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「耳をすませば」監督助手
伊藤裕之氏 インタビュー

取材・構成/叶 精二

「ロング テイル オブ バロン―絵本とムックで紡ぐ猫の男爵のもうひとつの物語―」
(2001年7月20日/こだま出版発行)掲載


  以下の文章は、「ロング テイル オブ バロン―絵本とムックで紡ぐ猫の男爵のもうひとつの物語―」(こだま出版)内の「バロンの手帖」に掲載されたものです。2冊組・プラスチックケース包装の変わった仕様の本でした。「近藤さんの追悼記事を」という編集側の依頼を受けた叶が、「制作の具体的なエピソードを苦楽を共にしたスタッフの方に伺いたい」と提案し、スタジオジブリと現在フリーの伊藤裕之氏のご協力で実現したものです。

●近藤さんのこだわり

 「耳をすませば」では全てのカットをアクションレコーダー(*1)でチェックしていたのですが、僕はその管理を主に任されていました。本来アニメーターである近藤さんは、初監督ということもあり細部に至るまで念入りに確認していました。細かな日常描写が求められる作品なので、中割り(*2)してみて初めて動きの良し悪しを判断出来るカットが多く、動画まで上がったものに手を入れる事もしばしばでした。そのチェック作業に立ち会い、指示をスタッフに伝えるのも僕の役目だったのですが、近藤さんの意向は充分に納得出来るものでした。動画段階でのリテイクは歓迎されるものではありませんが、近藤さんの「こだわり」や「修正意図」を皆が理解してくれて無理な要求にも応えてくれました。
 この作品には“小走りや歩き”が度々登場しますが、そうした人間の自然な動きが最も難しかったりします。元々近藤さんは「小走りは3コマ(*3)」が持論だったようですが、1コマや2コマの小走りに何度も挑戦していました。要となる動きには贅沢に枚数を使いたい、と考えがちですが必ずしも効果的とは限らず、結局「小走りには3コマが適している」と改めて確信したようです。また“歩き”の芝居では、キャラクターの個性や情景に合わせた“上下動や足の運び”にも気を使っていて、爪先や踵の軌跡や角度について具体的な注意書きが出された事もありました。いずれも派手な技術ではないし、むしろ観る人が気に留めないほど自然な描写が望ましいわけで、作画の技術を主張しない方向に神経を使っていたのは、いかにも近藤さんらしいと思いました。
 宮崎(駿)さんの絵コンテを完全に納得した上で、近藤さんは自分の想いや主観を加えて行ったようです。基本的に宮崎さんは近藤さんの演出に口を出さなかったのですが、自分の意図と近藤さんの表現が必ずしも一致していなかったかもしれません。例えば雫の性格の捉え方には、若干の違いがあったようです。近藤さんが自己流の解釈を注ぎ込む野心があったとは思えませんので、自然と人柄が滲み出ていたのでしょう。近藤さんが演出するのを前提に描いたコンテが、予測しない所で膨らみを見せてくれた事は嬉しい誤算だったのかもしれません。
 普段の近藤さんは茶目っ気があり、若い僕らにも気さくに接してくれる人です。作業中もよく冗談を言い合ったものですが、あまり笑わせると胸を押さえながらどこかへ行ってしまうんです。見ると隠れて咳き込んでいる。声をかけると「笑い過ぎて苦しいだけ」と笑顔で安心させてくれるんです。その時にもっと大騒ぎしておけば…と思うと悔やみきれません。
 宮崎さん達に比べたら付き合いは短い僕ですが、近藤さんを亡くたショックは人一倍大きなものがありました。唯一となった監督作品に深く関れた事、僕みたいな者にも未来の指針を示してくれた事、お互いの展望を話し合う事で生まれた絆、これから待っていたはずの様々な展開…等を思うと、近藤さんに甘えていた自分はこの先どうしたらいいんだろう、と途方に暮れたものです。しかし、少なからず「近藤さんのこだわり」に触れる事が出来た一人として、その志を引き継ぐ力にならねば…そう思わずにはいられません。(談)

(*1)原画・動画を簡易撮影して動きをチェックする機械。
(*2)原画の間に連続した動きを作画すること。動画と同義。
(*3)3コマ作画に対し2〜1コマ毎に中割り作画することで滑らかな表現が可能。


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