第6章 ヨーロッパ世界の形成と発展
2 東ヨーロッパ世界の成立
Text p.138
A
ビザンツ帝国 394年 ローマ帝国東西分裂 → 東ローマ帝国の形成
・ゲルマン民族の侵入をあまり受けず伝統を維持。
→商業とa
貨幣経済 (
ノミスマ金貨を発行)の繁栄が続く。
・都b
コンスタンティノープル (旧名c
ビザンティウム )の繁栄。
・政治体制:ローマ帝国以来の官僚制を維持、その頂点の皇帝は専制君主として権威を持つ。
・特徴:皇帝は教会の首長を兼ねるd
皇帝教皇主義 にたち、e
ギリシア正教会 を直接支配。
→ 西ローマ帝国滅亡後、地中海世界の統一の再現を目指す。
▼
Text p.139
▼
C
領土の縮小 ユスティニアヌス帝の死後、次第に領土を縮小する。
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D
聖像崇拝論争 8世紀 フランク王国と結んだローマ=カトリック教会と対立。
726年 ビザンツ皇帝レオン3世、a
聖像禁止令 を出す。→ 東西教会の対立。
800年 フランク王国カール大帝の戴冠。 → ビザンツ皇帝も聖像崇拝を認める。
→ ビザンツ帝国でもb
聖像画(イコン) を作成するようになる。
▼
→ 10〜11世紀 一時勢力を盛り返す。軍管区制、a
屯田兵制 を充実させる。
1018年 バルカン制覇をねらうb
ブルガリア王国 を破り、併合する。
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1.中央集権的軍事力の強化:
・はじめはローマ帝国以来のコロヌス制による大土地所有制度であったが、
7世紀以降、独自の土地制度を採用、そのため封建社会の形成はなかった。
a
軍管区制(テマ制) = 軍管区の軍司令官に軍事権と行政権を与える。
b
屯田兵制 = 軍管区司令官が部下の兵士に土地を分与し、代わりに軍役を課す。
Text p.140
c
プロノイア制 = 貴族(地方有力者)に国有地を貸与して軍役を奉仕させる。
→ 11世紀以降は貴族が封建領主化し、農奴制による大土地所有制が復活した。
2.文化:
特徴 a
古代ギリシア文化とギリシア正教を融合させた文化
1.b
ギリシア語 を公用語とする。 → 古典研究を受け継ぐ。
2.c
ギリシア正教 を国教とする独自の文化。→独自のキリスト教神学が発展。
3.美術・建築 d
ビザンツ様式 の建築 特徴は、ドームとe
モザイク壁画
代表例 f
バギア=ソフィア聖堂 (コンスタンティノープル)
g
サン=ヴィターレ聖堂 のモザイク壁画(イタリアのラヴェンナ)
影響:スラブ民族の文化を開花させると共に、ギリシア古代文化を保存しルネサンスに伝えた。

a
スラブ民族 インド=ヨーロッパ語族に属し、6世紀以降、東ヨーロッパに広がる。
┌ b
東スラブ人 (ロシア人、ウクライナ人)
│
スラブ民族 ┼ c
南スラブ人 (セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人)
│
└ d
西スラブ人 (ポーランド人・チェック人・スロヴァキア人)
1.東スラブ人
→ 先住民のスラブ人と同化。これがb
ロシア国家 の起源とされる。(前出)
▼
B
キエフ公国 882年 ノヴゴロドからドニェプル川中流のキエフに移動
Text p.141
10世紀末 a
ウラディミル1世 の時、領土を周辺に拡大し、繁栄。
・988年 b
ギリシア正教 に改宗。
→ 封建諸侯が分立、農民の農奴化進む。
▼
・1237〜1240年 モンゴルの侵入。a
バトゥ によってロシアの大半が征服される。
→ 1241年 ポーランド・ドイツ連合軍、モンゴル軍に敗れる(
ワールシュタットの戦い)。
1243年 b
キプチャク=ハン国 のロシア支配始まる。ハンは南ロシアのサライに居住。
→ 支配が約240年続く。実態は間接統治で、ロシア諸侯が徴税し、ハンに上納する。
・ノブゴロドの
アレクサンドル=ネフスキーの活躍
1240年 スウェーデン軍をネヴァ川の戦いで撃退
1242年 ドイツ騎士団を氷上の戦いで撃退
→ 南ロシアのb
キプチャク=ハン国 には臣従し、貢納する。
▼
D
モスクワ大公国 15世紀 商業都市を中心として発展、東北ロシアを統一
1480年 a
イヴァン3世 、モンゴルから自立。
→ ビザンツ帝国滅亡(1453年)後、その後継者となりb
ツァーリ を称す。
・農奴制を強化し、専制君主制の基礎を固める。首都
モスクワの繁栄。
▼
16世紀 c
イヴァン4世 (雷帝)中央集権体制を固め、東ヨーロッパの大勢力となる。
2.南スラブ人
Text p.142
3.西スラブ人
4.スラブ人以外の民族(非スラブ人)
E
ブルガール人 トルコ系民族。バルカン半島に移動。
7世紀 a
第1次ブルガリア王国 建設、スラブ人と同化し、b
ギリシア正教 に改宗
→ ビザンツに併合される。聖職者キュリロスによって▲c
キリル文字 作られる。
12世紀 独立(d
第2次ブルガリア王国 )→14世紀 オスマン=トルコの支配
F
マジャール人 ウラル語族の遊牧民。先に西進したアヴァール人などを同化。
9世紀末、パンノニアに移動後、定住。955年 a
オットー1世 と戦い敗れる。
10世紀末 b
ハンガリー王国 を建国 c
ローマ=カトリック を受容。
15世紀に繁栄、 オスマン=トルコ帝国と争う。 16世紀 領土の大半を失う。
17世紀には、神聖ローマ帝国(オーストリアのハプスブルク家)に組み込まれる。
補足
▲a
ルーマニア人 : バルカン半島のドナウ川北岸、ローマ帝国の属州ダキア以来
ラテン系の人々が居住。 → スラブ人・ゲルマン人・マジャール人の侵入を受ける。
→ 13〜14世紀 ルーマニア人として自立しワラキアとモルダヴィア両公国を建国。
