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近藤喜文氏を想う
〜「耳をすませば」回想〜

文責/叶 精二

「ロング テイル オブ バロン―絵本とムックで紡ぐ猫の男爵のもうひとつの物語―」
(2001年7月20日/こだま出版発行)掲載


 以下の文章は、「ロング テイル オブ バロン―絵本とムックで紡ぐ猫の男爵のもうひとつの物語―」(こだま出版)内の「バロンの手帖」に掲載されたものです。2冊組・プラスチックケース包装の変わった仕様の本でした。本のメインは「猫の恩返し」の紹介でしたが、近藤さんの追悼記事も併載されました。本項の記事・著作紹介・プロフィール・伊藤裕之氏インタビューという構成で、テキストは全て叶が担当しました。尚、タイトルは編集部で付けたものです。

 近藤喜文氏は、一九九八年一月二十一日乖離性大動脈瘤のため亡くなった。享年四十七歳の若さであった。繊細かつ緻密で情感たっぷりの芝居が光る「赤毛のアン」「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」など、氏はアニメーターとして三〇年に亘る輝かしい業績を持ち、多くの観客を魅了する演技を紙の上に描き出して来た。「耳をすませば」は、その近藤喜文氏の最初にして最後の監督作品である。
 柊あおい氏の「耳をすませば」映画化の企画を持ち出したのは宮崎駿氏であり、監督に近藤氏を指名したのも宮崎氏である。本来は監督が描くべき絵コンテも宮崎氏が担当した。従って、基本的なカラーは“宮崎色”であると言える。制作当初は、宮崎氏のコンテ作業と、近藤氏のキャラクター設計作業が並行しており、コンテの清書も近藤氏が担当していた。しかし、作業の進行に伴い様々にアイデアが膨らみ、映画の尺数が増えると共に、宮崎氏のコンテに変わっていったと言う。
 たとえば、天沢聖司は原作では画家志望の少年であるが、宮崎氏の提案でヴァイオリン職人を目指してイタリアで修行をするという設定に変更された。この改変に近藤氏は「原作のままでいいのでは」と一時抵抗したが、近藤氏の息子さんが中学生時代に実際にヴァイオリン職人志望の友人がいたこともあり、最後には積極的に納得したようだ。また、主人公・月島雫を地球屋に誘うムーンという猫を原作の黒猫から白いブタ猫に変更したのも宮崎氏のアイデア。これにも近藤氏は反対したが、スタジオ内の決戦投票で負けてしまった。雫の思い描くファンタジー世界の美術に画家の井上直久氏を起用したのも宮崎氏であり、得意のアクションを含む当該シーンは自身で演出まで手がけている。
 しかし、宮崎氏は単に自己流を近藤氏に押し付けたわけではない。宮崎氏は「これこそ近ちゃん(近藤氏のニックネーム)にふさわしい」と確信して企画を促し、コンテを切っていたと思われる。全編通じて、宮崎監督作品にありがちな畳み掛けるアクションやスピーディな展開を控え、原作のエピソードを尊重した日常芝居に重点が置かれている。こうした点は「トトロの出ない『トトロ』をやりたかった」と語る近藤氏の個性と要望を考慮した結果であろう。
 他にも、原作の中学一年生という設定を三年生に変更した点は、「問題を抱えて乗り越える姿を描きたい」という宮崎・近藤両氏共通の希望によるものである。近藤氏自身、少し前に息子さんの受験を経験しており、揺れ動く思春期の子供達にエールを贈りたいという動機を強く抱いていた。また、舞台である杉の宮周辺を京王線・聖跡桜ヶ丘駅周辺に似せて構築したのも、近藤氏と宮崎氏が七〇年代末の一時期に机を並べた日本アニメーション社周辺の熟知した地形であったからだ。まだ三〇代と二〇代であった無名の二人は、作業の合間に作中同様の風景の下で熱く理想を語り合ったと聞く。更に、ラストの聖司のキメ台詞を原作の「大好きだ」を「結婚してくれ」に変更したのも二人の合意によるものだ。これには、スタジオ内に二〇代後半以上の独身者が多いことへのオジサン的説教の意味も含まれていたとか。総じて、身近な地域や人々をメッセージの対象としていることが二人に共通している。
 逆に、宮崎氏が想定していなかった芝居が膨らんだカットも多々あったようだ。近藤氏の仕事は、作画以降の全作業の指揮であった。元来アニメーターである近藤氏は、特に作画チェックに勢力を傾けた。ここに近藤監督の個性が集約されていると言っていい。
 たとえば、雫が読書に熱中している時間経過を表すカットとして、プール帰りの子供たちが外を通る短いカットがある。近藤氏はクロールの水かきをしながら歩く演技を追加しており、これが実に生き生きとしている。学校の屋上で聖司と別れた後に、教室に戻って授業を受けながらふっと溜息をつく雫の演技は、宮崎氏が「雫はこういう子じゃない」と監督助手の伊藤裕之氏に漏らしたそうだが、「近ちゃんに任せたのだから、これでいい」と引き下がったと言う。コンテと見比べても大きな差異のないカットだが、ゆったりしたテンポになっている点は微妙に違っている。鍋焼きうどんを一本ずつすするカットについても同様である。土手上を人々が歩くワンカットのエンドロールも、雫と聖司以外の人物群像は全てオリジナル。杉村を待つ夕子、二人で仲良く歩く展開は「全キャラクターに幸福な結末を与えたい」という近藤氏ならではの創作である。
 こうした制作過程の積み重ねの結果として、「耳をすませば」は近藤氏の持ち味である明るく清楚な印象を持つ作品として完成した。惜しむらくは、これがただ一作の監督作品になってしまったことである。近藤氏は、フィリパ・ピアス、エーリヒ・ケストナー、E・L・カニグズバーグらの名作児童文学をこよなく愛していた。次回作は、おそらくより日常性を重視した健全な作品を、絵コンテまで手がけて世に送り出すつもりだったのではないだろうか。その可能性を失ったことは、エロ・グロ・ナンセンスの洪水で低迷する日本のアニメーション業界にとって巨大な損失であったと思えてならない。


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