第16章 冷戦とアジア・アフリカ世界の自立
1 東西対立の始まりとアジア諸地域の自立
Text p.337
・1941年8月 米英首脳 a
大西洋憲章 発表。
米:b
F=ローズヴェルト 英:c
チャーチル 両首脳が大西洋上で会談し合意。
内容:d
領土の不拡大、不変更・民族自決・貿易の自由・国際平和機構の再建などを提唱。
→ 戦後の民主主義と国際協調の基本構想を示す。→ ソ連など15カ国が賛成、
1942年1月 e
連合国共同宣言 として確認(26ヵ国)。
1943年10月 米英ソの三国外相会談によるf
モスクワ宣言 。国際平和機構設立で合意。
・1944年8〜10月 g
ダンバートン=オークス会議 ワシントン郊外で開催された
米・英・ソ連・中国の4大国専門家会議 → 国際連合憲章の草案まとまる(拒否権問題残る)。
1945年2月 h
ヤルタ会談 で合意(拒否権など)。
・1945年4月 i
サンフランシスコ会議 連合国側の50ヵ国が参加。
6月26日 j
国際連合憲章 を採択。(8月15日 日本降伏の前であることに注意)
→ 10月24日発効。
▼
Text p.338
・1945年10月24日 a
「連合国」 のb
51ヶ国 で発足。本部ニューヨーク。
・c
総会 :全加盟国が参加。一国一票。多数決で採決。
・d
安全保障理事会 :常任理事国 e
米・英・仏・ソ連・中国 の5カ国。
大国一致の原則に則り、常任理事国はf
拒否権 を持つ。
非常任理事国は当初6ヵ国(現在は10ヵ国)、任期2年、1年ごとに半数を改選。
権限:g
集団安全保障の理念に基づき、違反国には軍事的制裁を加えることができる。
→ 安全保障理事会の決議によりh
国連軍 を設置することができる。
・主要機関 事務局(
事務総長)・
経済社会理事会・
信託統治理事会・
国際司法裁判所(ハーグ)
・専門機関 i
ユネスコ (国際連合教育科学文化機関) h
ILO (国際労働機関)
j
WHO (世界保健機構) 補助機関 k
ユニセフ (国連児童基金)など
・1948年12月 第3回総会でl
世界人権宣言 採択。(法的拘束力はない)
・補足1:国連の理念
国際連盟の集団安全保障の理念を継承し、さらに実効性のあるものにした。
=軍事同盟による勢力均衡政策ではなく、戦争を原則的に否定し、違法な戦争を起こした国に対して加盟国全体で制裁を加えるという考え。
※各国の自衛権、および集団的自衛権は認められているが、その行使は安保理の処置が出されるまでの、あくまで緊急時の防衛活動のみに限定されている。
・補足2:国際連合と、戦前の国際連盟との相違点
1.紛争解決のための手段として軍事的制裁を加えることができるとしたこと。
2.当初からアメリカ合衆国とソ連という二大国が加盟したこと。
3.総会は全会一致ではなく、多数決でけっていできるとなったこと。
▼
・1944年7月 a
ブレトン=ウッズ会議 開催。
b
国際通貨基金(IMF) とc
国際復興開発銀行(IBRD) の設立を決定。45年末発足。
= 各国の通貨安定のための基金を設け、救済と融資を行う。アメリカが最大の出資国となる。
アメリカのd
ドルを基軸通貨 とするe
固定為替相場制 による国際通貨体制が定められた。
= 金1オンスを35ドルと交換。ドルと日本円の交換比率は1ドル=360円に固定された。
→ 戦後、f
アメリカ合衆国 による世界経済支配が強まる。
・1947年10月 g
関税と貿易に関する一般協定(GATT) が成立。
= 戦前のブロック経済による貿易の停滞が世界経済を悪化させ、戦争の要因となったことを反省し、
高関税やその他の貿易障壁を除去して自由貿易を推進し世界貿易と経済の発展を促す事を目ざす。
・これで成立した戦後世界の経済体制を▲h
ブレトン=ウッズ体制 という。
意義=i
戦後の世界経済を安定させるとともに、アメリカ合衆国の経済的覇権が確立した。
→ 1971年のアメリカのドルショック、1973年のオイルショックによって崩壊する。(後出)
→ 1995年 GATTにかわり、世界貿易機関(WTO)設置。
▼
Text p.339
・敗戦国に対する処置
・1945年5月 連合国(米・英・仏・ソ連)軍が進駐し、ドイツ政府を拘束。
・分割占領:▲4ヵ国宣言(ベルリン宣言)ドイツのa
4ヵ国分割占領 とb
共同管理
(管理理事会による調整)、および旧首都c
ベルリンの分割管理 を決定。(6月)
・占領政策:米・英・ソ連3国によるd
ポツダム協定 ドイツ占領の原則決定。(8月)
= ドイツの民主化、非ナチ化、非軍事化、非独占化(集中の排除)、分権化を掲げる。
・国境の策定:ポーランドとの国境は暫定的に▲e
オーデル・ナイセ線 とされる。
→ 旧ドイツ領から、約1100万人が強制的に現ドイツ領内に移住させられる。
・戦争犯罪の断罪:f
国際軍事裁判所 をg
ニュルンベルク に設置。45年11月〜46年10月
→ 平和に対する罪、人道に対する罪などでナチス指導者をさばく。絞首刑12名、終身刑3名。
ドイツではその後も国内法(非ナチ化法)による
ナチス裁判でその犯罪が追求された。
→ ドイツの4ヵ国分割占領
・h
オーストリア はドイツと切り離され、同じく4国による共同管理とされる。
2.枢軸国との講和条約
・1947年2月 a
パリ講和条約 ドイツ以外の旧枢軸国との講和条約成立。
旧枢軸国=b
イタリア ・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリー・フィンランド
→ 敗戦国の領土変更。賠償についての規定。
・
イタリア講和条約 海外領土の放棄、トリエステは国連管理下の自由地域とする。
3.日本の民主化
・1945年8月15日 a
ポツダム宣言 を受諾、無条件降伏し連合軍の占領開始。
→ ▲
連合国軍最高司令部(GHQ) 最高司令官▲b
マッカーサー が指導。
・c
日本の民主化 (戦後改革)
軍隊の解散、財閥解体、農地改革、教育改革、天皇の人間宣言、国家神道の廃止など。
・東京裁判 1946年5月〜48年11月 d
極東国際軍事裁判所 設置。戦争犯罪に対する裁判。
→ e
東条英機 元首相ら絞首刑7名、終身刑16名など。▲f
昭和天皇 は不起訴。
・1946年 g
日本国憲法 公布。11月3日公布 47年5月施行。
→ 主権在民・戦争放棄・基本的人権の尊重などを明記。

・西ヨーロッパ諸国の動向
Text p.340
・亡命政府(自由フランス政府)を指導した▲a
ド=ゴール が臨時政府を組織。
→ 総選挙で共産党、社会党が躍進。 → 46年1月 議会と対立して辞職。
・1946年10月 新憲法成立し、b
第四共和政 が発足。
▲c
フランス共産党 が第1党となるが、他に小政党も乱立。 → 政情不安続く。
・1945年末 a
キリスト教民主党 が政権担当。
・1946年 国民投票でb
王政廃止 し、共和政となり、「イタリア共和国」となる。
→ ▲c
イタリア共産党 の台頭。書記長トリアッチ。ヨーロッパ最大の共産党勢力となる。
・その他 スペインでは
フランコ政権、大戦中に中立を守り、戦後も独裁体制を続ける。
・東ヨーロッパ諸国の動向
2.独自の動き
→ 戦後のヨーロッパ諸国
・東西対立の深刻化
・ヨーロッパの社会主義勢力の拡大
フランス、イタリアのa
共産党 の躍進 ┐ アメリカ合衆国など西欧諸国で、c
ソ連 を
├─→
b
東ヨーロッパ社会主義圏 の成立 ┘ を中心とした社会主義勢力への警戒心強まる。
・1946年 イギリス前首相d
チャーチル 、アメリカのフルトンで演説。c
ソ連 を非難。
”バルト海の
ステッテンからアドリア海の
トリエステまでe
「鉄のカーテン」 を降ろしている”
・東西陣営の形成
┌西側=f アメリカ・イギリスなど、資本主義・議会制民主主義の陣営
対立 ┤
└東側=g ソ連・中国など、社会主義・共産党による一党独裁体制の陣営
▼
B
冷戦 の開始 →両陣営の対立 a
冷たい戦争 と言われるようになる。
Text p.341
▼
・1947年9月 ソ連・東欧諸国の共産党が、a
コミンフォルム (共産党情報局)を結成。
→ 西側のマーシャル・プランに対抗。フランスとイタリアの共産党も参加。
・1949年1月 ソ連・東欧6カ国 b
経済相互援助会議(コメコン) 発足。
加盟国=h
アルバニア、ブルガリア、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ポーランド、ルーマニア
その後、東ドイツ(50年)、モンゴル(62)、キューバ(72)、ベトナム(78)が参加
→ 55年 ワルシャワ条約機構に発展。(後出)
▼
・1948年2月 a
チェコスロヴァキアのクーデタ 共産党が権力にぎる。
→ 西側諸国に共産党によるクーデターへの警戒が強まる。
・1948年3月 西欧5ヶ国 b
西ヨーロッパ連合条約 (ブリュッセル条約)締結。=
西欧同盟。
加盟国=c
イギリス・フランス・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク
1949年4月 d
北大西洋条約機構(NATO) 結成
(アメリカは48年に上院で
ヴァンデンバーグ決議を可決し孤立主義を放棄した。)
目的=e
東側の社会主義圏からの武力侵略に対する集団的自衛をはかる軍事同盟
加盟国=西欧同盟5ヵ国に次の7ヵ国を加えた12ヵ国で発足。
e
アメリカ合衆国・カナダ・ノルウェー・デンマーク・アイスランド・イタリア・ポルトガル
▼
・ドイツの分裂
A
ベルリン封鎖 米・英・仏管理地区(西)とソ連管理地区(東)の分断進む。
・1948年6月 米・英・仏が、ソ連に無通告で西側管理地区のa
通貨改革 断行。
→ ソ連、反発して、共同管理下のb
西ベルリン への出入り路を封鎖。最初の東西衝突の危機。
→ 西側3国は生活必需品の空輸作戦で対抗。→ 49年5月 封鎖解除。
▼
▼

・中国の激動
Text p.342
・1945年8月 日本軍の降伏。
→ a
国民党 のb
蒋介石 とc
共産党 のd
毛沢東 が、重慶で初めて会談。
・ 同 年10月 ▲
双十協定が成立、
政治協商会議の開催が決まり、翌年開催されるが決裂。
・1946年6月 全面的な内戦に突入。
a
国民党 (b
蒋介石 が指導) → 1947年 新憲法発布 翌年総統となる。
→ アメリカが指導。外国資本の買弁化し、政権内部の腐敗・汚職が続き民衆の支持無くなる。
c
共産党 (d
毛沢東 が指導) → ▲e
新民主主義論 を提示。農村の土地改革を実施。
→ 47年なかごろ▲f
人民解放軍 が各地で攻勢に出る。
1949年12月 国民党軍、敗れてg
台湾 に逃れ、h
中華民国政府 を維持。
▼
・1949年10月1日 a
中華人民共和国 建国宣言。
b
毛沢東 主席・c
周恩来 首相 首都を北京とする。社会主義国の建設始まる。
1950年2月 モスクワでd
中ソ友好同盟相互援助条約 締結。
→ アメリカ・日本を仮想敵国とし、社会主義陣営に加わる。
1950年6月 ▲e
土地改革法 農民に土地を配分。また財閥企業を国営に移す。
・ 同 年10月 f
朝鮮戦争 に参戦。(次節で説明)
・1953年 g
第1次五カ年計画 に着手。
ポイント=h
工業化と農業集団化の推進
・1954年 i
中華人民共和国憲法 制定。新民主主義に基づく社会主義国家の建設。
→ 社会主義国、インド・イギリスなどは
中華人民共和国を承認。アメリカは
j
台湾 のk
中華民国政府 を中国の正式代表とし中華人民共和国を承認せず。
▼
・アジア諸民族の自立
・1945年8月15日 日本の植民地支配終わる。= 光復節という。
→ 日本撤退に伴い北部にソ連軍、南部に米軍が進出。b
北緯38度線 で南北に分断される。
1947年 国連、南北同時選挙を決議、ソ連が拒否。アメリカが南だけの単独選挙を強行。
→ 1948年4月、
済州島四・三事件 単独選挙に反対した民衆蜂起が軍によって弾圧される。
・1948年 南部にc
大韓民国 成立。総選挙でd
李承晩 を大統領に選出。
北部にe
朝鮮民主主義人民共和国 成立。最高人民会議で首相にf
金日成 選出。
→ 1950年 南北対立からf
朝鮮戦争 が勃発(後出)
2.
フィリピン 1945年3月 日本軍撤退。マニラ市街戦で10万人が犠牲になる。
・1946年 アメリカからa
フィリピン共和国 独立宣言。
1951年 米比相互防衛条約締結 → 親米反共路線へ転換。
→ 抗日ゲリラ組織 ▲b
フクバラハップ は抗米闘争続ける。
→ 1955年に鎮定される。
Text p.343
・その他のインドシナ諸国 いずれもc
フランス から独立。
・l
カンボジア 1949年 独立。m
シハヌーク の指導で中立政策を進める。
・n
ラオス 1946年 独立。左右の対立で内戦が始まる。
→ 戦後のアジア諸国

1.インドとパキスタン イギリスの植民地からの独立運動続く。→ 宗教対立表面化。
・第2次世界大戦中、a
ガンディー らは即時独立を要求し、反英闘争を強める。
= ▲
「インドを立ち去れ」運動を展開。
・
インド・パキスタンの分離独立 第2次世界大戦後、イギリスの植民地政策の転換
1947年 イギリス議会(アトリー内閣の提案)、e
インド独立法 制定。
Text p.344
・1947〜49年 j
カシミール 帰属問題※をめぐりk
第1次インド=パキスタン戦争 起こる。
※藩王国の国王はヒンドゥー教徒であったが、住民の大部分はイスラーム教徒である。
・インドの動き
1948年 l
ガンディー暗殺 、急進的なヒンドゥー教徒に暗殺される。
1950年 初代首相m
ネルー の指導でカースト制の禁止などを含む
インド憲法を制定。
→ イギリス連邦から離脱し、n
インド共和国 となる。(初代大統領プラサド)
・パキスタンの動き イギリス連邦内の自治領として独立。初代総督はc
ジンナー
インドの東西に領土が分かれる(東パキスタンは現在のバングラデシュ)。
1956年 イギリス連邦から離脱し、国名をパキスタン=イスラーム共和国とする。
→ 58年 アユーブ=ハーン、軍事クーデターで独裁権を握る。
2.その他のイギリス植民地の独立
・a
セイロン 1948年 自治領として独立。
→ 1960年からバンダラナイケ首相(世界最初の女性首相)
→ 1972年にスリランカに改称。
・b
ビルマ タキン党の▲c
アウンサン の指導でイギリスから独立運動。
→ 一時日本の支援を受けるが、1944年から抗日戦に転じる。
1948年 ビルマ連邦共和国として独立。
1962年 ネ=ウィン政権(社会主義を標榜する軍事政権)成立
→ 1989年 ミャンマーに改称。
・マレー半島 1957年 d
マラヤ連邦 として独立。
1963年 シンガポール・英領ボルネオと合体してe
マレーシア連邦 となる。
・f
シンガポール 華人が多数を占める。マレー人の多いマレーシア連邦からの分離要求強まる。
1965年 マレーシア連邦から分離独立。
・第2次大戦中、イギリス・ソ連が進駐 → 民族主義運動強まる。
→ イギリス資本のc
アングロ=イラニアン石油会社 に対し、国有化を求める運動起きる。
・1951年 イラン国民議会がd
石油国有化 を可決。e
モサデグ 首相が断行。
→ イギリスの対抗により、石油減産 → 財政難に陥る。
・1953年 アメリカのCIAが画策したf
イラン=クーデター でe
モサデグ 政権倒れる。
→ g
パフレヴィー2世 の独裁体制強化。親英米路線に転換し上からの近代化路線を進める。
4.アラブ世界の動向
・第1次世界大戦中、c
バルフォア宣言 でパレスチナでのユダヤ人国家の建設を認める。
→ 大戦後、パレスチナはd
イギリスの委任統治領 となる。
→ a
ユダヤ人 のパレスチナ移住が始まる。
・1930年代以降 ドイツでナチスが台頭 → ヨーロッパ各地からユダヤ人の移住続く。
→ アラブ側にユダヤ人入植反対運動起きる。ユダヤ人も反イギリスの活動を強める。
・1945年3月 エジプトなどのアラブ7ヶ国 e
アラブ諸国連盟 を結成。
加盟国=f
エジプト・レバノン・シリア・イラク・ヨルダン・サウジアラビア・イエメン
→ アラブ諸民族の統一行動強まる。 → パレスチナにおけるユダヤ人との対立を強める。
→ 第2次世界大戦後の西アジア
▼
・1947年 イギリス(労働党政府)がパレスチナ撤退を決定。
・1947年11月 a
国際連合 の総会、b
パレスチナ分割決議 を採択。
= パレスチナをユダヤ国家とアラブ国家に分割し、c
イェルサレム は国連管理下に置く案。
→ ユダヤ人側は受け入れる。
・1948年5月 建国宣言 初代首相
ベングリオン。アメリカ・イギリスが支援 → アラブは反発。
▼
・建国直後のa
イスラエル に対し、b
アラブ諸国連盟 軍が攻撃。
→ イスラエルの圧勝におわる。アラブ諸国は王制国家の連合体で結束力が弱く、装備も古かった。
・1949年7月 停戦 → c
イスラエル 、国連決議よりも広範囲な地域を占領。
→ エジプトはd
ガザ地区 を、ヨルダンはe
ヨルダン川西岸 を占領。
→ アラブ人国家は建設されず、100万人以上のf
パレスチナ難民 が発生。
→ 1964年 パレスチナ人、パレスチナ解放機構(PLO)を結成。(第17章3節へ)
→ 第1次中東戦争前後のパレスチナ
▼
1952年 エジプト革命が起き、アラブ側の変革始まる。(3節で説明)
