第14章 帝国主義とアジアの民族運動
3 アジア諸国の変革と民族運動
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・ロシアの進出
a
シベリア鉄道 の建設を進める。
b
三国干渉 :フランス・ドイツとともに干渉し、日本にd
遼東半島 を清へ還付させる。
1896年 その見返りとして、e
東清鉄道 の敷設権獲得。
→ 満州里から綏芬河に至る本線(ウラジヴォストークへの最短路線)
ハルビンから旅順・大連に至る支線(98年敷設権獲得)。
▼
・1898年 a
ドイツ が宣教師殺害事件を口実に、b
膠州湾 を租借※。
〃 c
ロシア は遼東半島南部(d
旅順・大連 )を租借。
〃 e
イギリス はf
威海衛 ・g
九竜半島 (99年間)を租借
1899年 h
フランス はi
広州湾 を租借。
※j
租借 :国土の一部を一定期間外国が借り行政・立法・司法権をもち軍隊駐留。
・列強の勢力圏が定まる。
ロシア→東北地方、ドイツ→山東地方、イギリス→長江流域と広東東部、
フランス→広東西部と広西地方、日本→台湾・
福建地方 をそれぞれ勢力圏とする。
▼
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C
アメリカの主張 中国分割に乗り遅れ、米西戦争後、中国市場への進出をはかる
▼
D
戊戌の変法 日清戦争の敗北 → 清朝内の知識人の危機感強まる。
・1898年6月 a
康有為 ※・
梁啓超らがb
光緒帝 を擁立し改革運動を始める。
「c
変法自強 」をかかげ、日本の近代化にならった立憲君主政体の樹立をめざした運動。
※
公羊学派の学者。『春秋公羊伝』を重視し、孔子を改革者としてとらえる。
同 年9月 d
西太后 ら保守派がーデタを起こし改革派を弾圧。 =d
戊戌の政変
→ 光緒帝は幽閉され、a
康有為 ・
梁啓超ら指導者は日本に亡命し、改革は失敗する。
▼

・天津条約・北京条約で
キリスト教の布教認められる。 → 強引な布教方法に民衆が反発する。
→ 地方官憲や民衆の反キリスト教運動(a
仇教運動 )が起こる。
・b
義和団 山東地方から起こった宗教的武術集団、外国人排斥をとなえ民衆を指導。
1900年 c
「扶清滅洋」 を掲げて蜂起し、鉄道・教会・商社を襲い、北京の外国公使館を包囲。
→ 清朝政府も西太后らが義和団を支持、各国に宣戦布告。
Text p.291
→ 8ヵ国※共同出兵:中心は日本・ロシア → 8月北京占領。
※d
日本・ロシア・イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・オーストリア・イタリア
▼
= 共同出兵8ヵ国に、ベルギー・オランダ・スペインを加えた11ヵ国と清朝で締結。
・賠償金の支払、北京へのa
外国軍隊の駐在 、北京周辺の防備撤廃などを認める。
→ 中国のb
半植民地化 進む。ロシアは東北地方から撤退せず居座る。
▼
・朝鮮をめぐり、日本とロシアの対立深まる。朝鮮の閔妃はロシアに接近。(後出)
→ イギリスと日本が接近。アメリカもロシアを警戒し日本に好意的になる。
・1902年 c
日英同盟 の締結。イギリス“光栄ある孤立”を解消。
意味:d
極東におけるロシアの進出を警戒したイギリスが、日本と同盟して阻止しようとした。
背景:イギリスは、e
南アフリカ戦争 のため、極東に軍事力を割けなかった。
アメリカもロシアのアジア進出を警戒、イギリスが日本と結ぶのを支援した。
▼
・a
1904 年 開戦。日本軍、旅順攻略・奉天会戦で勝利。
→ 日本海海戦で日本海軍がロシアのバルチック艦隊を破る。
→ ロシア国内の混乱 =b
ロシア第一次革命 勃発(14章1節)。
・1905年 c
ポーツマス条約 米大統領d
セオドア=ローズヴェルト の仲介で講和。
内容
※租借期限は、1915年に99カ年に延長。日本ではこの地を関東州といい、関東軍を置いた。
※※東清鉄道支線の長春・旅順口間の権利を得る。日本は1906年、南満州鉄道株式会社を設立した。
▼
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E
戦後の状況 列強の一つロシアが敗北し、国内でも専制政治が倒されたため、
・アジア諸民族のa
民族的自覚 を高める。
→ 日本の勝利が列強の植民地支配に苦しむアジアの諸民族の独立運動に刺激を与える。
・日本、ロシアと接近する。
日本、満州方面への進出 →アメリカとの対立始まる →日本とロシアとの協調。
1907年 b
日露協約 ・c
英露協商 成立。 →日本の大陸進出容易になる。
→ アメリカにおける▲d
日本人移民の排斥運動 起きる。
▼

・清の敗北 → 下関条約で朝鮮の独立承認 →a
閔妃 らがロシアに接近。
→ ▲1895年 b
閔妃暗殺事件 日本公使が宮中で朝鮮の宮中で王妃を殺害。
・1897年 国号をc
大韓帝国 とし、d
高宗 は皇帝を名乗る。
→ 独立国であることを明確にする。
▼
・日本の繊維産業の発展 → 欧米へa
生糸 輸出、中国にb
綿糸 輸出
→ c
低賃金 による低価格商品の生産→ d
国内市場 の未生育
→ e
国外市場 の拡大を朝鮮半島の植民地化を求め、軍事的拡張政策を採る。
→ 朝鮮をめぐる日本とロシアの対立強まる。
▼
・日露戦争の開始後、および戦後に、三次にわたるb
日韓協約 を締結する。
・1904年8月(戦中) c
第1次日韓協約 日本政府派遣の顧問をおく。
1905年9月 ポーツマス条約でロシアは日本の韓国に対する保護権を認める。(前出)
・1905年11月 d
第2次日韓協約 日露戦争の勝利により日本が強制。(乙巳保護条約)
→ 日本がe
統監府 (初代伊藤博文)を漢城に設置し、内政全般の権限と外交監督権をもつ。
▼
1907年 a
ハーグ密使事件 :韓国皇帝b
高宗 高宗が、オランダのハーグで開催中の
第2回万国平和会議に密使を派遣、日本支配の不当性を訴える。
同 年 c
第3次日韓協約 韓国の内政すべてを統監が指導する。韓国軍を解散させる。
同 年 朝鮮民衆の武装反日闘争起こる。 ← 軍隊の解散に反発。
1909年 d
安重根 、ハルビン駅頭で初代統監伊藤博文を暗殺。
▼
▼

A
光緒新政 義和団事件→ 半植民地化の進行→ 清朝政府の改革の必要。
・宮廷主導の近代化政策
1905年 a
科挙 を廃止。立憲準備に踏み切る。
1908年 b
憲法大綱 を発表、8年後のc
国会開設 を公約。
・西洋式軍隊の育成 d
新軍 (新建陸軍の略。1895年創設。袁世凱が掌握。)
・e
民族資本家 の成長 → 外国資本の進出に対するf
利権回収運動 を進める
→ 国会の即時開会を求める。
・g
華僑 、留学生の運動 → 清朝打倒、漢民族の主権国家建設の要求強まる。
▼
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▼
・1910年 英・米・独・仏の4ヶ国銀行によるa
四国借款団 結成。
1911年 清朝政府、責任内閣制をとる。→ 満州人貴族を中心として構成し、不満起きる。
さらに、外国借款によるb
鉄道国有化政策 を打ち出す。
→ 革命派・立憲派ともに反対運動起こる。
同 年 c
四川暴動 がおこり、全国に暴動が拡大。
・d
1911 年10月10日 e
武昌蜂起 = 革命勃発(f
第一革命 )。
→ 全国に波及し、14省が次々と清朝離脱を宣言。
1912年1月 g
中華民国 建国:首都南京 臨時大総統h
孫文
・清朝政府 新軍のi
北洋軍 をにぎるj
袁世凱 に軍・政の全権を付与する。
→ 内閣を組織、革命鎮圧に向かう。
1912年2月 革命政府と妥協、k
宣統帝溥儀 を退位させる。清朝の滅亡。
・革命の意義: 中国の秦始皇帝以来の皇帝専制政治が終わり、
共和政国家となる。
・中国を構成する民族: 漢・満・蒙古(モンゴル)・蔵(チベット)・回(ウイグル) 。
▼
・1912年3月 臨時大総統となり北京遷都。a
臨時約法 を公布。
・革命運動の分裂
中国同盟会分裂 → 孫文らb
国民党 を組織(
宋教仁らが参加)。→13年選挙で大勝。
・1913年 国民党の挙兵(c
第二革命 ) → 袁世凱政府によって弾圧さる。
→ 袁世凱 正式に
大総統となる。
孫文は日本に亡命、d
中華革命党 を組織。
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・1915年 袁世凱、みずから皇帝になろうとし、帝政復活宣言。
→ 帝政反対運動、雲南で起こる(e
第三革命 )。
→ 翌16年 帝政復活宣言取消の後死去。
▼
・袁世凱の死後、北洋軍が分裂
→ b
安徽派 の段祺瑞、c
直隷派 の曹

・呉佩孚、d
奉天派 の張作霖が抗争。
・孫文は、1917年に
広東軍政府を組織し、軍閥に対抗する。
▼
・第1次世界大戦下、民族資本の成長するなか、政情不安が続き、日本の侵出が積極化する。
→ 1928年、国民革命軍の北伐完了まで政情不安続く。
A
モンゴル 1911年 辛亥革命の時、外モンゴルで独立宣言。
・1914年 中華民国とモンゴル、ロシアの仲介により国境協定(キャフタ協定)
→ 外モンゴルは自治を認められるが、a
内モンゴル は中華民国領とされる。
・ロシア革命の影響を受け、
モンゴル人民革命党が成立。
1921年 b
モンゴル革命 人民革命党のc
チョイバルサン ら、
ソヴィエト政府の赤軍の支援により、革命政府を樹立。
1924年 d
モンゴル人民共和国 成立。
・1913年 a
ダライ=ラマ13世 が亡命から戻り、独立宣言。
→ 軍隊の創設、僧院改革、官僚機構の整備を進め、独立国家の形態を整える。
1914年 イギリスがチベット承認(シムラ条約)
→ 1956年に中華人民共和国の自治区として併合されるまで、独立国家として存続。
・新疆(ウイグル人居住地)は中華民国にとどまる。

・a
鉄道の建設 を進め、コーヒー、茶、b
綿花 の栽培を展開。
→ 民族的自覚をめざす啓蒙運動始まる。
・インド人の自覚も進む → イギリス側にインド人エリートを利用する動きが始まる。
c
ラーム=モーハン=ローイ ら、
サティー(寡婦の殉死)禁止などを呼びかける。
▼
▼
Text p.295
▼
・第1次世界大戦後、インドの反英民族運動ますます激しくなる。

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▲1908年 民族運動の組織、b
ブディ=ウトモ 結成(ジャワ語で「最高の英知」の意味)。
・1911年 c
サレカット=イスラム(イスラーム同盟) 結成。
= 中国の辛亥革命の影響を受けた、商人・知識人を中心とした民族主義運動団体。
→ 1918〜20年に運動高揚する。
▼
▼
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→ 翌年からc
ドンズー(東遊)運動 を開始:
意味: 知識人が日本に留学し新しい技術の獲得をめざす。
→ フランス、日本に取り締まりを要求(1907年日仏協約)。
日本政府、留学生を国外追放にする。 → 1908年 蜂起失敗。
1912年 反仏秘密結社 d
ベトナム光復会 を広東で結成。
▼
・第1次世界大戦後も植民地支配が続き、民族自決が否定される。

19世紀末、イラン人のa
アフガーニー が提唱する。
・背景 ヨーロッパ諸国の西アジアへの侵出 → オスマン帝国領の分割競争の激化(東方問題)
主張 b
西アジアの民衆に民族の自覚を促し、イスラーム教徒としての連帯を呼びかける。
・エジプトのc
ウラービー運動 、イランのd
タバコ=ボイコット運動 などに影響する。
→ ▲エジプトでは
ムハンマド=アブドゥフのイスラーム改革運動につながる。
▼
・1878年 アブデュル=ハミト2世、憲法を停止。a
パン=イスラーム主義 政策での政権維持を図る。
・1880年代末 スルタンの専制政治に反対するb
青年トルコ 結成。中心がc
統一と進歩委員会 。
= 民族資本家の子弟が多く参加。1889年に首都イスタンブルに進軍。
・1908年 d
青年トルコ革命 :ミドハト憲法の復活をスルタンに約束させ、政権を握る。
= ▲
エンヴェル=パシャが指導。パン=オスマン主義を唱え、国家統一をめざす。
→ 外国の援助で近代化を推進。内閣が次第に独裁化し、議会制は形骸化し、国民の支持を失う。
・影響:混乱に乗じてブルガリアは独立。オーストリアはボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合(前節参照)
・帝国主義列強の領土侵略
1911年 e
イタリア=トルコ戦争 北アフリカのトリポリ・キレナイカを奪われる。
1912年 f
第1次バルカン戦争 イスタンブル周辺を除くバルカン半島の領土を喪失。
・▲青年トルコ政権の下で、オスマン帝国のスルタン政治は形骸化したが、1922年まで続く。
→ トルコ人以外のギリシア人、アルメニア人などを弾圧し、次第に
パン=トルコ主義に傾く。
▼
・1891年 イランの革命家a
アフガーニー がよびかけb
タバコ=ボイコット運動 。
→ 国王がイギリス資本に利権を売り渡したのに抗議し、撤回させる。
・1906年 c
立憲革命 が成功する。仮憲法を制定、国民議会開設。← 日露戦争でのロシアの敗北。
→ イギリス・ロシアの干渉強まる。
・1907年 d
英露協商 でロシアが北部、イギリスが東南部の支配することを相互承認。(前出)
・1911年 ロシアが軍事介入し、議会を閉鎖。立憲革命挫折する。
▼
・第1次世界大戦後の、オスマン帝国・カージャール朝イランの崩壊
