第15章 二つの世界大戦
1 第一次世界大戦とロシア革命
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1914年9月 ドイツ軍、b
フランス に侵入。c
マルヌの戦い で阻止される。
同 年10月 イープルの戦い ベルギー西部で両軍が17年秋まで対峙。
→ c
西部戦線 膠着状態に。両軍による塹壕戦が長期化。
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1914年8月 e
タンネンベルクの戦い 独軍、露軍を破る。f
東部戦線 も膠着。
1915年4月 イギリス軍、ダーダネルス海峡の
ガリポリ上陸作戦 →トルコ軍に阻まれる。
→ ▲オスマン帝国軍によるアルメニア人に対する虐殺事件起きる(
アルメニア問題)。
1916年 ▲ドイツ軍g
ヴェルダン要塞 攻撃、連合軍h
ソンム の反撃、いずれも失敗。
同 年 英独主力艦隊、▲i
ユトランド沖 で衝突。 → ドイツ軍劣勢となる。
・新兵器の出現
i
航空機 ・j
毒ガス ・k
戦車 ・l
潜水艦 など
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戦争の長期化 → 連合国側による経済封鎖で、ドイツと海外の貿易を断つ。
→ ドイツの潜水艦による無差別攻撃 →
1915年 イギリス商船b
ルシタニア号 撃沈され、アメリカ人乗客犠牲に。
1917年 ドイツ c
無制限潜水艦作戦 を宣言。
同 年4月 アメリカ合衆国、協商側に参戦。a
モンロー主義 の基本方針を転換した。
→ 経済援助を強化。軍需物資供給や借款を増大。
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・政府に強力な権限を集中。軍事最優先の施策。
b
軍需工業 中心の産業再編成。 → 女性、青少年の軍需工場への動員。
c
食料配給制 などの国民生活の統制。
経済統制の強化。輸出入の制限。
反戦、反国家的な言動の取り締まりなど、d
言論統制 の強化。
→ 海外からの資源に依存する度合いの強いドイツ、オーストリア、ロシアで矛盾強まる。
→ 食糧暴動、反戦ストライキが頻発。戦争協力の条件としての参政権拡大要求も強まる。
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C
大戦の終結 1917年以降、ドイツ国内の食糧不足が深刻となる。
・1917年 a
ロシア革命 勃発(後述) →1918年3月 ドイツと単独講和。
→ ドイツ、西部戦線で大攻勢にでるが、連合軍が反撃。
・1918年1月 アメリカ大統領ウィルソン、14カ条の平和原則提唱(後出)
1918年秋 ブルガリアとオスマン帝国が降伏。オーストリア、単独で休戦協定締結。
→ b
オーストリア=ハンガリー帝国 の解体。ハンガリー分離し共和国となる。
・1918年11月 ドイツ c
キール軍港の水兵反乱 。→ d
ドイツ革命 始まる。
→ 皇帝ヴィルヘルム2世オランダに亡命、 e
ドイツ共和国 成立。
f
1918 年11月11日 ドイツ、連合国とg
休戦協定 締結し大戦終結。
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・
旧帝国の消滅:a
ドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国帝国・ロシア帝国の三国の皇帝が退位。
→ 中世以来の専制国家がここで終焉した。
・
イギリスの没落 : 戦勝国であったが、戦争で疲弊し、植民地の独立運動にも直面。
→ 「大英帝国」の繁栄が終わった。
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・国民合意の形成、国家による強力な経済介入、社会政策といった現代国家のスタイルが出現。
・
東欧諸国の独立 : ハンガリー・チェコスロヴァキアは旧オーストリアから分離独立。
ユーゴスラビアの成立。ポーランド、バルト三国がロシア帝国の支配から自立。(後出)
・d
民族主義運動の激化 :アジア各地の植民地や従属国で「民族自決」の気運が高まる。
= 三・一運動、五・四運動、インドの独立運動、トルコ共和国の成立、エジプトの独立など。(後出)

A
大戦の長期化 東部戦線でのロシアの敗北 → 資本家層の政府への不満
・戦争の長期化 → 食料・燃料の不足 → 労働者・農民の不満強まり各地の蜂起始まる。
・宮中では皇帝a
ニコライ2世 がb
ラスプーチン を重用し、政治が混乱。
→ 1916年 中央アジア諸民族が、動員反対の暴動。
・1917年 c
ロシア革命 勃発。(1904年の第1次につぐ、第2次)
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・労働者・兵士の反乱に発展。労働者と兵士のc
ソヴィエト が成立。
・d
ニコライ2世 退位しロマノフ朝崩壊。(ロシア暦で二月革命)
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立憲民主党を中心としたe
臨時政府 樹立。= 資本家・地主層の支持するブルジョア政権。
社会革命党とメンシェヴィキも臨時政府支持。議会の招集と戦争継続を決定。
→ 臨時政府とソヴィエトとのf
二重権力 の状態となる。
※意義:g
帝政から共和制に移行したが、ブルジョワ権力と労働者農民の権力が並立した。
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・1917年4月 ボリシェヴィキの指導者a
レーニン が発表。
= 戦争の即時中止と「b
すべての権力をソヴィエトへ 」と主張した。
同 年7月 エス・エル右派のc
ケレンスキー 内閣、ボリシェヴィキ派を弾圧。
同 年8月 反革命派コルニーロフのクーデタを起こす。臨時政府、鎮圧できず。
→ 武装したボリシェヴィキ派が反革命クーデターを鎮圧。
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・1918年1月 レーニン指導のボリシェヴィキ、a
憲法制定議会 を武力で閉鎖、
→ 議会政治を否定、ソヴィエトを基盤としたb
社会主義政権 樹立をめざす。
・ 同 年3月 ドイツと単独講和 c
ブレスト=リトフスク講和条約 を締結。
外務委員d
トロツキー 、領土割譲を認めたがドイツの敗北で無効となる。
→ エス・エル左派、講和条約に反対して連立政権から離脱。
同 年3月 ボリシェヴィキ e
共産党 と改称、首都をf
モスクワ に移す。
・革命政府の施策
新憲法制定:全国にソヴィエトを設け、国家権力の基盤とする。
選挙権は18歳以上の労働者・農民・兵士に与え、男女同権を認める。
e
共産党 以外の政党は禁止される。
土地をg
無償で没収し国有地 とする。 → 農民に分配。
労働者が工場を管理し、h
工業の国営化 を進める。銀行、外国貿易の国家管理。
→ プロレタリア独裁による社会主義国家の建設をめざす。
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・1918年4月 イギリス・フランス、チェコ兵救出を口実に出兵 a
対ソ干渉戦争 始まる。
同 年8月 日本・アメリカのb
シベリア出兵 → ニコライエフスク事件起きる。
・反革命、干渉戦争に対する革命の防衛
1917年 c
チェカ (非常委員会):反革命やサボタージュの取り締まり。
1918年 d
赤軍 を組織、徴兵制。反革命軍と干渉軍を破る(e
トロツキー 指導)
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C
戦時共産主義 1918〜21年 反革命と干渉軍から革命を防衛のための政策。
・a
レーニン の指導で、”すべてを戦線へ”を掲げ、次のような施策をとる。
私企業の一切禁止、中小工場の国有化。
労働義務制と食料配給制をとる。
労働者、兵士の食料の確保のため、b
農民から穀物を徴発 。
・その結果、農民の生産意欲落ち、経済荒廃。飢饉が起こり、餓死者も出る。→c
生産の低下
一方、1920年頃までに反革命勢力は抑えられ、干渉軍も撤退する。→日本は22年まで。
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・1919年3月結成 共産主義インターナショナル(b
第3インターナショナル )の略称
→ c
ドイツ革命 の失敗。同年、コミンテルンが指導したd
ハンガリー革命 も失敗。
→ ポーランド・トルコ・中国などの民族運動を支援。 →e
中国 を除いて失敗。
1920年 ▲f
ソヴィエト−ポーランド戦争 ポーランドが領土拡大を狙い、ロシア侵入。
→ ソヴィエト赤軍が反撃したが、1920年、ワルシャワでポーランド軍に大敗する。
1921年 ▲g
クロンシュタット反乱 起こる。軍港の水兵と労働者がソヴィエト政権に
反発して暴動を超し、民主化と自由を要求。 → 反革命として弾圧さえる。
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・穀物徴発制を廃止。
・農民のa
余剰生産物の自由販売 を認める。
・小規模な私企業のb
私的営業 を許す。(銀行・大工業・貿易の国営は維持。)
→ 農民の生産意欲の向上・商業の復活。27年ごろまでに生産が戦前水準に戻る。
→ 各地に富を蓄えた小地主(ネップマン)や富農(クラーク)が出現。
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・1920〜21年 旧ロシア帝国内の諸民族の地域に次々とソヴィエト政権が成立。
・1922年 a
ロシア ・b
ウクライナ ・c
ベラルーシ ・d
ザカフカース の
4共和国が連邦 = 略称e
ソ連 (USSR)を結成。
→ 15のソヴィエト共和国、20の自治共和国となる。 →1991年 崩壊。
・1924年1月 f
ソヴィエト社会主義憲法 (ソ連憲法)確定。
全連邦ソヴィエト大会を最高機関とし、ソ連中央執行委員会が代行する。
民族自決の権利、プロレタリアート独裁の過渡的憲法とされた。
▲中央アジアのソ連邦加盟と民族問題
1917年
全ロシア・ムスリム大会 開催 民族自決に基づく、連邦制国家の樹立を決議。
→ ソヴィエト政権に対し信仰の自由と自治を求めるムスリムの反乱(
バスマチ運動)起こる。
グルジアの民族運動、タタール人の
スルタンガリエフらの民族共産主義運動、弾圧される。
1924年 ソ連中央政府により、民族的境界画定が強行され、
中央アジア5ヵ国に分割。
=
カザフ・
ウズベク(首都
タシケント)・
キルギス・
タジク・
トルクメンの
5つのソヴィエト社会主義共和国が成立 → いずれもソ連邦に加盟。
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▲国際社会への復帰 1922年 g
ラパロ条約 :ドイツと国交を樹立。
・ソ連のNEPによる経済安定、憲法制定を受けて、各国がh
ソ連を承認 。
イギリス(労働党内閣):1924年 日本:1925年(
日ソ基本条約を締結)。
アメリカ:最も遅れて33年に承認(ローズヴェルト政権)した。
