第12章 欧米における近代国民国家の発展

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 ウィーン体制

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ア.ウィーン会議
 ウィーン会議  a 1814年〜15年   場所 オーストリアの首都ウィーンで開催。
 オスマン帝国を除く、全ヨーロッパの代表が終結。
・目的 b

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 オーストリア外相(後に宰相) c メッテルニヒ  が議長となる。
・会議の理念:d 正統主義   フランスのe タレーラン が提唱。
 意味 f
     現実には大国間の勢力均衡とそれぞれの利害が優先された。
 → 領土問題で対立 g 『会議は踊る、されど進まず』  と言われ、進展しなかった。
 → 1815年3月、h ナポレオン のエルバ島脱出の知らせをうけ、ようやく結束。
ウィーン体制  1815年6月 a ウィーン議定書  成立。
内容・フランス・スペイン・ナポリ・ポルトガルの旧君主が復位。
  ・ローマ教皇領の復活。
  ・フランスは1790年の国境に復す。
  ・ロシアは皇帝がb ポーランド 王を兼ねる。
  ・プロイセンは東西に領土拡張。
  ・イギリスは旧オランダ領のc スリランカ とd ケープ植民地 を領有認められる。
  ・オランダは立憲王国となり旧オーストリア領ネーデルラント(e ベルギー )併合。
  ・オーストリアはf 北イタリア 獲得。
  ・g スイス 永世中立国となる。   
  ・ドイツはオーストリアを盟主としてプロイセンも加わり、h ドイツ連邦 となる。
    = 35の君主国と4つの自由市が参加。統一性は弱い。
意味:i
→ 大国間の勢力均衡をはかるこの体制は、19世紀前半、j 1848年 まで続く。
C.ウィーン体制下のヨーロッパ
・a イギリス の覇権:産業革命を達成し、経済の繁栄と軍事力を背景として世界の覇権を握る。
 → 19世紀 b パックス=ブリタニカ と言われる。

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・c ロシア の進出 強大な陸軍力を背景にウィーン体制下の国際秩序を支える。
   国内では封建的体制が残存し、皇帝権力強く、近代化遅れる。
・1815年 d 神聖同盟  ロシアのe アレクサンドル1世 が提唱。
  = キリスト教の理念に基づく君主政国家の精神的な結束ををめざした同盟。
    イギリス・オスマン帝国を除く全ヨーロッパの君主国が加盟。
・ 同  年 f 四国同盟  イギリス・ロシア・プロイセン・オーストリアが締結。
  = 英の外相カスルレーが提案。ヨーロッパの勢力均衡を維持するための政治的な同盟。
  → 1818年にはフランスの加盟が認められ、g 五国同盟 となる。

イ.ウィーン体制の動揺  
 ウィーン体制の動揺 
・フランス革命とナポレオンの登場 → ウィーン体制の保守反動に対する抵抗強まる。
 a 自由主義 の運動:参政権の獲得、経済活動の自由などを求めるブルジョワジー主体の運動。
 b ナショナリズム(国民主義)  :民族の独立と統一による国民国家実現を求める運動。
   → 民族の分裂と他国による支配が続いていたドイツやイタリアで特に盛んになる。
・ドイツのc 学生組合(ブルシェンシャフト) :1815年結成。1817年、大集会を開催。
  → 1819年 ドイツ連邦議会、メッテルニヒが主導でカールスバード決議によって弾圧する。
・イタリアのd カルボナリ :1820年、21年に決起するも、オーストリア軍に鎮圧される。
・スペインのe 立憲革命 :1820年に蜂起し、憲法を復活させるも、フランス軍に鎮圧される。
→ 多民族国家であるオーストリア(宰相メッテルニヒ)は保守主義を強め抑圧の中心となる。
→ イギリスは1820年ごろから自由主義政策に転換し、ウィーン体制から離れる。
・b ナショナリズム(国民主義) の運動は、f 国民国家 の発展を促すこととなる。
 ラテンアメリカ  スペイン・ポルトガルの植民地で独立運動始まる。
・背景:アメリカ合衆国の独立・フランス革命の影響によって独立と自由を求める運動が強まる。
    本国スペインががナポレオンによって征服されたこと。
 ラテンアメリカ諸国の独立 
1. ハイチ  15世紀末スペイン領となり、17世紀末末にフランス植民地となる。
  1791年 フランス領サン=ドマングで黒人奴隷が反乱。
   → a トゥサン=ルベルチュール の指導により独立運動となる。ナポレオン、弾圧する。
  1804年 独立を達成。 1806年、最初のb 黒人共和国 となる。
2. シモン=ボリバル の活動。クリオーリョの出身。スペインからの独立運動を展開。
  1819年 a 大コロンビア の独立を実現し大統領となる。22年、エクアドル解放。
  1825年 b ボリビア の独立を指導。
  1826年 パナマ会議でラテンアメリカ諸国の団結を呼びかける。
  1830年 c 大コロンビア エクアドルベネズエラコロンビアに分裂。
3. サン=マルティン の活動。クリオーリョ出身。
  1816年 アルゼンチン 1818年 チリ 1821年 ペルーの独立を指導、実現。
4. イダルゴ の活動。a メキシコ の独立運動を指導。
  1810年 独立を求め蜂起。弾圧され処刑されるが、1821年に独立達成。帝政となる。
5. ブラジル :1822年 ポルトガルの王子を皇帝として独立、帝政となる。
  1889年 共和国となる。
→ オーストリア(メッテルニヒ)、フランス、スペインは独立運動を弾圧し、干渉する。
C.独立達成の後のラテンアメリカの社会
 a クリオーリョ =植民地生まれの白人。独立運動の中心となっり、権力を握った。
 b メスティーソ =先住民と白人の混血。自由だが権利的に差別され、独立と自由を望んだ。
 c インディオ =先住民。植民地時代に厳しい搾取により人口的に減少。
 d ムラート =白人と黒人の混血。無権利状態に置かれ、貧困も続く。
 及びアフリカから連れてこられた黒人で構成。
  地図 ラテンアメリカの独立

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 モンロー教書    
・a 1823 年 アメリカ合衆国大統領b モンロー が宣言。(後出)
 内容:・c
    ・d
    ・e
 背景:f メッテルニヒ  の指導するウィーン体制下のヨーロッパ君主国が、
    ラテンアメリカ諸国の独立に対する介入を再び強め始めていたこと。
    g ロシア がアラスカから太平洋岸で南下の動きを示し始めていたこと。
 ねらい:h 

 意義:アメリカ合衆国の外交政策の基本である建国以来のi 孤立主義 を具体化した。
    これ以後も、変質を遂げながら第2次大戦まで継承される。
・イギリス外相j カニング がアメリカ支持を表明。
 ねらい:独立運動を支援し、ラテンアメリカ市場を開拓しようとした。
 ギリシア独立運動   1453年以来 a オスマン帝国 の支配を受ける。
・1821年 オスマン帝国からの独立戦争始まる。
 1822年 キオス島の虐殺事件起きる。
  → ヨーロッパ各地で、b ギリシア愛護主義 が広がる。
  → イギリスの詩人c バイロン などが独立戦争を支援して参加する。
  → オスマン帝国、エジプトのムハンマド=アリーにギリシアを攻撃させる。
・イギリス・フランス・ロシアの三国は独立を支援。バルカン半島への進出を狙う。
・オーストリアは支援に反対。自国内にも多くの民族運動が起こっているため。
 1827年 ▲d ナヴァリノ海戦  英・仏・露の連合艦隊がオスマン−エジプト海軍を破る。
 1829年 独立達成。→ 1830年 e ロンドン会議 で承認される。
 1832年 バイエルンから国王を迎えギリシア王国となる。
 デカブリストの反乱   ロシア a ナポレオン戦争 を通じて自由主義の影響を受ける。
・アレクサンドル1世の専制政治に批判的な青年貴族のグループが生まれる。
・1825年12月 b ニコライ1世 の即位に際して、青年将校が反乱を起こす。
  → 自由主義的政策、憲法の制定などを要求するも、ただちに鎮圧される。

ウ.フランス七月革命とイギリスの諸改革
・フランスの変動
 復古王政   ブルボン王朝の復活
・1814〜24年 a ルイ18世  制限選挙による立憲君主政を行う。
・1824〜30年 b シャルル10世  亡命貴族への賠償支給など、反動政策を進める。
・1830年5月 総選挙で自由主義勢力が伸張
 1830年7月 c アルジェリア出兵  国内の民衆の不満をそらすため出兵。
  →▲アルジェリアの民族主義運動、族長アブドゥル=カーディルの抵抗。47年に降伏。
 七月革命   国王a シャルル10世 、議会を未召集のまま解散。言論を弾圧。
・1830年7月27〜29日 パリ市民が蜂起。国王を追放。
  → ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』を描く。
  → b オルレアン 家のc ルイ=フィリップ が即位。
     自由主義者として知られており、銀行家などブルジョワジーが支援。
 七月王政   1831年〜1848年 
・国王a ルイ=フィリップ によるb 立憲王政  。議会は制限選挙で選出。
 =c
  → フランスのb 産業革命 が進行。産業資本家、中小ブルジョワジーが成長。
    一方で、労働者階級の形成 → 選挙制の改正・共和政の実現の要求が強まる。
 七月革命の影響
・1830年 a ベルギーの独立   オランダから独立宣言。1831年 立憲王政となる。
・b ポーランドの独立運動   ロシアの支配から独立をめざす土地貴族(シュラフタ)が結束。
 1830〜31年 c ワルシャワ  で蜂起。ロシア軍が弾圧。多数のポーランド人が亡命。
・1830年 d ドイツの反乱  各地で騒乱が起こり、ヘッセン、ザクセンなどでは憲法制定される。
・1831年 e イタリアの反乱  カルボナリが再び蜂起、オーストリア軍に鎮圧される。 
 ウィーン体制の動揺が広がる。
・イギリスの諸改革
 自由主義的改革の進行   1820年頃から、ウィーン体制から離れる姿勢を見せ始める。
・1824年 団結禁止法の廃止  → 労働組合結成を公認。
・1828年 a 審査法 の廃止:カトリック教徒を除く非国教会信者の公職就任を認める。

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・1829年 b カトリック教徒解放法  c オコンネル らアイルランド人の主張。
  → カトリック教徒も公職につけるようになり、イギリスの宗教的差別は撤廃された。
▲1833年 d 奴隷制度廃止 (ホイッグ党グレイ内閣) 植民地の奴隷所有者には補償。
  ← 1807年 奴隷貿易禁止法以来のウィルバーフォースらの奴隷制反対運動が結実。
 選挙法改正運動    産業革命の進行 →人口の都市集中→a 腐敗選挙区 の出現。
・1832年 b 第一回選挙法改正  c ホイッグ党 のd グレイ 内閣 ←七月革命の影響。
 内容:e
  → 有権者50万から81万に。
    しかし労働者への選挙権はまだ認められず。
 チャーティスト運動  
・1839年 労働者がa 「人民憲章」 を掲げて議会に請願。
  内容:b六項目要求。
 1840年代、恐慌とアイルランドの飢饉(次節)により労働者の窮乏進む。
・1848年 運動、最高潮となる(フランスのc 二月革命 の影響)。
  意義:d
  → 政府の弾圧と、経済の好転(好況)によって運動が停滞し、1858年ごろまに衰退。
 自由貿易政策の実現   産業資本家が自由に貿易活動を行うことを要求。
・1834年 a 東インド会社 の中国貿易独占権廃止 → 自由貿易の要求さらに強まる。
・b コブデン 、c ブライト らd 反穀物法同盟 ※を結成。
 ※穀物法:1815年制定の、地主保護のため輸入穀物に高率の関税をかけた法律。
  → 産業資本家は自由貿易を主張し、労働者は穀物価格の抑制を主張して強く反対した。
  ▲経済学者リカードは「比較生産費説」を提唱して、自由貿易の利点を理論化した。
・1846年 e 穀物法廃止 :産業資本家の主張が地主の主張を抑え、自由貿易主義が勝利。
・1849年 クロムウェル制定のf 航海法の廃止  = イギリス自由貿易主義の確立。
イギリス資本主義の繁栄 →自由貿易の拡大をめざす▲g パーマーストン 外交を展開。
・補足:イギリス資本主義の繁栄の反面

エ.社会主義思想の成立
 初期社会主義  急速な資本主義化のもと、悪化した労働者の状態を背景に社会主義が起こった。
・イギリス 産業革命期以来、国富は増大したが、労働者の状態はますます悲惨になる。
  1810年代のラダイト運動(手工業熟練工の機械打ちこわし運動)は前出。
 a ロバート=オーウェン :労働組合、協同組合の設立などを指導。
               共産社会建設も試みる。

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・イギリスの労働者保護法のはじまり
 ▲1802年 工場法(徒弟法とも言う。最初の工場法) 12時間労働と深夜労働の禁止。
   → 監督制度が無く、実効力がなかった。
  1824年 b 団結禁止法 を廃止して労働者団結法を制定し、労働組合の結成を認める。
  1833年 c 一般工場法 制定:イギリス最初の本格的な労働者保護法。
   9歳未満の児童労働の禁止。18歳以下の12時間労働、13歳以下9歳までは9時間労働、
   いずれも夜業禁止。政府任命の工場監督官が監視した。
・フランスの初期社会主義思想
 d サン=シモン :産業資本家による労働者の保護の必要を説く。
 e フーリエ :工場の非人間的な労働を批判して、農業に基づく協同体を提唱。
  → これら初期社会主義に対し、マルクスとエンゲルスはf 空想的社会主義 と批判した。
 g ルイ=ブラン :生産の国家統制の必要を主張。1848年の二月革命後の臨時政府に参加し、
    国立作業所設置など社会主義政策を実現したが、六月暴動で亡命。(後出)
 h プルードン :私有財産制と国家の存在を否定、相互扶助による社会の維持を説いた。
  → h 無政府主義(アナーキズム) につながる。ロシアのバクーニンなどに影響。
 科学的社会主義   ドイツの観念論哲学、イギリスの古典派経済学などを批判的に摂取。
・a カール=マルクス、・b フリードリッヒ=エンゲルス (独)
 1848年 c 『共産党宣言』 発表。 d マルクス主義 の形成。
  資本主義社会を分析し、資本家による搾取から労働者を解放のために、私有財産、自由競争を否定し
  e 社会主義 を実現し、理想社会としてf 共産主義 社会を目指す。

オ.1848年の変革 
 背景:1840年代後半のヨーロッパの凶作と不況 → a 1848年革命 の勃発。
・フランスの1848年
 七月王政  の行き詰まり   
・産業革命の進行 →銀行家など富裕層の優遇、制限選挙に対する中小資本家と労働者の不満強まる。
  → a 選挙法改正運動 強まる。
  → 各地で中小資本家と労働者が共同で▲b 改革宴会 を開催。社会主義者も支持。
 二月革命  の勃発 
 1848年 2月 b ギゾー内閣 が選挙法改正を拒否。
  → パリの市民・学生・労働者が蜂起。パリで市街戦となる。
  → 国王c ルイ=フィリップ 退位(イギリスに亡命)。内閣も退陣。
 第二共和政   共和政となりa 臨時政府 成立 (〜1852年12月)  
・穏健共和派 ラマルティーヌが中心。
 社会主義者 b ルイ=ブラン も入閣。
・政策:男子普通選挙制の採用、c 国立作業場 の設置(失業者対策)。
 六月暴動  
・a 4月普通選挙 で社会主義派敗北、政府は国立作業場の廃止を決定。
・1848年6月21日 労働者、パリの下層市民が蜂起、共和派政府がそれを鎮圧。
  同  年11月 第二共和政憲法成立 主権在民・三権分立・大統領制を規定。

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 ルイ=ナポレオン   1848年12月 大統領選挙で当選。
・ナポレオンの甥。フランスの栄光の再現を訴え、農民・下層市民の人気を得る。
・a 1851年のクーデタ  武力で議会を解散、大統領の権限を強化し独裁権を握る。
 1849年 国民投票で皇帝となる。=b ナポレオン3世 の第二帝政(後出)。
・ドイツ、オーストリア、イギリスなどへの拡大
 三月革命   1848年3月 ウィーンとドイツで同時に起きる。
・オーストリア:a ウィーン三月革命  市民・学生・労働者が暴動を起こす。
  → b メッテルニヒ が失脚、亡命。皇帝が憲法制定を約束、自由主義内閣成立。
・プロイセン:c ベルリン三月革命  民衆蜂起。 →国王、憲法制定を約束。
  → 5月 各領邦の自由主義者がd フランクフルト国民議会 を開催。(後出)
 「諸国民の春」   オーストリア帝国(ハプスブルク家)支配下の民族独立運動。
・a ベーメン 、パラツキーが指導し、1848年、スラブ民族会議をプラハで開催。
・b ハンガリー 、マジャール人の民族運動、c コシュート が指導、
  → 1849年 独立宣言。オーストリアはクロアチア人を動員して弾圧。
  → d ロシア が介入して鎮圧、e ヨーロッパの憲兵 と言われるようになる。
・f ポーランド 、独立運動起こるも、プロイセン軍、オーストリア軍により鎮圧される。
・g イタリア  リソルジメント(イタリア統一運動)の高揚。(後出)
・イギリス h チャーティスト運動 の高揚(既出)。
・アイルランドでの反イギリスの民衆蜂起が起きる。
 ウィーン体制の崩壊   
 1848年のヨーロッパの一連の動きをa 1848年革命 と総称する。その意義=

・西欧と東欧の相違の顕在化
 西欧諸国:資本主義体制が確立しb 自由主義 とc 民主主義 政治改革が主要目標となる。
 東欧諸国:d ナショナリズム による民族の統一と自立の実現が主要な目標となる。


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