第8章 アジア諸地域の繁栄

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 ムガル帝国の興隆と衰退

Text p.181

ア.ムガル帝国の成立とインド=イスラーム文化の開花
 ムガル帝国の建国  
・ティムールの子孫a バーブル 、アフガニスタンのカーブルから北インドに侵入、
 1526年 b パーニーパットの戦い でデリー=スルタン朝最後の王朝ロディー朝を破り
   デリーを占領、c ムガル帝国 を創始。スンナ派を信奉。
   = ペルシア語、アラビア語に通じ、回想録『バーブルの書』を残す。
 アクバル   第3代 a アグラ に遷都 

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 1576年までにインドの大半を支配。
・官僚制の整備と中央集権化
 b マンサブダール制 :位階に応じた給与地を与える官僚制度。
  官僚に位階(マンサブ)を与えて等級をつけ、位階に応じて騎兵・騎馬の数を定め、
  それに応じた給与地(ジャーギール※)を与える。
   ※土地そのものではなく徴税権という形をとる。
 → その実施を通じ、全国土を測量して徴税する制度を導入。
C.新宗教への対応
・15〜16世紀 イスラーム教とヒンドゥー教の融合が進む。
 a カビール  人類は平等であると説き、不可触民への差別を非難。 
 b ナーナク  愛と献身によりカーストの区別無く解脱できると説く。
    →c シク教 の成立。
 = イスラームの影響を受けたヒンドゥー教の改革派。パンジャーブ地方にひろがる。
・d アクバル  帝のヒンドゥー教徒との融和政策
 1564年 e 人頭税(ジズヤ)の廃止  
  自らもヒンドゥー教徒の女性と結婚、官吏にヒンドゥー教徒を登用。
・第4代 ジャハンギール(在位1605〜27年) ヒンドゥー教徒との融和政策を継承。
  → イラン(シーア派)のサファビー朝アッバース1世と争う。
 インド=イスラーム文化 の成熟。
・a シャー=ジャハーン   第5代 在位1628〜58年
 宮廷中心にイラン文化とインド文化の融和が進む。
 絵画:b ミニアチュール(細密画) の発達。
   →▲c ムガル絵画 と▲d ラージプート絵画 に発展。
 e ウルドゥー語 の発生:公用語とされたペルシア語とインドの地方語と融合。
    →現パキスタンの国語。インド人の言葉はf ヒンディー語 という。
 建築 g タージ=マハル   シャー=ジャハーン帝の王妃の廟。
  = インド様式とイスラーム様式の融合したムガル時代の代表的建築

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★ムガル帝国時代の南インド
 14世紀 a ヴィジャヤナガル (ヒンドゥー教の王国)が成立
  → 16世紀初め、全盛期となる。綿花・サトウキビなどの交易で栄える。
  → 17世紀以降、ムガル帝国などイスラーム勢力との抗争で衰える。

イ.ムガル帝国の衰退と地方勢力の台頭
 アウラングゼーブ帝   第6代 在位1658〜1707年 
 外征を繰り返しa デカン高原 を征服し、ムガル帝国の領土最大となる。
・支配の弱体化が始まる。
 農村・都市で商品生産が活発になるが、支配層は地租の徴収の強化だけに努める。
・宗教政策の転換
 b
  → ヒンドゥー教寺院を破壊。
 ・1677年 c 人頭税(ジズヤ)の復活 
  → 南西部のラージプート族や、デカン高原のマーラーター属などの反発強まる。
 地方勢力の台頭    
 マラーター王国  。デカンのヒンドゥー教徒を率いた▲シヴァージーが王国を建国。
   ムガル帝国に反抗。後にマラーター同盟となる(イギリスのインド支配に抵抗)。
 シク教徒  の反乱。西北インド(パンジャブ地方)で反乱を起こす。
・1707年 c アウラングゼーブ帝  の死後、帝位継承をめぐる争いが続く。
  → ベンガル、デカンに独立政権ができる。
  → ムガル帝国の衰退
ムガル帝国の時代は同時にイギリス・フランスなどのインド進出が強まった時代だった。
  → 参照 第10章 ヨーロッパ諸国の海外進出  2節 アジア市場の攻防 

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