1. オスマン1世 による建国、ムラト1世のバルカンへの進出 | |
13世紀 | モンゴルの侵入によって小アジアのb ルーム=セルジューク朝 が衰退。 |
1299年 | トルコ人a オスマン1世(オスマン=ベイ) が小アジア西北部ブルサに政権樹立。 (オスマン侯国) = オスマン帝国の起源 →c ビザンツ帝国 の衰退に乗じてd バルカン半島 に進出。 |
1366年 | ムラト1世、ビザンツから奪ったe アドリアノープル (エディルネ)を都とする。 ・常備軍団としてf イエニチェリ 編成。 説明=g 白人のキリスト教徒の子弟を強制的に徴兵して常備軍とした オスマン帝国を象徴する軍事力として、ヨーロッパ側から恐れられた。 (その強制徴兵の方法をh デウシルメ という) |
1389年 | ムラト1世、i コソヴォの戦い でセルビアなどスラブ人国家連合軍を破る。 → スラブ人のイスラーム化始まる。 |
2.a バヤジット1世 ティムールに敗れる | |
1396年 | b ニコポリスの戦い でハンガリー王c ジキズムント 率いるバルカン諸国と 英・仏・独の連合軍(十字軍)を撃破。 |
1402年 | d アンカラの戦い でe ティムール に敗れ、一時衰退。 |
3.a メフメト2世 国力を回復。b ビザンツ帝国 を滅ぼす。 | |
c 1453 年 | d コンスタンティノープル を征服。首都はe イスタンブル と言われるようになる。 f トプカプ宮殿 を造営。g ハギア=ソフィア聖堂 もモスクに改修される。 |
オスマン帝国の社会 | ・ブワイフ朝、セルジューク朝、マムルーク朝と同じく、h イクター制 を継承。 在地騎兵(i シパーヒー )に対し封土=徴税権(j ティマール )を与える。 ・他宗教の宗教共同体(k ミッレト )の自治を認め、貢納の義務を負わせる。 |
補足説明= | 非イスラーム教徒のギリシア正教徒、アルメニア教会信徒、ユダヤ教徒はそれぞれミッレト(宗教共同体)をつくり、貢納の義務の代わりに信仰の自由と伝統的社会制度の維持が認められた。 |
4.a セリム1世 東アナトリア・エジプト・シリアに進出 →三大陸に及ぶ大帝国となる。 | |
1514年 | チャルディランの戦いでイランのb サファヴィー朝 を破り、シリアに進出。 |
1517年 | c マムルーク朝 を滅ぼし、エジプトを併合。 → d メッカ 、e メディナ の保護権を獲得 = オスマン朝のf スルタン が、 カリフの後継者と認められ、宗教的にもg スンナ派イスラーム教 の擁護者となる。 → h スルタン=カリフ制 の起源とされる。実際には18世紀以降に確立。 |
5.a スレイマン1世 領土を拡大し、オスマン帝国の全盛期となる。 | |
1526年 | b モハッチチの戦い でc ハンガリー 軍を破り領土を奪う。 →d 神聖ローマ帝国 のe カール5世 と対立。 →f 宗教改革 期のキリスト教世界を圧迫。 |
g 1529 年 | h ウィーン包囲 (第1次) 1カ月包囲した後に撤退。 |
1536年 | フランスに対し、i カピチュレーション を認める。次いで英・蘭にも認める。 |
説明=j 外国商人に領内の居住と通商の自由を認める。ヨーロッパ勢力の進出の口実とされた。 背景:k カール5世 の対立していたフランスのl フランソワ1世 と結ぶ。 | |
1538年 | m プレヴェザの海戦 スペイン、ヴェネツィア、ジェノヴァ連合軍を破る。 |
1557年 | n スレイマン=モスク :イスタンブルに建設。代表的モスク建築。 |
→オスマン帝国の最大領域・ティムール朝 |
1.バルカンの領土縮小 16世紀後半から17世紀 | |
a 1571年 | b レパントの海戦 スペイン、ヴェネツィア、ローマ教皇らの連合海軍に敗れる。 → オスマン帝国の地中海制海権、衰え始める。スペインの全盛期。 |
17世紀頃 | スルタンの権威衰え、c イエニチェリ の発言権が強くなる。 (補足)スルタンの権威が衰え、実権は大宰相(ヴェズィラザム)が握るようになる。 |
1683年 | d ウィーン包囲 (第2次)の失敗 大軍で包囲したが敗れる。 |
1699年 | e カルロヴィッツ条約 オーストリア・ポーランド・ヴェネツィアと締結。 →f ハンガリー などをオーストリアに割譲。バルカンのオスマン領縮小の始まり。 |
17世紀 | 一方、g イギリス はインド方面からイラクに進出。バスラに商館設置。 |
2.a ロシアの南下政策 → オスマン帝国、黒海方面の領土失う。 18世紀以降 | |
1696年 | ロシアのb ピョートル大帝 、黒海の北につながるc アゾフ海 を奪う。 |
1711年 | オスマン海軍、ロシア海軍を破り、ロシアの南下を一時抑える。 |
18世紀前半 | オスマン帝国のd チューリップ時代 :アフメト3世の宮廷で西欧化が進む。 |
18世紀後半 | ロシアのe エカチェリーナ2世 、南下政策を強める。 |
1774年 | 1774年 ロシアとf キュチュク=カイナルジャ条約 締結。 ・クリム=ハン国の支配権を放棄。 ・ロシア商船の黒海自由航行権とg ダーダネルス=ボスフォラス海峡 通行権を認める。 |
1783年 | ロシア、h クリミア半島 を併合。 |
3.アラブの覚醒 オスマン帝国支配下のアラブ諸民族の自立をめざす運動が起こる。 | |
18世紀中頃 | アラビア半島でa ワッハーブ派 の運動始まる。 b イブン=アブドゥル=ワッハーブ =イラン人、トルコ人に広がった神秘主義を イスラームの堕落とみなし、イスラーム教の改革を唱える。 |
1744年 | c ワッハーブ王国 :ワッハーブ派がアラビアの豪族d サウード家 と結び建国。 首都リヤド。 → オスマン帝国からの独立を宣言、メッカ・メディナを占領。 |
4.エジプトの自立 | |
1798年 | フランスのa ナポレオン 、イギリスのインド支配に対する圧力をかけるため、 エジプトに遠征。 → エジプト人にオスマン帝国からの自立を宣伝する。 → イギリスとオスマン帝国軍、ナポレオン軍を破る。99年、ナポレオン、急遽帰国。 |
1805年 | b ムハンマド=アリー エジプトの実権を握る。→ムハンマド=アリー朝成立。 |
1806年 | → オスマン帝国カリフからc エジプト総督(パシャ) の地位を認められる。 → 旧来のd マムルーク 勢力を一掃、フランスの協力でエジプトの近代化を推進。 |
5.東方問題とオスマン帝国の改革 | |
1807年 | スルタンセリム3世、西洋式軍隊(ニザーム=ジュディット)を創設。 a イエニチェリ が反発し、スルタンを暗殺する。 |
1821年 | b ギリシア独立運動 起こる。 → ウィーン体制下で英・仏・露が支援。墺は反対。 → c 東方問題 の始まり。1830年、ロンドン会議で独立承認。 |
1826年 | スルタンマフムト2世、a イエニチェリ を全廃。軍備の西欧化を進める。 |
1838年 | トルコ=イギリス通商条約 不平等条約、イギリス製品の流入。 |
→「東方問題」深刻化 エジプト=トルコ戦争 → クリミア戦争 → 露土戦争 と続く。
→ d 瀕死の病人 といわれる。上からの改革を試みながら存続。第1次世界大戦に参戦して敗北。
→ 大戦後の1923年、e ムスタファ=ケマル によるf トルコ革命 でトルコ共和国となる。
1.a ティムール朝 の建国 | |
14世紀中頃 | 中央アジアのb チャガタイ=ハン国 、東西分裂。西チャガタイ王国配下の c ティムール 、チンギス=ハンの子孫を名乗り、モンゴル・トルコ両民族を統合。 |
1370年 | c ティムール が建国。東西トルキスタンを統一し、イラン、イラクを併合。 → キプチャク=ハン国・北インドにも侵入。大帝国を一代で築く。 都d サマルカンド の繁栄。モスク、マドラサを多数建設。 e イル=ハン国 のイラン=イスラーム文化を継承し、f トルコ=イスラーム文化 の形成。 |
1402年 | g アンカラの戦い でオスマン軍を破り、h バヤジット1世 を捕らえる。 さらに、i 明 (皇帝j 永楽帝 )への遠征を計画、 |
1405年 | 途中オトラルで病死。 |
2.ティムール朝の繁栄と衰退 | |
1409年 | シャー=ルフ、都をa ヘラート に移す。オスマン帝国と和し文化興隆に務める。 |
15世紀中頃 1449年 | b ウルグ=ベク 、c サマルカンド に天文台建設。d トルコ=イスラム文明 の興隆。 暗殺され、以後衰退する。 |
1507年 | トルコ系e ウズベク人 のシャイバニに滅ぼされるを建国(後のブハラ=ハン国)。 西トルキスタンにはブハラ=ハン国、ヒヴァ=ハン国、コーカンド=ハン国が分立。 |
→ ティムール帝国(14世紀後半〜15世紀) |
3.a サファヴィー朝 の建国 | |
1501年 | b 神秘主義教団 のc サファヴィー教団 の長、d イスマーイール1世 が建国。 国王はe シャー を称す。首都 f タブリーズ 。イランの民族意識たかまる。 g シーア派・十二イマーム派 を国教とし、スンナ派のh オスマン帝国 と抗争。 トルコ系遊牧民を騎兵部隊(キジルバジ)として西アジアに進出。 |
1514年 | チャルディランの戦いで、オスマン帝国のi セリム1世 と戦い、敗れシリアを失う。 |
1534年 | オスマン帝国のj スレイマン1世 の遠征でアゼルバイジャンとイラクを失う。 |
4.a アッバース1世(大帝) 全盛期。 | |
16世紀末 | b オスマン帝国 からアゼルバイジャンとイラクの一部(バグダード)を奪回。 |
1597年 | 新首都 c イスファハーン の建設。 「d 世界の半分 」と言われて繁栄。 e ペルシア絨毯 など工芸品が盛んになる。イマームのモスクを建設。 |
1605年 | インドのムガル帝国のジャハンギールと戦う。 |
1622年 | g ホルムズ島 のポルトガル人を追い払う。 →17世紀後半、次第に衰退。 |
1722年 18世紀後半 | アフガン人によって滅ぼされる。 → 18世紀以降のイラン トルコ系アフシャール朝、ゼンド朝などが続き混乱。 |
5.カージャール朝とパフレヴィー朝 | |
1796年 19世紀 | トルコ系のa カージャール朝 成立。 インド方面からb イギリス 、北方から南下政策をとるc ロシア の進出が始まる。 |
1828年 1848年 1907年 | ロシアとトルコマンチャーイ条約締結。治外法権などを認める不平等条約。 → イラン民衆の反発 バーブ教徒の反乱起きる。 → 鎮圧される。 英露協商成立。イラン北部はロシア、南部とアフガニスタンはイギリスが支配。 |
1925年 1935年 | c レザー=ハーン 、e パフレヴィー朝 を樹立。近代化を進める。 国号をf イラン に変更。 → 北部をロシア、南部をイギリスが事実上支配する。 |
→第2次世界大戦後、1953年よりパフレヴィー2世、国際石油資本と結び独裁、近代化政策の強要
→ 1979年 g ホメイニ 指導のh イラン革命 起こり、イラン=イスラーム共和国となる。