 2002年5月 2002年6月

Back