「近藤喜文の仕事−動画で表現できること−」2000年1月31日発行(スタジオジブリ自主発行)
右はスタジオジブリが発行した販促用チラシ。
昨今のアニメ雑誌の編集には大きな特徴があります。大判の描き下ろしイラストと申し訳程度のスチルで作品紹介が構成されており、フィルムをコマに分割して紹介することが全くないということです。キャラクターと物語だけに編集者と読者の興味が集約されていて、アニメートには全く関心がないためと思われます。こうした編集傾向は「動かせない」日本のアニメーション事情に適っていたために広く普及したと思われます。
「近藤喜文の仕事」は、時流を一切無視した刺激的な編集がなされています。実に気持ちのよい徹底ぶりです。
集団制作であるアニメーションの現場では、各々が持ち場で最大限の力量を発揮しなければ素晴らしい作品は出来ません。たった一枚が素晴らしくても、シーンとして、作品として完成していなければ意味がありません。未完成な絵が一枚一枚積み重なり、その束がまとまることで初めて完成するのです。本誌は、編集側の主旨説明やくどい解説記事を意図的に避けています。ひたすら膨大な量の画像を分割掲載することで、微妙な仕草や表情の変化を描き分けた「近藤喜文の仕事」を丸ごと差し出そうとしているのです。それは寡黙な近藤さんの人柄にも似た誠実な編集姿勢です。まさに「未完成の美学」に貫かれた貴重な一冊であると思います。
冒頭に記された短い文章の中で、編集者の安藤雅司氏は読者と“ある契約”を結ぶことを訴えているように思えます。「ナビゲーター付で“イラスト展”に行く」観光気分を捨てて、「一アニメーターの仕事現場に立ち会って欲しい」と。それは、読者と編者という立場に限定されず、一アニメーターの立場で観客の観賞姿勢を問うているようにも思えます。動画技術に敏感であれば、漫画とも実写とも違うアニメーションの独創的魅力を楽しめる筈なのです。
イラン映画の巨匠アッバス・キアロスタミは、あえて観客の想像力に委ねる余白を残す作風で有名な監督です。作品が閉じていないことで、観客は現実を考えざるを得ないのです。本誌も、意志ある読者が動画の根元的魅力を主体的に読み取ることで完成するのではないかと思います。「アニメーター志望の若者に贈る」という安藤氏の言葉は、特に若い世代が動画技術の魅力に目覚めて欲しいという願いをこめたものと思われます。近藤氏の技術と遺志は、博物館に飾るものでなく、実践的精神的に受け継がれてこそ意味があるということでしょう。
本誌に費やされた多大な労力と情熱に心から敬意を表すると共に、一人でも多くの方が「近藤喜文の仕事」を繰り返し繰り返し味わって下さることを願ってやみません。
2000.1.25.