1. 五代十国 10世紀前半 | |
907年 | 朱全忠、a 後梁 を建国、都をb べん州(開封) に定める。 → 各地のc 節度使 が自立(藩鎮)。華北に5王朝が交替=d 五代 a 後梁 ・e 後唐 ・f 後晋 ・g 後漢 ・h 後周 の5王朝 その他に有力な節度使が10の国を作る。=i 十国 |
社会の変化:貴族が没落し、かわって新興のj 地主層 が進出。 荘園制は衰えk 佃戸制 へ。地主が所有地を佃戸に耕作させ小作料を取る形態。 | |
★周辺民族 | 唐滅亡、五代十国の混乱 → 中国周辺民族の自立。 北方:l 契丹 の台頭 → 後晋が燕雲十六州を契丹に割譲(後出)。 東方:朝鮮で新羅からm 高麗 へ(918年)。日本、唐風文化から国風文化へ。 南方:雲南で南詔からn 大理 へ(937年)。ベトナムでo 大越国 の自立。 |
2. 宋(北宋) 10〜11世紀 | |
960年 979年 | 後周の武将a 趙匡胤 が建国(太祖) 都はb 開封(べん京) c 太宗 が中国を統一。 節度使の勢力を抑え、d 文治主義 の政治を行う。 ・中央では、門下省を廃止し中書省と併合し、軍事統制機関として枢密院を置く。 ・e 科挙 の完成:最終試験にf 殿試 をおく。進士科に一本化する。 科挙を突破できた経済力のある新興地主層をg 形勢戸 (官戸)という。 ・商工業・経済の発達:h 宋銭 、 紙幣の流通:i 交子・会子 の発行。 j 江南の開発 :中国経済の中心が、長安などの西北から、東南に移る。 →「k 蘇湖(江浙) 熟すれば天下足る」と言われた。 |
1004年 1044年 | 契丹(遼)との講和 =l せん淵の盟 毎年、m 絹・銀 を贈る(歳幣)ことを約束。 西夏との講和 =n 慶暦の和約 → 契丹・西夏からの防衛費と、文治主義による官吏の増大 → 財政の窮乏。 |
3.宋の改革と衰退 11世紀後半〜12世紀 | |
1070年 | a 王安石 の改革 神宗が宰相に登用し、改革に当たらせる。 b 財政難の解消と富国強兵 をめざし、c 新法 とよばれる改革を行う。 d 青苗法 :貧農へ植え付け時に金銭や穀物を低利で貸し付け、収穫時に返済させる。 e 均輸法 :各地の特産品を不足地で売却し物資流通の円滑化と物価安定をはかる。 f 市易法 :中小商人への低利貸し付け。 g 募役法 :徴税・治安などの役務の代わりに免役銭を徴収し、役務は希望者から募集。 h 保甲法 :農閑期に農民に軍事訓練を行う。傭兵に変わる兵農一致策。 i 保馬法 :馬を民間で飼育し、戦時に徴発する方法。 |
1086年 | j 党争 の継続 王安石の改革に対し地主・大商人、特権的な官僚が反発。 王安石の改革を支持する一派= k 新法党 その反対派=l 旧法党 (保守派のm 司馬光 ら。地主層・塩商人などが支持) |
1126〜27年 | n 金 が都の開封を占領= o 靖康の変 上皇p 徽宗 ・皇帝q 欽宗 を捕える。 |
4. 南宋 12〜13世紀 | |
1127年 | a 高宗 が江南に逃れ建国、 b 臨安 (現杭州)を都とする。 |
金との抗争続く。 → 和平派のc 秦檜 と主戦派のd 岳飛 が対立。 | |
1142年 | 金と和議。e 淮河 を国境とし、金に臣下の礼をとり多額の銀と絹を送る。 漢民族の江南移住 → f 江南の開発 さらに進む。 |
1276年 | モンゴル帝国(フビライ=ハン)によって滅ぼされる。 |
1. 遼 10世紀 | |
916年 | モンゴル系a 契丹 、ウイグルの衰退に乗じb 耶律阿保機 が建国。(太祖) |
926年 | 中国東北地方に進出 → 渤海を滅ぼす →遼河流城を制圧、宋を圧迫。 |
936年 | 中国北部のc 燕雲十六州 を併合し、華北を制圧。都を燕京(現北京)に置く。 統治形態:北方民族として本拠地を保ちながら、中国をも支配した最初の王朝。 このような王朝を(d 征服王朝 )という。 e 二重統治体制 :遊牧民族にはf 部族制 、漢人など農耕民にはg 州県制 を適用。 部族制にもとづく官職を北面官、州県制にもとづく官職を南面官という。 |
1004年 | h せん淵の盟 宋は毎年、i 絹・銀 を贈る(歳幣)ことを約束。 → 宋の財政難。 |
1125年 | 宋と金に挟撃され、滅亡。王族j 耶律大石 は西トルキスタンに逃れ、 k カラ=キタイ(西遼) を建国。 |
2. 西夏 11〜12世紀 | |
1038年 | チベット系。 近隣の吐蕃やウイグルを破り、a 李元昊 が建国(大夏とも)。都は興慶。 |
1044年 | 黄河上流城のb 内陸(東西)貿易路 を制圧。しばしば宋に侵入し圧迫。 宋との講和 = c 慶暦の和約 |
1227年 | d チンギス=ハン によって滅ぼされる。 |
3. 金 12世紀 | |
1115年 | a ツングース系女真 中国東北地方で半猟半農生活を営み、はじめ契丹に服属。 b 完顔阿骨打 (太祖)が建国。 政治形態:二重統治体制を継続 女真族にはc 猛安・謀克制 を採用。 |
1125年 1126年 | 宋と結んでd 遼 を滅ぼす。 e 靖康の変 宋の都開封を占領。 宋は滅亡し、一族が江南に南宋を建国。 |
1142年 | 南宋と和議。f 淮河 を国境とし、南宋に臣下とし、多額の銀と絹を送らせる。 |
1153年 | 都をg 燕京 に遷す。 |
1234年 | モンゴル帝国( h オゴタイ=ハン )に滅ぼされる。 |
1. モンゴル帝国 13世紀前半 | |
1206年 | モンゴル高原で、a チンギス=ハン によるモンゴル民族の統一 |
1218年 1227年 c 1234 年 | 東トルキスタンのナイマン、1221年西トルキスタンのホラズムを滅ぼす。 b 西夏 を滅ぼす → モンゴル高原を中心に、東西トルキスタンを制圧。 d オゴタイ=ハン e 金 を滅ぼし、華北を支配。都をf カラコルム におく。 |
1236〜42年 1253年 1254年 | g バトゥ 指揮東ヨーロッパに侵入。 → h ワールシュタットの戦い i モンケ=ハン j フラグ 西アジアに派遣。58年アッバース朝を滅ぼす。 フビライをチベット・雲南(k 大理国 )に派遣、征服。 |
★西方からの使節 | ローマ教皇 l プラノ=カルピニ を派遣(1245〜47年) フランス王ルイ9世 m ルブルック を派遣(1253〜55年) |
2.モンゴル帝国の分裂 13世紀後半 | |
1260年 1266〜1301年 | n フビライ 宗家のハンとなる。 → 相続争い起こる。 o ハイドゥの乱 :オゴタイ=ハンの孫が反乱→ 4ハン国の分裂状態となる。 |
★4ハン国 | p イル=ハン国 :イラン、イラクを領有。フラグが建国。 q キプチャク=ハン国 :ロシアを支配。バトゥが建国。 r チャガタイ=ハン国 :中央アジア。14世紀に東西に分裂。 s オゴタイ=ハン国 :西北モンゴル。後にチャガタイ=ハン国に併合。 |