第3章 東アジア世界の形成と発展
2 東アジア文化圏の形成
Text p.86
589年 南朝の陳を滅ぼす。都b
大興城(長安) を建設。中央集権体制をとる。
→ 背景:583年 c
突厥 の東西分裂。隋は東突厥と結ぶ。
・土地制度:北魏のd
均田制 を継承。
・税制:土地制度の均田制をもとにe
租庸調制 を制定。
・軍事制度:西魏で始まったf
府兵制 を継承、兵農一致の体制を作る。
Text p.87
・官吏登用制:九品中正制を廃止し、g
科挙 =官吏登用(
選挙)に儒学の試験を用いる。
▲法律の整備:h
律令 を制定。 → いずれも唐に受け継がれて完成する。
▼
・a
大運河 の完成:華北と江南の物資の交易のため。通済渠など。
→ 中国史上初めての華北と江南を結ぶ動脈となり、後代にも大きな役割を果たす。
607年 日本の▲b
聖徳太子 、遣隋使(小野妹子)を派遺、煬帝と交渉。
▼
東突厥が勢いを盛り返す。→ 618年 煬帝暗殺され、滅亡。
▼
D
唐の建国 隋の武将a
李淵 、山西で挙兵、大興城を占領(東突厥と結ぶ。)
▼
7世紀 唐の全盛期
→ 隋唐時代のアジア
○唐の制度
2
均田制 土地を公有とし、16才以上の男子に▲a
口分田 (80畝)を班給して
耕作させ租を負担させる。死ねば国家に返還する。(他に世襲の▲b
永業田 20畝を
支給。60才以上の老人や官戸には40畝、未亡人には30畝を支拾。)
→日本の▲c
班田収授法 の手本とされる。
3
租庸調制 均田制をもとにした租税制度。口分田を耕作する
丁男にかかる人頭税。
租=粟2石の現物
庸=年20日の労役を「正役」、その代償物の絹を庸。
調=絹、綿、布または麻斤の現物 外にa
雑徭 =年40日の地方での労役。
・ポイントは、口分田を耕作する丁男にかかる人頭税で、現物納で定額制であることと、
労役(律令では
徭役という)の比重が大きいこと。
4
府兵制 西魏に始まる。口分田を班給される男子から徴兵。
兵役:地方の折衝府に勤務、
都の警備(衛士)、辺境の防備(防人)などに選ばれる。租庸調は免除になるが、武器自弁。
※律令制社会のしくみ:公地公民の原則がとられ、農民に土地を与えて自作農とし、
かれらから税を徴収し、兵士を徴発する体制。
→実施状況は西域の敦煌文書やトルファンで出土した給田文書などで知ることが出来る。
Text p.88
一方で貴族はa
荘園 という大土地所有が認められ、小作人(佃戸)を使役して経営。
・貨幣制度 漢の五銖銭以来の統一貨幣、
開元通宝を発行(高祖が621年に発行)。
○唐の文化
特徴 ・「豊かな国際性」と「貴族文化の繁栄」が顕著な特徴といえる。
・儒教、仏教、道教の「三教」も互いに競いながら展開した。
・「三夷教」および回教といわれる西方伝来の新宗教も都長安で流行した。
・冊封体制のもとで周辺世界に大きな影響を及ぼした。
西域を通しササン朝ペルシアからイラン文化が伝えられ、冊封体制のもとで東アジア各地から
使節や商人、留学生などが集まった。都長安では特に国際的な文化が開花した。
都 a
長安 の繁栄:東西対称の都市計画 → 日本の平城京・平安京などのモデル
周辺諸国からの朝貢使節・留学生・商人が集まる。(日本からの遣唐使など)
仏教寺院・道教寺院(道観)のほか、以下の各宗派の寺院が建設されていた。
海路の開発によるアラブ人との交易 f
揚州 ・g
広州 など、華中・華南の港市が繁栄。
→ 広州に海上貿易を管轄するh
市舶司 がおかれる。
→ アラブ人(イスラーム教徒)の商人はi
大食 と言われる。
2
仏教の隆盛 朝廷・貴族の保護を受け繁栄し、インドとの仏僧の往来も活発だった。
唐王朝は老子と同じ李姓だったことから道教を保護したが仏教に対しても当初は寛容であった。
a
玄奘 :陸路インドに到達、ナーランダ学院に学び、多数の経典を持ち帰り法相宗を伝える。
その旅行記b
『大唐西域記』 →『西遊記』の原作となる。
c
義浄 :海路インドに到達。経典を持ち帰る。その旅行記がd
『南海寄帰内法伝』
Text p.89
・仏教の各宗派の形成。仏教教理の研究も進み、多くの宗派がおこる。
e
浄土宗 :
末法思想が興り、念仏により阿弥陀如来のいる極楽浄土への往生を願う。
→
阿弥陀信仰
f
禅宗 :インドから伝わり、坐禅により悟りを開くことを求める。
▲他に、
華厳宗(華厳経を重視)、
天台宗(法華経を重視)、g
密教 である
真言宗などが興る。
▲後半の8世紀中期、武宗の時には弾圧を受け(
会昌の廃仏)、一時衰退。
3
儒教 儒学はa
科挙 の試験科目とされ、貴族の必須の教養とされる。
b
孔穎達 :太宗に仕え
『五経正義』などを編纂=五経の公式解釈書を編纂。
→ 経典の解釈を主とするc
訓詁学 が復興。
→ 内容的には固定化し、思想や学問上の発達はみられず。
4
貴族文化 魏晋南北朝から隋代にかけて成立した貴族社会が文化の担い手となる。
・
唐詩:初唐(太宗〜則天武后の時代=7世紀)・盛唐(玄宗の時代=8世紀前半)・
中唐(安史の乱後から9世紀初め)・晩唐(9世紀中頃〜唐滅亡まで)の4期に区分
唐で詩文が発展した背景:a
官吏登用試験の科挙で、詩作の能力が問われたこと。
・書道:初唐に
欧陽詢・
遂良・虞世南ら、中唐のh
顔真卿 が有名。
・工芸:
唐三彩 緑、褐色、白で彩色した陶器。
→唐代の東アジア交通路
1.北方の遊牧民族
A
突厥 6世紀 トルコ系民族 モンゴル草原から中央アジア一帯を支配
大遊牧帝国を建設(第4章2節参照) → 西方ではエフタルを滅ぼす。
・583年 隋に圧迫され東西に分裂。
→
東突厥は唐の建国を助け、一時隆盛。→ 630年 唐に服属する。
西突厥はトルキスタンを支配。唐に敗れ7世紀末に衰退。
・8世紀に再建され、a
突厥文字 を持つ。北方遊牧民の最初期の文字として重要。
→ 744年 ウイグルに滅ぼされる。
▼
B
ウイグル 8世紀 トルコ系民族。突厥を滅ぼし、中央アジアを支配。
a
安史の乱 では、唐軍を支援。しだいに唐を圧迫するようになる。
・9世紀 同じトルコ系のキルギスに敗れて滅亡。一部はタリム盆地に移動。
独自のb
ウイグル文字 を持つ。
▼
Text p.90
2.唐と東アジア諸民族
唐を中心とした、a
東アジア文化圏 が形成される。
周辺諸国の首長が唐に朝貢し、統治権を認められるて成立した外交秩序を▲b
冊封体制 という。
・
新羅の統一 三国の対立、日本の干渉が続く中、唐と結んだ新羅が有力となる。
663年 a
白村江の戦い 唐・新羅連合軍、日本・百済の連合軍を破る。
668年 唐・新羅の連合軍、b
高句麗 をほろぼす。
676年 唐の勢力をしりそげて、半島の大部分を支配。
・新羅の社会 c
骨品制 :氏族制的な身分制度をもつ。
都の
慶州を中心に唐に倣った
仏教文化が発達。
例:慶州の▲d
仏国寺 (多宝塔が有名)、
石窟庵など。
・
渤海 高句麗の滅亡後、その遺民と
靺鞨族が中国東北地方・朝鮮北部を支配し、
698年、▲a
大祚栄 が建国。713年渤海郡王に封じられる。都は
上京竜泉府。
唐の文物・制度をさかんにとり入れ、8〜9世紀に栄えて
「海東の盛国」と言われた。
→ 日本とも使節の往来があった。
・
日本 7世紀 大陸文化の摂取と中央集権国家の形成すすむ
607年 聖徳太子、a
遣隋使 小野妹子を派遣 → 隋の煬帝と交渉。
630年 b
遣唐使 の派遣。留学生や留学僧も加え、文化の輸入につとめた。
645年 c
大化の改新 :唐にならって律令国家体制をととのえる。
701年 大宝律令制定 710年 d
平城京 の建設 →唐の都長安城を模倣。
708年
和同開珎の発行(唐の開元通宝を手本とする)
→唐をつうじてインド・イランなどの文化にも接し、e
天平文化 が繁栄。
・
チベット 7世紀にa
ソンツェン=ガンポ が統一。中国名はb
吐蕃 。
c
チベット文字 :インド系の文字をもとにチベット文字がつくられた。
d
チベット仏教 :仏教と固有の民間信仰と融合させた独自のチベット仏教が成立。
8世紀後半、雲南にe
南詔 (チベット=ビルマ系の王朝)が成立。
Text p.91
3.東南アジア
北部ベトナムを支配 679年 ハノイに
安南都護府を置く。
カンボジア(真臘)・チャンパー(林邑・環王)・シュリーヴィジャヤ(室利仏逝)なども唐に朝貢。(前出)
A
則天武后 の政治 高宗の皇后。高宗の死後、実権を握り、690年 帝位につく。
・国号をa
周 (武周)と改める。科挙官僚の重用、仏教の保護などを行う。
次の中宗が唐にもどすが皇后の韋后に毒殺される。
この時期の混乱を▲b
武韋の禍 という。
▼
B
玄宗 韋后を殺害して父を皇帝に立て、次いで712年、皇帝となる。
・唐の繁栄を回復し、▲a
開元の治 といわれる。律令の改定などを実施。
・治世後半の政治
b
募兵制 749年 府兵制廃止:均田農民が没落し兵士徴発が出来ず、募集する。
c
節度使 の設置:周辺の異民族に備えて置いた募兵集団の指揮官。
→ 有力な節度使が私兵を蓄えるようになる。
・西域経営の失敗:751年 d
タラス河の戦い でイスラーム軍に大敗。
・後半の治世で内政が乱れる:愛妃e
楊貴妃 の一族の楊国忠を重用し、宰相とする。
▼
C
安史の乱 755〜763年 節度使 a
安禄山 が反乱。その部下史思明が引き継ぐ。
・755年には反乱軍が長安を占領、玄宗と楊貴妃は逃亡(白居易の▲b
『長恨歌』 )
→ 唐、北方民族のc
ウィグル の援助で反乱を鎮圧。
・影響:中央政府の権力弱まり、各地の節度使が自立、c
藩鎮 と言われる。
→ d
ウィグル 、e
吐蕃 、南詔などの周辺民族が唐の領土に侵入。
→ 8世紀後半〜9世紀 各地に藩鎮が自立、唐王朝は存続するが衰える。
▼
Text p.92
・a
両税法 :780年 宰相b
楊炎 の献策で実施。→租庸調制度の停止。
= 現住地で実際に所有する土地や資産に課税し、夏秋2回の収穫期に徴収する。
・商業への規制ゆるむ →
草市が発生し、
市・
鎮に成長。
商業の展開 →
飛銭(送金手形)の発生。
・
塩専売制:761年から全国で実施 さらに高額の塩税をかける。
▼
E.唐の滅亡
875〜884年 a
黄巣の乱 塩の密売人
王仙芝と
黄巣が起こした反乱
飢饉に苦しめられていた農民が参加し、大農民反乱となる。
907年 節度使 b
朱全忠 が(もと黄巣の部下)唐を滅ぼす。
▼
・907年 a
朱全忠 、b
後梁 を建国、都をc
ベン州(開封) に定める。
→ 各地のd
節度使 が自立(藩鎮)=中国の分裂。
・次いで華北にe
後唐 ・f
後晋 ・g
後漢 ・h
後周 が交替。
この五王朝をi
五代 という。その他に有力な節度使が10の国を作る。=j
十国
→ 各国では節度使の武力による
武断政治が行われ、混乱が続く。
→ 北方系遊牧民の進出。契丹はf
後晋 から燕雲十六州を割譲される。(後出)
・社会の変化:i
荘園 を基盤としていた貴族の没落、かわって新興のj
地主層 が成長。
= 所有地をk
佃戸 (小作人)に耕作させて小作料を取る形態となる。
▼
960年 五代の後周の部将 趙匡胤が宋を建国。次の太宗が中国を統一。
