第7章 諸地域世界の交流
1.陸と海のネットワーク p.147〜
ア.草原の道
東西交流の三つの道
草原の道
南ロシア → カザフ草原 → モンゴル高原 → 中国 を結ぶルートで
a
遊牧騎馬民族 が活動。以下、このルート上で活動した主な民族。
イ.オアシスの道
→ b
中継貿易 が発展し、東西交流の重要なルートとなる。
特に、イラン系c
ソグド商人 の活躍(中心地サマルカンド)→遊牧国家との交易
→ マニ教、d
ソグド文字 などを東方に伝える。匈奴と中国の
絹馬貿易を仲介。
中国の生糸・絹が西方に伝えられる。=e
シルクロード(絹の道) と言われる。
→ ヘレニズム・イラン文化・インドの宗教などがこのルートで中国に伝えられる。
ウ.海の道
地中海 → 紅海 → ペルシア湾 → アラビア海 → インド → 東南アジア → 中国
を結び、船による輸送がさかんに行われる。
中継地 = 南インド →d
マラッカ海峡 → インドシナ半島南部 などの要衝地に
インドのサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)やスリランカ(セイロン)・
扶南・チャンパー・シュリーヴィジャヤなど。
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2.海の道の発展 p.149〜
ア.東アジアの海洋世界
→ インド洋から中国に至り、a 広州 ・b 泉州 などの居留地を作る。
▼
B
中国商人 の活動 10世紀以降 宋・元の時代に活発になる。
宋代には、中国産の青磁・白磁の陶磁器、絹、銅銭などをa ジャンク船 で輸出。
→ 中国商人の交易ルートをb 陶磁の道 ともいう。
▼
a 鄭和の航海 15世紀初め 明の永楽帝、鄭和をインド洋、アフリカに派遣
明は朝貢貿易を進め、民間の交易は禁止(海禁政策)したため、海上進出停滞する。
b 琉球王国 15世紀 明への朝貢貿易と周辺(日本など)との中継貿易で繁栄
c 倭寇 の活動 前期:朝鮮、明の海岸をあらす。
→ 江戸幕府、朱印船貿易によって貿易利益の独占をはかる。→鎖国政策へ。
▼
→ マカオ、バタヴィアなどの拠点を建設。
イ.東西世界を結ぶムスリム商人
東南アジア 13世紀以降 アラブ人の商人の活動、神秘主義教団の活動 →
インド、東南アジアのイスラーム化が進む
c
アチェ王国 (スマトラ島北部)が香辛料貿易で栄える。
西アジア 969年ファーティマ朝がd
カイロ を建設 → バグダードに代わり繁栄
アイユーブ朝、マムルーク朝でもイスラーム世界の中心となる
インド・東南アジア産の香辛料、中国産の絹織物・陶磁器などをf
ダウ船 で運び、
アデンを経由し紅海沿岸を北上、陸揚げしナイル川を利用してカイロ、アレクサンドリアへ
→ 貿易の利益をモスクや学院の建設費に充て、イスラーム文化の保護に努める。
ウ.地中海世界の交流
12〜13世紀 十字軍時代に、地中海の交易が盛んになる。
a
イタリア商人 :ヴェネツィア・ジェノヴァ・ピサなどの商人が活躍
十字軍の武器、食糧の輸送 → ムスリム商人から香辛料その他を買い付け
→ アレクサンドリアに商館を建設、アイユーブ朝・マムルーク朝に鉄・木材を供給
b
ムスリム商人 :カイロを拠点に、シリア・北アフリカ・イベリア半島に
代理人を派遣。 取扱う商品= 香辛料、砂糖、紙、穀物など
イスラーム、中国文明の西方への影響
翻訳された(イベリア半島カスティリャ王国のトレドに翻訳学校がつくられる)。
→ ヨーロッパ近代科学の誕生。
・e
製紙法 ・f
羅針盤 ・g
火薬 など、中国に始まる技術がイスラーム教徒を通じ、
シチリア島・イベリア半島を通じてヨーロッパに伝わる。→ ルネサンスへ
・農業技術の伝播:サトウキビ・綿・オレンジ・ブドウなどの潅漑農業技術がイベリア半島に広がる。
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※シルクロード探検の一こま
▲a
楼蘭 王国の発見:楼蘭は紀元前から東西貿易の要地として栄え、漢と匈奴はその地の支配をめぐって
激しく争った。前77年には、漢は楼蘭を?善(ぜんぜん)に改め、属国とした。しかし、タクラマカン砂漠
の乾燥が進み、いつしか荒廃し砂漠のなかに埋もれてしまった。
1901年、この地を探検したスウェーデンの地理学者▲b
スウェン=ヘディン は、ロプ=ノール湖(さ
まよえる湖)とともに砂漠の中から楼蘭の都の跡と思われる遺跡を発見した。
→東西交流の三つの道
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