第6章 ヨーロッパ世界の形成と発展
1 西ヨーロッパ世界の成立
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・a
ヨーロッパ は、ユーラシア大陸の西端、西は大西洋岸から東はウラル山脈までを言う。
・自然環境
地形:ピレネー山脈−アルプス山脈などを境に、北部は平坦な丘陵地と
ロワール川、セーヌ川、ライン川、エルベ川などの河川沿いの平野が多い。
南部の地中海沿岸は平地は少ない。
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気候:大西洋に面した地域は湿潤・温暖な、
西岸海洋性気候。
→ で森林が広がり、穀物栽培、家畜飼育に適する。
東部は乾燥・寒冷な大陸性の冷帯湿潤気候。大森林が広がり、さらにステップに連なる。
地中海沿岸は夏あつく、乾燥する
地中海性気候。果樹栽培に適する。
・民族構成 古代から現代まで、民族移動や移住が進み、多くの民族が混在している。
a
インド・ヨーロッパ語族 ギリシア人、イタリア人、スペイン人、フランス人
ケルト人、ゲルマン人(ドイツ人)
スラブ系(ポーランド、チェコ、ロシア人など)
b
ウラル語族 マジャール人(ハンガリー)、フィン人(フィンランド)、エストニア人など
・ヨーロッパの一般的な地域区分(厳密なものではなく、重複し、歴史的に変動している。)
西ヨーロッパ:フランス、ドイツ、イタリア、ベネルクス三国およびイギリス。
その周辺のスイス、オーストリア、アイルランド、アイスランドを含む。
東ヨーロッパ:ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア
ロシア、ウクライナ、バルト三国など旧ソ連邦と旧ユーゴスラヴィア諸国。
北ヨーロッパ:デンマークおよび、スカンジナビア半島の諸国。いわゆる北欧。
南ヨーロッパ:ポルトガル、スペイン、イタリア、フランスの南半分、ギリシアなど、
地中海に面した地域の呼称。いわゆる南欧。
※ハンガリー、ルーマニア、チェコ、スロバキア、オーストリアなどを「中欧」とすることもある。
これらのヨーロッパの地域区分は時代によっても変動し、一定しないので注意を要する。

・前6世紀頃からアルプス以北の西ヨーロッパにひろく住み着く。
ローマやゲルマン人の進出以前に、独自の文化を形成。
→ ゲルマン民族に圧迫されて次第に同化する。
現在、アイルランド・ウェールズ・スコットランド・ブルターニュに残存。
▼
・バルト海沿岸が原住地で、牧畜と狩猟を主とする部族生活を営む。
ケルト人を圧迫しながら次第に西ヨーロッパに拡大。現在の独、英、仏、北欧諸国民の祖先。
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・紀元前後、ライン川からドナウ川にいたる広大な地域に進出、b
ローマ 軍と戦い国境を脅かす。
▲AD9年
トイトブルクの戦いでアウグスティヌスの派遣したローマ軍を破る。
▼
※ローマ時代のゲルマン人
・ローマ時代のゲルマン民族に関する史料には次の二つがある。
カエサルの著したa
『ガリア戦記』
歴史家タキトゥスの著したb
『ゲルマーニア』
・その社会
部族(キヴィタス)ごとに王または首長に率いられ貴族・平民・奴隷の別があった。
首長の主催するc
民会 (貴族と平民の成年男子による集会)を最高議決機関とする。
→ 人口増加に伴い、土地が不足し、ローマ帝政末期にはローマ領内に多数が移住する。
→ ローマの下級官吏やd
傭兵 ・e
コロヌス となる。
▼
・4世紀後半 アジア系遊牧民のa
フン人 が黒海北方から西に移動開始。
→ 南ロシアのゲルマン民族のb
東ゴート人 を従え、さらにc
西ゴート人 に迫る。
・d
375 年 西ゴート族の西方移動始まる。= ゲルマン民族の大移動の開始。
→ 翌年、ドナウ川を越えローマ領内に侵入。
▼
▼
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d
476 年 ゲルマン出身の傭兵隊長e
オドアケル 、西ローマ帝国を滅ぼす。
493年 東ゴート族f
テオドリック大王 イタリアに移動、オドアケルの王国を滅ぼす。
g
東ゴート王国 ラヴェンナを都に北イタリアを支配。ローマ文化との融合を図る。
→ 555年 東ローマ(ビザンツ帝国)のh
ユスティニアヌス帝 の遠征軍に滅ぼされる。
→ 東ローマ(ビザンツ帝国) 北アフリカのヴァンダル王国も滅ぼし、一時地中海支配を回復。
568年 i
ランゴバルド王国 北イタリアに入り、建国 → 民族大移動の終息とされる。
▼
6世紀、旧西ローマ帝国領内のゲルマン諸王国の中で、フランク人が有力となる。
→ゲルマン民族とスラブ民族の移動

=b
メロヴィング朝 成立 → ガリア中部まで領土を拡大。
→ 東ゴート王国とならぶ強国となる。
496年c
クローヴィスの改宗 、キリスト教の正統派d
アタナシウス派 に改宗。
他のゲルマン諸民族が異端派のe
アリウス派 を受け入れたのに対して、
フランク王国とローマ教会の関係が強まる。
影響:f
フランク王国がローマ人貴族を支配層に取り込み、ローマ帝国の権威を継承した。
6世紀なかば ガリア南東部のブルグンド王国を滅ぼし全ガリアを統一。
8世紀 メロヴィング家の王権衰退、g
宮宰 (カロリング家)が実権を握る
▼
711年 イベリア半島に侵入、b
西ゴート王国 を滅ぼす
ピレネーを超え、ガリアに侵入 → 732年 c
トゥール・ポワティエ間の戦い 。
= フランク王国の宮宰d
カール=マルテル が活躍、イスラーム軍を撃退。
→ キリスト教世界を守るが、地中海世界はイスラーム勢力に支配される。
▼
→ ローマ教皇ステファヌス2世から王位を認められる。
754年 北イタリアのランゴバルド王国を攻撃し、b
ラ ヴェンナ地方 などを奪う。
→ ローマ教皇にその地を寄進(後出)
▼

A
五本山の成立 ローマ帝国の帝政末期に成立したキリスト教の重要な教会
▼
6世紀末 ローマ教会のa
グレゴリウス1世 、ゲルマン人への布教に務める。
6世紀 b
修道院運動 を展開、→ 民衆の教化進む。
→ ローマ教会の司教がペテロの後継者としてc
教皇(法王) と言われ権威を獲得する。
▼
568年 ランゴバルド王国(異端)が侵入、ビザンツ帝国はイタリアから後退。
→ ローマ教会はビザンツ皇帝の保護権から離れる。
→ 東西の教会で、b
聖像 (キリスト・マリア・聖人の像)の礼拝をめぐり対立始まる。
▼
理由:b
厳格な偶像崇拝否定を掲げ、キリスト教を批判するイスラム教に対抗するため。
c
ローマ教会 はゲルマン民族への布教の必要のため聖像礼拝を肯定
▼
・ビザンツ皇帝と対立したローマ教会は、a
フランク王国 に接近。
751年 カロリング家ピピンのフランク王位継承を承認。
754年 ピピンはランゴバルド王国から奪ったb
ラヴェンナ地方 をローマ教皇に寄進。
= c
ピピンの寄進 → ローマ教皇領の始まり = 教皇が大領主となる。
▼

カロリング朝ピピンの子。フランク王国全盛期の王。
・領土の拡大
北イタリアのc
ランゴバルド王国 を征服。ドイツ北東のd
ザクセン人 を服従させる。
→ ゲルマン諸部族の大部分が統合され、ローマ=カトリックに改宗。
東方:パンノニア(現ハンガリー)に侵入したモンゴル系e
アヴァール族 を撃退。
南方:イベリア半島に進出し、イスラーム勢力と戦う。半島の北東部を領有。
・国土の統治:全国を州に分けそれぞれにf
伯 を置き、g
巡察使 を派遣して監督。
国境地帯には
辺境伯を置いた。
・教育と文化の振興:宮廷を置いたh
アーヘン を中心に古典文明の復興をはかる。
イギリスの神学者i
アルクィン らを招く。
= 古典文明の復興を目ざし、j
カロリング=ルネサンス と言われる。
▼
800年 a
ローマ教皇 のb
レオ3世 、カール大帝にc
ローマ皇帝 の帝冠を与える。
→ 「西ローマ帝国」の復興をめざす。
・カールの戴冠の歴史的意義
政治上 d
西ヨーロッパの安定、ビザンツ帝国に対抗する政治勢力の成立。
文化上 e
古典古代・キリスト教・ゲルマン民族からなる文化圏の成立。
宗教上 f
ローマ教会がビザンツ皇帝から独立した地位を獲得したこと。
▼
・11世紀中ごろ、東西教会の分離対立が決定的になる。
ビザンツ皇帝を首長とするa
ギリシア正教会 と
ローマ教皇を首長とするb
ローマ=カトリック教会 ※が完全に分離する。
※カトリックとはギリシア語で▲c
普遍的 という意味
▼
ユーラシア西部の状況 ┌ 西ヨーロッパ世界:ローマ=カトリック教会・フランク王国。
│
地中海世界の分裂 ┼ 東ヨーロッパ世界:ギリシア正教会・ビザンツ帝国。
│
└ イスラーム世界:イベリア半島の後ウマイヤ朝と地中海域。
→カール大帝の「西ローマ帝国」

A
フランク王国の分裂 フランク王国は、ゲルマン社会の伝統的な固有法である分割相続が続く。
a
カール大帝 の死(814年)の後、次の2段階を経て、三つに分かれる。
843年 b
ヴェルダン条約 カールの子、ルートヴィヒ1世の死に伴い王国を三分割。
┌ ルートヴィヒ 東フランク →c
ドイツ の起源。
│
→ ┼ シャルル 西フランク →d
フランス の起源。
│
└ ロタール 中部フランク→e
イタリア の起源。
870年 f
メルセン条約 ロタールの死後、中部フランクの北部を東西フランクで分割。
▼
国王諸侯の選挙でを選出。919年より▲b
ザクセン朝 となる。
・10世紀中ごろ、c
オットー1世 の時、強大となる。
955年 d
マジャール人 (アジア系ウラル語族)の侵入を▲e
レヒフェルトの戦い で撃退。
962年 f
オットーの戴冠 :ローマ教皇からローマ皇帝の帝冠をうける。
=g
神聖ローマ帝国 の起源:その後、ドイツ王が神聖ローマ皇帝を兼ねることとなる。
→ 実態は、歴代の皇帝がh
イタリア政策 ※を続けたため、国内は分裂状態続く。
※意味:i
神聖ローマ帝国皇帝がアルプスを越え、イタリア(ローマ)への進出をはかる政策。
→ 10〜13世紀に及ぶ、神聖ローマ皇帝(ドイツ王)の基本政策となる。
▼
パリ伯a
ユーグ=カペー がb
カペー朝 を開く。これ以降をフランスと言うことが多い。
→ 王権弱く、各地に諸侯が分立。
▼
D
中部フランク カロリング朝断絶 → 神聖ローマ帝国の介入、イスラームの侵入で混乱。
カトリックのa
教皇庁 の所在地としてローマが繁栄。
他にジェノヴァ、ヴェネツィアなどの都市が成長。
→ ヴェルダン条約とメルセン条約によるフランクの分裂
→9〜12世紀のヨーロッパ

8〜10世紀 西ヨーロッパ(フランク王国)に対する異民族の侵入
・東方 a
スラブ人 、アヴァール人、マジャール人が辺境を脅かす。(前出)
・南方(南イタリアや南フランス) イスラーム教徒がたえず侵攻する。
8世紀後半 商業や海賊、略奪行為を目的に、ヨーロッパ各地に海上遠征を行う。
→ 細長く底の浅い船で川をさかのぼり内陸部に侵入。
▼
10世紀始め、a
ロロ に率いられ、北フランスに進出。
911年 フランス王よりノルマンディー公に封じられb
ノルマンディー公国 となる。
▼
1130年 a
ルッジェーロ に率いられ地中海に進出、イスラム教徒を破る。
→ 南イタリアとシチリア島を支配し、b
両シチリア王国 を建国。
→ 南イタリアには、ビザンツ文化、イスラーム文化、ノルマン人の文化が共存。
▼
・イギリスの国家形成
829年 a
エグバート による、アングロ=サクソンb
七王国 の統一。
→ c
イギリス の国家統合進む。
・d
ノルマン人 の一派、e
デーン人 ※のブリテン島侵入が始まる。
※ユトランド半島が原住地で海賊活動を展開しヴァイキングとも言われる。
9世紀末 f
アルフレッド大王 、ヴァイキングの侵入を撃退。
▼
1016年 デーン人のa
クヌート王 、イングランドを征服。
→ デンマーク、ノルウェーも支配。北海周辺の海上王国として繁栄。
→ 1042年 イングランドでアングロサクソン王朝が復活。
▼
▼
・ロシアの国家形成
・9世紀 スウェーデン系ノルマン人の南下 → a
スラブ人 地域への進出が始まる。
862年 b
リューリク の率いるヴァイキングの一派がスラブ人地域に進出。
→ スラブ人が彼らをc
ルーシ (またはルス)と呼ぶ。
=これが、d
ロシア国家 の起源とされる。
・バルト海方面とドニェプル川を通じるルートで、
毛皮・蜜蝋・琥珀などの交易に従事。
▼
・9世紀にリューリクの一族のオレーグがドニェプル川中流に建国。
都はa
キエフ 。現在のウクライナ一帯を支配。9世紀末にはノブゴロド国も併合。
・10世紀 ノルマン人とスラブ人の同化が進み、封建社会を形成させる。
→ ビザンツ帝国からb
ギリシア正教 が伝わり、次第にビザンツ化。(後出)
→ 13世紀 モンゴル帝国のバトゥに征服され、滅亡。(後出)
▼
・その他のノルマン人の活動
▼
B
北欧諸国 9世紀〜10世紀 ノルマン人の原住地に次の三国が建国される
・a
デンマーク : デーン人がユトランド半島に建国。北海沿岸でヴァイキング活動。
→ 11世紀 クヌート王が出現。イングランド、スウェーデンなども支配。
・b
スウェーデン : スカンディナヴィア半島東部に建国。
・c
ノルウェー : スカンディナヴィア半島西部に建国。
※これら北欧諸国がキリスト教化すると共に、ノルマン人の移動終わる。
▼

民族移動後の混乱 ┐
├→ 西ヨーロッパのa
商業・都市の衰退
イスラームの地中海支配 ┘
→ 自給自足の農業経済に移行し、貨幣にかわり土地・生産物の価格が上がる。
イスラーム、マジャール人、ヴァイキングなどのb
外敵の侵入
→ 領主たちが武装し、弱者が有力者を主君として保護を受ける主従関係が生まれる
皇帝・国王・諸侯・聖職者など、有力で多くの所領をもつ領主たちの間で、所領(土地)
を仲介として主君と家臣の主従関係が生まれ、その関係は世襲化した。
主君は家臣にa
封土(領地) を与えて保護し、家臣は主君に忠誠を誓い、b
軍役
などの義務を負う。
・その関係は、何重にも重なり、同時にc
双務契約的な関係 である。
・その起源:ローマのd
恩貸地制度 とゲルマンのe
従士制度 の結合。
d:土地所有者が有力者に土地を献じて保護下に入り、改めてその土地を与えられる制度。
e:貴族や自由民の子弟が他の有力者に忠誠を誓いその従者となる制度。
→ 10世紀 フランク王国分裂後に西ヨーロッパで一般化する。
→ 各地の大諸侯は、多数のf
騎士 を従えて自立 → 王権は相対的に衰退する。
C
荘園制度 農奴制を生産の基盤とした、私的な土地領有制度。
・a
領主 :土地の領有者で国王・諸侯・騎士・聖職者などの支配階級。
その所領が荘園。
┌ 領主のb
直営地 農民の賦役で耕作する。
│
荘園の構成 ┼ 農民のc
保有地 農民が耕作し、地代を領主に納める。
│
└ 農民のd
共同利用地 農民が共同使用する牧草地・森林など。
▼
・封建社会についてまとめ
1.現代の農民と農奴の違い
移住や職業選択の自由がなく、不自由 。
2.古代の奴隷と農奴の違い
保有地を耕し、家族をもち、家畜・生産用具を所有できた 。
3.封建社会の位置
古代の奴隷制社会 →中世の封建社会 →近代の資本主義社会 。
→ 古代中国の4.
周王朝の「封建制度」 との違いに注意する

・聖職者a
階層制 組織の成立。聖職位階制(ヒエラルキア)ともいう。
b
ローマ教皇 を頂点としたピラミッド型の組織。
その下にc
大司教 →d
司教 →e
司祭 およびf
修道院長 の序列が定まる。
・教会の封建領主化
教会への国王・貴族からの土地の寄進 → 高位聖職者、▲g
聖界諸侯 となる。
→ 農民に対し、h
十分の一税 を課税し、教会法にもとづく裁判権を行使する。
→ 大司教や修道院長など高位聖職者は、諸侯と並ぶ支配階級となる。
・教会のi
腐敗・堕落 が始まる。
皇帝・国王など世俗権力が、俗人を聖職者に任命するなど、介入をするようになる。
→ j
聖職売買 やk
聖職者の妻帯 などの弊害が起こる。
▲教会改革の動き
10世末、フランスなどでl
「神の平和」 運動がおこる。
= 貴族(領主)間の戦いや農民に対する暴力、略奪行為を教会の名の下に禁止する決議を行う。
▼
11世紀 教会の腐敗堕落に対する粛正運動が始まる。
→ 厳格な戒律、労働と修養の重視 聖職者の堕落を批判、攻撃。
▼
1073年 ローマ教皇a
グレゴリウス7世 (クリュニー修道院出身)の改革。
b
聖職売買 ・聖職者の妻帯禁止など、聖職者の規律強化を図る。
・さらに、c
聖職叙任権 ※を世俗権力から教会に取り戻そうとはかる。
※意味:d
司教・修道院長などの聖職者を任命する権利のこと。
はじめ、世俗の権力である国王(君主)や封建領主(貴族)に握られていた。
→ 神聖ローマ帝国皇帝e
ハインリヒ4世 が反発し、C
叙任権闘争 が始まる。
→ 皇帝が強硬の改革を無視したため、教皇は皇帝をf
破門 する。
→ ドイツ諸侯は、その解除がなければ皇帝を廃位すると決議。
1077年 g
「カノッサの屈辱」 。皇帝が教皇に謝罪し許しを乞い、許される。
【解説】
ハインリッヒ4世は、アルプスを越えて教皇が滞在していたカノッサ城を訪ねた。
面会を拒否されたが、3日間素足で雪の中に立って許しを請い、ようやく許された。
その後、ドイツ諸侯の支持を回復した皇帝は教皇に反撃、ローマから追い出すなど闘争は続いた。
11世紀末、ローマ教皇の主唱でh
十字軍運動 始まる。
1122年 i
ヴォルムス協約 両者の妥協が成立。
= 神聖ローマ皇帝は、ドイツ以外での聖職叙任権を事実上、放棄。
→ ローマ教皇は聖職叙任権を認められ、13世紀に教皇権が確立する。
▼
1209年 イギリス王b
ジョン と争い、彼を破門し、封建的臣下とする。(後出)
→ ※強大なローマ教皇権の下で、十字軍運動が展開された。
この時代、強大な教皇権を示す言葉として、▲c
教皇は太陽、皇帝は月 と言われた。
一方で、ローマ教皇権を否定するような宗派は異端派として厳しく弾圧された。
▼
