3月 弥生
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花月(かげつ)・桜月(さくらづき)・春惜月(はるおしみづき)・蚕月(かいこづき)…etc
利休居士の祥月命日は旧暦の2月28日にあたりますが、今日では新暦の3月28日前後に、ひと月送りとして営まれています。
利休は堺の富商の家に生まれ、少年の頃の名は「与四郎」と称されていました。
堺の北向道陳(きたむき どうちん)に書院・台子の茶を学び、16歳のときにはすでに茶会を催していました。
また、19歳のころに道陳の紹介で武野紹鴎(たけの じょうおう)を師とし、*1わび茶の稽古に励んだそうです。
23、4歳のころから「宗易(そうえき)」の名を称していました。
このようにして、少年時代から茶の稽古に打ち込み一流の茶人として茶三昧の生活が50歳近くまでつづいたようです。
また、50余歳で織田信長の茶頭(茶の指南役)となり、のちに豊臣秀吉の茶頭として仕え秀吉が関白に任命された記念の茶会で秀吉の後見役を務め、名実ともに天下一の宗匠となりました。64歳のころです。
天正19年2月28日秀吉より切腹を命じられ自刃し70歳の生涯に幕を閉じました。

Q.*1わびとは?
A.武野紹鴎が書いたとされる「侘びの文」には「侘びとは、正直で 慎み深く おごらぬこと」と書いてあるようです。
Q.さびとは?
A.言葉として「おとめさび」…乙女らしく 、また「おとこさび」…おとこらしくと言う意味合いがあるようです。
この「〜らしく」がさびにあたるらしく、利休の孫の清巌和尚の言葉に「茶の湯をする人は、大名なら大名らしく、金持は金持ちらしく、世捨て人は世捨て人らしく、それぞれに応じてするのが一番だ。」とあるようです。
あるがままの姿が一番と言うことでしょうか…。
3月某日 晴 Y先生のお宅にて、総勢8名で行われました。
その日の一連の流れです。
1.お供茶(おくちゃ)を利休さんの絵(写真等)が飾られた床の間に差し上げました。
このとき、湯に抹茶を浮かせるだけで、茶筅で点てることはないようです。
2.干菓子(お供え物と同じ)をいただいてから、正客より順に薄茶をいただきます。
3.廻り炭…本来は主客全員で交互に炭をつぐ炭点前となりますが、今回私のY先生宅での廻り炭は、ひとりの方が行いました。
*透木釜(すきぎがま)でしたので五徳(ごとく)がありませんでした。
4.廻り花…利休さんは大変菜の花がお好みだったそうです。その為、この利休忌で菜の花をお供えするまでは、菜の花を用いることは控えられているようです。
5.茶カブキ…上林(かんばやし)・竹田(たけだ)・客(きゃく)の順に合計5服の濃茶をいただいて、茶銘を当てるお遊びです。
「お茶に酔う」という言葉があるように、5回もトロリと濃厚な濃茶をいただくので気分の悪くならないよう、加減しながらも味わって茶銘を当てることに全神経をそそぎます。ワイワイと賑やかで楽しいですョ♪
この茶カブキで一番気苦労であり、また、楽しんでいるのは亭主だろうと思われます。なぜかと言うと、同じ状態(濃度)でお茶を5服点てることに神経を使う苦労に対してお茶の銘を知っているのは、点てている亭主のみであって、お客様がアレコレ悩んでいる姿を見られるのですから…とは言ってもあくまでも、仲の良い、和やかなお遊びなんですよ。
2001年 私のお稽古(利休忌)終わり
* 透木釜など釜については、後日お話したいと思います。
しばし、おまちくだされ☆
追記(2002.3.12)
* お待たせしました。透木釜についてはこちらをご覧ください。
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