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東京ストーリー
「耳をすませば」=聖蹟桜ケ丘
「少女の成長」見守る風景

2002年7月17日(水)付「産経新聞 多摩版 」掲載記事


 以下の文章は、「産経新聞」2002年7月17日の「多摩版」項に掲載されたものです。文責は多摩支局の中村一仁氏。記事執筆にあたり、当研究所の叶が同年7月11日に電話取材を受けました。


【東京ストーリー】
「耳をすませば」=聖蹟桜ケ丘 「少女の成長」見守る風景
「いいとこ見つけちゃった!」

 読書が好きな中学三年の少女、月島雫。受験生の彼女は、図書館で本を読みふけっていた。ある日、自分が読もうとする本の貸し出しカードに、いつも「天沢聖司」という名前が記されていることに気づく。そして雫は、イタリアに渡ってバイオリン作りの職人を目指す「天沢聖司」と出会う…。

 アニメーション映画「耳をすませば」の舞台とされる多摩市の聖蹟桜ケ丘。この周辺を歩くと数々のシーンがよみがえる。映画では京玉線杉ノ宮駅とされていた京王線聖蹟桜ケ丘駅南の交差点近くで、生花店を経営する林キヌエさんは「昭和60年代の終わりころは、ショッピングセンターのオーパのあたりは駐車場。今は交通量もずいぶん増えたけど、目の前の京王は当時のままですね」と話す。映画では、いっしょに京玉線の電車に乗ってきたデブ猫のムーンを、雫が走って追いかけ、横断歩道でムーンを見失ってしまう。このシーンでは、今と変わらぬ京王の看板が描かれている。

 実際、人や車が行き交う交差点の向こう側の風景は、車や電柱、電線が増えたのを除けば、映画のシーンそのままだ。駅から南へ。大栗川にかかる霞ケ関橋を渡ると、目の前に急勾配のいろは坂が迫る。「耳をすませば」では、坂道のU字カーブのそばに図書館があり、雫に弁当を渡した聖司が歌を歌いながら、荷台にムーンを乗せて去っていった。いろは坂を上りきって少し行くと、ロータリーがある。聖司の祖父、西老人が経営する骨董店の「地球屋」があったのがこのあたりだ。

 多摩市で映画祭開催などの活動を続けるTAMA映画フォーラム実行委員会。事務局の井口貢さんは今年3月まで10年間、異動で長野県にいた。井口さんは「この映画は長野で見ましたが、聖蹟桜ケ丘の風景が使われていて、本当になつかしい感じがしました。坂道や住宅街は変わっていませんね」と語る。また、同実行委員会の副委員長、飯田淳二さんは、「現実とは違う次元で、映画を見ていました。聖蹟桜ケ丘は、少女の心の成長を撮るのに適した風景だったのでは」と言う。

 この作品の監督を務めた近藤喜文さんは平成10年1月に亡くなった。映像研究家の叶精二さんは「この作品のゆったりしたテンポは近藤さんの個性によるもの。健全な子供の現状を描いて、十年後に見ても楽しい作品を作ることができる人がいなくなった」とその死を惜しむ。その近藤さんは「ふとふり返ると−近藤喜文画文集−」(徳間書店刊)に、次のように書いている。「もし、このアニメーションをみて……/『あんなところがあったら行ってみたくなった』と思う人がいたなら、/『それはどこかにあるのではなくてあなたのいるところ、/つまり、今、あなたのいる街が(村が)そうなのだ(そうだったのだ)』と答えたい」

 この映画を見た多くの人が「なつかしい感じがする」と言う。ひたむきな雫や聖司が、自分の進路や恋愛に一喜一憂する姿に共感し、郷愁を覚えるからか。近藤さんの言葉が胸に静かに響いてくる。

(中村一仁)


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