海上ルートについてはインド洋交易圏などを参照してください。
・ 東西交流の歴史
1.漢代前後の交流 | |
戦国時代 秦漢 | 匈奴から、胡服(上下別の服)、騎馬技術、製鉄などが伝わる a 絹の道(オアシスの道) ・b 草原の道 ・c 海の道 を通して東西交流活発になる。 |
漢の武帝 | d 張騫 を大月氏 、大宛(フェルガナ) に派遣。西域 に進出。 |
後漢 2世紀中頃 | e 班超 を西域経営にあてる。部下のf 甘英 を大秦国 に派遺、シリアに到達か。 g 大秦王安敦 (マルクス=アウレリウス=アントニヌスか)の使者、日南郡 に来る。 |
後漢 魏晋南北朝 | h 仏教 の伝来 西域・インドとの仏僧の交流 仏図澄・法顕・鳩摩羅什ら 北方遊牧民の騎馬文化(胡服、粉食、椅子など)がもたらされる。 |
2.唐代の国際性 都a 長安 が国際都市として繁栄 | |
仏教の興隆 東西交易 | 玄奘 、義浄 がインドに渡る。 内陸では、b ソグド商人 、海路では広州 ・揚州 などにc ムスリム商人 の来航。 |
文化の伝播 751年 | d イラン(ササン朝ペルシア) 文化の伝播 = 服装、ポロ競技など → 日本のe 法隆寺 の獅子狩文錦、f 正倉院 の漆胡瓶・白瑠璃椀など タラス河の戦い g 製紙法 が唐からイスラーム世界に伝えられる。 |
西方の宗教 の伝来 | h 景教 :ネストリウス派キリスト教。教会は波斯寺、後に大秦寺と言われる。 i 『大秦景教流行中国碑』 (781年)が建設される。 j けん教 :イラン人の宗教、k ゾロアスター教 。拝火教とも言われた。 k マニ教 :イランのササン朝ペルシア起源の宗教。 l 回教 :イスラームのこと。イスラム商人が伝えた。 |
3.宋 中国文化の西方の伝来 | |
港湾都市 11世紀 | 泉州・広州・揚州・杭州 などが繁栄。a ムスリム商人 の来航。 中国商人 もb ジャンク船 で南シナ海交易圏で活動。陶磁器、絹織物などを輸出。 c 木版印刷 ・d 羅針盤 ・e 火薬 →イスラーム世界を通じヨーロッパに伝来。 |
4.モンゴル帝国から元へ ユーラシアの活発な東西交流 | |
カトリック使節 の来訪 仏王ルイ9世 | 背景:a 十字軍運動 を展開中、イスラームの背後の勢力と結ぼうとした。 ローマ教皇、b プラノ=カルピニ を派遣(1245〜47年) カラコルムに到達。 フランス王ルイ9世、c ルブルック を派遣(1253〜55年) 同上。 |
元 | ローマ教皇、d モンテ=コルヴィノ (フランチェスコ派)(1294年) を大都に派遣。 → 大司教として初めて大都で布教。 イル=ハン国からローマ教皇に派遣されたe ラッバン=ソウマ に対する返礼。 |
13世紀 14世紀 | f マルコ=ポーロ :フビライに仕えg 『世界の記述』(『東方見聞録』) を著す。 モロッコ生まれの旅行家 h イブン=バットゥータ も中国に来る。 『三大陸周遊記』 |
文化の交流 チベット仏教 | i 郭守敬 、イスラーム暦をもとにj 授時暦 をつくる。1280年 k パスパ文字 = フビライがチベットから招いたチベット仏教の教主が作った文字。 各地に寺院を建設。→ 元の衰退の一因となる。 |
5.明 前半の海外発展と後半の北虜南倭 | |
15世紀初め | 明の永楽帝 a 鄭和 の大航海を実施。朝貢貿易の拡大を図る。 → インド洋からアフリカ東岸まで到達。 → その後、海禁策に転じる。 |
15世紀中頃 | 北方:モンゴル人b オイラト やc タタール の侵攻 =d 北虜 |
16世紀後半 | 海岸部:e 前期倭寇 が勘合貿易で沈静化した後f 後期倭寇 が活発化=g 南倭 |
6.明〜清 キリスト教の布教・西洋文明との接触 | |
16世紀 1552年 1582年 (明末) | 反宗教改革 → a イエズス会 によるカトリック布教始まる。 b フランシスコ=ザビエル :日本布教後、広州で中国布教を目指し、広東港外で死す。 c マテオ=リッチ (利瑪竇):イタリア人 マカオ上陸。1601年、北京で布教開始。 →北京に天主堂を建設。ヨーロッパの天文・暦法・地理・数学・砲術などを紹介。 → d 徐光啓 の協力でe 『坤輿万国全図』 を作成。日本にも伝来。 |
17世紀 (明末清初) | f アダム=シャール (湯若望):ドイツ人。 d 徐光啓 らと『崇禎暦書』 を作成。明末、清では天文台の長官となる。 |
7.清 宣教師の活動とキリスト教の禁止 | |
17世紀後半 | スペインと交易、メキシコ銀の流入。明代に続き、イエズス会宣教師の活動。 |
康煕帝時代 | a フェルビースト (南懐仁) :ベルギー人。暦法、大砲鋳造に活躍、天文台副長官。 b ブーヴェ (白進):フランス人。中国全図c 『皇輿全覧図』 作成に協力。 |
乾隆帝時代 | d カスティリオーネ (郎世寧):イタリア人。西洋式庭園e 円明園 の設計に加わる。 → 1860年 f アロー戦争 で焼失。 |
キリスト教の禁止 1724年 1757年 | g 典礼問題 : 説明= h イエズス会が中国の伝統的儀礼を認めて布教していることを、他派の宣教師がローマ教皇に告訴したこと → i 康煕帝 典礼を拒否する会派の伝道と入国を禁止。 j 雍正帝 、キリスト教の布教を禁止する。 k 乾隆帝 、外国船の来航をl 広州 1港に制限。 |
8.清末 西洋文明との衝突 | |
清末 | イギリス、本国・インド・中国のa三角貿易で、インド産のアヘンの密輸を展開。 → マカートニー、アマーストらを派遣し自由貿易を要求。→ 清朝は自由貿易を拒否。 |
1840年 | ・bアヘン戦争 → 南京条約などによって不平等条約を強制され、香港を割譲。 |
1851年 | ・c 太平天国 =洪秀全、上帝会を組織して反乱を起こす。天京で建国。 d アヘン吸飲 ・e 辮髪 ・f 纒足 の禁止など。民衆の支持を受ける。 → g滅満興漢を掲げ戦うが、郷勇と常勝軍によって、64年に鎮圧される。 |
1856年 1858年 1861年 | ・hアロー戦争 ← フランスは宣教師殺害事件を口実に参戦。 → i 天津条約 でキリスト教布教認められる。 → 60年に批准。 ・清朝政府のj 洋務運動 始まる。k 中体西用 を掲げるが限界があった。 |
・反キリスト教運動 特権的なキリスト教宣教師に対する反発が強まる。 =l 仇教運動 :山東省から反キリスト教の民衆蜂起始まる。 | |
1894年 1898年 | ・m日清戦争に敗れる →康有為・梁啓超ら開明派によるn 変法運動(戊戌の変法) 起こる。 →o戊戌の政変で保守派に敗れる。 |
1900年 | ・p 義和団事件 :白蓮教系の秘密結社が、反キリスト教、q扶清滅洋を掲げ蜂起。 → ロシア・日本・英・仏・独・米などが出兵し北京を制圧。帝国主義による中国分割始まる。 |