Text p.159
Text p.160
Text p.161
楼蘭王国の発見:楼蘭は紀元前から東西貿易の要地として栄え、漢と匈奴はその地の支配をめぐって激しく争った。前77年には、漢は楼蘭を善(ぜんぜん)(ゼン→拡大)に改め、属国とした。しかし、タクラマカン砂漠の乾燥が進み、いつしか荒廃し砂漠のなかに埋もれてしまった。1901年、この地を探検したスウェーデンの地理学者スウェン=ヘディンは、ロプ=ノール湖(さまよえる湖)とともに砂漠の中から楼蘭の都の跡と思われる遺跡を発見した。
→東西交流の三つの道