1. 三国時代 3世紀 | |
220年 | 後漢滅亡〜581年の隋統一までの3〜6世紀をa 魏晋南北朝時代 という。 |
220年 222年 221年 | 三国・華北にb 魏 曹操の子c 曹丕(文帝) 、後漢を滅ぼす。都d 洛陽 。 ・四川にe 蜀 劉備が建国。都f 成都 。g 関羽 、h 張飛 、が活躍 ・長江下流(江南)にi 呉 孫権が建国。都はj 建業 (現南京)。 |
234年 | 蜀のk 諸葛孔明 、五丈原で陣没。 |
263年 | 魏が蜀を滅ぼす。 |
魏 土地制度:l 屯田制 、官吏登用制度:m 九品中正 の採用。 n 「上品に寒門無く、下品に勢族なし」 と言われた。 → o 貴族社会 の形成。 | |
2. 晋(西晋) 3〜5世紀 | |
265年 280年 | a 司馬炎 魏の帝位を奪い建国(武帝) 都b 洛陽 呉をほろぼし中国統一。土地制度:c 占田法 、d 課田法 。政情は安定せず。 |
300年 | e 八王の乱 司馬氏一族の諸王の抗争 〜306年 このとき、北方遊牧民を兵力として利用 → f 五胡 の侵入が始まる。 = g 匈奴 ・h 鮮卑 ・i 羯 ・j ![]() |
304年 〜439年 4世紀後半 | 華北に北方遊牧民のl 五胡十六国 が興亡。 m 仏教 が興隆。 〜439年![]() |
316年 | n 永嘉の乱 g 匈奴 が晋の首都洛陽、ついで長安を攻略、晋滅亡。 |
3. 東晋 4世紀 | |
317年 | 晋の一族a 司馬睿 が江南に逃れ建国。都b 建康 (現南京) → 仏教が広まる。法顕がインドに行く。(→ 宗教史まとめへ) |
383年 420年 | ![]() 東晋の滅亡。部将c 劉裕 が実権を握り、宋を建国(武帝)。 |
4. 南北朝 北朝 | |
439年 | 華北ではa 鮮卑 のb 拓跋氏 が有力になりc 太武帝 が統一。=d 北魏 → e 寇謙之 を登用、f 道教 を国教とし、仏教弾圧(g 廃仏 )。 |
494年 | 北魏 h 孝文帝 都をi 平城 からj 洛陽 に移す。k 漢化政策 を推進。 ・土地制度=l 均田制 ・村落制度=m 三長制 。 ・仏教復興し、保護される。 雲崗、竜門など石窟寺院の造営。(→文化史まとめへ) |
538年 | 北魏 内紛からn 東魏 とo 西魏 に分裂。 西魏で軍事制度としてp 府兵制 が始まる。 |
755年 | さらに、東魏→q 北斉 、西魏→r 北周 となる。 北周が華北を統一。 |
5. 南北朝 南朝 | |
420年 | a 宋 以後、漢民族の王朝が続く。都はいずれもb 建康 (現南京) |
479年 | c 斉 に代わる。 |
502年 | d 梁 武帝の時全盛期。仏教の保護。六朝文化の開花。 → 文化史まとめへ |
557年 | e 陳 に代わる。 |
f 江南の開発 が進み生産力発展する。漢民族の文化の発展=g 六朝文化 。 |
1. 隋 6〜7世紀初め | |
581年 589年 | 北周の外戚a 楊堅(文帝) が隋を建国。 南朝の陳を滅ぼし中国統一。都b 大興城(長安) を建設。中央集権体制をとる。 背景:583年 c 突厥 の東西分裂。隋は東突厥と結ぶ。 |
598年 | ・土地制度:北魏の均田制を継承 税制:租庸調制 軍事制度:府兵制 ・官吏登用制: 九品中正制の廃止 →d 科挙 =試験による官吏登用始まる。 ・法律の整備:e 律令 の制定。 →唐に受け継がれて完成。 |
604年 607年 | f 煬帝 g 大運河 の完成:華北と江南の物資の交易のため。通済渠など。 日本のh 聖徳太子 、遣隋使(小野妹子)を派遺、煬帝と交渉。 |
618年 | i 高句麗 遠征に失敗 → 各地に反乱起こる。 東突厥が勢いを盛り返す。 → 煬帝暗殺され、隋の滅亡。 |
2. 唐 の成立 7世紀 | |
618年 | 隋の武将a 李淵 、山西で挙兵、大興城を占領(東突厥と結ぶ。) 隋を滅ぼし、建国。 → b 高祖 。都c 長安 。 |
627〜649年 | 2代 d 太宗(李世民) 中国を統一。=e 貞観の治 f 律令制度 基本的には隋の制度を継承 政治体制:g 三省 とh 六部 地方制度=i 州県制 土地制度:北魏、隋のj 均田制 を継承 税制:k 租庸調制 軍事制度:l 府兵制 (西魏に始まる) 官吏登用制:m 科挙制度 = 試験による官吏登用。隋に始まる。 一方で貴族はn 荘園 という大土地所有が認められる。 |
649〜683年 | 3代 o 高宗 北の突厥、東の百済・高句麗を破る。西は西域を領有。 征服地にはp 都護府 をおく。 →羈縻政策をとる。 |
690年 | q 則天武后 高宗の皇后。高宗の死後、実権を握り帝位につく。 国号をr 周 (武周)と改める。科挙官僚の重用、仏教の保護などを行う。 次の中宗が唐にもどすが皇后の韋后に毒殺される。 この時期の混乱をs 武韋の禍 という。 |
3. 唐の衰退 8世紀 | |
712年 749年 751年 | a 玄宗 一時繁栄を取り戻し、b 開元の治 といわれる。 ・府兵制廃止 c 募兵制 均田農民が没落し兵士徴発が出来ず、募集する。 d 節度使 の設置:周辺の異民族に備えて置いた募兵集団の指揮官。 e タラス河の戦い でイスラーム軍に大敗。西域経営の失敗。 内政の乱れ:玄宗の愛妃f 楊貴妃 の一族の楊国忠が宰相となる。 |
755〜763年 | g 安史の乱 節度使h 安禄山 その部下史思明の反乱。 → 唐、i ウィグル の援助で反乱を鎮圧。 → 中央政府の権力弱まり、各地の節度使が自立、j 藩鎮 と言われる。 ウイグル、吐蕃、南詔などの周辺民族も自立し、唐の領土に侵入。 → 8世紀後半 各地に藩鎮が自立、唐の衰退。 |
780年 875 〜884年 907年 | k 両税法 :宰相楊炎の献策で実施。→租庸調制度の停止。 l 黄巣の乱 塩の密売人m 王仙芝 とn 黄巣 が起こした反乱。 → 全国的な農民反乱となる。 節度使o 朱全忠 (もと黄巣の部下)、唐を滅ぼし、後梁を建国。 |