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中国文化史 3 中国文化と東西交流

解法 ユーラシア大陸の東西交流を大きくとらえる。

海上ルートについてはインド洋交易圏などを参照してください。

 東西交流の歴史 

1.漢代前後の交流
 戦国時代
 秦漢
匈奴から、胡服(上下別の服)、騎馬技術、製鉄などが伝わる
 絹の道(オアシスの道)  ・b 草原の道  ・c 海の道  を通して東西交流活発になる。
  漢の武帝 張騫 大月氏大宛(フェルガナ) に派遣。西域 に進出。
  後漢
  2世紀中頃
 班超  を西域経営にあてる。部下のf 甘英 大秦国 に派遺、シリアに到達か。
 大秦王安敦   (マルクス=アウレリウス=アントニヌスか)の使者、日南郡 に来る。  
  後漢
 魏晋南北朝
 仏教  の伝来
西域・インドとの仏僧の交流 仏図澄・法顕・鳩摩羅什ら
北方遊牧民の騎馬文化(胡服、粉食、椅子など)がもたらされる。
2.唐代の国際性 都a 長安  が国際都市として繁栄
 仏教の興隆
 東西交易
玄奘義浄 がインドに渡る。
内陸では、b ソグド商人  、海路では広州揚州 などにc ムスリム商人 の来航。
 文化の伝播

 751年
 イラン(ササン朝ペルシア)  文化の伝播 = 服装、ポロ競技など
  → 日本のe 法隆寺  の獅子狩文錦、f 正倉院  の漆胡瓶・白瑠璃椀など
タラス河の戦い   g 製紙法  が唐からイスラーム世界に伝えられる。
 西方の宗教
   の伝来
 景教  :ネストリウス派キリスト教。教会は波斯寺、後に大秦寺と言われる。
  i 『大秦景教流行中国碑』   (781年)が建設される。    
 けん教  :イラン人の宗教、k ゾロアスター教  。拝火教とも言われた。   
 マニ教  :イランのササン朝ペルシア起源の宗教。    
 回教    :イスラームのこと。イスラム商人が伝えた。
3.宋 中国文化の西方の伝来
 港湾都市
   11世紀
泉州広州揚州杭州 などが繁栄。a ムスリム商人 の来航。
 中国商人 もb ジャンク船  で南シナ海交易圏で活動。陶磁器、絹織物などを輸出。
 木版印刷  ・d 羅針盤  ・e 火薬  →イスラーム世界を通じヨーロッパに伝来。
4.モンゴル帝国から元へ ユーラシアの活発な東西交流
 カトリック使節
   の来訪
 仏王ルイ9世
背景:a 十字軍運動  を展開中、イスラームの背後の勢力と結ぼうとした。
 ローマ教皇、b  プラノ=カルピニ を派遣(1245〜47年) カラコルムに到達。
 フランス王ルイ9世、c ルブルック を派遣(1253〜55年) 同上。
 元 ローマ教皇、d モンテ=コルヴィノ  (フランチェスコ派)(1294年) を大都に派遣。
  → 大司教として初めて大都で布教。
  イル=ハン国からローマ教皇に派遣されたe ラッバン=ソウマ  に対する返礼。
  13世紀
  14世紀
 マルコ=ポーロ   :フビライに仕えg 『世界の記述』(『東方見聞録』)   を著す。
モロッコ生まれの旅行家 h イブン=バットゥータ  も中国に来る。 『三大陸周遊記』 
 文化の交流
 チベット仏教
 郭守敬  、イスラーム暦をもとにj 授時暦 をつくる。1280年  
 パスパ文字  = フビライがチベットから招いたチベット仏教の教主が作った文字。
 各地に寺院を建設。→ 元の衰退の一因となる。
5.明   前半の海外発展と後半の北虜南倭
 15世紀初め 明の永楽帝 a 鄭和  の大航海を実施。朝貢貿易の拡大を図る。
 → インド洋からアフリカ東岸まで到達。 → その後、海禁策に転じる。
 15世紀中頃北方:モンゴル人b オイラト  やc タタール  の侵攻 =d 北虜 
 16世紀後半海岸部:e 前期倭寇  が勘合貿易で沈静化した後f 後期倭寇  が活発化=g 南倭 
6.明〜清   キリスト教の布教・西洋文明との接触
 16世紀
    1552年
    1582年
    (明末)
反宗教改革 → a イエズス会  によるカトリック布教始まる。
 b フランシスコ=ザビエル   :日本布教後、広州で中国布教を目指し、広東港外で死す。
 c マテオ=リッチ  (利瑪竇):イタリア人 マカオ上陸。1601年、北京で布教開始。
  →北京に天主堂を建設。ヨーロッパの天文・暦法・地理・数学・砲術などを紹介。
  → d 徐光啓  の協力でe 『坤輿万国全図』  を作成。日本にも伝来。  
 17世紀
   (明末清初)
 アダム=シャール  (湯若望):ドイツ人。
  d 徐光啓  らと『崇禎暦書』 を作成。明末、清では天文台の長官となる。
7.清   宣教師の活動とキリスト教の禁止
 17世紀後半スペインと交易、メキシコ銀の流入。明代に続き、イエズス会宣教師の活動。
 康煕帝時代 フェルビースト  (南懐仁) :ベルギー人。暦法、大砲鋳造に活躍、天文台副長官。  
 ブーヴェ   (白進):フランス人。中国全図c 『皇輿全覧図』  作成に協力。  
 乾隆帝時代 カスティリオーネ   (郎世寧):イタリア人。西洋式庭園e 円明園  の設計に加わる。
  → 1860年 f アロー戦争  で焼失。 
 キリスト教の禁止

     
  1724年
  1757年 
 典礼問題  
説明= h
 → i 康煕帝   典礼を拒否する会派の伝道と入国を禁止。
 雍正帝  、キリスト教の布教を禁止する。 
 乾隆帝  、外国船の来航をl 広州  1港に制限。
8.清末  西洋文明との衝突
 清末 イギリス、本国・インド・中国のa三角貿易で、インド産のアヘンの密輸を展開。
  → マカートニー、アマーストらを派遣し自由貿易を要求。→ 清朝は自由貿易を拒否。
  1840年 ・bアヘン戦争 → 南京条約などによって不平等条約を強制され、香港を割譲。
  1851年・c 太平天国    =洪秀全、上帝会を組織して反乱を起こす。天京で建国。
 d アヘン吸飲  ・e 辮髪  ・f 纒足  の禁止など。民衆の支持を受ける。
  → g滅満興漢を掲げ戦うが、郷勇と常勝軍によって、64年に鎮圧される。
  1856年
  1858年
  1861年
・hアロー戦争 ← フランスは宣教師殺害事件を口実に参戦。
 → i 天津条約   でキリスト教布教認められる。 → 60年に批准。
・清朝政府のj 洋務運動  始まる。k 中体西用  を掲げるが限界があった。

・反キリスト教運動  特権的なキリスト教宣教師に対する反発が強まる。
 =l 仇教運動 :山東省から反キリスト教の民衆蜂起始まる。
  1894年
  1898年
・m日清戦争に敗れる →康有為・梁啓超ら開明派によるn 変法運動(戊戌の変法) 起こる。
 →o戊戌の政変で保守派に敗れる。
  1900年 ・p 義和団事件  :白蓮教系の秘密結社が、反キリスト教、q扶清滅洋を掲げ蜂起。
 → ロシア・日本・英・仏・独・米などが出兵し北京を制圧。帝国主義による中国分割始まる。