第9章 近代ヨーロッパの成立
4 主権国家体制の形成
Text p.196
A
イタリア戦争 1494〜1559年(広義)神聖ローマ皇帝とフランス王の戦争
・1494年 フランス国王ヴァロワ朝の▲a
シャルル8世 がイタリアに侵攻。
口実はナポリ王国王位継承を主張。
→ 神聖ローマ皇帝(ドイツ王・ハプスブルク家)・スペイン王および
ローマ教皇・ヴェネツィアなどが反発、広義のb
イタリア戦争 戦争始まる。
・1519年 ハプスブルク家のc
カール5世 がd
神聖ローマ皇帝 に選出される。
→ 翌年 フランス国王e
フランソワ1世 とイギリス王f
ヘンリ8世 が会見。
・イタリア戦争以後のヨーロッパ国際関係(16世紀中頃〜18世紀まで)
g
フランス王家とハプスブルク家の対立が国際関係における対立軸となる。
▼
B.イタリア戦争の激化
・1521年 フランス王a
フランソワ1世 (ヴァロワ家)がイタリア侵攻、
→ 神聖ローマ皇帝b
カール5世 (ハプスブルク家)の軍と戦う。
= 狭義のb
イタリア戦争 1544年まで4回にわたり両者が戦う。
→ 1525年のパヴィアの戦いではフランス王自身がカール5世軍の捕虜になる。
▼
▼
=仏(アンリ2世)・西(フェリペ2世)・英(エリザベス1世) 三国間で締結
→ フランスはイタリアから撤退。ミラノ、ナポリなどをハプスブルク家が支配。
→ b
イタリア・ルネサンスの終焉 → ルネサンスの中心、アルプス以北に移る。
ドイツでは、新教諸侯の力が強まる。
▼
Text p.197
・イタリア戦争の長期化・大規模化→ 兵器・防衛技術が発達し小銃・大砲が多用されるようになる。
=a
軍事革命 → 騎士による一騎打ち形態から、小銃を持つ歩兵の集団戦形態に変化する。
・徴兵と軍事費の調達に必要な、徴税機構を中心に行政組織の整備が進められ、各国で
b
国内の統一的な支配 が強化される。さらに各国が自己の支配領域を国境をめぐらして確保し、
他国に対しては君主のみが国家主権を主張するようになる。= 領土・国民・主権の明確化。
・このような国家をd
主権国家 といい、e
近代国家 の原型となった。
意味:f
国境によって囲まれた領土と、国民とを、一つの主権が統一的に支配する国家。
※主権は当初は国王のみが持っていた。17〜18世紀に国民主権に移行。
→ 次の17世紀のウェストファリア条約でヨーロッパのg
主権国家体制 が確立する。(後出)
▼
F
絶対王政 16〜18世紀 主権国家の形成期にみられた、強力な国王統治体制をいう。
→ 西ヨーロッパのa
スペイン ・b
フランス ・c
イギリス で発達。
・王権を支える二つの階級
d
領主階級 (貴族・聖職者):免税などの特権を持つ中間団体。国王の国民直接支配を妨げる。
e
有産市民層 (商人・金融業者※):国王は彼らに経済的独占権を与えるなど協力関係をつくる。
※ブルジョワジーという。
→ 前者は没落しつつあり後者は勃興しつつある。両者の力が均衡したところに王権が成り立つ。
・絶対王政のもとでの新しい生産様式
f
問屋制 :西ヨーロッパで、中世の家内制生産に代わって登場。
= g
商人が手工業者に道具や原料を前貸しして生産させる方式。
h
マニュファクチャー : → 資本主義的生産が始まる。
= i
資本家が労働者を仕事場に集め、分業による手工業生産を行う。
・商工業の発達によって成長した市民層は自由な経済活動と政治参加を求め、王政に批判的なる。

Text p.198
▼
▼
17世紀 衰退始まる:
・スペイン衰退の理由
e
新大陸から得た銀は宮廷の奢侈に浪費され産業育成などに回されなかったこと。
f
本国以外の産業や植民地の資源に依存し、国内産業の基盤が作られなかったこと。

1.オランダの独立
・毛織物業など、手工業・商業が発達し、b
カルヴァン派 の新教徒が多い。
スペインのc
フェリペ2世 による旧教化政策:
カトリック化を進めて新教徒を弾圧し、自治権を奪おうとした。
▼
▼
Text p.199
= その中心がホラント州であったので、この連邦国家はa
オランダ とも言われる。
→ スペインの国力衰える。新教国イギリスがオランダを支援。
・1588年 フェリペ2世 b
無敵艦隊(アルマダ) をイギリスに派遣。
→ c
エリザベス1世 統治下のイギリス海軍に敗れる。 → スペイン、制海権を失う。
▼
・スペインとの戦争を続けながら、北欧諸国との中継貿易で富を蓄積。
1602年 a
東インド会社 を設立 →東南アジアへの進出。日本との貿易開始。
=▲複数の株主が出資し、出資額に応じて有限責任を負う
株式会社の最初の始まり。
・1609年 スペインと休戦条約。独立戦争終わり、独立を事実上認めさせる。
・b
アムステルダム がフランドルのアントウェルペンにかわり国際金融の中心となる。
→ 17世紀前半、オランダの全盛期となる。学芸も発展。
▼
17世紀 アジア進出でイギリスと激しく争うが、次第に劣勢になる。
・衰退の理由:c 連邦制のもとで強い中央権力を持たなかったこと。
d 国内産業の成長が無く、もっぱら中継貿易に依存したこと。
2.イギリスの隆盛
・ばら戦争の結果、封建貴族層が没落し、国王によるa
絶対王政 が成立する。
議会で地域社会を代表する地主階級=b
ジェントリ(郷紳) が王政を支えた。
→ 地域においては彼らは▲
治安判事として国王に協力した。
・1530年代 c
イギリスの宗教改革 で国王は教会組織の頂点に立つ。
16世紀後半 d
議会政治 の発達。→ 議会の重要性強まる。
▼
・15世紀末〜17世紀 a
囲い込み=エンクロージャー(第1次) の進行
意味 b
毛織物市場の拡大を受け領主や地主が農民の土地を囲込み、牧場に変えたこと。
→ 土地を失った農民は都市に流入し、マニュファクチュアーでの賃金労働者になっていく。
▲トマス=モアが『ユートピア』のなかでc
”羊が人間を食べている” として批判した。
貧富の差の拡大 → 1601年 ▲d
救貧法 を制定。貧民の救済を図る。
▲貨幣政策
グレシャムの提議により、悪貨を良貨に改鋳して、経済の安定を図る。
・e
毛織物工業 が国民産業となる。
→ スペインとの対立。オランダ独立戦争を支援。
▼
C.・イギリスの海外発展の開始
・1588年 スペインのa
無敵艦隊 を破る。→ 西インド、インドに進出。
b
フランシス=ドレーク の活躍:イギリス人で最初の世界周航を達成。
=▲
私拿捕船によって、スペインの植民地やスペイン船への
海賊行為を展開。
・アメリカ新大陸に進出 ▲
ローリー、1584年に入植を試みるが失敗。
→ 女王の死後、1607年 ▲c
ヴァージニア植民地 を建設。
・1600年 d
東インド会社 設立 → オランダと対抗するようになる。
= 喜望峰から西、マゼラン海峡までのアジア全域での貿易独占権が認められる。
▼
17世紀前半 ブルジョアジーの成長 → イギリスの絶対王政の矛盾深まる。

Text p.200
・百年戦争の終結 → 国内のイギリス領をほぼ一掃 → 中央集権化が進む。
→ フランス=ルネサンスの開花 ▲
コレージュ=ド=フランスの開設など
・16世紀なかば a
カルヴァン派 新教徒=b
ユグノー の勢力増大。
→ 商工業者、新興貴族層にひろがる。
→ 王家のヴァロワ家、旧来の大貴族層はカトリックを信奉、対立深まる。
▼
・フランスで起こったキリスト教新旧両派のa
宗教戦争 。
幼帝シャルル9世の母后b
カトリーヌ・ド・メディシス が摂政として権勢を振るう。
新旧両派の貴族間が争う(カトリック側=ギーズ侯、ユグノー側=ブルボン家など)。
→ スペインは旧教徒、ドイツ・オランダ・イギリスは新教徒を支援。
・国家の統一を主張する声も起こる。
c
ボーダン この戦争中の思想家。王権擁護と宗教的寛容を主張した。
・1572年 d
サンバルテルミの虐殺 旧教徒による新教徒の虐殺事件おこる。
→ その後も激しい内戦が続く。
▼
・1589年 ブルボン家のアンリ、旧教に改宗して即位、a
アンリ4世 となる。
1598年 b
ナントの勅令 を発布。
内容:c
新教徒ユグノーに信教の自由を与え、宗教戦争を終わらせた。
→ ユグノーの多い商工業者の活動が活発になり、商工業発展する。
・教皇権に対してはフランス教会の独自性を主張するようになる=▲c
ガリカニスム 。
▼
・1610年即位 宰相a
リシュリュー の政治。
→ 貴族とユグノーのいずれをも抑え王権の強化、財政の安定に務める。
・1614年 b
三部会 、貴族やユグノー勢力を抑えるために召集した身分制議会。
→ 諸身分の対立で翌年解散。 以後、1789年まで開かれず。
・1618〜48年 ドイツのc
三十年戦争 に介入。
→ ハプスブルク家の皇帝権力の衰退をねらい、新教徒勢力を支援。
▼
E
ルイ14世 治世の後半(17世紀後半)ブルボン朝絶対王政が全盛期となる。
・1643年 5歳で即位、宰相a
マザラン が実権を握り 王権強化を図る。
1648年 b
フロンドの乱 高等法院、貴族の反乱を鎮圧。
▼
1661年 親政開始
17世紀後半 ブルボン朝絶対王政の全盛期となる。(後出)

Text p.201
1.17世紀のヨーロッパ
2.三十年戦争
・17世紀のドイツ 神聖ローマ帝国が統治するが大小の領邦が分立して統一がとれない。
アウクスブルクの和議以後も、旧教徒・新教徒の対立が続いている。
→ カトリック諸侯連盟(リガ)、プロテスタント諸侯同盟(ウニオン)を結成。
・1618年 a
ベーメン :ボヘミア。現在のチェコ。オーストリアの属領。
b
ハプスブルク家 (神聖ローマ皇帝フェルディナント2世)がカトリック信仰を強要。
→ 新教諸侯が反発して反乱を起こし、新旧両派の内戦始まる。
▼
B.外国勢力の介入
・1925年 デンマーク王が新教徒を支援して介入、国際的な戦争となる。
→ 皇帝軍の傭兵隊長a
ヴァレンシュタイン が活躍し、29年、旧教側が勝利。
b
スペイン は旧教徒・皇帝側を支援。
・1630年 c
スウェーデン 国王のd
グスタフ=アドルフ王 が新教徒側に参戦。
→ 1632年 リュッツェンの戦い a
ヴァレンシュタイン と戦い戦死する。
・1635年 e
フランス(ブルボン朝) 、新教徒を支援して参戦。
旧教国フランスが新教徒を支援した理由=f
ハプスブルク家と対抗するため
・三十年戦争のまとめ
g
ドイツ内部の宗教戦争として始まったが、最後はドイツを戦場としたハプスブルク帝国とフランス王国の戦争という、国際的な戦争に変質した。
・▲国際法思想:1625年 オランダのh
グロティウス が『戦争と平和の法』を発表。
→ 自然法思想に基づき、主権国家間が戦時で守るべき国際法規の確立を主張。
▼
Text p.202
・ウェストファリアで講和会議開催 1644年に始まり48年までかかる。
・内容
a
アウクスブルク和議 が再確認され、ルター派と共にカルヴァン派も公認される。
フランス:b
アルザス とメッツ、ヴェルダンなどを獲得。 → 国土を東方に拡大。
c
スウェーデン :北ドイツ沿岸(ポメラニアン、ブレーメン)を獲得。
ブランデンブルク=プロイセン:東部ポメラニアンに領土獲得。
d
スイス とe
オランダ(ネーデルラント) の独立が正式に認められる。
・意義
f
世界最初の国際条約 として重要であり、g
主権国家体制 を確立させたものとされる。
▼
C.戦争後の状況
・a
ドイツの停滞
ドイツ諸侯(約300)の皇帝に対する独立性が強化される。(立法権、外交権を認められる。)
→ そのためこの条約は、b
神聖ローマ帝国の死亡診断書 と言われる。
30年にわたりる戦闘でドイツ国内は荒廃、人口1600万が600万に減少し停滞する。
→ ドイツの統一(主権国家の形成)は19世紀中頃まで遅れる。
・ハプスブルク家の衰退 c
アルザス をフランスに奪われ、領土はオーストリアのみとなる。
・d
スウェーデン の大国化
北ドイツ沿岸に領土を獲得し、バルト海を内海とする「バルト帝国」を形成した。
▼

1.プロイセンの台頭
・(前史)12世紀以来のa
東方植民 によって、エルベ川以東にドイツ人が入植。
・B
ブランデンブルク選帝侯国 1134年 辺境伯領として成立。
15世紀 c
ホーエンツォレルン家 がブランデンブルク選帝侯となる。
・d
ドイツ騎士団領 十字軍失敗後、東方植民を行い、13世紀にバルト海沿岸を占有
1525年 ポーランド王国を宗主国としてA
プロイセン公国 となる。
・1618年 B
ブランデンブルク選帝侯国 とA
プロイセン公国 が合併(同君連合)し、
ブランデンブルク=プロイセンとなる。
→ 三十年戦争後、北ドイツで急速に成長し、強国となる。
▲1660年 ポーランドの宗主権から独立する。
▼
1701年 a
スペイン継承戦争 で神聖ローマ帝国皇帝側について戦い、王国に昇格。
b
ユンカー ※といわれる領主層が、c
グーツヘルシャフト を経営。(前出)
※d
土地貴族とも言われ、農民を封建的に支配し、地方の行政も行い国王を支えていた。
▼
・18世紀 ホーエンツォレルン家のもとで君主権が強化され、ドイツ諸国の中で最有力となっていく。
2.ロシアの再興
▼
▼
・17世紀末〜18世紀 ピョートル大帝の時代に、強大になる。(後出)
