1.明の衰退 15〜16世紀 | |
15世紀中ごろ 1449年 | モンゴル高原のa 瓦刺(オイラト) がb エセン=ハン のもとで強大となる。 → c 土木の変 河北省の土木堡で明の正統帝を捕らえ、さらに北京を包囲。 → d 万里の長城 を修復してモンゴルの侵入に備える。 |
1517年 1557年 | e ポルトガル 船が広州に来航。 → f マカオ を拠点に、アジア貿易に進出 |
16世紀 1550年 | g 北虜南倭 に悩まされる。 北方:h 韃靼(タタール) 部のi ダヤン=ハン 、モンゴルを再統一。 →j アルタン 長城を越え、北京を包囲する。さらにチベットを征服。 南方:東南海岸でのk 倭寇(後期倭寇) の活発化。中国人中心の編成となる。 → 海禁政策をゆるめる。l 日本銀 (丁銀の形で輸入)と m スペイン銀貨 が大量に流入。 → 明代に銀が主要な貨幣となる。 |
16世紀中頃 | 税制の変化: 銀の流通の増大に伴い、銀で代納する傾向が強まる。 → 従来のn 両税法 にかわり、o 一条鞭法 となる。 = 地税と徭役(力役)をまとめて銀納に一本化した。江南から全国に普及。。 |
1572年 | p 万暦帝 の時 中央集権化と財政の再建を目指す →qt 張居正 の改革 r 東林派 ※と非東林派の党争 ※顧憲成らが無錫に再建した東林書院を中心とした官僚たち。 s 宦官 の横暴 → 社会不安高まり、各地に暴動起こる。 |
16世紀末 1582年 | t キリスト教宣教師 の来航活発になる。 u イエズス会 のv マテオ=リッチ が来航。1601年より北京で布教。 |
2. 清 の成立と明の滅亡 | |
1616年 | a ヌルハチ 、 b 女真族 を統一。 中国東北地方のツングース系(女直 後にc 満州 に改称)。 → d アイシン(金) (後金)を建国。 e 八旗 :狩猟組織をもとにした女真族の軍隊組織。 f 満州文字 を作る。 |
g 1636 年 | h 太宗ホンタイジ 皇帝を称し、国号をi 清 に改める。 内モンゴルのjチャハル部 、さらに朝鮮を制圧し、長城以南に侵入。 → 蒙古・漢人のk 八旗 も組織。 |
l 1644 年 | 大飢饉を背景に、m 李自成の乱 が起こり、崇禎帝が自殺し、明が滅亡。 明の武将n 呉三桂 、清に降服。清の3代o 順治帝 、山海関を越える。 → p 北京 に遷都。m 李自成の乱 を平定。 → 漢人武将を雲南・広東・福建に配置しq 藩王 とする。 |
1. 清 の統一 17世紀後半 | |
1661年 1673年 1681年 1683年 | a 康煕帝(聖祖) が即位。 〜1722年 → 明の遺臣b 鄭成功 がオランダ人を駆逐。台湾を拠点として清に抵抗。 c 三藩の乱 起こる。雲南・広東・福建の漢人武将が反乱。 → 鎮圧に成功。清朝の勢力、中国全土に及ぶ。 d 台湾 の鄭氏を討ち、直轄領とする。 → 福建・広東からの移住増える。 |
1689年 1704年 | ロシア(e ピョートル1世 )と戦い、f ネルチンスク条約 を締結。 西北モンゴルのg ジュンガル (オイラト系部族)を親征して外モンゴルを支配。 h 典礼問題 i イエズス会 以外の伝道と入国を禁止。 |
2. 清 の全盛期 17世紀後半〜18世紀前半 | |
★政治と社会 1717年 | 政治制度:科挙、官制、儒学の振興など明の制度を受け継ぐ。 → 中央官制の要職の定員をa 満・漢同数 とした。 税制:b 盛世滋生人丁 を定める。この年以後の増加人丁には丁銀を課税しない。 c 地丁銀制 → 雍正帝時代に全国に普及。 明のd 一条鞭法 を廃止し丁銀(e 丁税 =人頭税)を地銀(土地税=田畑に 組み込んだ税制。これで古来の人頭税が無くなる。 → 人口の増加。 |
★漢民族対策 | f 文字の獄 :反満・反清的な文字を使用の禁止。 g 辮髪 の強要:満州人の習俗を漢人に強要した。それ以外は長髪といわれ禁止。 白蓮教の弾圧:民間信仰は反権力になる恐れが多いとされ、弾圧された。 |
1722年 1724年 1727年 | h 雍正帝 (〜1735年) 皇帝直属の諮問機関 i 軍機処 を置く。 j キリスト教の布教 を禁止する。宣教師の国外追放はせず。 k キャフタ条約 ロシアとの 西部国境を策定し、通商規定を設ける。 |
1735年 1757年 | l 乾隆帝 (〜1795年) タリム盆地のジュンガルを滅ぼし東トルキスタンを全域を占領、m 新疆 とする。 → 清朝の最大領域形成。現在の中国の原型となる。 外国船の来航をn 広州 1港に制限。貿易は公行が管理。 |
★領土統治 | 皇帝の直轄領 = 中国内地・東北地方(満州)・台湾 o 藩部 =p モンゴル ・q 青海 ・r チベット ・s 新疆 → t 理藩院 が統括 |
3. 清 の動揺 18世紀末〜19世紀 | |
1793年 | イギリスのa マカートニー 使節団、 b 乾隆帝 に謁見。 制限貿易の撤廃(c 広州 以外の港の開放などの自由貿易)を要求。 → 朝貢貿易の姿勢を崩さず、要求を拒否。 |
18世紀後半 1796〜 1804年 | 人口の増加(1億数千万 → 18世紀に約3億に)→ 耕地の不足 → 農民の貧困化 → 社会不安 d 白蓮教徒の乱 宗教的な秘密結社を中心とした農民反乱。→四川中心に拡大→ → 清朝の正規軍ではなく民間のe 郷勇 の力で鎮圧。 |
1816年 19世紀初め | イギリスのf アマースト 使節団 嘉慶帝へのg 三跪九叩頭 を拒否して帰国。 → イギリスのh 三角貿易 が活発化。 → i アヘン のj 密貿易 として行われる。 |