第15章 二つの世界大戦
3 アジア・アフリカ民族主義の進展
Text p.312
・第一次大戦中に欧米列強が後退 → 東アジアの好景気 →
→ 日本の工業の発展 → 工業生産が農業生産を上回る。
・中国のa
民族資本 が成長。b
紡績工業 を中心に発展。
→ 労働者・学生の増加 → 中国のc
儒教 や家父長制的家族制度への批判強まる。
・ウィルソンのd
民族自決 原則の提言、e
ロシア革命 の成功 →知識人・労働者の運動に影響。
▼
B
文学革命 文学・思想の面での知識人による啓蒙運動始まる。
▼
・労働運動・農民運動・社会主義運動が盛んになる。
1918年8月 富山の主婦からa
米騒動 が始まり、全国に拡大。
→ 日本で最初の本格的なb
政党内閣 (原敬内閣)が成立。
→ 中産階級の成長 → 普通選挙運動の盛り上がり。
・1923年 c▲
関東大震災 日本経済打撃受ける。朝鮮人虐殺事件などが起きる。
1925年 d
男子普通選挙法 の公布。
同 年 e
治安維持法 の成立。 → 社会主義などを抑えることをめざす。
▼

・1914年8月 a
日英同盟 を口実に参戦。
→ ドイツ租借地の膠州湾入り口のb
青島 を占領。さらにドイツ領南洋諸島を占領。
▼
・内容 次の5項目と細部の合計21カ条。
・a
山東省 のドイツ権益の継承と拡大を承認すること。
・南満州、内蒙古などの権益を認めること。(旅順・大連の租借権99カ年延長など)
・漢冶萍公司を両国合弁事業にすること。
・中国沿岸のすべての港湾と島嶼を他国に譲渡または貸与しないこと。
・政治・財政・軍事の各顧問、警察官などに日本人を就任させることなど。
→ 中国のb
袁世凱 政府は拒否、日本は最後通牒を突きつける。
→ 5月9日、中国政府、ほとんどの
要求を受諾。国民は国恥記念日と称する。
→ 袁世凱の死(1916年)後は、軍閥の
段祺瑞政権を支援。→中国を参戦(17年8月)させる。
・1917年 ▲c
石井・ランシング協定 :中国に関する日米の協定が成立。
アメリカは日本の特殊権益を承認、日本はアメリカの門戸開放要求を承認。
▼
・1918年 b
米騒動 おこる。(前出)
・1920年▲c
尼港事件 起きる。抗日パルチザンによる日本軍、居留民襲撃事件。
→ 列強の撤兵後も日本は軍を留める。国際的批判を浴び、1922年に撤兵。
▼
背景 ロシア革命の影響、c
ウィルソンの十四ヶ条宣言 の「民族自決」の提唱。
→ ソウル(当時は京城)でデモが拡大、「独立万歳」をさけび、独立宣言を発す。
Text p.314
d
朝鮮総督府 は軍隊と警察を動員して鎮圧。約1年にわたり死者数千人、検挙者5万人。
・日本は武断政治を改めe
「文化政治」 による同化政策と経済支配の強化を進める。
同 年4月 独立運動の勢力、上海でf
大韓民国臨時政府 を結成。大統領李承晩。
▼
・パリ講和会議でc
二十一ヶ条要求 廃棄の要求が拒否されたことに憤激。
→ 北京大学の学生の抗議デモが全国に波及、ストライキ続発。売国的閣僚の罷免などを要求。
→ 中国政府、d
ヴェルサイユ条約調印を拒否 。
意義:e
中国における反帝国主義の高揚であり、反封建、民主主義革命の出発点となった。
▼
・日本、パリ講和会議でa
山東省 のドイツ権益の継承を認められる。
さらに赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島のb
委任統治権 を獲る。
国際連盟のc
常任理事国 となる。
→ 列強の日本に対する警戒感が強まる。
・1921〜22年 d
ワシントン会議 :中国、日本の二十一ヵ条要求撤廃を提訴。
→ アメリカ、イギリスが支持。日本も国際協調にかたむく。
・e
九ヵ国条約 :中国の主権尊重・領土保全などが確認され、
日本はa
山東省 の権益は中国に返還。(1節参照)
→ f
石井・ランシング協定 は破棄。二十一カ条要求以前の状態に戻る。
▼

・1919年10月 a
孫文 、中華革命党を公開政党としb
中国国民党 を組織。
同 年 ソヴィエト=ロシアのc
カラハン宣言 :秘密条約の無効、外国の干渉拒否、
平等の善隣関係樹立を呼びかけ、対中国利権の放棄を宣言。→中国国民の歓迎。
・1921年 孫文、北京の軍閥政府に対抗し、
広東軍政府(第2次)を広州に再建(安定せず)。
同 年 d
中国共産党 結成。委員長e
陳独秀 ← コミンテルンの援助。
= 帝国主義と封建軍閥の両者を打倒する民族民主革命の実現と、統一戦線の結成を掲げる
1923年 ソヴィエト政権全権代表
ヨッフェ、孫文に国共合作を働きかける。
▼
・1924年
中国国民党一全大会(広州)でa
孫文 が方針転換を打ち出す。
・b
国民党を改組 c
共産党 員が個人の資格でd
国民党 に入党することを認める。
← e
ソ連 の援助を受け入れる。
・f
「連ソ・容共・扶助工農」 をかかげ、軍閥打倒、反帝国主義を明確にする。
意味:g
ソ連と連携し、共産党員を受け入れ、労働者・農民を支援すること。
= ▲h
新三民主義 ともいう。
Text p.315
→ 1925年3月 a
孫文 死去 i
「革命いまだならず」 と遺書を残す。
・1925年 j
五・三〇事件 :上海の日本k
在華紡 でのストライキ起きる。
→ 5月30日、労働者、民衆に対し、イギリス租界の警察が発砲、数十人の死者が出る。
→ 香港、広州でストライキ(省港スト)が始まり、全国に波及。
意義:l
反帝国主義闘争のなかで、共産党の指導力が強まる。
・ 同 年7月 国民党、広州でm
国民政府 樹立を宣言(広東政府)。
▼
→ 国民政府軍として▲b
国民革命軍 を組織し、総司令となる。
・1926年 a
蒋介石 率いる国民政府軍によるc
北伐 開始。
→ 北京のd
軍閥政権 打倒と中国の統一をめざし、「▲e
国民革命 」を掲げる。
共産党員の指導する農民運動も、軍閥打倒を支援。
1927年1月 武漢占領。国民政府、武漢に移る(f
武漢政府 )=国民党左派が中心。
同 年3月 南京占領。(このとき米英などの居留地が襲撃される
南京事件おきる)
g
上海 では共産党指導による労働者が軍閥勢力を制圧。
・国民政府内で共産党勢力が拡大 → ブルジョアジーの中に、共産党に対する不安強まる。
▼
・1927年4月12日 北伐途上の上海で、a
蒋介石 がb
共産党 を排除、弾圧。
→ c
第一次国共合作 が崩壊。
→ d
南京国民政府 を樹立。a
蒋介石 主席(28年)就任。 → 共産党員を排除。
同 年9月 武漢政府も共産党勢力を排除し、南京政府に合流。
・e
国共分裂 となり、北伐は国民軍のみで再開。共産党員は農村を活動の場に移す。
▼
E
北伐再開 1928年4月 蒋介石の国民革命軍、北京に迫る。
・北京軍閥政権の情勢:東北地方の
東三省を基盤とした
奉天軍閥のa
張作霖 が、
日本のb
関東軍 の支援を受け、
安徽派の段祺瑞・
直隷派の呉佩孚らを抑える。
・日本(田中義一内閣)、居留民保護を口実にc
山東出兵 。(27〜28年、三次にわたり出兵)
→ 1928年 日本軍と国民党軍が衝突(
済南事件)。→ 国民軍、全面対決は避ける。
・1928年6月 国民革命軍、北京占領。a
張作霖 軍、敗退する。 → 奉天に撤退。
→ 日本(b
関東軍 の独断)、d
張作霖爆殺事件 (奉天事件)を強行。
▼
・1928年12月 奉天のb
張学良 、国民政府(国民党)に従うことを声明し(易幟)、
→ 国民政府による中国統一が完成。議会制は実現せず。
・国民政府:c
浙江財閥 ※と、アメリカ・イギリスの支援を受ける。
※四大家族(蒋介石、宋子文、孔祥煕、陳立夫)= 外国資本に従属する▲d
買弁 。
→ 1930年 国民政府、諸外国とのe
関税自主権回復 に成功。国内統一の機運高まる。
▼
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G
共産党の台頭 1927年 国共分裂後、江南を中心に武装蜂起するが失敗 →
→ 次第にコミンテルンの指導を離れ、農村でのソヴィエト政権建設に方針を転換。
・1929年 a
毛沢東 率いるb
紅軍 (共産党軍)がc
井崗山 に根拠地を建設。
→
三大規律・六項注意を定め、農民の支持を受ける。
・1931年 江西省d
瑞金 にe
中華ソヴィエト共和国 臨時政府を建設。
主席a
毛沢東 。
→ 国民政府軍の包囲戦をたびたび撃退する。
▼
国民政府軍と共産党軍の内戦が激化。この間、日本軍の満蒙侵出が始まる。

・第一次大戦中、インドはイギリスに協力、多数の兵士を戦場に送る。
→ イギリス政府、民族自決の原則に基づき、a
戦後の自治 を約束。
・1919年 b
インド統治法 州行政の一部は自治を認めるが、中央権力はイギリスが掌握する。
同 年 イギリス、c
ローラット法 施行:令状無しの逮捕・裁判無しの投獄が出来る。
→ 反英闘争が激化する。
同 年4月 d
アムリットサール事件 イギリス軍がインド民衆に発砲。
▼
B
ガンディー の活動。ロンドンで弁護士となり、南アフリカでインド人差別問題に取り組む。
・インドに帰り、独立運動を指導し、マハートマーと言われるようになる。
・1910年 ▲a
『ヒンド・スワラージ』 (インドの自治)を発表、イギリスの支配を批判。
= b
非暴力・不服従 (c▲
サティヤーグラハ )による民族闘争を呼びかける。
→ イギリスのベンガル分割令に反対。1911年に撤回させる。
→ 第一次世界大戦が起きると、イギリスへの抵抗を一時停止し、戦争に協力。
・その運動の精神d
非暴力の大衆的運動でイギリス支配に抵抗し、独立を実現すること。
▼
C
非協力運動 1919年のローラット法に対して反発を強める。
・1920年 a
ガンディー が提起し、国民会議大会で決議される。
→ 自治獲得をめざす全インドの反英民族運動の発展。
・イスラーム教徒(ムスリム)のカリフ擁護運動(
ヒラーファット運動)とも連携し、
▲b
全インド=ムスリム連盟 も協力。
・1922年 運動中止 →c
ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒 の対立。
→ ムスリムは次第に反国民会議派となり親イギリス路線をとるようになる。
・社会主義の台頭 1920年 全インド労働組合会議発足、
1925年 e
インド共産党 の創立。
▼
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・1927年 イギリスが設置したa
憲法改革調査委員会 にインド人が含まれず、不満再燃。
→ インド総督、自治を約束し、ロンドンでの円卓会議実施を表明
1929年 b
ネルー の指導する急進派、国民会議派大会をc
ラホール で開催。
→ d
完全独立(プールナ=スワラージ) を宣言。円卓会議ボイコットと不服従運動を決議。
▼
・1930年 a
ガンディー 、b
塩の行進 を開始。イギリスの塩専売に抗議。
→ ロンドンで、c
英印円卓会議 開催 32年まで3回開催されたが合意に達せず。
1932年 a
ガンディー 、不服従運動を再開。
→ 逮捕者多く、1934年に運動中止。
▼
・内容:a
州の自治は認められたが、インド総督・州知事の任免権はイギリスが持つ。
→ 中央の財政、防衛、外交もイギリスが掌握する体制が維持される。
1937年 州選挙実施。国民会議派が多くの州で政権獲得。
ムスリムが多数を占める州では、ムスリム地域政党が政権を握る。
・b
全インド=ムスリム連盟 (c
ジンナー ら)ムスリム独立国家建設方針に転じる。
Text p.318
1940年 イスラーム国家パキスタンの建設を目標に掲げる。
第二次世界大戦勃発 → 国民会議派、完全独立を要求。
→ イギリス、国民会議派を非合法化し、ガンディーら指導者を投獄。
▼
第2次世界大戦終結まで、インド独立実現せず。

1920年 b
インドネシア共産党 結成 → 26〜27年に蜂起し、厳しい弾圧で消滅。
1927年 c
スカルノ 、d
インドネシア国民党 結成、独立運動を再編成。
→ 28年 インドネシアとしての、祖国・民族・言語の統一をめざすことを宣言。
1925年 b
ホー=チ=ミン ヴェトナム青年革命同志会結成。
1927年 ヴェトナム国民党組織。 →1930年武装蜂起、フランスに鎮圧され失敗。
1930年 c
インドシナ共産党 結成。 → 弾圧を受けながら農村ソヴィエト建設。
3
ビルマ (現ミャンマー) a
イギリス の支配に対し1920年代から民族運動はじまる。
1935年 新インド統治法で、インドから分離。ビルマ総督の支配する準自治領となる。
→ b
タキン党 (「われらビルマ人協会」)による独立運動が行われる。
指導者
アウンサン 1940年代 はじめ日本に協力、後に抗日運動を展開。
4
フィリピン 1898年以来、アメリカの統治。独立運動抑えられる。
1907年 議会が開設され、フィリピン人への権限委譲が進む。 →経済支配は続く。
→ 輸出用商品作物に依存した農村の窮乏続く。
1934年 アメリカb
F=ローズヴェルト 大統領の時、
フィリピン独立法制定される。
= 10年後の独立を約束。c
フィリピン独立準備政府 が発足。
1941年 太平洋戦争勃発 東南アジア諸地域への日本軍の侵攻始まる。
補足
5
タイ ラタナコーシン朝のもとで独立を維持する。→近代化の声強まる。
1932年 a
タイ立憲革命 b
ピブン ら、留学帰りの人民党による無血革命成功。
1939年 国号をシャムからc
タイ に変更する。

1
トルコ革命 オスマン帝国 第一次大戦で同盟側に参戦し敗北。反政府運動起こる。
Text p.319
→ d
セーブル条約 の批准を拒否。1922年 イズミルを回復。
・1922年 e
スルタン制 廃止、f
オスマン帝国 が滅亡。
1923年 連合国と新たにg
ローザンヌ条約 締結。
→ 新国境を確定、治外法権の廃止、関税自主権の回復に成功。
・ 同 年 h
トルコ共和国 成立。b
ムスタファ=ケマル 初代大統領となる。
首都をアンカラに移す。イスタンブルは商業都市として継続。
1924年 i
共和国憲法 制定。主権在民、大統領制。
→ j
カリフ制 を廃止し、k
政教分離 を実現。
・トルコ革命の
世俗主義:現在まで、トルコ共和国の理念となる。
イスラーム暦をやめ太陽暦採用。
l
文字改革 :アラビア文字にかわりm
ローマ字 を採用。
n
女性解放 :チャドルの廃止、一夫一婦制の樹立、婦人参政権(34年)。
→ 政治上は、b
ムスタファ=ケマル が組織した共和人民党による独裁であった。
・1934年 ケマルにo
アタテュルク (「トルコの父」の意味)の称号が贈られる。
2
エジプト 1914年以来 イギリスの保護国となる。
・第1次世界大戦後、a
ワフド党 を中心とした民族運動が活発となる。
1922年 イギリス、保護権を廃止、b
エジプト王国 とする。
→ c
スエズ運河地帯駐留権 は留保。 →エジプト民衆の抗議続く。
1928年 ▲d
ムスリム同胞団 結成。コーランを憲法としたイスラーム国家建設を主張。
→ 現在のイスラーム原理主義運動の出発点となる。
1936年 e
エジプト=イギリス同盟条約 :イギリスはエジプトの主権を認めるが、
運河地帯とスーダンへの兵力駐留権を保持。
Text p.320
・1921年 軍人のb
レザー=ハーン のクーデタ a
カージャール朝 の実権を奪う。
1925年 自ら国王(シャー)を称し、c
パフレヴィー朝 成立。
→ トルコにならい近代化を進め、28年 治外法権の撤廃と関税自主権の回復を宣言。
・1935年 国名をd
イラン と改める。 → 石油の利権はイギリスが保持。
→ オスマン帝国とのセーヴル条約で承認させる。
・イギリス委任統治領から次の国家が独立 → イギリスは
ハーシム家の王をそれぞれ即位させる
a
イラク王国 :1921年 フセインの長男ファイサルを国王として迎える。
→ 1932年に独立が承認される。→ 1958年 イラク革命で共和国になる。
b
ヨルダン王国 :1928年 フセインの次男アブドゥラーを国王にトランス=ヨルダン王国
として独立。(ヨルダン川東岸の意味)
→ 正式には1946年にヨルダン王国(ヨルダン=ハーシム王国)として独立が認められる。
・フランス委任統治領
d
シリア :1920年 フセインの長男ファイサルが国王として独立を宣言するがフランスが拒否。
→ ファイサルはイギリスが保護して翌年、イラク国王とする。
→ 1936年 自治が認められる。1946年に共和国として独立。
c
レバノン :1941年 シリアから分離して独立。1943年共和国となる。
7
パレスチナ地方 大戦中、イギリス・フランス・トルコの秘密外交が続く。
・1915年 a
フセイン=マクマホン協定 :英、アラブ人に対しトルコからの独立を約束。
・1917年 b
バルフォア宣言 :英、ユダヤ人のパレスチナ復帰運動(c
シオニズム )支援を約束。
→ ヨーロッパ各地から、ユダヤ人のパレスチナ移住始まる。(以上、15章2節参照)
→ パレスチナ領有をアラブ・ユダヤの両民族が主張し衝突し始める。

Text p.321
1.反植民地運動の始まり
・19〜20世紀初頭 ヨーロッパ帝国主義列強によるa
アフリカ分割 の進行。(14章2節参照)
→ アフリカ各地で抵抗運動始まる。
・1912年 b
アフリカ民族会議 設立。
c
南アフリカ連邦 でのd
人種差別撤廃 をめざす。非暴力主義による運動.
→ 第1次世界大戦後、民族主義の拡大傾向強まり、政府は▲e
アパルトヘイト 政策を強める。
→ 南アフリカ共和国となってから激しい反差別運動の中心となる。
1991年に差別撤廃。(17章3節参照)
2.欧米でのアフリカ民族運動
・19世紀末から、アメリカ・カリブ海域のアフリカ系知識人の中にa
パン=アフリカニズム
の運動が始まる。 = 欧米を部隊にしたアフリカ解放の運動となる。
・1900年 b
パン=アフリカ会議 ロンドンで開催。
= 西欧植民地主義への抗議、人種差別への反対を唱える。
・1919年 同会議をパリで開催(講和会議中) アフリカ植民地での段階的自治の推進を決議。
・第2次世界大戦後、アフリカでの運動と欧米での運動が合体。
→ アフリカ民族主義運動の発展。
1960年前後に一斉に独立を勝ち取る。(16章3節参照)
