2006年度 6B世界史 世界史特講

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テーマ15 オスマン帝国・ティムール帝国・サファヴィー朝 2006 夏期講習U No.2

解法T 14世紀以降のトルコ・イランとその周辺の大きくな流れを理解する。

T オスマン帝国の形成 

1. オスマン1世 による建国、ムラト1世のバルカンへの進出 
13世紀モンゴルの侵入によって小アジアのb ルーム=セルジューク朝 が衰退。 
 1299年 トルコ人a オスマン1世(オスマン=ベイ) が小アジア西北部ブルサに政権樹立。
 (オスマン侯国) = オスマン帝国の起源
 →c ビザンツ帝国 の衰退に乗じてd バルカン半島 に進出。
 1366年 ムラト1世、ビザンツから奪ったe アドリアノープル (エディルネ)を都とする。
 ・常備軍団としてf イエニチェリ 編成。
 説明=  
  オスマン帝国を象徴する軍事力として、ヨーロッパ側から恐れられた。
  (その強制徴兵の方法をh デウシルメ という)
 1389年 ムラト1世、i コソヴォの戦い でセルビアなどスラブ人国家連合軍を破る。
 → スラブ人のイスラーム化始まる。
2.a バヤジット1世  ティムールに敗れる
 1396年   ニコポリスの戦い でハンガリー王c ジキズムント 率いるバルカン諸国と
 英・仏・独の連合軍(十字軍)を撃破。
 1402年   アンカラの戦い  でe ティムール に敗れ、一時衰退。
3.a メフメト2世   国力を回復。b ビザンツ帝国 を滅ぼす。
1453 年   コンスタンティノープル を征服。首都はe イスタンブル  と言われるようになる。
 f トプカプ宮殿 を造営。g ハギア=ソフィア聖堂 もモスクに改修される。
オスマン帝国の社会  ・ブワイフ朝、セルジューク朝、マムルーク朝と同じく、h イクター制 を継承。
 在地騎兵(i シパーヒー )に対し封土=徴税権(j ティマール )を与える。
・他宗教の宗教共同体(k ミッレト  )の自治を認め、貢納の義務を負わせる。
 補足説明=    
4.a セリム1世   東アナトリア・エジプト・シリアに進出 →三大陸に及ぶ大帝国となる。  
 1514年  チャルディランの戦いでイランのb サファヴィー朝 を破り、シリアに進出。
 1517年   マムルーク朝  を滅ぼし、エジプトを併合。
 → d メッカ 、e メディナ の保護権を獲得 = オスマン朝のf スルタン が、
 カリフの後継者と認められ、宗教的にもg スンナ派イスラーム教 の擁護者となる。
 → h スルタン=カリフ制 の起源とされる。実際には18世紀以降に確立。
5.a スレイマン1世    領土を拡大し、オスマン帝国の全盛期となる。
 1526年  モハッチチの戦い でc ハンガリー 軍を破り領土を奪う。
 →d  神聖ローマ帝国  のe カール5世  と対立。
 →f 宗教改革 期のキリスト教世界を圧迫。
 1529 年  ウィーン包囲  (第1次) 1カ月包囲した後に撤退。
 1536年    フランスに対し、i カピチュレーション  を認める。次いで英・蘭にも認める。
  説明=
 背景:k カール5世 の対立していたフランスのl フランソワ1世 と結ぶ。    
 1538年   プレヴェザの海戦   スペイン、ヴェネツィア、ジェノヴァ連合軍を破る。
 1557年   スレイマン=モスク :イスタンブルに建設。代表的モスク建築。
  →オスマン帝国の最大領域・ティムール朝

U オスマン帝国の衰退 


1.バルカンの領土縮小 16世紀後半から17世紀
 1571年   レパントの海戦  スペイン、ヴェネツィア、ローマ教皇らの連合海軍に敗れる。
 → オスマン帝国の地中海制海権、衰え始める。スペインの全盛期。     
17世紀頃 スルタンの権威衰え、c イエニチェリ の発言権が強くなる。
(補足)スルタンの権威が衰え、実権は大宰相(ヴェズィラザム)が握るようになる。
 1683年 ウィーン包囲 (第2次)の失敗 大軍で包囲したが敗れる。
 1699年 カルロヴィッツ条約  オーストリア・ポーランド・ヴェネツィアと締結。
 →f ハンガリー などをオーストリアに割譲。バルカンのオスマン領縮小の始まり。    
17世紀一方、g イギリス はインド方面からイラクに進出。バスラに商館設置。
2.a ロシアの南下政策  → オスマン帝国、黒海方面の領土失う。 18世紀以降
 1696年ロシアのb ピョートル大帝  、黒海の北につながるc アゾフ海 を奪う。
 1711年オスマン海軍、ロシア海軍を破り、ロシアの南下を一時抑える。
18世紀前半 オスマン帝国のd チューリップ時代 :アフメト3世の宮廷で西欧化が進む。
18世紀後半 ロシアのe エカチェリーナ2世 、南下政策を強める。
 1774年1774年 ロシアとf キュチュク=カイナルジャ条約  締結。
・クリム=ハン国の支配権を放棄。
・ロシア商船の黒海自由航行権とg ダーダネルス=ボスフォラス海峡 通行権を認める。
 1783年ロシア、h クリミア半島 を併合。
3.アラブの覚醒 オスマン帝国支配下のアラブ諸民族の自立をめざす運動が起こる。
18世紀中頃 アラビア半島でa ワッハーブ派  の運動始まる。
 b イブン=アブドゥル=ワッハーブ =イラン人、トルコ人に広がった神秘主義を
 イスラームの堕落とみなし、イスラーム教の改革を唱える。
 1744年c ワッハーブ王国  :ワッハーブ派がアラビアの豪族d サウード家 と結び建国。
 首都リヤド。 → オスマン帝国からの独立を宣言、メッカ・メディナを占領。
4.エジプトの自立
 1798年フランスのa ナポレオン 、イギリスのインド支配に対する圧力をかけるため、
 エジプトに遠征。 → エジプト人にオスマン帝国からの自立を宣伝する。
 → イギリスとオスマン帝国軍、ナポレオン軍を破る。99年、ナポレオン、急遽帰国。
 1805年b ムハンマド=アリー エジプトの実権を握る。→ムハンマド=アリー朝成立。
 1806年 → オスマン帝国カリフからc エジプト総督(パシャ) の地位を認められる。
 → 旧来のd マムルーク 勢力を一掃、フランスの協力でエジプトの近代化を推進。
5.東方問題とオスマン帝国の改革
 1807年スルタンセリム3世、西洋式軍隊(ニザーム=ジュディット)を創設。
 a イエニチェリ が反発し、スルタンを暗殺する。
 1821年 ギリシア独立運動 起こる。 → ウィーン体制下で英・仏・露が支援。墺は反対。
 → c 東方問題 の始まり。1830年、ロンドン会議で独立承認。
 1826年スルタンマフムト2世、a イエニチェリ を全廃。軍備の西欧化を進める。
 1838年トルコ=イギリス通商条約 不平等条約、イギリス製品の流入。

→「東方問題」深刻化 エジプト=トルコ戦争 → クリミア戦争 → 露土戦争 と続く。
→ d 瀕死の病人 といわれる。上からの改革を試みながら存続。第1次世界大戦に参戦して敗北。
→ 大戦後の1923年、e ムスタファ=ケマル によるf トルコ革命 でトルコ共和国となる。

V ティムール朝 

1.a ティムール朝 の建国
14世紀中頃 中央アジアのb チャガタイ=ハン国 、東西分裂。西チャガタイ王国配下の
 c ティムール 、チンギス=ハンの子孫を名乗り、モンゴル・トルコ両民族を統合。
  1370年 ティムール が建国。東西トルキスタンを統一し、イラン、イラクを併合。
 → キプチャク=ハン国・北インドにも侵入。大帝国を一代で築く。
 都d サマルカンド  の繁栄。モスク、マドラサを多数建設。
 e イル=ハン国 のイラン=イスラーム文化を継承し、f トルコ=イスラーム文化 の形成。
  1402年  アンカラの戦い  でオスマン軍を破り、h バヤジット1世 を捕らえる。
 さらに、i 明 (皇帝j 永楽帝 )への遠征を計画、
  1405年 途中オトラルで病死。
2.ティムール朝の繁栄と衰退
  1409年シャー=ルフ、都をa ヘラート に移す。オスマン帝国と和し文化興隆に務める。
15世紀中頃
  1449年
 ウルグ=ベク 、c サマルカンド  に天文台建設。d トルコ=イスラム文明  の興隆。
 暗殺され、以後衰退する。
  1507年トルコ系e ウズベク人 シャイバニに滅ぼされるを建国(後のブハラ=ハン国)。
 西トルキスタンにはブハラ=ハン国、ヒヴァ=ハン国、コーカンド=ハン国が分立。
  → ティムール帝国(14世紀後半〜15世紀)

V サファヴィー朝 

3.a サファヴィー朝  の建国 
  1501年 神秘主義教団 のc サファヴィー教団 の長、d イスマーイール1世 が建国。
 国王はe シャー を称す。首都 f タブリーズ 。イランの民族意識たかまる。
 g シーア派・十二イマーム派  を国教とし、スンナ派のh オスマン帝国 と抗争。
トルコ系遊牧民を騎兵部隊(キジルバジ)として西アジアに進出。  
  1514年 チャルディランの戦いで、オスマン帝国のi セリム1世  と戦い、敗れシリアを失う。
  1534年 オスマン帝国のj スレイマン1世  の遠征でアゼルバイジャンとイラクを失う。
4.a アッバース1世(大帝)   全盛期。
16世紀末  オスマン帝国 からアゼルバイジャンとイラクの一部(バグダード)を奪回。
  1597年 新首都 c イスファハーン の建設。 「d 世界の半分 」と言われて繁栄。
 e ペルシア絨毯 など工芸品が盛んになる。イマームのモスクを建設。
  1605年   インドのムガル帝国のジャハンギールと戦う。 
  1622年    g ホルムズ島 のポルトガル人を追い払う。 →17世紀後半、次第に衰退。
  1722年
18世紀後半
アフガン人によって滅ぼされる。 → 18世紀以降のイラン
 トルコ系アフシャール朝、ゼンド朝などが続き混乱。
5.カージャール朝とパフレヴィー朝
  1796年
19世紀
トルコ系のa カージャール朝 成立。
インド方面からb イギリス 、北方から南下政策をとるc ロシア の進出が始まる。
  1828年
  1848年
  1907年
ロシアとトルコマンチャーイ条約締結。治外法権などを認める不平等条約。
 → イラン民衆の反発 バーブ教徒の反乱起きる。 → 鎮圧される。
英露協商成立。イラン北部はロシア、南部とアフガニスタンはイギリスが支配。
  1925年
  1935年
 レザー=ハーン  、e パフレヴィー朝 を樹立。近代化を進める。
国号をf イラン に変更。 → 北部をロシア、南部をイギリスが事実上支配する。

→第2次世界大戦後、1953年よりパフレヴィー2世、国際石油資本と結び独裁、近代化政策の強要 
1979年 g ホメイニ  指導のh イラン革命 起こり、イラン=イスラーム共和国となる。