第8章 アジア諸地域の繁栄
1.東アジア・東南アジア世界の動向 p.152〜
ア.14世紀の東アジア
A
紅巾の乱 14世紀 世界的な災害、疫病の多発 → 東アジアでも飢饉続く
元朝の支配の衰え →1351〜66年 a 白蓮教徒 ※が反乱をおこす。
※仏教をもとにした宗教結社 弥勒仏がこの世に現れるという下生信仰と結びつき勢力を拡大。
→ 反乱軍の中から頭角を現した貧農出身のb 朱元璋 が長江下流を制圧。
地主・知識人層と結び、農民反乱を鎮圧。→ 北伐を行い、元軍を破る。
▼
年号をc 洪武 と定める。=d 一世一元の制
→ 元の皇帝はモンゴル高原に退き、北元を称す。
= 漢民族による中国統一を回復。e 江南 から起こって中国を統一した最初の王朝。
※1370年、西アジアではティムール朝成立。
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日本:1333年 鎌倉幕府が滅亡 →a 南北朝の内乱 〜1392年 南北朝合一
政治の混乱続き、日本人のb 倭寇(前期倭寇) の活動活発になる。
朝鮮の成立:高麗は親元派と反元派の対立し、 b 倭寇 の侵入も苦しみ、衰退。
1392年、c 李成桂 が倭寇の鎮圧で名声を上げ、王位につく(太祖)
→ 国号をd 朝鮮 、都をe 漢城 (現ソウル)とする(一般にf 李朝 とも言う)。
科田法を制定し大土地所有を制限。全国の土地調査を実施。荘園を没収。
明に朝貢し、科挙制、朱子学などを取り入れる。 → 儒教が広く浸透する。
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イ.明初の政治
A
洪武帝の統治 (1368〜1398) 漢民族の意識を高め、専制支配体制の強化をはかる。
皇帝の独裁的権力確立 1380年 a 中書省 とその長官である丞相を廃止
→ b 六部を皇帝に直属 させ、万事を皇帝が直接決定する態勢をつくる。
皇帝直属のもと、中央官制、地方官制とも行政・軍事・監察の三権を互いに牽制させる
中央 地方
┌(行政) 六部 ─ 布政使
│
皇帝┼(軍事) 五軍都督府 ─ 都指揮使
│
└(監察) 都察院 ─ 按察使
行政組織:c 里甲制 民戸(農民、商人など税を負担する戸)を里と甲に編成。
110戸を1里とし、その中の富戸10戸をd 里長戸 、残りをe 甲首戸 とする。
甲首戸は10甲に分ける。それぞれ1年交替で徴税事務、治安維持などにあたる。
税制:戸籍・租税台帳のf 賦役黄冊 土地台帳のg 魚鱗図冊 を作成。
法制:h 科挙制 を整備。郷試(州の試験)→会試(中央の試験)→殿試(最終試験)の三段階選抜。
▲i 明律 ・j 明令 の制定。
朱子学を官学とし、民衆の教化をはかる。 →k 『六諭』 の制定
軍制:l 衛所制 軍戸を112人で百戸所、10百戸所で千戸所、5千戸所で1衛に編成。
外政:m 海禁政策 (海外渡航を認めない)をとり貿易はn 朝貢貿易 のみを認める。
→ 周辺諸国の貿易船に勘合符を発行するo 勘合貿易 を始める。
通貨:紙幣(宝鈔)の他に銅銭の洪武通宝を発行。次の永楽通宝とともに日本にも輸出。
▼
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第2代a 建文帝 諸王(北辺の防備にあたっていた)の勢力削減をはかる。
→ 北平(現北京)を本拠にした燕王が建文帝に対抗して挙兵、南京を占領。
燕王は、1402年、第3代b 永楽帝 (成祖)として即位。
▼
政治:親政を補佐する▲b 内閣大学士 を置く(内閣の始まり)。一方で宦官を重用。
科挙制の整備:『c 永楽大典 』『四書大全』『五経大全』を編纂。科挙の基準とする。
経済:江南と北京を結ぶ運河を整備。永楽通宝を発行。
対外:積極策を展開、モンゴルに親征、ヴェトナムを支配。
d 鄭和 ※を南海遠征に派遣 宦官でイスラーム教徒。
▼
1424年 モンゴル遠征の途中で死去。以後各皇帝、北京北西に陵墓建設(
明の十三陵)

死後、対外消極策に変わる。 → 内モンゴルから後退、ヴェトナムの独立。
※ e
鄭和の南海遠征
1405年〜1433年の間、前後7回の大航海を行う。
第1回 南京 → チャンパー → ジャワ島 → スマトラ島 → セイロン島 →
インドのf
カリカット に到達
第4回 インドからペルシア湾入り口のg
ホルムズ をへて、アフリカ東岸に到達し
h
モガディシュ 、i
マリンディ などを訪問
第7回 分遣隊をj
メッカ に派遣、各地の王に朝貢を促し、ムスリム商人と交易を行う。
→ 帰国後、明朝の外交政策が海禁に変わり、この事業は忘れられる。
→明代のアジア(15世紀ごろ)
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ウ.明朝の朝貢世界
15世紀 明を中心とする
朝貢貿易 → 東アジアからインド洋まで広がる
明との朝貢貿易 → 東シナ海と南シナ海を結ぶ交易の要となり栄える。
2.
マラッカ王国 鄭和の遠征を機に成長、インド洋と東南アジアを中継し栄える。
ジャワのマジャパヒト王国に代わり東南アジア最大の貿易拠点となる。
3.
朝鮮 明に朝貢。明の制度を取り入れる → 科挙制、朱子学など。
4.
日本 室町幕府の将軍a
足利義満 1401年 遣明船を送る(朝貢)。
→ 日本国王に封ぜられ、b
日明貿易 を開始(1404)。
→ c
勘合貿易 の形態をとり、倭寇は禁圧される。
並行して朝鮮との貿易(
日朝貿易)も行われる。
5.
ベトナム 1400年に
胡朝が成立 →1406年 明が遠征、征服される。
1418年 黎利が明軍を撃退し、大越国の独立を回復し、a
黎朝 を樹立。
その後は朝貢を続け、明朝の制度を学び、朱子学が盛んになる。
6.
モンゴル 1388年 北元、明の洪武帝の攻撃をうけ滅亡。
→ 諸部族が朝貢制度に不満をもち、しばしば中国に侵入。
15世紀中ごろ オイラトがc
エセン=ハン のもとで強大となる。
1449年 d
土木の変 河北省の土木堡で明の
正統帝を捕らえ、さらに北京を包囲。
→ 明、e
万里の長城 を修復してモンゴルの侵入に備える。 →

エ.朝貢体制の動揺
16世紀 a
大航海時代 の開始による世界的商業の活発化が朝貢体制を動揺させる。
→ 東南アジアの香辛料輸出の増大 →西欧諸国間の抗争・アジアの交易国家間の抗争
などイスラーム諸国がポルトガルに対抗
→ 1517年 中国に初めて使節を送る
タイ(旧名a
シャム )のb
アユタヤ朝 → フランスにも遣使。
→ 東南アジアの交易で繁栄。16〜17世紀に
日本町も形成される。
ミャンマー(旧名ビルマ)のc
トゥングー朝 (いずれも仏教国)
→米、獣皮などの輸出で繁栄。
補足
ラオ人は▲
ランサン王国を建設。14〜17世紀。 →現在のラオス
タイ北部からビルマにかけてはタイ人の▲
ランナー王国があった。
3.
北虜南倭 16世紀の国際商業の繁栄 → 明の海禁政策に対する反発強まる。
北方:タタール部の
ダヤン=ハン、モンゴルを再統一。
→a
アルタン 長城を越え、1550年北京を包囲する。さらにチベットを征服。
→ 明、海禁政策をゆるめる。
→c
日本銀 (丁銀の形で輸入)と新大陸のスペイン植民地で鋳造された
d
スペイン銀貨 が大量に流入。 ← 1545年ポトシ銀山の採掘開始。
→ 明代にc
銀 が主要な貨幣となる。(
馬蹄銀という秤量貨幣として流通した。)
→東南アジア(16〜17世紀)
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オ.明後期の社会と文化
○明の社会
1.生産力の発展:a
長江下流域 の綿織物・生糸(絹織物)など家内制手工業が発達。
→ 原料のb
綿花 と養蚕に必要なc
桑 の栽培が普及。
→ 明末には長江中流域のd
湖広 (現在の湖北・湖南省)が新たな穀倉地帯となる。
宋代には「e
江浙 熟すれば天下足る」(江浙=江蘇・浙江省、長江下流域)と言われたが、
明末には「d
湖広 熟すれば天下足る」といわれるようになる。
江南では宋代以来の大土地所有制とf
佃戸制 が継続。
手工業の発達:陶磁器(g
景徳鎮 の
染付と
赤絵が有名)の生産増える →流通の拡大
→ 中国産のh
生糸 ・i
陶磁器 ポルトガル・スペイン商人が大量に買い付ける。
2.特権商人の活動: a
山西商人 (山西省出身で金融業中心に活躍)と
→▲c
会館・公所 の成立:都市における同郷者または同業者の互助組織の拠点。
3.税制の変化:16世紀 銀の流通の増大に伴い、銀で代納する傾向が強まる。
= 地税と徭役(力役)をまとめて銀納に一本化した。江南から全国に普及。。
4.貧富差の拡大 :商人で地主になるもの、地主で都市に住むものが増加(特に江南)
→ 地方の有力者a
郷紳 (科挙合格者や官僚経験者の家)の地位が上がる。
→ 明末に▲b
抗租運動 激しくなる。佃租(小作料)軽減を求める佃戸と地主の抗争。
1448〜49年▲c
ケ茂七の乱 福建省で起こった抗租運動。数十万の農民が参加したが鎮圧された。
→ 明末・清初には家内奴隷の解放運動である▲
奴変、都市下層民の反権力闘争である▲
民変もおこる。
→ 広東・福建方面の農民の東南アジアなどへの移住始まる→d
南洋華僑 の始まり。
○明代の文化
要点 ・朱子学の体制下に反発する陽明学が起こった。
・文学では口語体の通俗小説が流行し、元代に続いて庶民文化が栄えた。
・美術では郷紳などの富裕階級の文人画が隆盛した。
・イエズス会宣教師によって西洋科学技術が伝えられた。
1.美術:郷紳など富裕階級が文化生活を楽しむなかで、書画が発達。
出版の隆盛:木版印刷の発達 → 書物が急増
3.儒学の展開
明は皇帝専制政治を支える理念として朱子学を官学としたが、その体制化にたいする反発から
新しい思想が起こった。
心即理を説き、朱子学を批判。c
知行合一 を説き、実践と実用を重んじる。
明末▲d
李贄(李卓吾)は儒学の礼教を偽善として非難、男女平等を説き投獄される。
4.科学技術書:農業など諸産業の技術研究書が作られる。
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8.キリスト教の布教
16世紀末からカトリックの布教はじまる。
b
マテオ=リッチ (利瑪竇):イタリア人 17世紀始め 北京で布教開始。
士大夫層を通じて皇帝に接近、ヨーロッパの天文・暦法・地理・数学・砲術などを紹介。
c
徐光啓 の協力でd
『坤輿万国全図』 を作成(1602年)。日本にも伝えられる。
同じく、ユークリッドの幾何学を翻訳し、
『幾何原本』を刊行。
カ.東アジアの状況
1.日本を中心として見た東アジアの状況
1549年 キリスト教の伝来。 →c 南蛮貿易 が始まる。
交易の活発化・鉄砲の伝来 → 戦国時代の群雄割拠を終わらせる。
→ 織田信長・豊臣秀吉の統一事業進む。
キリシタン大名によるローマ教皇への遣使(天正少年使節) 1582〜1590
▼
→明の援軍と、b 李舜臣 の水軍(亀甲船)、義兵の活躍により撃退。→国土荒廃。
▼
→ 東南アジア各地にb 日本町 が生まれる。
ポルトガル人 1557年 c マカオ を拠点に、アジア貿易に進出
オランダ人 1624年 d 台湾 に進出 ゼーランディア城を築く
→ アジアの貿易をめぐり、中国人・日本人・ポルトガル人・オランダ人が争う
▼
D
鎖国政策 江戸幕府のキリスト教禁止と貿易統制を目的とした政策。
→ 長崎での中国(清)とオランダとの貿易のみとなる。→19世紀前半まで
2.明から清へ
中央集権化と財政の再建を目指す。
b 東林派 ※と非東林派の党争 ※顧憲成らが無錫に再建した東林書院を中心とした官僚たち。
c 宦官 の横暴 → 社会不安高まり、各地に暴動起こる。
▼
1616年 b ヌルハチ 女真族を統合し、c アイシン(金) (後金)を建国。
d 八旗 を編成=狩猟組織をもとにした女真族の軍隊組織。e 満州文字 を作る。
▼
内モンゴル(チャハル部)、朝鮮を制圧し、長城以南に侵入、蒙古・漢人の八旗も組織。
▼
1644年 反乱軍、北京を占領し、崇禎帝自殺、明が滅亡。
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