いたのか……。ずっと自分のような情熱的な天才の出現を夢見ていたのか……。

ぼくは誰でも初めは一兵士として参加し、実戦で経験豊かな戦士になって行くものだとばかり思っ

ていましたから、宮崎さんのこの発想には苦笑しましたが、あれだけの才能ですから「俺の後を継い

でくれる人」を無意識のうちに求めているのかなあ…… と思って気の毒にもなりました。……そり

ゃいませんよ。

学校でそんな人材を期待してはいけません。ここを卒業した普通の素直な若者がまじめに真摯に現

場を支える ……ことで経験を蓄積して、二十一世紀の日本のアニメーションの中核に育ってくれる

…… それを夢に見ることだと思っています。
ウォルト・ディズニー(注3 1)は生前「天才的なアニメーターはまぶしい海岸の砂浜でダイアモンドの

原石を捜すようなものだ。そんな人がいたらシベリアでも、アフリカの奥地からでも引っ張って来た

い。」と言っていますが、二十一世紀には日本でもハングリーな土の中から出てきた天才的な中国人

や、フィリピン人のアニメーターが「日本のアニメ」の中核に立つかもしれないのです。日本語という

バリアーを越えてしまえば、デーブ・スペクターみたいに日本のマスコミに参入出来るし、その人が本

当に面白いものを作る才能があれば、アニメ界も世間も受け入れるかもしれません。

何かに対して飢餓感を持っていて欲しいし、負けないで欲しいと思います。

これからのアニメーターは一層演技させて見せることを志すべき
― ありがとうございました。最後にもう一つお伺いしますが、アニメーションがうまくなるコツという

のは何でしょうか。

大塚 は〜あ、それね。みんなに聞かれます。その質間は聞いた人に投げ返すほかないのですが、ア

ニメーションの原点から考えてみましょう。

ぼくたちがやって来たような種類のアニメーション、つまり、ややリアルな劇場用長編として言え

ば、「おはぎ」みたいなものとして考えてみて下さい。中に餅があってその周りをあんこでくるんでいる

あれですが ―。

その餅の部分を画力としましょう。絵を上手に描く力です。とりあえずその餅の大小が問われるの

です。アニメーションには色々な専門的な技術がありますが、それをあんことしますと、餅である画力

があってこそ、あんこはつけ加えられるのであって、ぼくたちは(学校の先生方も)生徒の餅を大き

くしてあげることにはあまり貢献出来ないのです。もちろん学校では先生方が日常的に模写とか、デ

ッサンとか出来る限りの時間を割いて教えていますが、これは本質的に自前の能力ですから、教育に

は限度があります。それさえあれば、アニメーション固有の技術はそんなに難しいものではないのです。

餅を大きくする方法はさっき言いましたね。

それから、ぼくに言わせると、いいアニメーターになるにはもう一つ大事なことがあるような気がし

ます。それは性格に関わることなので、言いにくいのですが、「アニメーターは演技者である」という

古典的なフレーズをもう一度思い起こしてもらいたいのです。イラストレーターではなく、樹木でも雲

でも人間でも画面で演技させて見せることを志して欲しい。と言うことです。自分で想像して頭の中

で演技してみる訓練くらいはしておいて欲しいと言うことでしょうか。

と言うのは、これからコンピューターが発達して、絵を動かすのは、かなりの水準まで機械がやって
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