第10章 ヨーロッパ主権国家体制の展開
2 ヨーロッパ諸国の海外進出
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・15世紀末 ヨーロッパ人がアジアに進出。
16〜17世紀 ヨーロッパ人の活動はa 主として既存のアジア内貿易に参加する形だった。
→ b ポルトガル・スペイン・オランダ・イギリス・フランス がアジア市場で攻防を展開した。
→ ヨーロッパ各国がアジアに領土的野心を持つようになるのは、c 産業革命後の18世紀以降。
・1498年 バスコ=ダ=ガマ インド航路開拓 → 東回りでアジア市場に進出。
a
カリカット に到達 → インド総督となる。
1509年 インド総督▲
アルブケルケが▲b
ディウ沖の海戦 でマムルーク朝エジプト海軍を破る。
・インドとの交易 1510年 c
ゴア 占領。アジア貿易の拠点とする。
→ d
香辛料貿易 を独占していたe
ムスリム商人 と競合しつつ、東南アジアへも進出。
・f
スリランカ(セイロン島) 1510年に征服。東南アジアの香料諸島への中継地として支配。
・マラッカ 1511年 イスラーム教国g
マラッカ王国 を滅ぼす。
・h
モルッカ諸島 (香料諸島) 1512年に進出。丁子・肉ずくの産地として重要。
→ 1521年にスペインのマゼラン艦隊が到来。香料貿易をめぐり激しい対立始まる。
・中国、日本への進出
1517年 明とi
広州 で通商開始 → 1557年 j
マカオ に居住権を得る。
1543年 k
種子島 に漂着、1550年からl
平戸 で日本との通商始まる。
→ 貿易は王室の独占事業とされ、国内産業の発展につながらず、衰退する。
▼
▼
C
オランダ 1581年 スペインから独立宣言、海外に進出開始。
・1602年 a
東インド会社 設立(前出)。東南アジア進出を開始。
→ ジャワ島に拠点b
バタヴィア を建設。→ポルトガル勢力を駆逐。
・1609年 c
日本 とも交易を開始。→1639年 鎖国後も長崎出島で交易を継続。
・1623年 d
アンボイナ事件 起きる。e
モルッカ諸島 でイギリスと衝突。
→ イギリス商館員(日本人含む)を殺害。インドネシアからイギリス勢力を閉め出す。
→ f
オランダ領東インド の形成。 → イギリスはインド経営に向かう。
・1624年 明末の混乱に乗じg
台湾 を占領。→61年 鄭成功に奪還される。
・1652年 アフリカにh
ケープ植民地 建設。
→ この地に入植したオランダ系の人びとをブーア(ボーア)人という。
▼
D
イギリス テューダー朝・ステュワート朝からイギリス革命期にかけて。
・1600年 a
東インド会社 設立(前出)。 → 東南アジアの香料貿易に進出。
1623年 b
アンボイナ事件 でオランダに敗れ、c
インド経営 に転換。
・イギリスのインド経営の拠点建設。
1640年 d
マドラス に要塞を築く(現在のチェンナイ)。
1661年 e
ボンベイ をポルトガルから譲渡される(現在のムンバイ)。
1690年 f
カルカッタ に商館を建設。ベンガル地方の拠点とする。
→ いずれもムガール帝国の内紛に乗じて権利を拡大。
・一方で17世紀後半のf
英蘭戦争 に勝ち、世界貿易の覇権を握る。
▼
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E
フランス ブルボン朝の絶対王政のもとで盛んに海外進出。
・1604年 東インド会社設立。
・1664年 a
コルベール 、b
東インド会社 を再建 →インドに進出をはかる。
・フランスのインド経営拠点
1673年 d
シャンデルナゴル →イギリスのカルカッタに対抗。
1674年 c
ポンディシェリ →イギリスのマドラスに対抗。
▼
・18世紀英仏の対立は▲a
第2次英仏百年戦争 といわれ、西ヨーロッパの国家対立の基軸となる。
→ 大陸での絶対主義諸国の抗争と連動する。(前節参照)
・1744年から3次にわたる▲b
カーナティック戦争 。
→ フランス総督c
デュプレクス のもとでフランスが一時イギリス勢力を圧倒する。
・1757年 d
プラッシーの戦い が起こる。
= ヨーロッパにおけるe
七年戦争 (1756〜63年)と
北アメリカ大陸でのf
フレンチ=インディアン戦争 と並行した戦いとなる。
→ イギリス東インド会社傭兵軍を率いるg
クライヴ が、
フランスとインドの地方政権(ベンガルの土豪)連合軍に勝利する。
▼
イギリスのインド支配の確立。→ イギリス「第一帝国」の形成。

・a
ブラジル (ポルトガル領)を除きアメリカ大陸ほぼ全体を支配。
・▲16世紀 b
エンコミエンダ制 による農園経営 →
インディオ人口の減少
→ 西アフリカからc
黒人奴隷 を労働力とするようになる。
→ d
金銀を独占 し繁栄。特に銀はスペイン銀として世界に広がる。(前出)
17世紀 メキシコでの▲e
アシエンダ制 による大農場経営を進める。
= スペイン人大土地所有者がインディオを債務奴隷として経営する大農園。
▼
・1621年a
西インド会社 設立。アフリカ西岸とアメリカの通商権を独占。
→ 北アメリカにニューネーデルラント植民地を領有、b
ニューアムステルダム 建設。
・1664年 c
英蘭戦争 の間に、イギリスに占領されc
ニューヨーク と改称。(前出)
→ アメリカ大陸からは撤退し、東南アジア経営を主力とするようになる。
▼
・▲1534〜42年
カルティエ、フランソワ1世の命令で北米を探検。
→ セントローレンス川流域を占有して、1535年 a
カナダ と命名。
・1608年
シャンプラン、b
ケベック 建設。インディアンとの
毛皮の取引を開始。
・1682年 ラ=サール、ミシシッピ川流域を探検。
→ ルイ14世に献げc
ルイジアナ と命名。アメリカ大陸中部に広大な領地を得る。
・▲1697年 中米カリブ海のハイチをスペインから獲得。
▼
・1607年 北アメリカ東岸のa
ヴァージニア に植民地建設(ローリー)。
1620年 b
ピューリタン (ピリグリム=ファーザーズ) メイフラワー号で移住。
→ プリマスに定住して、c
ニューイングランド植民地 を形成。(後出)
→ 以後、新教徒の移住が多くなる。
・18世紀前半まで北米大陸東岸にd
13の植民地 を建設。
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→ ラテンアメリカ地域のスペイン・ポルトガル人の入植地と異なり、イギリス人は
先住民e
インディアン と融合せず、その居住地を圧迫していった。
・1609〜11年
ハドソンがf
カナダ の北西部を探検。
→ 1670年にはハドソン湾会社を設立し、 インディアンとの毛皮交易を行う。
・カリブ海域 1655年 クロムウェルの時、スペイン領のg
ジャマイカ を占領する。
→ 砂糖の生産と三角貿易の拠点として重要になる。
▼
18世紀 英仏は、ヨーロッパ本土での対立と同時に、アメリカ植民地でも争う。
関連 ※ イギリス、1713年 g
ユトレヒト条約 で北米その他に領土を獲得。
※※ イギリス、フランスをヨーロッパに足止めするためマリア=テレジアを支援。
※※※ イギリスの勝利 1763年 h
パリ条約 締結。並行して、インドでは
i
プラッシーの戦い で、イギリスがフランスに勝利。
※g
ユトレヒト条約 の内容:
イギリスは、スペインから
ジブラルタル・ミノルカ島、
フランスからニューファンドランド・アカディア・ハドソン湾地方を獲得。
同時に、イギリスはスペインから
アシエントも獲得。
※※※ h
パリ条約 の内容:
イギリス:フランスからj
カナダ ・ミシシッピ以東のk
ルイジアナ ・フロリダ・
西インド諸島の一部およびセネガルを獲得。
フランス:ミシシッピ以西のl
ルイジアナ をスペインに譲渡し、北米での領土全て失う。
▼
結果と影響
※イギリスは、北米植民地への支配を強化。植民地側からm
アメリカ独立革命 起こる。
フランスは、侵略戦争と植民地戦争が国家財政を破綻させn
フランス革命 が勃発。

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10世紀 a
ムスリム商人 のインド洋貿易:アフリカ東海岸で奴隷貿易が展開されていた。
15世紀 b
ポルトガル の西アフリカ海岸の探検:黒人をヨーロッパに連れて行き労働力とする。
→ 西欧諸国による大西洋ルートによるc
黒人奴隷貿易 が始まる。
16世紀 d
西インド諸島 、やラテンアメリカのスペイン植民地でのe
インディオ 人口の激減。
理由:f
スペイン人による酷使な労働と、ヨーロッパ人によってもたらされた伝染病のため。
→ 大陸での労働力不足 →g
アフリカの黒人 を輸入し労働力とするようになる。
黒人奴隷の供給地 アフリカ西海岸のh
ギニア地方 (現ギニア〜カメルーン)
→ スペインは、黒人奴隷供給契約(▲i
アシエント )を、外国商人と結ぶ。
17世紀 スペイン入植者によるサトウキビ・タバコ・綿花などのj
プランテーション 経営の拡大。
→ 19世紀までにおよそ1000万人の黒人奴隷が運ばれたと推定される。
17世紀〜18世紀 大西洋上で次のような貿易が展開される。
3.イギリスの繁栄
・1713年 ユトレヒト条約で、スペインから▲a
アシエント (奴隷供給契約)を認められる。
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→ イギリス、b
黒人奴隷貿易 で大きな利益を得る。
→ c
リヴァプール とブリストルが奴隷貿易で繁栄。
→ イギリスの資本蓄積 → d
産業革命 の一条件となる。
・奴隷貿易がアフリカに与えた影響
e
特に西海岸地方での労働力の損失は大きく、次の時代のアフリカの後進性の要因となった。
