第15章 二つの世界大戦
5 第二次世界大戦
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▼
・イギリス首相a
ネヴィル=チェンバレン はb
宥和政策 をとる。
= 前内閣の方針を引継ぎ、ドイツの強硬な姿勢に対して譲歩をによる解決をめざす。
・1938年9月 c
ミュンヘン会談 ズデーテン問題での4カ国会議。
イギリス首相a
ネヴィル=チェンバレン フランス首相ダラディエが、
ドイツ総統d
ヒトラー 、イタリア首相e
ムッソリーニ と会談。
※当事者であるf
チェコスロヴァキア の代表は参加できず。
→ イギリス・フランスがドイツのg
ズデーテン併合 を承認。
・イギリスの意図:h
社会主義国ソ連の進出を恐れ、ナチス=ドイツとの対決をさける。
→ ドイツ国内ではヒトラーへの賞賛が高まり、ナチス=ドイツの進出を許す。
▼
C.ドイツの侵略開始
・1939年3月ドイツによるa
チェコスロヴァキア解体
西半分のベーメン(ボヘミア)・メーレン(モラヴィア)を保護領、スロヴァキアを保護国とする。
・▲さらに、リトアニア西部の
メーメル地方を併合。
・ポーランドに対し、b
ダンツィヒ ※の返還とc
ポーランド回廊 ※※の陸上通路を要求。
※第1次大戦前はドイツ帝国領であったが、ヴェルサイユ条約で国際連盟管理下の自由市とされていた。
※※ドイツ本国と東プロイセンを結ぶ地域。第1次大戦でポーランド領とされていた。
Text p.330
・1938年4月 イタリアはa
アルバニア を併合。
▼
D.宥和政策の転換
・イギリス・フランスが、d
宥和政策 を捨て、軍備拡張を急ぐ。
→ ポーランドとギリシアに対し、安全保障を約束。
→ ポーランド、ドイツの要求を拒否。
・イギリス、フランスはソ連と軍事同盟の交渉にはいる。
▼
・1939年8月23日 ソ連のa
スターリン が、b
ヒトラー と締結。世界を驚かす。
→ モロトフ=リッベントロップ条約ともいう。
理由:c
ソ連のスターリンは、イギリス・フランスの宥和政策に不信感を持った。
・ドイツとソ連のd
秘密議定書 が付帯。= 東ヨーロッパの分割と勢力圏の取り決め。
内容 ドイツとソ連によるd
ポーランド分割 。
ソ連のe
バルト三国 併合をドイツが承認。→いずれも戦後その存在が明らかになる。
▼
・a
1939年9月1日 ドイツ軍がb
ポーランド侵攻 。「電撃戦」により圧倒。
同 年9月3日 イギリス・フランスがドイツに宣戦。※
同 年9月17日 c
ソ連 もb
ポーランド侵攻 。
→ ソ連軍、ポーランド人約100万を拘束し、シベリアなどに流刑にする。
・e
アメリカ合衆国 は参戦せず(▲f
中立法 は改正。武器輸出は可能にする。)
※イギリス、フランスはドイツに宣戦布告したにもかかわらずポーランド救援の軍隊を派遣せず。
ドイツも西部国境では行動を起こさず、40年4月までは「
奇妙な戦争」と言われた。
▼

・1939年9月 ポーランド敗北、独ソでa
ポーランド分割 。
同 年11月 b
ソ連=フィンランド戦争 → ソ連、国際連盟から除名される。
1940年 ソ連、c
バルト三国 を併合。さらに、ルーマニアからベッサラビアを奪う。
同 年 ▲ソ連軍、約1万5千人のポーランド軍将校をソ連に連行し虐殺(
カチンの森事件)。
▼
B
西部戦線 陸上では両陣営のにらみ合い続く。(上述の「奇妙な戦争」)
・1940年4月 ドイツ軍、a
デンマーク ・b
ノルウェー に侵入占領。
同 年5月10日 ドイツ軍、c
オランダ ・d
ベルギー に侵攻。
同日、イギリスでチャーチル戦時内閣成立。→6月 英仏軍
ダンケルクから撤退。
同 年6月 フランスに侵攻し、e
パリ占領 。
→ ドイツ軍のロンドン空襲開始。
・ドイツ側にf
イタリア参戦 。
▼
・a
フランス の敗北。第三共和政崩壊し、b
ペタン内閣 が降伏。
→ 北半はドイツに占領され、南半をc
ヴィシー政府 (ペタン内閣)が統治。
→ d
ド=ゴール らロンドンに亡命、亡命政府(e
自由フランス政府 )を組織。
→ 国内でf
レジスタンス 始まる。
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・イギリス、1940年5月にe
チャーチル 首相となる。(挙国連立の戦時内閣)
→
ロンドン空襲にたえ、ドイツ軍のイギリス上陸作戦を阻止する。
→
北アフリカ戦線で、イタリア・ドイツ連合軍と激戦。
・1941年3月 アメリカ合衆国 f
F=ローズヴェルト 大統領三選。
→ g
武器貸与法 を成立させる。
→ イギリス・ソ連など、反枢軸国に対し、武器・軍需品の援助をはじめる。
▼
・1941年4月 a
ユーゴスラヴィア とギリシアを占領。
→ ドイツ軍、ヨーロッパの過半を支配。
→ ユーゴスラヴィアではb
ティトー 指導のc
パルチザン による抵抗が始まる。
・ソ連、ドイツのバルカン侵攻に反発。→ 対ドイツ戦にそなえて日本と結ぶ。
1941年4月 d
日ソ中立条約 締結。
= 日本は、アメリカとの対立が深まっており、対米交渉の有利な条件とするのがねらい。
▼

・1941年6月 ドイツa
独ソ不可侵条約 を破棄し、ソ連に宣戦。
→ イタリア・ルーマニア・フィンランドと共に侵入。→ 年末にモスクワに迫る。
1941年7月 b
英ソ軍事同盟 成立。イギリス・フランス・ソ連の連携始まる。
・1941年8月 F=ローズヴェルトとチャーチル c
大西洋憲章 発表。(後出)
→ ファシズムに対抗する国際連帯を呼びかける。
→ 1943年 ソ連、d
コミンテルン 解散。英仏への協力姿勢を示す。
▼
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・ドイツ、占領地から資源・食料・労働力を奪い、ドイツに連行、強制労働につかせる。
→ 支配地域への人種主義政策の強制 → 占領地でのa
ユダヤ人 迫害を強化(
ホロコースト)。
・1942年1月 ドイツ首脳のヴァンゼー会議で、ユダヤ人対策を決定。
→ ポーランドのb
アウシュヴィッツ などのc
強制収容所 での大量殺害。
・ドイツ支配に対するd
レジスタンス と武装抵抗運動(e
パルチザン )が展開される。
▼
・アジア、太平洋の戦争
・フランスの敗北 → 援蒋ルートの遮断をねらう日本軍、インドシナ侵出を実行。
・1940年9月 日本軍、a
フランス領インドシナ北部 (北部仏印)に進駐
同 年9月 三国防共協定をb
日独伊三国同盟 に発展させる。
1941年4月 c
日ソ中立条約 締結。
← 日本は北方の安全を確保して、南進と対アメリカ戦に備える。
ソ連は、バルカンに進出したドイツとの戦争に備え、東方の安全を確保する。
・1941年7月 日本軍、d
仏領インドシナ南部 (南部仏印)に進駐。
→ イギリス、アメリカとの対立が深刻となる。 → ABCDラインの形成
・アメリカ、日本への経済的圧迫強める(39年、
日米通商航海条約の破棄を通告)。
→ 41年3月 g
武器貸与法 により、イギリス・ソ連を支援。
41年8月 日本への石油輸出禁止。
→ 日本はアメリカ・イギリス・中国・オランダによる包囲網=e
ABCDライン として反発。
▼
同時に、c
マレー に上陸し、アメリカ・イギリスに宣戦布告。
→ ドイツ・イタリアが三国同盟に基づきd
対米宣戦 。e
アメリカ参戦 。
・開戦の意味
f
ヨーロッパとアジアの戦争が結びつき、アメリカが参戦し実質的な世界戦争に転換した。
・日本軍、f
香港 攻略、イギリス軍を撃退。
1942年1月 g
フィリピン 侵攻、マニラを占領 → アメリカ軍を追撃。
同 年2月 h
シンガポール 占領 →
華僑虐殺事件起こる。
同 年3月 i
ジャワ・スマトラ 侵攻、j
インドネシア を占領
k
ビルマ 占領
太平洋地域では、ソロモン諸島を占領。
▼
・日本のアジア支配
・1940年7月 第2次近衛文麿内閣が発表。
→ 日本を盟主とした東アジアの経済・軍事ブロックを作り、白人支配を排除することを掲げる。
フィリピン、ビルマ(現ミャンマー)では親日政権をつくる。
インドネシアでは親日組織を作る。
インドシナ、タイでは日本との協力を声明させる。
▼
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B.朝鮮・台湾に対する支配の強化
・a
皇民化政策 を進める
1940年 b
創氏改名 、日本語、神社参拝を強制など。
1940〜45年 国内の労働力不足を補うため、c
朝鮮人の強制連行 を行う。
d
徴兵制 も実施(朝鮮では44年、台湾では45年から。その前は志願制)。
▲e
従軍慰安婦 の徴用などを行う。
▼
C.東南アジアでの軍政と抵抗
・日本、欧米諸国の植民地支配からの解放を掲げるが、占領目的は資源の収奪
にあったので、f
軍政 を強化。住民への残虐行為、強制労働などが続く。
・シンガポール、マレー半島、フィリピンでは住民への残虐行為や捕虜を含む強制労働が多発。
→ 反日感情強くなる。
・▲
北ベトナムでの大量餓死 1944〜45年にかけて日本軍政下の北ベトナムで約200万人が餓死した。
・▲g
タイ とは同盟条約を締結、米英に宣戦布告。
泰緬鉄道の建設。国内に反日組織が存在。
・▲h
抗日武装闘争 が各地で起こる。:
ホー=チ=ミン指導のi
ベトナム独立同盟 、
フィリピンのj
フクバラハップ 、
朝鮮の抗日パルチザンなど。
▼
D.日中戦争下の中国
・1940年 ▲
日華基本条約 日本と南京政府で締結。日本の華北への駐留権など承認。
1943年1月 南京政府、米・英に宣戦布告 日本は
日華新協定で租界還付・治外法権撤廃。
同 年10月 米・英、中国との
不平等条約撤廃を連合国宣言として表明。
・▲日本による中国人の強制連行 1943年から始まる。
→1945年 花岡事件(秋田県の鉱山での反乱事件)起きる。
▼
・1942年6月 a
ミッドウェー海戦 日本海軍、アメリカ海軍に敗北。 →戦局転換する。
1943年 日本が主催し、b
大東亜会議 を開催。劣勢挽回のため、支配権強化を図る。
= 日本の東条英機首相の呼びかけで、満州国、南京国民政府、タイ、フィリピン、ビルマ、
インド(自由インド仮政府。親日派のチャンドラ=ボースが結成)が参加し、東京で開催。
▼

A
世界大戦の拡大 1941年12月 太平洋戦争の開始 → 二大陣営の対立の明確化
┌────────┐ ┌────────┐
┌───┤ A
連合国 ├─────┐ ┌───┤ B
枢軸国 ├───┐
│ └────────┘ │ │ └────────┘ │
│ │ │ │
│┌─────資本主義国──────┐│ 対 │┌───f
三国同盟 ───┐│
││ ││ ││ ││
││a
イギリス ・b
フランス ││ ││ g
ドイツ ││
││ ││ ││ ││
││c
アメリカ ・d
中国 ││ ││ h
イタリア ││
│└────────────────┘│ ││ ││
│┌─────社会主義国──────┐│ ││ i
日本 ││
││ ││ 立 │└──────────────┘│
││ e
ソ連 ││ │ 反自由主義、反共産主義を掲げ │
│└────────────────┘│ │ │
│ 反ファシズムで一致 │ │ ファシズム国家として結束 │
└──────────────────┘ └────────────────┘
▼
▼
・1943年7月 連合軍、a
シチリア島 に上陸。ローマ空襲。→ファシスト党批判強まる。
同月 国王、b
ムッソリーニ を逮捕。ファシスト党解散。
c
バドリオ内閣 、休戦協定に調印。ドイツ軍が侵攻したため半島南端に遷都。
同 年9月 連合軍イタリア本土上陸。ドイツ軍がローマを占領しb
ムッソリーニ を救出、
→ イタリア社会共和国を建国。パルチザンによるドイツへの抵抗強まる。
1945年4月 b
ムッソリーニ 、パルチザンに捕らえられ、絞首刑とされる。
→46年 国民投票で▲d
イタリア共和国 となり、国王は退位し亡命。
▼
▼
F.・戦後構想の具体化進む
▼
Text p.335
▼
・1944年6月 連合軍のa
ノルマンディー上陸作戦 アイゼンハウアー指揮
同 年8月 パリ解放、b
ド=ゴール 臨時政府を組織。
1945年2月 連合軍による
ドレスデン大空襲 死者6万。(「ドイツのヒロシマ」)
同 年4月 米ソ両軍、エルベ川に達する。ソ連軍のベルリン総攻撃始まる。
同 年4月
ヒトラー自殺、5月8日 c
ベルリン陥落 。ドイツ無条件降伏。
▼
1944年7月 米軍、a
サイパン 島・b
レイテ 島を占領 →日本本土への爆撃開始。
1945年2月 米軍、c
フィリピン 奪回。マニラで多数の市民が犠牲となる。
3月10日 ▲d
東京大空襲 B29による大空襲で死者約10万人。
4月 e
沖縄 上陸。日本本土で戦場となる。
・1945年7月 f
ポツダム会談 :ドイツの管理問題と日本への降伏勧告を協議。
g
トルーマン ・h
チャーチル (途中からi
アトリー )・j
スターリン
→k
ポツダム宣言 :米・英・中国の三国の名で発表(ソ連は対日宣戦布告後に参加)
内容
・軍国主義の除去、日本の主権を本州、北海道、四国、九州の4島に局限、
・日本軍の武装解除、・戦争犯罪人の処罰、・民主政治と平和の実現までの占領など。
これとは別に、ドイツの非軍事化、非ナチ化、暫定国境などを定めたのが
ポツダム協定。
・1945年8月6日 l
広島 、9日にm
長崎 にn
原子爆弾 投下。約30万人が死亡。
同 年8月8日 o
ソ連の対日参戦 。満州、朝鮮、樺太に侵攻。日本人捕虜の抑留。
→ 8月14日 ソ連は重慶の国民政府と、
中ソ友好同盟条約を結ぶ。
Text p.336
同 年8月15日 日本、p
ポツダム宣言受諾 。無条件降伏。
▼
第2次世界大戦の終結

1.原因と結果
1)戦争の原因:a ドイツ・イタリア・日本のファシズム国家が起こした侵略戦争が拡大した。
・ファシズム国家は、自国の経済の行き詰まりという国内危機を、他国への侵略によって
解決しようとしたが、その背景には、第一次大戦の勝利国である英・仏の過酷な賠償請求
に対するドイツの反発、ファシズムの台頭を許した資本主義の矛盾やb
宥和政策 があった。
2)大戦の拡大:第一次世界大戦は欧州地域中心であったが、この大戦は全世界に及んだ。
ヨーロッパ:ドイツ・イタリアの侵略戦争 →対ソ戦に進展 ┐
├→a 世界戦争 に拡大
アジアで:日本の中国への侵略戦争 → 太平洋戦争に進展 ┘
3)大戦の結果:a 連合国側の完全な勝利。ファシズム国家の敗北。
・連合国:資本主義国アメリカ・イギリス・フランスと社会主義国ソ連が、反ファシズムで協力。
→ 大西洋憲章・ヤルタ体制など、戦後の国際秩序形成で合意。実質はアメリカの力による復興。
・ファシズム諸国:ドイツ・イタリア・日本が反自由主義・反社会主義で結束。
→ 共通して民族的優位感をもち、他民族への蔑視を隠さず、暴力的な占領地支配を行う。
→ 各地で民衆の抵抗運動を呼び起こす。結果として、戦後に植民地の独立があいつぐ。
・ドイツ・イタリア・日本はいずれも軍国主義・全体主義の指導者が一掃され、民主化が実現。
→ しかし、戦争責任の追及においては違いが見られる。
2.莫大な被害(1939年9月1日〜1945年8月15日)(1956年 アメリカ統計局)
・直接死者 2500万人 ・間接的死者 1500万人
・負傷者 3400万人 ・戦費 1兆1500億ドル
・物的損害 4500億ドル ・参加国 59カ国
・動員兵力 1億人
3.大戦のもたらしたもの
1)a
米ソ両国の役割の強化 :アメリカの参戦が連合国側の勝利をもたらし、またソ連の
参戦が決定的な意味を持った。→ 戦後世界の両陣営の対立は、大戦中から予測される。
2)b
中国、アジア諸民族の自立 :中国は日本敗北後、抗日戦争で成長した共産党政権
が国共内戦に勝利する。大戦を期にインド、インドネシア、朝鮮などのアジア諸国が独立。
3)c
核兵器の登場 :アメリカ軍による原子爆弾の使用は、人類の大きな汚点となる。
→ 米ソの核兵器開発競争とその行き過ぎに対する反省
4)d
国際連合の発足 :国際連盟に代わる新たな機関として、機能を強化させる。
