世界史ノート 第12章2節

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2 ヨーロッパの再編                        p.224〜 

ア.東方問題とクリミア戦争

 東方問題   19世紀後半、ヨーロッパ好況に転じる。a ナショナリズム が高揚。
 オスマン帝国  の支配下にある中近東のスラブ系民族などなどの独立運動強まる。
  → それに干渉するヨーロッパの強国の対立問題をA 東方問題  いう。
 ・c ロシア のd 南下政策 、e 不凍港 などを目指す。→英、仏、墺と対立。
 エジプト=トルコ戦争    エジプト 総督▲a ムハンマド=アリー による自治政権。
 第1次 1831年 エジプトがオスマン帝国に対し領土を要求し、開戦。(後出)
   b フランス がエジプトを、c ロシア がオスマン帝国を支援。イギリスが介入。
  1833年 ウンキャル=スケレッシ条約 ロシアはトルコからダーダネルス=ボスフォラス海峡の航行を認めさせる。
 第2次 1839年 英・普・墺・仏の圧力を受けたトルコがその約束を破棄、再び交戦。
  → 1841年 5国海峡協定 ウンキャル=スケレッシ条約を破棄。(後出)
 クリミア戦争    オスマン帝国内の▲a 聖地管理権 ※をめぐる対立
  ※聖地イェルサレムの管理権は16世紀以来、フランスが持っていたが、1851年にギリシア正教会に移った。
   ナポレオン3世がその回復を要求し、1853年にオスマン帝国がそれを認めたので、ロシアはそれを不満とした。
    1853年 ロシアのb ニコライ1世 、オスマン帝国内のギリシア正教徒の保護を口実に侵入。
   c フランス ・d イギリス が対抗し、トルコ支援のため出兵。e クリミア半島 が戦場となる。
   → ロシア孤立し、フランス・イギリス・トルコ連合軍に敗れる。一時後退。
    1856年 f パリ条約 :gダーダネスル・ボスフォラス両海峡 の閉鎖確認、h 黒海の中立化 約束他
    → ロシアの南下政策の挫折。フランスが、ナポレオン戦争後、再び強国として登場。
  

イ.ロシアの改革

 アレクサンドル2世の改革    a クリミア戦争 の敗北で改革を迫られる。
  b 農奴解放令 :1861年 農奴(人口の約3の1)の身分的自由、土地所有権を認める。
    →土地は農村共同体(c ミール )に引き渡されることが多く、改革は不徹底であった。
    1861年 d ポーランドの反乱 後、再び専制政治を強化。
 ナロードニキ運動     改革不徹底、産業未発達のため、市民階級の成長不十分。
      1870年代 都市の知識人(a インテリゲンツィア )が改革の担い手になる。
    社会主義の影響を受け、農民への働きかけを必要と考え、b  ”ヴ=ナロード”(人民の中へ) 
    を標語に農村に入り込んだが、保守的な農民を動かすことが出来ず、行き詰まる。
     絶望した一部はc テロリズム 、またはd  ニヒリズム  に走る。
    一方でe アナーキズム が起こる(プルードン、バクーニン、クロポトキンら)。
 露土戦争   (後出)バルカン半島のスラブ系民族のa パン=スラブ主義 を利用。
   1877年 ギリシア正教徒の反乱を支援してトルコと開戦し、勝利。
    戦後b サン=ステファノ条約 でバルカン諸国を独立させ、ロシアの勢力伸びる。
   英、墺の反発を受けドイツの調停でc ベルリン会議 → ロシアの進出挫折(後出)
1881年 d アレクサンドル2世 、ナロードニキ(「人民の意思」派)により暗殺される。

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ウ.イギリスのヴィクトリア時代

 ヴィクトリア時代    19世紀 a ヴィクトリア女王  (在1837〜1901)の時代
   大英帝国の繁栄 =その象徴的できごとが1851年のb ロンドン万国博覧会 開催。
  → c ヴィクトリア朝  、イギリス第二帝国とも言われる。  
 二大政党制   19世紀なかばトーリー党→a 保守党   ホイッグ党→b 自由党 
  の二党が、交互に政権を担当するようになる。 → 議会政党政治の典型となる。
  aのc ディズレーリ   基盤は地主階級、主張は保護貿易主義に近い。
  bのd グラッドストン  基盤は産業ブルジョアジー、主張は自由貿易主義に近い。
 選挙法の改正    1832年 第1回選挙法改正 → 二大政党の形成
 1867年a 第2回選挙法改正  :b 都市労働者 に拡大(有権者、135万→247万)
 1884年c 第3回選挙法改正  :d 農業労働者 に拡大(同、440万に増える)
   → 男子普通選挙に近づく(グラッドストン内閣)
   その他 1870年 e 教育法 → 初等教育の整備。国民教育の進展。 
       1871年 f 労働組合法 → 労働組合の合法化
 アイルランド問題   ケルト系民族の地域。1801年 イギリスのアイルランド併合
  → 「グレート=ブリテンおよびアイルランド連合王国」となる。国旗ユニオンジャックの使用。
 1829年 カトリック教徒解放法 カトリックの信仰は認められたが自治は認められず。
  1840年代 ▲a ジャガイモ飢饉 →多数のアイルランド人がb アメリカ移民 となる。
 1870年 ▲c アイルランド土地法 (グラッドストン内閣) 小作権の安定をはかる。
 1880年代 グラッドストン内閣のd アイルランド自治法案 は議会で否決される。
同時に植民地の拡大を進める。アヘン戦争、アロー戦争、インド植民地化など=後述
  

エ.フランス第二帝政と第三共和政

 第二帝政   a ナポレオン3世 (1852〜70) 立憲君主政だが事実上の皇帝独裁。
 ▲支持基盤  b カトリック教会  の協力 労働者・社会主義の進出を恐れるc 資本家 
          フランスの栄光の再現を期待するd 農民・小市民  
 パリ万国博覧会  1855年(第2回)と1867年(日本も参加)の2回開催。
  首都f パリ の大改造 1853〜70年 セーヌ県知事オスマンに指示。
 クリミア戦争    1853年 オスマン帝国にイェルサレム聖地管理権を認めさせる。(p.150)
   → ロシアがギリシア正教徒の保護を要求しオスマン帝国と開戦。
   イギリス、サルデーニャとともにオスマン帝国を支援、→ ロシアを破る。
   → 1856年 パリ条約(前出) → ナポレオン3世の名声上がる。
 積極的外征    1856〜60年 a アロー戦争 → 中国への侵略(後述p.171)。
  1858〜67年 b インドシナ出兵 → フランス領インドシナの成立(後述p.168)。
 1859〜60年 c イタリア統一戦争 :サルデーニャの独立戦争支援(後述p.152)。
 1861〜67年  d メキシコ出兵 :内乱に干渉して出兵。▲e マクシミリアン を皇帝に。
      →アメリカの南北戦争に乗じて中米に進出をもくろむも、失敗(後述p.182)。 →人気急落
  この間、f レセップス によるg スエズ運河 建設を進める。 1869年開通(後述p.163)。
  

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 普仏戦争(ドイツ=フランス戦争)     スペイン王位継承問題で対立(1868年) 
  1870年 a  ビスマルク  の挑発(エムス電報事件)にのり開戦したが劣勢に陥る。
  →b セダンの戦い で捕虜になる。9月 パリ市民が蜂起。c 第二帝政 終わる。
  → 1871年1月 パリ開城。d ヴェルサイユ宮殿 でドイツ皇帝即位式を挙行。
  → 2月に講和。ボルドーで国民議会成立。共和派のe ティエール が組閣。
  → f 臨時政府 成立。対独講和を進め、パリ国民軍の武装解除を命令。
 パリ=コミューン   1871年3月 パリ市民が蜂起し、a 自治政府 を樹立。
  社会主義者が政権に参加しパリ掌握。=意義:b 世界史上最初の労働者自治政権   
   施策:全役職の直接選挙、諸会議決定の公開、汚職は死刑などを実施。
  →共和政府はドイツ軍の協力で弾圧  5月21日〜28日の“c 血の週間 ”によって崩壊。
 第三共和政   1870(実質は1875)年から〜1940年6月まで
  パリ=コミューン鎮圧後、王党派と共和派が争い、次第に共和派が勢力を伸ばす。
 1875年 a  第三共和政憲法    成立:三権分立 普通選挙 大統領制を規定。
    大統領は両院で選出し任期7年、名目的元首。内閣が行政権を握る。議会は二院制。
1880年 b 7月14日 を国民祝祭日とし、フランス革命の理念によって国民統合を進める。  

オ.イタリアの統一

 ※1848年の革命 → イタリアの統一運動(▲a リソルジメント )活発になる。
 青年イタリア  の運動 1831年に結成 a マッツィーニ 指導。
 1848年 帰国し、1849年 b ローマ共和国 設立。フランス軍に弾圧され失敗。
  同年、サルデーニャ王国のカルロ=アルベルト王、オーストリアと戦い敗れる。
 サルデーニャ王国    イタリア北西部のピエモンテとサルデーニャ島を領有。
   国王a ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世  
  1852年 b カヴール  を首相に任命。c クリミア戦争 に参加、国際的地位高める。
      → c ナポレオン3世 との同盟(▲d プロンビエール密約 )成立。
 イタリア統一戦争   1859年 フランスの支援でa オーストリア と戦う。
   → サルデーニャが有利に進めるが、ナポレオン3世が単独講和(ヴィラフランカ条約)
     → サルデーニャはb ロンバルディア 獲得にとどまる。
  1860年 c サヴォイア ・d ニース をフランスに割譲、e 中部イタリア併合 
      同年 青年イタリアのf ガリバルディ  赤シャツ隊を率いてg シチリア占領 
          さらにh ナポリ王国 を征服し、両シチリア王国をサルデーニャ王に献上。
 イタリア王国   首都は初め、ピエモンテ地方のトリノ
 1861年成立 a ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世 を国王とする。
 1866年 b ヴェネツィア併合  普墺戦争でプロイセンを支援、勝利によって獲得。
 1870年 普仏戦争の際、c ローマ教皇領を占領 。教皇「ヴァチカンの囚人」となる。
 d 1871 年 e ローマ を首都とし、イタリアの統一完成。→ 南北の格差残る。
残された問題・f トリエステ 、g 南チロル などの「h 未回収のイタリア 」の存在
      ・イタリア王国とi ヴァチカン のローマ教皇庁との対立

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カ.ドイツの統一

 ※ウィーン体制下、ドイツ連邦のもとで、政治的分裂続く。
 ドイツ関税同盟   の発足 a プロイセン を中心に、結成される。 
 1834年 b オーストリア を除く諸邦で発足。▲c リスト の保護貿易主義の影響。
  → 商工業者が望むドイツの経済的統一をほぼ実現。 → 政治的統一に進む。
 フランクフルト国民議会   1848年 三月革命に際し、自由主義者が開催。
  a 大ドイツ主義 :オーストリアのドイツ人居住地域を含む統一を主張。
  b 小ドイツ主義 :オーストリアを含まず、プロイセンを中心とした統一を主張。
  → 統一失敗。 自由主義運動は後退しc ユンカー階級 による統一運動に替わる。
 ビスマルク   の登場 1861年 プロイセン王a ヴィルヘルム1世 が首相に任命
 =b 鉄血政策 :c “言論や多数決でなく、鉄と血によってのみ解決される”と演説
 1864年 デンマーク戦争 d シュレスヴィヒ・ホルシュタイン を併合
 1866年 e プロイセン=オーストリア戦争   7週間で圧勝、ドイツ連邦を解体。
 1867年 プロイセンを盟主とするf 北ドイツ連邦 を結成
  → 南ドイツ諸邦も同調しドイツ統一完成に近づく。→g オーストリア ※は排除される。
 普仏戦争    1870年7月 a ナポレオン3世 を挑発して開戦。(p.152)
  → 9月 b セダンの戦い でa ナポレオン3世 を捕虜とする。さらにパリを包囲。 
  1871年 c アルザス・ロレーヌ の両州と賠償金を獲得。
  

キ.ドイツ帝国の成立とビスマルク外交

 ドイツ帝国 成立 a 1871 年1月 皇帝b ヴィルヘルム1世 
  フランスのc ヴェルサイユ宮殿 で即位式を挙行。
   プロイセン王がドイツ皇帝を兼ねる22の君主国と3自由国からなる連邦国家。
 d ユンカー 階級が官僚・軍隊の要職を占め、議会は男子普通選挙が行われたが弱体。
 ビスマルク時代  1871〜90 宰相として20年、独裁的な権力をふるう。
 ・a 文化闘争  中央集権強化に反対する南西ドイツのb カトリック勢力 を弾圧。
 ・c 社会主義運動 の活発化 工業発展とともに労働者階級が増大。専制政治への批判強める。
  1860年代 d ラサール らが社会主義、e ベーベル らがマルクス主義を組織。
  1875年 ゴータ大会で合同、f ドイツ社会主義労働者党 ※を結成。
    ※後の1890年にg ドイツ社会民主党 に改称。
 ・ビスマルクのh 社会政策  = i アメとムチ と言われる。
   1878年  j 社会主義者鎮圧法 を制定。社会主義政党を非合法として弾圧。
    一方で、k 社会保険制度  :災害保険・疾病保険・養老保険などを実施。
 ・1879年 l 保護関税法 :ユンカーの農場経営とドイツ重工業を保護するため制定。
 ビスマルク外交    フランスの再起を恐れ、その孤立化を維持する。
 1873年 a 三帝同盟  b ドイツ ・c オーストリア ・d ロシア の軍事同盟。
   → ロシアはe パン=スラブ主義 をとり、バルカンでオーストリアと鋭く対立。
 1877年 f ロシア=トルコ戦争(露土戦争)  ロシアの圧倒的勝利となる。
   → g サン=ステファノ条約 ブルガリアを保護下におくなど、ロシアに有利であった。
   → h イギリス ・c オーストリア が反発。ビスマルク、調停に乗りだす。
  

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 ベルリン会議     1878年 a バルカン問題 をめぐる墺(英)と露の対立を調整。
 b 「公正なる仲介人」 を自称する。
 c ベルリン条約 締結 → d サン=ステファノ条約 は廃棄。
  ・e ルーマニア 、f セルビア 、g モンテネグロ の独立の承認。
  ・h ブルガリア はオスマン帝国内の自治国とする。
  ・イギリスはオスマン帝国からi キプロス を獲得。 →中東進出を狙う。
  ・オーストリアはj ボスニア・ヘルツェゴヴィナ の統治権を認められる。
 →c ロシア の南下政策が抑えられ、中央アジア・東アジア方面に向かう。  
 三国同盟   の締結  1881年 三帝同盟を再建(新三帝同盟)。
 → フランスのチュニジア進出を警戒するa イタリア を抱き込みフランス包囲網を形成。
 1882年 b ドイツ ・c オーストリア ・a イタリア の秘密軍事同盟。
   87年 バルカンでのc オーストリア とd ロシア の対立激化 →三帝同盟解体。
   →同年 b ドイツ ・c ロシア がc 再保障条約  締結。
   ドイツの安全を図る同盟関係=e ビスマルク体制 という。
1890年 ドイツ皇帝f ヴィルヘルム2世  ビスマルクを罷免。ビスマルク時代終わる。

 地図 イタリアとドイツの統一

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※オーストリア:1866年 a 普墺戦争 での敗北 → 1867年 ハンガリーとの妥協
  (b アウスグライヒ )成立 c オーストリア=ハンガリー帝国 となる。(二重帝国)
  皇帝d フランツ=ヨーゼフ1世 (在位1848〜1914) 皇后、皇太子いずれも暗殺される。
  

ク.北ヨーロッパ諸国

 ・a スウェーデン  18世紀初めの北方戦争でロシアに敗れ、バルト海の制海権をなくす。
   北ドイツの領土はプロイセンに、b フィンランド ※はロシアに奪われる(1809年)。
   19世紀初め、憲法を制定、責任内閣制をしく。
  ※ロシア皇帝が大公を兼ねる自治国となる。
 ・c ノルウェー  もとデンマーク領。ウィーン会議でスウェーデン領となる。
   独立運動を続け、憲法を制定、1905年 国民投票で平和的に独立を達成。
 ・d デンマーク  1864年 プロイセンにe シュレスヴィヒ・ホルスタイン を奪われる。
   酪農を主とする国づくりを行う。
 → 北欧三国はいずれも立憲君主制を採り、議会政治が発達し、小国として安定する。
  

ケ.国際的諸運動の進展

 ・社会主義運動 1864年 a 第1インターナショナル 結成:
   b マルクス の指導した社会主義の国際組織。→c バクーニン ら無政府主義者など内部対立。
   →パリ=コミューン崩壊後、70年代に弾圧が強まり、1876年に解散。
 ・国際赤十字社 d クリミア戦争 でのナイティンゲール(イギリスの看護婦)の活躍。
   1864年 e デュナン が発案してジュネーヴでf 赤十字条約 を締結。
 ・1896年 第1回 g 国際オリンピック大会  アテネで開催。
   フランスの▲h クーベルタン の提唱。

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