2006年度 6B世界史 世界史特講

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テーマ7 南アジア世界 その3 インドのイスラム化〜ムガル帝国

解法 インドのイスラム化の経過と、そこから生み出された新しい文化を理解する。

T デリー=スルタン王朝  13〜16世紀 インドを支配したムスリム政権

1.a 奴隷王朝   
 1206年
 
ゴール朝のトルコ人部将 b アイバク (奴隷出身)がc デリー に自立。
 インド内に都を置いた最初のイスラーム王朝。 → クトゥブ=ミナールを建設。
2.a ハルジー朝 
 1290年
 1311年
トルコ系。地租の金納化などの経済改革。アラー=ウッディーン、モンゴル軍を撃退。
 さらに南インドに遠征軍を送り、パーンディヤ朝などを破りほぼ全インドを支配。
3.a トゥグルク朝 
 1320年

 1398年
トルコ系。ムハンマド、南インドに進出。b ヴィジャヤナガル王国 と戦う。
 c イブン=バットゥータ が来訪。(『三大陸周遊記』に記事あり。)
 ティムール によりデリー占領される。デカンにはイスラム政権バフマニ朝が独立。
4.a サイイド朝 
 1414年
 
トルコ系。ティムール帝国の部将の一人が建国。デリー付近のみを支配。
 中央アジアとイランを支配したティムール帝国に圧迫される。
5.a ロディー朝 
 1451年
 1526年
アフガン系。有力部族の連合政権。 → ガンジス流域を征服。
アフガニスタンのカーブルから侵攻したa バーブル に滅ぼされる。
 

U ムガル帝国のインド支配

1. ムガル帝国 の建国
 1526年


 
 バーブル 、c パーニーパットの戦い でロディー朝を破りd デリー を占領。
 ティムールの子孫。ティムール帝国滅亡に際し、1504年e ウズベク人 に追われ
 カーブルに移る。サマルカンド奪回を図ったが敗れ、方向を転じて北インドに侵入。
 f スンナ派イスラーム教 を信奉。
 1527年
 
ガンジス川流域に進出、ヒンドゥー教徒のg ラージプート 諸侯を破る。
 →彼の自伝はh 『バーブル=ナーマ』 という。  
 1540年
 1555年
第2代 フマーユーン、ベンガルのイスラーム勢力に敗る。
 一時西方のイランのi サファヴィー朝 に保護されれた後、デリーを奪回する。
2.a アクバル大帝 
 1556年


 
第3代 b アグラ に遷都 1576年までに北インドの大半を統一した。
・官僚制の整備 c マンサブダール制 :官僚に騎兵と騎馬を与え、それに応じた
 給与額を定めた官位に任命。給与はd ジャーギール という徴税権の形態をとる。
 → 全国土を測量し、徴税するなど、中央集権的な統治機構を整える。
 1564年



 
 ヒンドゥー教徒 との融和政策をとる。
 ・f 人頭税(ジズヤ)の廃止      ・官吏にヒンドゥー教徒を登用。
 ・自らもヒンドゥー教徒の有力氏族g ラージプート 諸侯の女性と結婚。
・自ら神の代行者となる新宗教(ディーネ=イラーヒー)を起こす。普及せず、消滅。
・『アクバル=ナーマ』 ムガル王家とアクバル大帝の歴史。
ムガル帝国の領域 
3.インド=イスラーム文化の成熟
 1605年
 
第4代a ジャハンギール  イランのサファビー朝b アッバース1世 と争う。
 ヒンドゥー教徒の宥和策を継承。
 17世紀


 
第5代c シャー=ジャハーン    支配領域を拡大、財政安定する。
 宮廷中心にイラン文明とインド文明が融和=b インド=イスラーム文化 の成熟。
 c タージ=マハル  を建造(帝の王妃ムムターズ=マハルの廟)。
 → 財政膨張し、農民への負担増加 → 農民の反乱起きる。
 1646年
 
デカン高原でマラーター族d シヴァージー 、反乱を起こす。(ヒンドゥー教徒)
 → 1674年 e マラーター王国 を建国し、ムガル帝国への抵抗続ける。
4. アウラングゼーブ帝  
 1658年

 
外征を繰り返し、領土最大となる。
 イスラーム教(スンナ派) 信仰を強化。ヒンドゥー教寺院を破壊。
 → 非イスラーム教徒の反発強まる。
 1675年  シク教徒  の反乱。西北インド(パンジャブ地方)で反乱を起こす。〜1708年
 1677年  人頭税(ジズヤ)の復活 。e ラージプート 諸侯を圧迫。
 1683年
 
デカンに遠征。f マラーター王国  を弾圧。=デカンの有力ヒンドゥー勢力。
 → その後もムガル帝国に反抗。g マラーター同盟 を結成
 1707年
 
 a アウラングゼーブ帝 の死後、帝位継承をめぐる争いが続く。
 ベンガル・デカンなどに独立政権ができ、同時にh 英・仏のインド進出 強まる。
5.イギリス・フランスの進出とムガル帝国の衰退       
 17世紀
 
イギリス 1600年a 東インド会社 設立 → 次の地に商館設置
 b マドラス(チェンナイ) c ボンベイ(ムンバイ) d カルカッタ(コルカタ)

フランス 1604年 e 東インド会社 設立 → 次の地に商館設置
 f シャンデルナゴル  g ポンディシェリ 
 18世紀
 1713年
 1757年 
 → 英仏の抗争激しくなる。
ムガル帝国デカン総督アーサフ=シャー、藩王を称す。以後各地にh 藩王国 分立。
 プラッシーの戦い でイギリスが勝利  → ムガル帝国、衰退に向かう。
 

V インド=イスラーム文化

 インド=イスラーム文化  
 宗教
 
イスラーム教のb スーフィズム と、ヒンドゥー教のc バクティ運動 との融合が進む。
 →d カビール  の思想  ・e シク教  の成立、など(既述)
 絵画

 
・f ミニアチュール(細密画) の発達。
 →g ムガル絵画 :アクバル帝やジャハンギール帝が保護した宮廷絵画。
  h ラージプート絵画 :西北インドから民間に広がった、世俗的絵画。
 建築
 
 タージ=マハル  アグラ郊外に建設された、j シャー=ジャハーン帝 の王妃の廟。
 インド様式とイスラーム様式の融合したムガル朝時代の代表的建築。
 言語
 
 
 ウルドゥー語 :ムガル帝国の公用語l ペルシア語 と民間のm ヒンディー語 が混合。
  文法はヒンディー語、語彙はペルシア語、文字はアラビア文字を使用。
 → 現在のn パキスタン の国語。インドはm ヒンディー語 が主たる言語となる。