第3章 東アジア世界の形成と発展

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 北方民族の活動と中国の分裂

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ア.北方民族の動向
 4〜5世紀 a 遊牧民 が大規模な移動を開始 → 地球規模での民族大移動。

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 匈奴の分裂 
 a 匈奴 、漢の武帝による攻勢を受け、内紛も生じる。
                ┌→ 東匈奴  →内モンゴルを支配。前51年、漢に服属。
 前60年頃、b 匈奴の分裂 ─┤ 
                └→ 西匈奴  →タラス川上流に移住。

  → 前36年 東匈奴が漢と結んで西匈奴を倒す。
                 ┌→ 南匈奴  →中国内地に移住。後の五胡の一つとなる。
 後48年c 東匈奴 南北分裂 ─┤
                 └→ 北匈奴  →後漢に討たれ、西に移動 →フン族か?
 
 五胡 の華北侵入
 2世紀ごろ、遊牧民諸部族が華北に移住し、後漢などの傭兵として活動。
 4世紀初め、中国内部の混乱 → 華北に遊牧民が国家を建設し、興亡する。
   → 漢人は、華北から江南(長江下流域)に移住。
 a 匈奴 :漢に服属した南匈奴の中の劉淵が八王の乱の際に挙兵し、304年に漢を建国。
 b 羯  :匈奴の一派。後に十六国の一つ後趙を建国。
 c 鮮卑 :モンゴリア草原の遊牧民。ツングース系・トルコ系などの説がある。
      後にその中の拓跋氏が有力となり、北魏を建国し、華北を統一。
 d:陝西・甘粛地方のチベット系半農半遊牧民。十六国の前秦、後涼を建国。
 e 羌  :青海地方のチベット系遊牧民。十六国の一つ後秦を建国。後には西夏を建国。
  ※以上をあわせてf 五胡 という。
        ┌→ ユーラシア西部 フン族の西進 →g ゲルマン民族の大移動 
 4〜5世紀 ─┤
        └→ ユーラシア東部 五胡の南下 →h 中国の南北朝の動乱  
 
イ.分裂の時代
 後漢の滅亡    184年 a 黄巾の乱   を豪族連合軍が鎮圧。→ 群雄割拠
 華北のb 曹操 、江南のc 孫権 、四川のd 劉備 が有力になる。
  208年 ▲e 赤壁の戦い 曹操、孫権・劉備の連合軍に敗れ、天下三分の形勢となる
 三国時代      220〜280年 
 華北 a 魏 :曹操の子b 曹丕(文帝)  、後漢を滅ぼす(220年)。都c 洛陽 
         → 官吏登用制として九品中正を定める。(後出)
 長江下流(江南) d 呉  :孫権が建国。都はe 建業 (現南京)。
 四川 f 蜀 :劉備が建国。都g 成都 関羽張飛諸葛孔明が活躍
  → 234年 諸葛孔明、五丈原で陣没。
 263年 魏が蜀を滅ぼす。  
 晋の統一  
 265年 a 司馬炎 、魏の帝位を奪い建国(武帝)
 280年 晋が呉をほろぼし中国統一(西晋)。 →  政情は安定せず。
  → 土地制度として占田法・課田法、税制として戸調式を定める。(後出)
・西晋の混乱
 290〜306年 b 八王の乱  = 司馬氏一族の諸王の抗争。
  → それぞれが北方の遊牧民を傭兵として利用し、抗争する。
  → 北方の遊牧民=c 五胡  が勢力を伸ばし各地で自立する。
 304年 匈奴の劉淵、山西で挙兵し漢を建国(後の前趙)。  

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D 西晋の滅亡と東晋の建国
 311年 a 匈奴 が西晋の首都洛陽を攻略、ついで316年、長安も陥落させ西晋滅亡。
   = b 永嘉の乱 
 317年 晋の一族c 司馬睿 が江南に逃れd 東晋 を建国。都e 建康 (現南京)。
  → 漢文化の中心が江南(長江流域)に移り、開発も進む。  
 五胡十六国    304〜439年 華北に五胡および漢人の16王朝が興亡。
 五胡=a 匈奴 ・b 鮮卑 ・c 羯 ・d・e 羌  
  それぞれ華北に王朝を立て、抗争する。
  → 華北に遊牧民の習慣(粉食や椅子など)が広がる。
  → 鮮卑の中の一部族、f 拓跋氏 が有力になる。
 386年 拓跋珪がg 北魏 を建国(道武帝)。
  → 398年 平城(現大同)を都とし、部族制を廃止。  
 南北朝  439〜589年の150年間
 南には漢民族の王朝、北には北方民族の王朝が併存。
 北朝 
 439年 a 北魏 のb 太武帝 が華北統一。道教を国教とし仏教弾圧(後出)。
 494年 c 孝文帝  都をd 平城 からe 洛陽 に移す。
  ・仏教保護に転ず。(後出)
  ・制度、服装、言語のf 漢化政策 を推進。
  ・g 均田制 (土地制度。後の隋唐が継承。)
  ・h 三長制 (隣・里・党からなる村落制度)の採用。
 538年 内紛からi 東魏 とj 西魏 に分裂。
  ・西魏で軍事制度の府兵制が始まる(隋唐が継承)。
  → さらに、東魏はk 北斉 に、西魏はl 北周 に替わる。
 577年 l 北周 が華北を統一。府兵制を継承。廃仏を行う。
 南朝 
 420年 東晋の武将a 劉裕 が実権を握り、b 宋 を建国。
   以後、c 斉 →d 梁 →e 陳  と漢民族の王朝が続く。
  ・都はいずれもf 建康 (現南京)。
  ・貴族の勢力が強く、皇帝権力は弱かった。
  ・長江流域の開発が進み生産力発展し、人口も増える。
 ※呉〜東晋〜南朝の四つの漢民族の王朝をあわせてg 六朝 という。
  → 貴族による漢文化が継承されh 六朝文化 として栄える。(後出)  
581年 隋の統一
 ここまでの3〜6世紀をまとめてi 魏晋南北朝時代   という。

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ウ.社会経済の変化
 貴族階級の形成    後漢末からa  豪族  の力強まる。

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  官吏登用制度の変化 漢のb 郷挙里選 → 三国時代の魏のc 九品中正  に変わる。
   地方の州郡毎の役人である中正官が、人物を九等級にわけて中央政府に推薦する。
  →▲d 「上品に寒門無く下品に勢族なし」   といわれ、豪族が上級官僚を独占。
  → 地方豪族が中央政府に進出し、政治権力を握りe 貴族階級 (門閥貴族)を形成する。
土地制度の変化   豪族の大土地所有と農民の没落・奴隷化の防止のための政策。
  三国時代・魏のa 屯田制 :富豪が耕作者の集団に官有地を耕作させる制度。
  西晋の▲b 占田法  課田法 :土地所有の制限と租税の確保をはかったものか。
    → 税制 戸調式:一戸ごとに税として絹・綿など現物を納められる。
  北魏のc 均田制 :孝文帝が定めた土地公有制。隋唐の土地制度として継承される。
   15歳以上の男に40畝、女に20畝の露田を給し、老年になれば返還させた。
    =大土地所有の制限は不十分で、豪族の貴族化は隋唐時代まで続く。
  d 江南の開発 :長江の中・下流。華北からの人口流入により人口増加し、開発進む。
    →東晋および南朝では土断法を施行。=華北からの移住民をその地で戸籍に登録する。
   南朝の貴族は、荘園を経営、自給自足的な田園生活を行うものも現れた。
エ.魏晋南北朝の文化
 特徴 ・動乱期にあたり、多様な思想や文化が生まれ、儒教に代わり仏教と道教が盛んになった。
    ・貴族社会が形成され、自由で自主的な思想(竹林の七賢など)が生まれた。
    ・特に江南では、漢文化が継承され、文学や絵画で貴族を主体とした六朝文化が栄えた。
 仏教の伝来   後漢の1世紀ごろ、西域から中国に伝えられる。 
  → 4世紀後半 中国の社会一般に仏教が広がる。 → 中国仏教の展開
 ・4〜5世紀 華北の五胡十六国、江南の東晋の時代、西域・インドとの仏僧の往来が盛んになる。
  a 仏図澄  310年 西域の亀茲から来朝し洛陽で布教。
    → 弟子の道安、戒律を作る。 → 東晋の慧遠、浄土教を始める。
  b 法顕  東晋の僧。399〜412年 グブタ朝インドに行きc 『仏国記』 を著す。
  d 鳩摩羅什  亀茲の人で父はインド人。5世紀はじめ 長安で布教、仏典の翻訳。
 ・5世紀 e 北魏 の仏教弾圧 
  太武帝、道教を国教とし、446年に仏教弾圧(f 廃仏 )が行われる。
    → 三武一宗の法難の始まり。
 ・g 石窟寺院 の造営 北魏で仏教が復興し、孝文帝によって保護される。
   h 敦煌 :西域の東端。4世紀から唐代に及び塑像の仏像、壁画が多数作られる。
   i 雲崗 :文成帝の時、平城(大同)に建造。ガンダーラ・グプタ様式の残る石仏。
   j 竜門 :孝文帝の遷都に伴い、洛陽郊外に建造。中国独自様式をもつ石仏。
 ・北朝の仏教=庶民に広がると共に国家仏教、護国鎮護の宗教として発達。
 ・南朝の仏教=貴族の個人的な信仰を中心とした貴族仏教、学問仏教として発達。
   6世紀前半、梁の武帝の時、江南の仏教が栄える。
 道教の成立     5世紀、民間信仰とa 神仙思想 を道家の思想に取り入れる。

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  北魏のb 寇謙之  新天師道をはじめ、国家宗教として教団の形成につとめる。
  →c 太武帝 に信任され、▲442年 北魏の国教となる。
   さらに不老不死と現世の利益を説き、民衆に浸透する。
   道教の僧を道士、寺院を道観、経典を道蔵という。 
 貴族文化    
 魏晋南北朝の文化の特徴
  ・儒教は衰退して、老荘思想(道教)と仏教が発展した。
  ・江南の漢民族の王朝に貴族文化が継承された。=六朝文化
 魏〜西晋 a 竹林の七賢  阮籍けいケイ→拡大)康ら、儒教的な道徳を否定、
    自由な生き方を求める。老荘思想の影響を受けた自由な議論をb 清談 という。
 東晋〜南朝 漢文化が継承され貴族文化が発展 = c 六朝文化 
  ・文 学:詩人 東晋のd 陶淵明(陶潜) 、宋のe 謝霊運 など、田園生活を歌う。
       文人 f 昭明太子 (梁):「文選」を編集。g 四六駢儷体 の文体が流行。
  ・美 術:絵画 h 顧ト之  (東晋)『女史箴図』
       書  i 王羲之 (東晋)『蘭亭序』 その子 王献之
  ・歴史書:西晋の陳寿、『三国志』を編纂。
  ・地理書:れきレキ→拡大)道元の『水経注』
  ・技術書:賈思きょうキョウ→拡大)のj 『斉民要術』 (中国最古の農業書)。
  ・医 学:k 『傷寒論』 (医学書)
オ.周辺国家の形成
 朝鮮半島の情勢   中国の分裂 → 朝鮮半島の諸民族の自立
  周辺諸民族の新興国家が中国の諸王朝にa 朝貢 する。外交儀礼とともに貿易でもある。
 ・半島北部:313年 b ツングース 系 貊族のc 高句麗 が楽浪郡を滅ぼす。
       都は鴨緑江岸の丸都城。→427年に都を平壌に移す。
   →4〜5世紀 d 広開土王(好太王) 半島南部に進出、倭と争う。資料 広開土王碑。  
 ・半島南部:e 韓 民族が三韓(馬韓・辰韓・弁韓)に別れ、それぞれ小国に分立。
   →4世紀なかば、馬韓、辰韓では統一が進む。
   辰韓→f 新羅  都は金城(現在の慶州
   馬韓→g 百済  都は漢城(現ソウル)、高句麗に押され南の熊津、さらに扶余に移る。
   弁韓 → 加羅諸国(その中の一つが任那) → 倭が進出か
   =朝鮮のh 三国時代 (4〜7世紀)

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日本      1世紀頃から、中国の文献にa 倭国(倭人)   として現れる。
 3世紀 b 邪馬台国 の女王c 卑弥呼  が魏に朝貢 (d 『魏志倭人伝』 )に記載。
  → 考古学上の弥生時代後期にあたる。
 4世紀 e 大和政権  が成立か。 → 考古学上の古墳時代の始まり。
 5世紀 倭国の王(讃・珍・斉・興・武) 中国の南朝に朝貢。(倭の五王)
  → f 漢字 ・仏教 ・儒教 ・道教 などの中国文化が朝鮮半島経由で伝わる。
 

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