第2章 アジア・アメリカの古代文明
1 インドの古典文明
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※インド世界=南アジア 現在のインド、パキスタン、バングラデシュ、ネパール、スリランカ、
ネパール、ブータンなどを含む。北側にヒマラヤ山脈、南部にインド洋が広がる。
※北部のa
アーリヤ 文化圏と南部のb
ドラヴィダ 文化圏に分かれる。
さらに、多くの民族、言語、宗教が共存している。
※気候:c
モンスーン 気候帯 雨期と乾期がある。夏は南西風、冬は北東風が卓越する。
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主要遺跡 b
モエンジョ=ダーロ 中流のシンド地方
c
ハラッパー 上流のd
パンジャーブ 地方
人種 e
ドラヴィダ人 (イランから移住したものと思われる)
特徴 都市計画:特にf
沐浴場 (宗教的沐浴に使用)などの煉瓦造りの都市を建造。
農業:大麦・小麦を常食とする(保存用の穀物倉)。綿花を世界で最初に栽培。
文字の使用:象形文字をg
印章 に使用=
インダス文字。(未解読)
土器の使用:ろくろを使用したh
彩文土器 。
▲メソポタミアのアッカド王国の頃、インダス文明は
メルッハと言われ、交易をしていた。
前1800年ごろ 衰退(原因不明) → インド文明の源流となる。
ヒンドゥー教の主神シヴァ神の原型、牛の像などが見つかっている。
▼
b
インド=ヨーロッパ 語族。部族単位の半農半牧生活を営む。
牛を神聖な動物とする。
自然崇拝:雷、太陽などにささげた賛歌と儀礼を記した聖典をc
ヴェーダ という。
その最古の賛歌集がd
「リグ=ヴェーダ」 (前1200〜1000年頃までに作成)
▼
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→b
ガンジス川 流域に進出。生産力が高まり、定住農耕社会を形成。
その過程で、階級が形成され、固定された身分となる。
▼
a
ヴァルナ制 :「色」を意味し、「種姓」と訳す。次の4つの基本身分からなる。
支配階紋 b
バラモン :司祭 c
クシャトリヤ :武士
生産階級 d
ヴァイシャ :農民・牧畜民 e
シュードラ :隷属民
→後に、d は商人、e は農民・牧畜民を指すようになり、その下に
f
不可触民 が生まれる。
g
カースト集団 の形成 :生まれを同じくする集団(血統)を意味するポルトガル語
のカスタに由来する。インドではh
ジャーティ といわれ、特定の職業集団がそれぞれの
ヴァルナと結びつき、上下関係が形成された。 → 結婚や日常的な交際などの制限。
i
カースト制度 :ヴァルナ制とカースト(ジャーティ)が結びつき、インド独特の
社会制度となる。 → 現在は法律で禁止されているが、さまざまな影響を残している。
★アーリヤ人の宗教=j
バラモン教
司祭者バラモンが、ヴァルナとジャーティによる社会秩序と結びついて権威を持ち、
ヴェーダに基づく祭礼などの儀式を司る。→ 前6世紀ごろまでをk
ヴェーダ時代 という。
★
インドの言語 現在は国語としてのヒンディー語を含め、18の公用語が用いられている。
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A
都市国家の成長 前6世紀 経済の中心がガンジス川中・下流域に移る。
・ガンジス川流域に、城壁を持つ都市国家が成立。
ラージャ(王)が支配する16ヶ国に統合される。
・前6世紀 a
コーサラ国 が有力となる。続いてb
マガダ国 が台頭。
→ クシャトリヤ(武士)やヴァイシャ(商人)の台頭 → バラモンの権威の動揺。
▼
・b
シャカ 族のクシャトリヤ出身。
形式化したバラモン教の儀式やヴェーダ祭式、ヴァルナ制などを否定し人間の解放を目指す。
煩悩を断ち、正しい修行を行うことによって輪廻転生から解脱し、生老病死の苦しみから
逃れると教え、さらに人間の平等と慈悲の心を説いた。悟りを開き、c
ブッダ と言われる。
→ クシャトリヤとヴァイシャに多くの信者を得る。
▼
・インド北東部のクシャトリ出身。悟りを開いてマハーヴィーラ(偉大な勇者の意味)と言われる。
仏教と同じく、バラモン教の祭式やヴェーダ聖典の権威を否定
→ 徹底した
不殺生主義と厳しい戒律を定める。 → 商人層に信者を得る。
▼
従来の祭式至上主義を改め、内面の思索を重視。
補足:生物はその行為によって永久に生まれ変わりを繰り返す(輪廻)が、宇宙の根源の
▲b
ブラフマン (梵=普遍)と生命の根源c
アートマン (我=自己)の一致
(梵我一如)によって、精神の自由を得て輪廻から解脱することが出来る、と説く。
▼
ヴェーダの神々にかわり、シヴァ神やヴィシュヌ神を主神とするようになる(後出)。
▼
前327年 インド北西部のインダス川流域に侵入。
インダス川流域にギリシャ系政権が成立。
ガンジス川流域ではa
マガダ国 がb
ナンダ朝 のもとで有力になる。
→ インド統一の契機となる。
▼
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前317年頃、マガダ国でナンダ朝に代わりa
チャンドラグプタ王 となる。
都b
パータリプトラ (現在のパトナ)。
→ インダス流域に進出。ギリシア人勢力(c
セレウコス朝シリア )を一掃し、
パンジャーブ地方から現在のアフガニスタン南西部まで支配を及ぼす。
▲宰相
カウティリヤには『アルタ=シャーストラ』(実利論)が残されている。
▼
・a
デカン高原 の東南部、
カリンガ国を征服。
→ 最南端部を除くインドア大陸のほぼ全域を支配。
・征服戦争の殺戮を反省し、b
仏教 を篤く信仰するようになる。
→ c
ダルマ (法)による統治に転換する。
・全土にd
磨崖碑 ・e
石柱碑 をつくり勅令を刻む。
サールナートのものが有名。
= 多くは
ブラーフミー文字が用いられ、周辺部ではその地域の文字が使われている。
・第3回目のf
仏典結集 を援助。
・g
ストゥーパ(仏塔) を各地に建立(代表例が
サーンチー)。
・インド西北部や、h
スリランカ などに仏教を伝える。
→ 官僚組織・軍隊の維持のための財政困難、バラモン層の反発などにより衰退。
▼
前2世紀、a
バクトリア からギリシア系勢力が侵入、ヘレニズム文化をもたらす。
→ 前2世紀後半、ギリシア人の王▲
メナンドロス、北西インドを支配。
▼
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・後1世紀 大月氏にかわりバクトリアを支配、さらに北西インドに侵入し国家建設。
2世紀中頃 b
カニシカ王 のとき、全盛期。仏教を保護。仏典結集を続ける。
c
ガンダーラ 地方の
プルシャプラ(現ペシャワール)が都。
d
ローマとの交易 が盛んになる → 大量の
金貨の鋳造。
▼
紀元前後、a
大乗仏教 が起こる。大乗とは大きな乗り物の意味。
その教義:b
個人の救済に留まらず、広く衆生を救済することをめざす。
2〜3世紀 ▲c
ナーガルジュナ(竜樹) が理論を確立。
→ 中央アジア → 中国 → 朝鮮・日本に伝わり、
北伝仏教とも言う。
大乗仏教側は、従来の個人の救済を目的とする仏教を蔑称としてd
小乗仏教 と呼んだ。
= 最も保守的な長老を意味する部派の名から、e
上座部 仏教とも言う。
→
スリランカで発達し、11世紀に東南アジアに広がり、
南伝仏教という。
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大乗仏教の運動の中から、出家をせずに修行するf
菩薩信仰 がひろまる。
▼
b
仏像 をつくるようになる。(本来は仏教も偶像崇拝は否定されていた。)
▲
バーミヤン仏教遺跡も有名。インド独自の
マトゥラー美術も存在した。
→ 大乗仏教とともに中央アジアを経て中国・日本に伝わる。
▼
★補足 南インド 前1世紀〜後3世紀
A
グプタ朝 4世紀 ガンジス中・下流から興り、北インドを支配。
最初の王
チャンドラグプタ1世、「大王の王」を称す。都はパータリプトラ。
中央の直轄領・地方の臣下の領地・周辺の属領からなる分権的統治が特徴。
バラモンをふたたび重用 バラモンのことばのa
サンスクリット語 を公用語とする。
→ 王から徴税権を認められた村落を領主として支配。
▼
・
ブラフマー神(創造の神)・a
シヴァ神 (破壊の神)・b
ヴィシュヌ神 (世界維持の神)
を三大神とする多神教。特定の教祖、教義・聖典が無い。
→ カースト制度とならび、長くインド人の社会と思想を支配。
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・ヒンドゥー教による日常生活の規範を定めたものがc
『マヌ法典』 。
▼
→ 地中海方面・西アジア・中国を結ぶ経済活動活発になる。大量の貨幣が造られる。
・中国の東晋の僧a
法顕 がインドを訪問。中国で超日王として知られる。
ローマ帝国衰退 → 交易の衰退 → 遊牧民の
エフタルの侵入 →
さらに地方勢力が台頭し、6世紀半ばにグプタ朝滅亡する。
▼
・支配層ではヒンドゥー教が有力であったが、仏教とジャイナ教もともに保護される。
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→ 中国の唐と交渉が盛んになる。
・唐僧の渡来
7世紀前半 b
玄奘 が来てc
ナーランダー学院 で学ぶ。『大唐西域記』を著す。
7世紀後半 d
義浄 インドを訪れ、『南海寄帰内法伝』を著す。
・王の死(647年)の後、ヴァルダナ朝は分裂し衰退、地方政権が乱立する。
▼
E
仏教の衰退 商業の衰退 → 仏教支持層の商人が仏教から離れる。
大乗仏教の中にヒンドゥー教の影響を受け、▲a
密教 が生まれる。
・6世紀、南インドにヒンドゥー教の改革運動であるにb
バクティ運動 おこる。
= 神に対する献身を説く運動。仏教やジャイナ教を激しく攻撃し民衆に受け入れられた。
→ 仏教は、ベンガル地方の地方政権(パーラ朝)のもとで最後の繁栄期を迎えるがその後衰退。
▼
・ヴァルダナ朝滅亡後の8世紀から13世紀のデリー=スルタン王朝成立までをいう。
a
ラージプート とは、サンスクリットの王子の意味。クシャトリヤの出身と称するカースト集団。
→ いくつもの勢力に分かれ、互いに抗争をくり返す。
この間、北西からb
イスラーム勢力のインド侵攻 が始まる。
★補足 8〜10世紀の北インドの主なラージプート諸国(イスラーム化するまでのインド)
プラティーハーラ朝(都カナウジ) →10世紀
チャーハマーナ朝
その他の地方政権
ベンガル地方:
パーラ朝 = ナーランダ僧院を復興。仏教を保護した最後の王朝。
デカン高原:
ラーシュトラクータ朝 → 10世紀以降はチャールキヤ朝
8〜10世紀 a
ドラヴィダ人 系のb
タミル人 が独自な世界を形成。
タミル語の文芸活動(サングム)が盛んであった。
・c
バクティ運動 も吟遊詩人の活動によって南インドに広がる。
タミル商人、東南アジアから中国に進出、香辛料貿易を展開。
d
チョーラ朝 (8〜13世紀) 10〜11世紀に栄える。
→ スマトラのシュリヴィジャヤ王国に軍事遠征、中国(宋)に使節を派遣。
▲現スリランカには、アーリヤ系のe
シンハラ王国 が14世紀ごろまで存在。
→ 上座部仏教を受容、発展させる。 インド洋交易で活躍。
→ 後にタミル人が移住、シンハラ人との対立起こる。 → 現在のタミル人問題につながる。
