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くれる時代が来ます。その時に求められる人材は別に絵が描けなくてもいい。発想力の豊かな「演技

者」であって、きれいなや中割りや、影をベタベタつけて格好いい止めの絵しか描けない人はいらない

ということが起こるかもしれないからです。

学校でね、「声優科」というクラスがあって、そこの生徒はたった一年で明るく、はきはきした受け

答えが出来るようになるのを見て驚いています。アニメーターにもああいう訓練をしたい思いです。体

を使った演技の訓練を! 上手な絵が描けるだけというのは寂しい限りです。そんな時代が来て、アニ

メーターよりもコマ撮りの技術者やパペット(人形)を操作する人の方がまし …… と言われることの

ないようになっていて欲しい。

それに、出来ればつき合って面白い人になって欲しい。面白くも何ともない人にだけはならないで

欲しい。…… そんなことを考えています。


若い頃に上達するにはとにかく沢山の絵を描くこと

―大塚さんや宮崎さんにはそれがあったと ……。餅が大きかった?

大塚そうです。宮さんなどは東映に入ってきた時から「あ、これはぼくより沢山絵を描いている…

…」とすぐに分かるほど上手でした。色々なものをよ〜く見て頭に入れておく訓練と、それを紙の上

に素早く描く才能が生まれながらにあったのか、大学時代に死ぬほど絵を描いていたのか(宮さんは

そのことについては一切語っていませんが)、ああいう才能は遺伝ということはありませんから、やっ

ぱり描きまくっていたのでしょうね。全ての人に分かる大きな餅でした。

ぼくについては、学校でもよくいる普通のお餅だったと思います。子供のころ蒸気機関車とか自動

車を描きまくっていました。ぼくは一種のコレクターでして、当時専門誌もないし(あったらしいので

すが買えなかった)写真もない状態でしたから、ひたすらに描きためるという感じで、それが楽しみだ

ったのですが、描きためて行くうちに上手になるということを実感していたのでしょうね。言い換える

と、量を描くことが上達につながる― という単順な原理を体で知っていたわけです。それだけの財産

で東映に入りました。

入ったら、同期の人たちはほとんど美術学校卒だったこともあって、怯えましてね。で、その人た

ちに並ぶためには、仕事のほかに毎日沢山絵を描いて乗り切ろうとした…… それだけです。

これは効果的でした。誰でも仕事となると、いやでも毎日絵を描きますから、何年もすれば上手に

なって当たり前です。漫画家がデビューし、締め切りに追われて描きまくるでしょう。すると一年も

しないうちにみるみる上手になります。あれは量を描くからです。強制されてね。

それを若いうちに自分に課して行けば、そりゃ効果はあって当然でしょう。ぼくはそんな風なアプ

ローチでこの仕事に就きました。学校でもぼくは、手を換え品を換えてこのことを強調します。

ついでに言えば、時期が来て周りの期待が大きくなると、おはぎが大きいだけでは済みません。宮
さんに限らず、絵のうまい人はこの世には沢山います。貞本義行(注3 2 )なんて人にも驚かされました。

みんな若い頃に沢山絵を描いているはずです。こうした人たちはある時点から別の能力、たとえば何

よりも野心、説得力、統率力、正確で早い判断力、歴史認識 ― それに人に対する優しさなども問

われるような気がします。― そんなところでいいですか。

― 大塚さんのお人柄が伺えるような素敵なお話ですね。本日は長い間、本当にありがとうございまし

た。