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なく長編でも演出、作監のチームがシステムとして定着しま
した。
理屈で考えるとキャラクター表にあわせるのは原画の義務
であって、時間をかけて直してはじめて「商品」としての原
画が完成するわけで、まるまる直されるような原画は本来
「末完成」の商品というべきで、合理主義の国では直してくる
(ちゃんと似せてある)まで報酬が受け取れないはずです。
しかし大量の原画が育っている現在の日本でも、もし仮に
それを実施したとすると画質は落ち、秒単位で仕事をしてい
る各原画の収入は激減しますから、力量のある原画家が全体
の質を整える仕事は不可欠です。
そこで「ある程度までの(貴方が全力を尽くして描いた)」
原画を描いてもらえればあとは作監が修正して完成させる、
というシステムが定督した、ということが出来ます。
別の言葉で言えば作監という仕事は七〇点の絵を九〇点に
したり、九〇点の絵を一〇〇点にまで改善することは出来ま
すが、三〇点の絵を一〇〇点には出来ないのです。
修正といってもそれ自体が大変な作業時間になりますから
時間報酬で考えると原画家よりも安いという妙な職種でもあ
ります。
集団作業のうまい日本ならではのシステムです。直されて
もいいから原画を描きまくったほうが得と考える韓国。完成
するまで本人が直すべきだ、人の描いた絵を直すのは失礼と
いう意識の強いアメリカでは成立しない仕事というべきです。
その昔日本に作監制度がなかった時期(東映、虫プロの初期)
には担当するアニメーターによって顔が少しずつ違っている
のはやむを得ないことだと考えられていたことがありました。
勿論スタッフの中では大変気になってはいたのですが、顔よ
りも各アニメーターの個性丸出しの演技が見れてある意味で
はとても面白いし、若いアニメーターに絶好の試行錯誤の機
会を与
えていたのです。
「西遊記」などはその典型例といえましょう。それで映画
になってみると不思議に観客からその点について不満が出た
ことはありませんでした。TVアニメ以前には熱烈に思い入
れをしてくれる観客層が育っていなかったことがその点につ
いて寛容だったのだと思います。アニメのキャラクターがテ
レビや映画のスターとして扱われるようになると「西遊記」
のようなおおらかな顔の違いは許されません。
しかし経験豊富で上手なアニメーターが顔の修正だけに投
入され、なかには作監「業」になって動かすアニメーターと
しての才能を枯渇してしまうこともあるというのは大問題で
す。作監というのは仮の宿で本業はアニメーターであるとい
う気構えが必要です。


●演技と線のクオリティについて


ワーナーの仕事をやってみるとアメリカのキャラクター・
アニメーションには一定の方程式があってそのルールにのっ
て作画すれば派手な面白い動かし方が出来ることがわかりま
す。しかし今回の「ルパン」(「くたばれ!ノストラダムス」)
のような映画では方程式はありません。頭の中で一度リアル
な演技を考えてみてそこからどう誇張して行くか自分で考え

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ルパン「また来たくなるね

ぇ、ESSO ! 」

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不二子「ルパングッズ当た

るわよぉん 」