T デリー=スルタン王朝 13〜16世紀 インドを支配したムスリム政権
1.a 奴隷王朝 | |
1206年 |
ゴール朝のトルコ人部将 b アイバク (奴隷出身)がc デリー に自立。 インド内に都を置いた最初のイスラーム王朝。 → クトゥブ=ミナールを建設。 |
2.a ハルジー朝 | |
1290年 1311年 |
トルコ系。地租の金納化などの経済改革。アラー=ウッディーン、モンゴル軍を撃退。 さらに南インドに遠征軍を送り、パーンディヤ朝などを破りほぼ全インドを支配。 |
3.a トゥグルク朝 | |
1320年 1398年 |
トルコ系。ムハンマド、南インドに進出。b ヴィジャヤナガル王国 と戦う。 c イブン=バットゥータ が来訪。(『三大陸周遊記』に記事あり。) d ティムール によりデリー占領される。デカンにはイスラム政権バフマニ朝が独立。 |
4.a サイイド朝 | |
1414年 |
トルコ系。ティムール帝国の部将の一人が建国。デリー付近のみを支配。 中央アジアとイランを支配したティムール帝国に圧迫される。 |
5.a ロディー朝 | |
1451年 1526年 |
アフガン系。有力部族の連合政権。 → ガンジス流域を征服。 アフガニスタンのカーブルから侵攻したa バーブル に滅ぼされる。 |
U ムガル帝国のインド支配
1.a ムガル帝国 の建国 | |
1526年 |
b バーブル 、c パーニーパットの戦い でロディー朝を破りd デリー を占領。 ティムールの子孫。ティムール帝国滅亡に際し、1504年e ウズベク人 に追われ カーブルに移る。サマルカンド奪回を図ったが敗れ、方向を転じて北インドに侵入。 f スンナ派イスラーム教 を信奉。 |
1527年 |
ガンジス川流域に進出、ヒンドゥー教徒のg ラージプート 諸侯を破る。 →彼の自伝はh 『バーブル=ナーマ』 という。 |
1540年 1555年 |
第2代 フマーユーン、ベンガルのイスラーム勢力に敗る。 一時西方のイランのi サファヴィー朝 に保護されれた後、デリーを奪回する。 |
2.a アクバル大帝 | |
1556年 |
第3代 b アグラ に遷都 1576年までに北インドの大半を統一した。 ・官僚制の整備 c マンサブダール制 :官僚に騎兵と騎馬を与え、それに応じた 給与額を定めた官位に任命。給与はd ジャーギール という徴税権の形態をとる。 → 全国土を測量し、徴税するなど、中央集権的な統治機構を整える。 |
1564年 |
e ヒンドゥー教徒 との融和政策をとる。 ・f 人頭税(ジズヤ)の廃止 ・官吏にヒンドゥー教徒を登用。 ・自らもヒンドゥー教徒の有力氏族g ラージプート 諸侯の女性と結婚。 ・自ら神の代行者となる新宗教(ディーネ=イラーヒー)を起こす。普及せず、消滅。 ・『アクバル=ナーマ』 ムガル王家とアクバル大帝の歴史。 |
→ムガル帝国の領域 | |
3.インド=イスラーム文化の成熟 | |
1605年 |
第4代a ジャハンギール イランのサファビー朝b アッバース1世 と争う。 ヒンドゥー教徒の宥和策を継承。 |
17世紀 |
第5代c シャー=ジャハーン 支配領域を拡大、財政安定する。 宮廷中心にイラン文明とインド文明が融和=b インド=イスラーム文化 の成熟。 c タージ=マハル を建造(帝の王妃ムムターズ=マハルの廟)。 → 財政膨張し、農民への負担増加 → 農民の反乱起きる。 |
1646年 |
デカン高原でマラーター族d シヴァージー 、反乱を起こす。(ヒンドゥー教徒) → 1674年 e マラーター王国 を建国し、ムガル帝国への抵抗続ける。 |
4.a アウラングゼーブ帝 | |
1658年 |
外征を繰り返し、領土最大となる。 b イスラーム教(スンナ派) 信仰を強化。ヒンドゥー教寺院を破壊。 → 非イスラーム教徒の反発強まる。 |
1675年 | c シク教徒 の反乱。西北インド(パンジャブ地方)で反乱を起こす。〜1708年 |
1677年 | d 人頭税(ジズヤ)の復活 。e ラージプート 諸侯を圧迫。 |
1683年 |
デカンに遠征。f マラーター王国 を弾圧。=デカンの有力ヒンドゥー勢力。 → その後もムガル帝国に反抗。g マラーター同盟 を結成 |
1707年 |
a アウラングゼーブ帝 の死後、帝位継承をめぐる争いが続く。 ベンガル・デカンなどに独立政権ができ、同時にh 英・仏のインド進出 強まる。 |
5.イギリス・フランスの進出とムガル帝国の衰退 | |
17世紀 |
イギリス 1600年a 東インド会社 設立 → 次の地に商館設置 b マドラス(チェンナイ) c ボンベイ(ムンバイ) d カルカッタ(コルカタ) |
フランス 1604年 e 東インド会社 設立 → 次の地に商館設置 f シャンデルナゴル g ポンディシェリ |
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18世紀 1713年 1757年 |
→ 英仏の抗争激しくなる。 ムガル帝国デカン総督アーサフ=シャー、藩王を称す。以後各地にh 藩王国 分立。 i プラッシーの戦い でイギリスが勝利 → ムガル帝国、衰退に向かう。 |
V インド=イスラーム文化
a インド=イスラーム文化 | |
宗教 |
イスラーム教のb スーフィズム と、ヒンドゥー教のc バクティ運動 との融合が進む。 →d カビール の思想 ・e シク教 の成立、など(既述) |
絵画 |
・f ミニアチュール(細密画) の発達。 →g ムガル絵画 :アクバル帝やジャハンギール帝が保護した宮廷絵画。 h ラージプート絵画 :西北インドから民間に広がった、世俗的絵画。 |
建築 |
i タージ=マハル アグラ郊外に建設された、j シャー=ジャハーン帝 の王妃の廟。 インド様式とイスラーム様式の融合したムガル朝時代の代表的建築。 |
言語 |
k ウルドゥー語 :ムガル帝国の公用語l ペルシア語 と民間のm ヒンディー語 が混合。 文法はヒンディー語、語彙はペルシア語、文字はアラビア文字を使用。 → 現在のn パキスタン の国語。インドはm ヒンディー語 が主たる言語となる。 |