2007年度 世界史 夏期講習(第3期)補足
テーマ4 地中海世界(V)4〜11世紀十字軍前まで <重要事項の整理>
T ゲルマン民族の侵入と西ローマ帝国の滅亡
1.a
ゲルマン民族 インド・ヨーロッパ語族で現在の独、英、仏、北欧諸国民の祖先。
・バルト海沿岸が原住地で牧畜と狩猟を主とする部族生活を営む。史料『ガリア戦記』『ゲルマーニア』
→ ローマ帝国領内に定住し、b
傭兵 ・c
コロヌス ・下級官吏などになる。
2.a
ゲルマン民族の大移動 の開始
・4世紀後半 アジア系遊牧民のb
フン人 が黒海北方から侵攻。
・e
375 年 西ゴート人、西方への移動始まる。翌年、ドナウ川を越えローマ領内に侵入。
3.地中海方面に建国されたゲルマン人の諸国
・e
ヴァンダル人 :イベリア半島に入るも、西ゴートに追われ、北アフリカに渡る。
→ 439年 旧カルタゴの地にヴァンダル王国を建国。455年、ローマを略奪。
・f
ブルグンド人 :ガリア(フランス)東南部に建国。 → 現在のブルゴーニュ地方。
・g
フランク人 :ライン川中、下流を越えてガリア北部にフランク王国を建国。
4.西ローマ帝国の滅亡 5〜6世紀の情勢
・a
フン人 の侵入 : b
アッティラ のもと、パンノニア(現在のハンガリー)に大帝国を建設。
→ 西ローマ帝国でのゲルマン人傭兵が台頭。
452年 アッティラ、 ローマに迫るが、ローマ司教のレオ1世が思いとどまらせる。
・d
476 年 ゲルマン出身の傭兵隊長e
オドアケル 、西ローマ帝国を滅ぼす。
→ ビザンツ帝国からパトリキウスの称号を与えられ、ラヴェンナでイタリアを治める。
・493年 東ゴート族 f
テオドリック大王 がイタリアに侵攻、オドアケルを滅ぼす。
→ イタリア王を称する。ローマ文化を保護し、一時安定する。
5.東ローマ(ビザンツ帝国)の領土回復。
・534年 アフリカ北岸のb
ヴァンダル王国 を滅ぼす。さらにイベリア半島にも進出。
・555年 ユスティニアヌス帝、軍隊をイタリアに派遣し、c
東ゴート王国 を滅ぼす。
→ 以後、イタリアはビザンツ帝国の一属州となり、州都はラヴェンナに置かれたのでローマは荒廃する。
6.568年 ゲルマン人の一派、d
ランゴバルト王国 北イタリアに建国。都はパヴィア。
→ イタリア半島にはビザンツ領がモザイク状に残るがローマ教会はビザンツ皇帝の保護権から離れる。
U 東ローマ帝国の興隆
1.a
東ローマ帝国 476年、西ローマ帝国滅亡後は、唯一の帝国として「ローマ帝国」を継承。
・ゲルマン民族の侵入をあまり受けず、ローマの伝統を維持。商業と貨幣経済の繁栄が続く。
・ローマ帝国以来の官僚制を維持、その頂点の皇帝は専制君主として権威を持つ。
◇
教会との関係 皇帝は教会の首長を兼ねる皇帝教皇主義にたちギリシア正教会を直接支配。
2.a
ユスティニアヌス帝 在位527〜565 地中海ほぼ全域の支配権を回復し最盛期をもたらした。
・首都で起こった市民の反乱(ニカの乱)を皇后テオドラと共に鎮圧。
・中国からd
養蚕技術 を学び、絹織物業を起こす。
双方とも国力を消耗して衰退し、東西交易も衰え、アラビア地方のアラブ人の進出をもたらした。
3.領土の縮小 6世紀 ユスティニアヌス帝の死後、次第に領土を縮小する。
・西方:ゲルマン人の一派a
ランゴバルド王国 が北イタリアに侵入。イタリア半島の大半を奪われる。
バルカン半島東部にトルコ系d
ブルガール人 の国家形成(681年 第1次ブルガリア帝国)。
V イスラーム勢力の侵入 7世紀〜10世紀
1.a
イスラーム教 の成立 b
622 年 c
ムハンマド が創始。アッラーへの絶対的帰依を説く。
・イスラーム教徒は、ムハンマドを信仰指導者かつ政治指導者と仰ぐ宗教共同体(ウンマ)を結成。
630年 ムハンマド、イスラーム教徒(ムスリム)を率いd
メッカ 征服。アラビア半島の統一。
・正統力リフ時代 632年 ムハンマド没。後継者(e
力リフ )を選出。
・地中海世界へのイスラームの進出 イスラーム勢力によるh
ビザンツ帝国 領の奪取
642年 i
エジプト に進出、アレクサンドリアを占領。シリアと共に西アジアの穀倉地帯を支配。
648年 キプロス島を征服、シチリア島を攻撃。 652年 シチリア島、ロードス島を征服。
655年 アフリカに入る。 698年 カルタゴを占領。
→ ウマイヤ朝カリフを認めるm
スンナ派 と、アリーの子孫のみを認めるn
シーア派 に分裂。
西方:北アフリカのo
マグリブ 地方、ベルベル人を征服。東方:ソグディアナとシンドに進出。
2.イスラームのイベリア半島支配
→ 西ヨーロッパ内陸はキリスト教を維持。イベリア半島、イタリア半島南部、シチリアはイスラーム化。
・e
アッバース朝 750年 アル=アッバース カリフを称し、アッバース朝を建てる。
→ 「アラブ人の国家」から「イスラーム教徒の国家」=h
イスラーム帝国 となる。
・イベリア半島の後ウマイヤ朝
→ 首都k
コルドバ はイスラーム文化の中心地として栄える。
または、「キリスト教徒は板切れ一つ浮かべることができない」とも言われる。
◇
意味:
イスラーム勢力が地中海の南岸を支配。ローマ帝国以来の地中海交易が衰える。
・827年 エジプトのアグラブ朝の時に侵攻。 902年 シチリアを征服。さらにローマなども脅かす。
3.3カリフ時代
・エジプトのa
ファーティマ朝 の成立 909年 北アフリカのチュニジアに成立した王朝。
カリフを称し、アッバース朝のカリフの権威を否定。過激シーア派のb
イスマイール派 を信奉。
969年 エジプトを征服し首都c
カイロ を建設。シチリアはファーティマ朝の一州となる。
・10世紀 d
後ウマイヤ朝 のアブド=アッラフマーン3世 力リフを称す。
◇
3カリフ バグダードのアッバース朝、コルドバの後ウマイヤ朝、カイロのファーティマ朝が分立。
・946年 バグダードにはe
ブワイフ朝 が成立。イラン人の軍事政権。
→ アッバース朝のカリフは名目上の存在となる。
W フランク王国の興隆とヨーロッパ世界の成立
1.a
フランク王国 メロヴィング朝 5世紀 クローヴィスがフランク人を統一。
→ 6世紀中頃、フランク王国がブルグンド王国(現ブルゴーニュ)を滅ぼし全ガリアを統一。
2.
カロリング朝 8世紀中頃
・751年 カール=マルテルの子a
ピピン が王位奪う。ローマ教皇から王位継承を認められる。
= d
ローマ教皇領 の成立 → ローマ教皇が大領主となる始まり。
◇
理由 ローマ教会はビザンツ皇帝に対抗する勢力としてフランク王国に接近、結びつきを強めた。
3.フランク王国の全盛期 =a
カール大帝 の時代 8世紀末から9世紀初め
・774年 b
ランゴバルト王国 を滅ぼし、支配は現在のフランス、イタリア、ドイツに及ぶ。
・その統治 全国を州に分け、それぞれにd
伯 を置き、e
巡察使 を派遣して監督。
◇
政治上 西ヨーロッパの安定、ビザンツ帝国に対抗する政治勢力の成立
◇
文化上 古典古代・キリスト教・ゲルマン民族からなる文化圏の成立
◇
宗教上 ローマ教会がビザンツ皇帝から独立した地位を獲得したこと
・イベリア半島侵攻には失敗、イスラーム勢力に敗れる。勇将ローランの戦死、後に叙事詩となる。
→ 近代ベルギーの歴史家ピレンヌは、「ムハンマド無くしてシュルルマーニュ無し」と評した(既述)。
◇
意味 西地中海もイスラームの勢力下に入り、商業・都市は衰退し、内陸的・農業的性格を強める。
4.フランク帝国の分裂 9世紀中頃
・カール大帝の死後、分割相続により王国領土が分割される。
5.西ヨーロッパ世界 10世紀
・東フランク(ドイツ) 10世紀初め、カロリング朝断絶後、諸侯の選挙で国王選出。
955年 ザクセン家のa
オットー1世 、レヒフェルトの戦いでマジャール人(ウラル系)を撃退。
962年 b
オットーの戴冠 :ローマ教皇からローマ皇帝の帝冠をうける。
= c
神聖ローマ帝国 の起源。(ドイツ王が神聖ローマ帝国皇帝位を兼ねる)
・西フランク(フランス) 10世紀末、カロリング朝の王朝断絶、
・イタリア カロリング朝断絶 → 神聖ローマ帝国の介入、南イタリア、シチリアへのイスラームの侵入。
ローマはf
教皇庁 の所在地として存在。他にジェノヴァ、ヴェネツィアなどの都市が成長。
X 7〜10世紀の地中海の動向
1.7世紀 イスラーム勢力のビザンツ帝国領小アジアへの侵攻強まる。
◇
その内容 国土を軍管区に分け、軍司令官に軍事権と共に行政権を与え統治させた。
・ビザンツ帝国は、はじめはローマ帝国以来のコロヌス制による大土地所有制度を継承していたが、
7世紀以降、独自の軍管区制を採用した。そのため封建社会の形成はなく、専制国家が継続した。
2.a
聖像崇拝論争
◇
論争の当事者 聖像(キリストやマリアの像)の使用をめぐるローマ教会とビザンツ皇帝の論争。
717年 ビザンツ皇帝レオン3世、コンスタンティノープルを包囲したイスラーム軍を撃退。
◇
意味 聖像の使用を、偶像を崇拝するものとして否定し、その使用を禁止した。
◇
背景 偶像崇拝を厳格に否定しするラーム教が、小アジアのキリスト教徒を動揺させていた。
◇
影響 ローマ教会がゲルマン民族布教のために認めていたため、東西のキリスト教教会が対立した。
→ 東西教会の対立深まり、ローマ=カトリック教会はd
フランク王国 との結びつきを強める。
→ 843年 ビザンツ皇帝も聖像崇拝を認め、e
聖像画(イコン) を使用するようになる。
3.ビザンツ帝国の復興
・867年 バシレイオス1世 世襲王朝を開く(マケドニア朝)の繁栄。
・a
屯田兵制 ◇
内容 軍管区司令官が部下の兵士に土地を分与し、世襲の農兵として軍役を課す。
10〜11世紀 一時勢力を盛り返す。
→ 南イタリアの再征服、クレタ島の奪還、アドリア海のスラブ人勢力の討伐などに成功。
→ シリア方面で、ティグリス・ユーフラテス流域まで領土回復。
4.セルジューク=トルコの小アジア侵入
・a
セルジューク朝 中央アジアに起こったトルコ人王朝。マムルークを採用。
アッバース朝カリフからd
スルタン の称号を得る。スンナ派。→シーア派のファーティマ朝と対立。
・1071年 e
マンジケルトの戦い でビザンツ帝国軍を破り、さらにイェルサレムを含む地帯に進出。
小アジアと聖地がイスラームに征服される → ビザンツ皇帝の要請でf
十字軍運動 始まる。
◇
意味 軍役を奉仕させる代償として貴族(地方有力者)に国有地を貸与する。
→ 11世紀以降は貴族が封建領主化し、農奴制による大土地所有制が復活した。
・11世紀 h
ノルマン人 の地中海侵入。1061年 シチリア島を征服。しばしばビザンツ領に侵攻。
・1081年 アレクシオス1世 i
ヴェネツィア 艦隊の援助を受け、ノルマン人の侵入を撃退。
→ 見返りとしてヴェネツィア商人に帝国内の免税特権が与えられる。
→ 東地中海で、i
ヴェネツィア 商人の活動が活発となる。→ ビザンツ帝国内での反発も強まる。
地図 11世紀の地中海世界
Y 11世紀(十字軍時代前)の地中海世界
1.a
イベリア半島
1031年 c
後ウマイヤ朝 滅びる。小国分立状態となる。キリスト教国のレコンキスタ、活発になる。
1085年 キリスト教勢力のカスティーリャ=レオン王国がd
トレド を奪回。 エル=シドの活躍。
→ セビリャのイスラーム教徒、北アフリカのムラービト朝の支援を要請。
2.a
マグリブ 地方
・b
ベルベル人 (北アフリカの先住民)に熱狂的な宗教運動起こる。
1086年 e
イベリア半島 に進出。キリスト教国と激しく争い、イベリア半島南部を制圧。
→ アフリカの黒人王国のf
ガーナ王国 を滅ぼす。アフリカ内陸部のイスラム化すすむ。
3.a
シチリア島
1061年 c
ノルマン人 、南イタリアに傭兵として進出し、シチリア伯領を建国。
4.a
ヴェネツィア の進出
・はじめ、a
ビザンツ帝国 を宗主国としてその保護を受ける。
11世紀 ノルマンの進出に際し、ビザンツ帝国を助け、次第に自立する。