故・近藤喜文氏の関連記事・原稿を集めました。47才で逝去された日本屈指のアニメーターの業績を偲ぶページです。
上は近藤氏が「もののけ姫」制作末期の頃、雑誌取材に際して自画像の代わりに描いたイラストです。


新潟が生んだジブリの動画家 近藤喜文展 NEW!
2014年7月4日〜8月31日 新潟県立万代島美術館 にて開催

◎『近藤喜文展』最新情報 叶 精二◎ NEW!



▲ 1995年5月「耳をすませば」制作時の近藤喜文氏
(撮影/竹中博信氏)

● 略 歴 ●

こんどう よしふみ 1950年3月31日、新潟県五泉市生まれ。68年Aプロダクションに入社。「巨人の星」「(旧)ルパン三世」「パンダコパンダ」「ど根性ガエル」「ガンバの冒険」「未来少年コナン」などで原画を担当。79年日本アニメーションに移籍し、高畑勲監督のテレビシリーズ「赤毛のアン」全話の作画監督を担当。テレコム・アニメーション フィルムで「名探偵ホームズ」などの作画監督を手がけた後、87年にスタジオジブリに移籍。88年「火垂るの墓」、89年「魔女の宅急便」、91年「おもひでぽろぽろ」と長編の作画監督を歴任。各作品で緻密かつ繊細な演技設計、日本人らしい顔の造形など画期的なキャラクター造形と作画に挑んだ。92年、テレビスポット「そらいろのたね」の演出を経て、95年「耳をすませば」で長編監督デビューを飾る。97年「もののけ姫」で再び作画監督を担当。98年1月21日、解離性大動脈瘤のため病没。


● 基礎文献・データ ●

◆「近藤喜文さん追悼文集 近藤さんのいた風景」
(1999年1月21日初版/2000年6月30日改訂二版発行) 高畑・宮崎作品研究所/編
叶精二著「日本のアニメーションを築いた人々」
(2004年1月28日 若草書房発行)
◆ 近藤喜文氏フィルモグラフィー・主な著作
作成・文責/叶精二


● 関連記事 ●

●さようなら、近藤喜文さん
(1998年1月24日 緊急報告) 文責/叶精二

「近藤喜文の仕事−動画で表現できること−」推薦文 未完成の美学
(2000年1月25日 販促用チラシ) 文責/叶精二

●近藤君の思い出
(2000年6月14日 未発表) 文/柳沢きみお 氏

●近藤喜文氏を想う〜「耳をすませば」回想〜
「ロング テイル オブ バロン」(2001年7月20日/こだま出版発行)掲載 文責/叶精二

「耳をすませば」監督助手 伊藤裕之氏 インタビュー
「ロング テイル オブ バロン」(2001年7月20日/こだま出版発行)掲載 取材・構成/叶精二

●東京ストーリー「耳をすませば」=聖蹟桜ケ丘 「少女の成長」見守る風景
(2002年7月17日「産経新聞 多摩版 」掲載)文責/「産経新聞」多摩支局 中村一仁 氏

●アニメーター近藤喜文(1950―98年)身を削り「キャラ」創造 ジブリ名作で天分
(2003年9月7日「新潟日報」掲載) 文責/「新潟日報」編集委員 鈴木聖二 氏

●月島雫と天沢聖司 近藤喜文監督「耳をすませば」賢明な生への応援歌
(2006年8月26日「朝日新聞」土曜版「be」「愛の旅人」欄掲載) 文責/平出義明 氏

●線だけで世界をまるごと「近藤喜文展」によせて NEW!
(2014年7月29日「しんぶん赤旗」掲載) 文責/叶精二

高畑勲・宮崎駿に愛された不世出の動画家の足跡 「近藤喜文展」、新潟限定で開催中 NEW!
(2014年7月30日 朝日新聞社「WEBRONZA」) 文責/叶精二


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