第2章 アジア・アメリカの古代文明

見出しにジャンプできます。   解答を全て表示します。 全解答を消去します。 解答も印刷されます。

 中国の古典文明

Text p.69

ア.東アジアの風土と人びと
・東アジア世界  = ユーラシア大陸東部地域
  中国を中心に、北はモンゴル高原、南はベトナム北部、西はチベット高原、東は朝鮮半島・日本列島
・気候と生活
  中国東部・朝鮮・日本列島 = 温暖湿潤なモンスーン地帯 → a 農耕・牧畜 が広がる。
  北方の草原・砂漠地帯 = 主としてb 遊牧 を生業とする。
  東北部の森林地帯 = 狩猟・採集を中心とした生活が続く。
     → 北方・東北部の遊牧民や狩猟・採集民が、農耕地帯への侵入・貿易をくりかえす。
・民族 中国は大部分を占めるc 漢族 と50あまりのd 少数民族 からなる。
  少数民族 モンゴル族・ウイグル族・チベット族など … かつて独立国家を形成したこともある。
       西南部に分布するヤオ族・ミャオ族など … 中国の各王朝に統治される。
  周辺の諸民族 ベトナム人、朝鮮人、日本人など
・文化 中国の漢文化を中心として千年以上の間、東アジア文化圏を形成。
  その主な内容 e
イ.中国文明の発生
 中国文明  ※従来は黄河文明とされたが現在は長江流域の文明も含めている。   
 前6000年 a 黄河 流域の黄土地帯で、b 雑穀 中心の畑作農業が、
      c 長江 流域で、d 稲 中心の粗放な農耕が始まる。
 前5000年紀 農耕技術発達し、村落の形成がすすむ。→文明の形成

Text p.70

黄河文明 仰韶文化   黄河中流域で粟の栽培、豚・犬・鶏の飼育などの農業が始まる。
    ・f 彩文士器(彩陶) の使用・他に半坡遺跡(西安市近郊)
長江文明 同時に長江中・下流域にも人工的な水田施設を持つ集落が形成。(河姆渡遺跡)
 農耕の拡大    前3000年紀 a 黒陶  が黄河下流域中心・長江流域に広がる。
 黒色磨研土器、轆轤(ろくろ)を使用。b 三足土器 (鬲と鼎)の形態。牛馬の飼育、大集落
  の形成。獣骨を利用した占い。灰陶も使用される。=c 竜山文化 という。
ウ.殷と周
 都市の形成    黄河の中・下流域に城壁をもった都市が形成される。
・多くの都市を統合し、それを支配する王が出現。→a 王朝国家 の出現。
 『史記』の記述では三皇五帝に続く、禹が始めたb 夏王朝 が最初の王朝とされるが
 確認されていない。二里頭遺跡の青銅器文化をそれにあてる説がある。
・最近では長江中流、四川省の三星堆で独自の青銅器文化が発見されている。

Text p.72

 殷王朝  前16世紀ごろ、黄河中流域に成立。現在確認できる最古の王朝。ともいう。
  都の遺跡がa 殷墟  。河南省安陽県小屯村で1928〜37年に発掘される。
・b 甲骨文字   :亀甲・獣骨に刻まれた文字。解読の結果、殷の実在が証明される。
   宮殿跡、人畜を殉葬した巨大な王墓、c 青銅器 の祭器、象牙・玉類など多数出土。
・政治形態:氏族連合を率い、城郭都市のd 邑 を従属させた殷王によるe 神権政治 
  青銅器は祭祀用とされ、殷王の強大な宗教的権威を示すものであった。また甲骨文字は、
  神意を占って農事を戦争などを決定する際に用いられた。
 周王朝   (西周)a 渭水流城 におこり前11世紀ごろ、東進して殷を滅ぼす。
  都 b 鎬京  (現在の西安付近) 華北一帯を支配する。
・殷周の王朝交代は、天命が革まって天子の姓が易ったこと=c 易姓革命 とされた。
  → 革命の形式には禅譲放伐の二形式があり、この場合は放伐にあたる。
・政治組織:国王の一族や功臣に領地(封土)を与えて世襲のd 諸侯   とする。
  → 彼らは周王を本家とした祭祀を行い、貢納と軍役の義務を負う。
    周王・諸侯はe 卿・大夫・士  という世襲の家臣に土地を与える。

Text p.73

  = このような統治のしかたをf 封建制  ※という。
 ※主君と家臣の土地の授受を媒介としたヨーロッパや日本の中世の封建制度とは異なる。
・社会:支配階級は共通の祖先を祭るg 宗族 を形成。その身分秩序の規則をh 宗法 という。
・土地制度:井田制=『孟子』が伝える伝承。理想的な土地区分制とされた。詳細は不明。
周の衰退=封建制度の解体

  作成中です。しばらくお待ち下さい。 →東アジアの地勢と黄河文明、殷・周

エ.春秋・戦国時代
 春秋時代    前770〜403 孔子の編纂した『春秋』に書かれている時代。
・中国文化の周辺への拡大 → 周辺の異民族の活動の活発化 →
 前770年 西方の異民族(犬戎)に都鎬京を攻められ、都をa 洛邑 (後の洛陽)に移す。
  = 周の東遷。それ以前を西周、以後をb 東周 という。
・黄河流域の有力諸侯は周王の権威を認めながらも、c 覇者 を称する。
  長江流域の楚・呉・越などは周王を認めず、王を称し、互いに争う乱世となる。
・前7世紀 d 春秋の五覇 =斉のe 桓公 、晋のf 文公 、秦の穆公、宋の襄王、楚の荘王ら、
  → 「尊皇攘夷」を掲げ覇を競う。
・前6世紀末〜前5世紀 呉王夫差越王勾践の争い → 臥薪嘗胆の故事。最後に越が勝つ。 
  戦国時代   前403〜221 『戦国策』に由来する。
・晋が家臣の下克上によって三国(韓・魏・趙)に分裂。前403年、周王が三国を諸侯と認める。
 それ以後、周王は無視され、有力諸侯がa 王 を称してb 富国強兵 策をとり互いに争う。
・c 戦国の七雄 =d 韓 、e 魏 、f 趙 、g 斉 、h 燕 、i 楚 、j 秦 
 前4世紀中頃 j 秦 孝公、法家のk 商鞅 を登用、改革を実施(商鞅の変法)し有力となる。
  = 郡県を設置し、その下に隣保制度の什伍の制を定める。他に爵位制度などを定める。

Text p.74

オ.社会変動と新思想
(1)春秋時代中期以降の変化
  a 鉄製農具の使用     ──┐
                  │
  牛耕の普及、灌漑農業の拡大 ──┼── 農業生産力の向上 ── 商工業の発達
                  │
  b 諸侯の富国強兵策    ──┘
  →貨幣の流通=c 青銅貨幣 (斉・燕の刀銭、趙・魏・韓の布銭、楚の蟻鼻銭、秦の円銭など)。
    → 都市の発展:斉のしなど。
  →塩・鉄などの商人が財力を蓄える。─┐ ┌─ d 封建制度・氏族制度の崩壊  
                    ├─┤ 
  →小家族が自立し、私有地を拡大。 ─┘ └─ e 統一国家の形成進む   。  
  春秋・戦国時代 周の封建制度(世襲的身分制度)にかわり、実力本位の時代となる。
(2)a 諸子百家  の登場:富国強兵策をとる各国の王が、学者や思想家を優遇。
・A 儒家  a 孔子  (前6〜5世紀):国の曲阜の人。仁と礼を重視する徳治主義を説いた。
        → 儒教の祖とされる。その言行録が『論語』

Text p.75

    b 孟子  (前4〜3世紀)=性善説を説く。家族道徳を重視。王道政治と易姓革命。
    c 荀子  (前3世紀)=性悪説を説く。礼を重視し、後の法家につながる。
・B 墨家  a 墨子   万人への無差別、平等な愛(兼愛)、戦争否定(非攻)
・C 道家  a 老子   孔子の説く仁や礼を人為的なものとして否定、無為自然を説く。
    b 荘子   老子の説を発展させる。道家は、民衆に受け入れられ道教となる。
・D 法家  a 商鞅 ・b 韓非   法と術策による社会秩序の建設を主張。
・その他の諸子百家:名家(公孫竜)、兵家(孫子・呉子)、縦横家(蘇秦・張儀)、
   陰陽家(鄒衍)、農家など。
 文献:儒家の経典= 『易経』 『書経』 『詩経』 『礼記』 『春秋』を五経という。
・文学 c 『楚辞』 (戦国時代の楚の屈原らの詩歌や、その時代の文学作品を編集。)
    記録には、木簡・竹簡が用いられた。
カ.秦の統一
 秦  始皇帝    前221年 秦王の、中国を統一、はじめてa 皇帝 を称す。
・都咸陽(陝西省)。宮殿阿房宮を建設。
  中央政府には、丞相(行政)、太尉(軍事)、監察(御史大夫)をおく。
・その統一政策
 a  郡県制  :秦の統一前の戦国諸国が一部実施。秦は全土を36の郡と、その下の県に分ける。
   = 中央から官吏を派遣する中央集権体制。各地の土地所有者(豪族)を服属させる。
 b  貨幣・度量衡・文字  の統一:貨幣=半両銭の鋳造。文字=小篆(簡略体が隷書)。
 c  焚書・坑儒  実用書以外の書物を焼き、儒者を生き埋めにした。
   法家の丞相李斯の意見による。
 d  万里の長城  の修築:北方の遊牧民(特に匈奴)に対する防御。 → 
  さらに将軍蒙恬などを派遣して外征を行い、匈奴を圧迫。
  華南を征服しe 南海郡 (現在の広州)・桂林郡・象郡(ベトナム北部)など3郡を置く。 
 秦の滅亡    前210 始皇帝の死。巨大な陵墓を造り多数のa 兵馬俑 を殉葬。

Text p.76

・秦の衰退の背景
 秦の中央集権体制の強制 → 地方豪族の反発
  外征・土木事業・宮殿建造などの負担 → 民衆の反発 → 各地に反乱起こる。
・前209年  b 陳勝・呉広の乱   (〜前208年):中国最初の農民反乱。秦の支配力衰える。
   陳勝のことばc「 王侯将相いずくんぞ種あらんや 」 =従来の身分制を否定する思想。
・前206 秦の滅亡
  → 楚の武将d 項羽 と江蘇の農民出身のe  劉邦 が争う。
  → 前202 垓下の戦いで、劉邦が勝利。
前202 f 漢の統一  。劉邦がg 漢 を建国、諡をh 高祖 と言われる。 

  作成中です。しばらくお待ち下さい。 秦・前漢時代のアジア

キ.漢代の政治
 高祖の統一政策     都a 長安  
・b  郡国制 :皇帝直轄地には郡県制を実施し、地方では有力者を諸侯として封建制を残す。
  =封建制と郡県制の併用。 → 政権安定後、豪族の力の削減をはかる。
  → c 呉楚七国の乱  (前154年) 恵帝の時、諸侯の反乱を鎮定。
  → その後、実質的なd 郡県制 となる。中央集権体制を樹立。
 武帝の統治     在位 前141〜87 漢の全盛期。年号を初めて立て建元とする。
・外征 対a 匈奴 強硬策:将軍衛青、霍去病らによる遠征。敦煌など諸郡を置く。
    挟み打ちにするため、b 張騫  をc 西域 に派遣、d 大月氏  に到達。
     ついで烏孫に派遣され、同盟を結ぶ。
  → タリム盆地のオアシス都市を支配 → 河西四郡(西端がe 敦煌 )を設置。
  → 中央アジアの▲f 大宛(フェルガナ) に遠征軍を送る。
  朝鮮半島に侵入:衛氏朝鮮を滅ぼし、g 楽浪郡 以下の4郡を置く。
  ベトナム北部に侵入:h 南越 を滅ぼす。→ 外征の負担が王朝の財政を圧迫。

Text p.77

・財政i 専売制 塩・鉄・酒などの販売を政府が独占し利益をあげる。
   j 均輪法 :特産物を貢納させそれを不足している地方に転売する物価調整法。
   k 平準法 :政府が物価の低いときは買い占め、高くなると売り出す物価抑制策。
・貨幣の鋳造:l 五銖銭 (銅銭)を発行。→後漢、魏晋南北朝、隋代まで基準通貨となる。
   → 一方で増税、売位・売官による収入増などをはかる。 → 民衆の負担増加。
・豪族の土地占有の制限:董仲舒が限田策を献策 → 豪族の進出を抑えるため。
  漢の衰退   政治の腐敗、官吏の不正(売位・売官)などで政情不安となる。
 a 宦官 =皇帝の身近に仕える去勢された男子。次第に権力に近づき官吏と争う。
 b 外戚 =皇帝の母の出身氏族。次第に皇帝の実権を奪い、抗争する。
 新の建国    8年 外戚のa 王莽 、漢を滅ぼし新王朝を建てる。
・周の封建制の復活を目指し、失敗。各地に農民反乱、豪族の反乱が起こる。
  → ▲b 赤眉の乱  (18〜27年):農民反乱  → 23年 新、滅亡。
 後漢の成立    25年 a 劉秀 、漢を再興=b 光武帝 。都c 洛陽 
・内政重視策、豪族との連合政治をすすめる → 内政の安定 → 東西交渉の活発化。
   1〜2世紀 国力を安定させる。
 → 西域経営の積極化 → ローマ帝国との接触(後述)
 → 東アジアの国際秩序の形成 → 倭人の使節が後漢に朝貢(後述)
 後漢の衰退 
・a 党錮の禁  166年、169年 宦官による党人(儒教を信奉する官僚)弾圧。
   → 農民反乱があいつぎ、各地に有力な豪族が自立するようになる。
・184年b 黄巾の乱 起こる。華北に起こった宗教結社c 太平道 の指導者d 張角 
   が起こした反乱。各地で群雄割拠の状態となる。
 同じ頃、四川省で五斗米道(天師道。張陵がつくった宗教結社)が反乱を起こす。
   → 215年魏の曹操に鎮圧される。北魏の寇謙之が新天師道を起こす。
220年 後漢滅亡
ク.漢代の社会と文化
1.社会
 秦・漢帝国 = 皇帝が官僚を用いて農民(小家族)を直接統治する体制
   → 一君万民(一人の皇帝がすべての民を統治する)を理想とした。
 a 豪族 の成長 :次第に低い生産力と重税のため農民が没落。
   → 大土地を集積し、奴隷・小作人を使役する豪族が成長。
   → 武帝の時、豪族の土地所有の制限(限田策)がとられるも効果なし。
 彼らは、漢の官吏登用法であるb 郷挙里選 ※によって官僚となり、支配層を形成。
  ※豪族(地方長官となった有力者)の推薦によって中央の官吏を選出する。

Text p.78

2.漢の文化
 秦・漢の文化 まとめ:皇帝の統一権力のもとで漢字・儒学など漢文化が完成し、
            東アジアの周辺世界にも大きな影響を与えた。
・儒学の保護:漢の武帝、a 儒学 を官学とする。儒者のb 董仲舒 の意見を採用。
  → 徳治主義による政治、社会秩序の重視などが皇帝の政治を支える。
    c 五経 =易経・書経・詩経・礼記・春秋を定め、d 五経博士 を置く。
・儒学の発達:前漢末、▲劉向による古文(戦国時代の文献)の整理、研究。
  → 後漢でe 訓詁学 (古典の注釈)が盛んになる。代表的儒者はf 鄭玄 
    一方で民間では非合理的なg 讖緯説 も盛んになる。
・製紙法 それまでの竹簡などに代わり、h 紙 ※※が普及する。
  ※※製紙法:後漢の宦官i 蔡倫 が改良したと言われている。
   →後に唐とアッバース朝とのタラス河の戦いでイスラーム世界に伝播する。(後述)
・文字 隷書に統一 → 現在の漢字が確定。
   → 中国最古の字書 後漢の許愼が『j 説文解字 』を編纂。
・歴史書の編纂
  k 紀伝体 本紀(皇帝の事跡)、列伝(重要人物の伝記)、および
         (年表)、(諸制度)で構成される。
   前漢のl 司馬遷 のm 『史記』  後漢のn 斑固 のo 『漢書』  
    → 中国各王朝の正史(二十五史という)に継承される。
  p 編年体  :記事を年月日順に記した歴史書。『春秋』など。
・その他 後漢の▲張衡、渾天儀(天球儀)や地震計を造り、地震の震源地を探知した。
     r 絹 の生産盛んになる → シルクロード貿易で西方にもたらされる。
ケ.秦・漢時代と世界
1.a 中華思想 : 漢文化は他に優越し、世界の中心であると考える漢民族古来の世界観。
  周辺民族 =b 東夷 ・c 南蛮 ・d 西戎 ・e 北狄  → 冊封体制の背景
2.秦漢帝国の成立 : 官僚制と儒学によって支えられた皇帝統治という国家体制
  → 基本的には、20世紀初めの清朝滅亡まで、約2000年続く。
  ・「秦(シン)」→ 英語のChina、フランスのChine 日本語の「支那」の語源となる。
  ・「漢」 → 「漢民族」「漢字」のように中国全般を指す。
3.中国と世界とのつながり
  前漢のa 張騫  漢の武帝によって西域に派遣され、大月氏まで到達。
    → 西域への進出。 → パルティア(中国で安息と言われる)も知られる。
  後漢のb 班超  c 西域都護 として部下の甘英をd 大秦国 (ローマ帝国)に派遺。

Text p.79

   2世紀中頃 e 大秦王安敦  (ローマ皇帝マルクス=アウレリウス=アントニヌス)
   の使節がf 日南郡 (ベトナム中部)に来る。
4.アジアの国際秩序の形成
 前111年、武帝の南方進出 a 南越 を滅ぼし9郡を置く。(現在の広州付近から北ベトナム一帯)
   ・北ベトナムには南海郡・交趾郡・日南郡などを置き、直接支配。
     → 後漢になり▲b 徴姉妹の反乱 が起こる。現地豪族の反乱を将軍馬援が鎮圧。
 前108年 前漢の武帝 朝鮮の衛氏朝鮮を滅ぼし、楽浪郡など四郡を置き、直接支配。
     → 後漢末にその南半分は帯方郡となる → 東アジア支配の拠点となる。
 57年 日本列島c 倭人 の奴国王が朝貢し、光武帝がd 金印 (「漢委奴国王」)を授ける。
     →  魏晋南北朝を経て、隋・唐時代に「東アジア世界」が形成される。
  → 中国王朝を中心とした国際政治体制である▲e 冊封体制 が成立。
 ・中国を中心としてベトナム、朝鮮、日本を含む「儒教文化圏」の成立。
 


次  4節 南北アメリカ文明  へ