Gregorianish-Hiroko  



WATOU

 


Solesmes    ソレム


フランスのルマンとアンジェの中間に位置する、同名の村に建つベネディクト会修道院。 19,20世紀における、グレゴリオ聖歌復興の中心地である。 この地には1010〜1792にかけて修道院が存在した。フランス革命などの社会情勢で一時無人になったが、1833年にプロスペール・ゲランジェ(1805〜1875)が、ここにベネディクト会の生活を再開した。1901年に、修道士たちは政治上の問題でワイト島に移ることを余儀なくされたが、22年にはこの地に帰還している。
ゲランジェは、修道院長に就いて以来、ローマ典礼の復興と、中でもその重要な部分を占めているグレゴリオ聖歌の復興に着手した。19世紀という時代から、各音符に強いアクセントをのせ、旋律が小節線で区切られるような習慣に反して、歌唱に際しては、なによりまず、語られるラテン語の延長線上、ということを重視し、流麗な祈りの歌をめざした。そしていくつもの修道院や図書館に残る写本の比較研究から正統なグレゴリアンを探っていったのである。彼の意を受けたジョジオンを皮切りに、ポティエ
モクロー、カルディーノと研究者を排出した。パレオグラフィー・ムジカーレ(音楽古文書学)という分野が確立され、今日にいたっている。現在も多くの修道士が生活し、共同生活をしながら、祈りの生活をしている。新しい研究、出版がなされているが、彼らの第一義は、6世紀以来のベネディクトの戒律どうり、まず祈り、典礼を美しくとりおこなうことである。






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2019年、(奇数年)  4月17日〜4月24日
 昨年はWATOU の年で、Solesmeは2年ぶりである。
今年はいろいろ都合のつかない人が多く、少人数の旅であった。しかし、これから
グレゴリアンを本格的に学びたいという熱心な人たちで、お連れできたのは何より
であった。
典礼は全く変わらない。聖金曜日と聖土曜日の朝課について、日本語訳を作ったのだが、奇数年用と偶数年用2種類だということが判明。A,B,C年にとらわれて、右往左往したのは不用であった。A,B,C年にとらわれたのは間違い、朝課は聖務日課の範疇であるわけであるから。納得。
ソレムの歌はやはり2008年〜2010年ごろの輝かしさには戻っていない。イヴマリーは依然として表には出ていない。修道院の前庭で少しお話ができたのは、うれしかった。聞けば、ヨハネの受難の朗読をサントセシールで歌っていた、そうで、そっちに行けばよかった、、、1人2人、良い歌を歌った修道士もいたけれど、集団の歌が、ピシッとしていない。そのあたりはやはり指導者の耳と、指導力か。
復活の主日のミサにあずかって、ガック神父の共同体にうかがう。復活主日の夕の祈りと、.翌月曜日のミサを上げる。
最後にサンサヴァンの聖堂を訪ねる。前回より(2年前)より解説の部屋や、売店なども
整備されて、観光客には便利になったと感じた。















2017年、(奇数年) 4月12日〜4月20日 



今年はグレゴリアン体験者は少なく、宗教的関心、祈るということで参加してくださる方が多かった、
、しかしみなさんソレムでの練習時間にも積極的参加で、グレゴリアンを体験していただき、よい旅となった。  準備会もなく、羽田での顔合わせであった。 皆様、大人で、良い旅になる予感。


4月13日(聖木曜日)
 
朝の賛課からSt.Piere の祈りに参加。聖歌は割とまとまっている。歌隊の片方が声がガサガサしているのが少し気になる。  この日は朝のミサは非公開なので、小時課はパスしてアンジェにでかける。
、17:30から、主の食卓のミサ、 イヴマリーが戻っているときいたが、歌には加わっていないようす。

4月14日(聖金曜日)
 6:30〜9:00 朝課と賛課
(パンフに間違いがなくホッとする)第一夜課のエレミヤはさすがに選抜された修道士でなかなか。第2,3の夜課の朗読には声が小さい人などもいてもう一つ。応唱は集団指導体制。 それなりにそろって美しいが、、、、圧倒するものはない







2016年  3月23日 聖水曜日からSolesmesに


昨年はWATOUのFestivalのとしで、Solesmesにはでかけられなかった
ソルニエ師がSolesmesをはなれ、イヴマリ―も不在で前回かなり不安を感じたソレムの聖歌がどうなったか、それも聞きたくて、個人的な困難な事情もこえて、出掛けてきた。今回は同行7人のこじんまりした仲間の旅であった。例年ソレムの後、ガック神父の共同体におじゃまをするのだが、今回は短く切り上げなくてはならないのでソレムだけにし、復活の月曜日のミサ後ソレムを出発することとした。

3月23日(水)

羽田昼初の飛行機で出発。前日ベルギーでテロがあったが、なにごともなく、ドゴール空港もやや軍人が多いかなくらいのところ。 7人なのでワゴンのようなタクシーでソレムを目指す。9時ごろホテル着

3月24日(木) 例年この日にアンジェに出かけるのだが、今回はほとんど経験者なのでパス。
 7:30 賛課 久しぶりのソレムの修道士の祈りの声を聴く。だいたい数人のゾりと全体の歌で運ぶ。
 ゾりはイヴマリのような圧倒的な歌い方ではないが、まあ及第。全員でうたうところは声の質がもう
 ひとつ。ざらざらした響きでどうも、、、次回はこの典礼はパンフレットをつくってこよう。やはり詩編も
 日本語訳があるほうがのぞましい。
 小時課に出て、のんびり過ごす。
 カントールのDom,Bruno Luts にあってもらう。とても若い。感じはよい。聖金曜のヨハネの朗読の譜  面をほしいといったら、簡単に引き受けて、あとで売店受付に届けておいてくれた、感謝!!
 17:30 9時課と主の食卓のミサ   キリアーレ(Cum Jubilo)の全員の部分、音程も声ももう一つ.
 Kyrie の。伸ばすところ、ここではのばさない。
 拡大系のクリブスははじめだけ伸ばす時とふたつとものばすときとあり。奉献文長大

3月25日(聖金曜日)
 6:30 テネブレと賛課  いつも作ったパンフレットに間違いがないか心配するのだが、1ページがぬ  けていたが、あとは大丈夫。 エレミアの哀歌、なかなかよかった、2時間20分 8:50了         朝食のあと、サブレーへ散歩。 サブレーのお店とスーパーで買い物。徒歩組とタクシー組に分かれ  て、ホテルに戻る。
 16:00 九時課 AT.210 Ps.は 125,126.127
     言葉の典礼  第一朗読 イザヤ 仏語 Tr.172  直詠、3人ずつ位の感じ
     第2朗読 ヘブライの教会への手紙   Gr, Christus factus est  むかしの4度下がり
     福音朗読、ヨハネの受難  よい朗読ではあった、いつもの鋭い顔の美声が今年はいない。?
     カントールのくださった楽譜どうり
     十字架崇敬  Ecce lignum 院長3度十字架顕示 たんびに皆、膝を付き礼拝
     (Crucem tuam とばす)
     Pople meus. Hagios, Quia eduxite, Hagios, Quia ultra Hagios, 
     Ego Propter,〜 Gt. 178~ この間修道士一人づつ十字架に接吻  この後で院長説教
     とばした Crucem tuam 歌う。 若い3人が仮祭壇のご聖体をとりにいく。
     主の祈り複文、 拝領前の信仰告白、拝領、拝領祈願。    2時間

3月26日(聖土曜日)
 6:30 テネブレと賛課 パンフレットこれでいいい。 昨日と同じ
 小時課 にでる。 Ant.と詩編、小朗読,祈願などの紙あたrしいのがあった、 An 1 でわかる。 
 聖務日課を理解するには An 1、2,3、が必要。 
 Vespre  16:00 Ste,C  17:00 St. P 両方聞く   Ste.C で見事なGhrist Factus Est 聞く
 うつくしかった。
    午後、Dom.Michel-Marie du merle 《院長秘書》とお話し、お父さん?おじいさま?が海軍の通     訳として日本にいたとかで、日本の話をしたかったみたい。 フォンゴンボーのことを聞く。イヴマリ    ーについて、希望的なニュースをつたえ祈るようにたのまれる。 私は前からミサのたびに祈っ     ている。  また、かれはヤネックと親しいということであった。
 21:30  ここから夏時間の表示になるので注意   復活徹夜祭
     ろうそくの祭儀 歌一つ あと長い歌「復活賛歌」とおもわれるが、楽譜がG.T.にはない。
     どこに?  1昨年ひよひよだった歌だが、今年はそうは感じなかった。
     7つの朗読と答唱、それぞれわるくなかった。 このあと 鐘が盛大になり Gloria ゾりと
     全体で進む。(Kyriale T)  今年は洗礼はなく、洗礼の更新のみ、 このとき、Vidi aquam
     奉納唱のあと、軽快な晴れやかなオルガンがながれた。     終了 0:15

3月27日 (復活の主日)
 7:15  賛課 これもできたら次回パンフを
 10:00  3時課と荘厳ミサ 途中で Salve Festa でプロセッション
       通常文 Kyrie はV 他は9番だったと思う
 17:00  St.P でVaspre と Benediction   Adoro te 聞く   Gac神父様のところとは一部異なる。
 夕食は 復活祭ディナー



3月28日 (復活の月曜)
 7:45  賛課 これもできたら次回パンフを
 10:00   3時課 とミサ ミサは毎回Gac神父様のところで歌ってきたうたなので、うれしく聞く 
       待っていてくださったのに、失礼してしまって、ごめんなさいです。
 お昼前に出発 シャルトルにより、見学をする。 いくら探しても、有名な聖母子のステンドグラスが見 つからなかった。 久しぶりに来たら、後陣のましろなガラスのところにいろいろ色がついていた。修  復がすすんだのであろう。
 ゆとりをもってシャルルドゴール着。 帰国の途に就く。


   



ソレムの歌に関しては、若いリーダーたちによる新しいやり方がだいぶ浸透し落ち着いてきたように思う。ソロ、ゾリは、一応水準にたっしているとおもうが、2008〜2010年ごろの輝かしさは戻っていない
修道士は《顔なじみのお年寄りの修道士がだいぶ見えなかった》若くなっているように思うが、全体での歌唱は、若々しいとはいえず、声質、音程ともにもう一つであった。 専門の歌い手集団ではなく、修道士の集団であるという声がきこえてくるようだけれど、、、、精霊のご加護を祈ること切である。








2014年 聖水曜日からSolesmesに

今年も、友人たちを誘って聖水曜日に発つ。今年は旅行社に直接申し込んだ私の初めて会う方が半数近くいらっしゃる。 グレゴリアンを歌いつけてない人が大半なので、
ガック神父様のところで挙げる典礼のための練習を3回組む。 またいつも行くアンジェの黙示録のタペストリーの研究者でいらっしゃる元フェリス学長の佐竹先生に一度お話にきていただいた。
テネブレについて、今年は偶数年ということで、第2、第3夜課の朗読の翻訳に困り、カトリック中央協議会の宮越さんをわずらわして、出発直前に出来上がりほっとする。
感謝・感謝。

4月16日出発、添乗予定の人が急病のため、行き帰りは私が責任者、パリから旅行中を通して、超ベテランのガイド柳本さんがついてくれることになる。
夕刻パリ着、途中シャルトルで夕食をとり、10時ごろホテルに入る。

17日賛課から典礼が始まる。今朝はミサがないので、サブレーまでの散歩をする。行きは足の悪い
人はタクシー、他の人はウォーキング。例によってメゾンドサブレーでお土産など購
入。散歩中に地元紙の記者に取材を申し込まれる。その記事はこの項末尾に。
夕刻、主の晩餐のミサ

18日、長大な朝課と賛課、朝食、のあと、アンジェに。佐竹先生のお話をおもいだしながら、、また、柳本さんの解説もあって、今年の参加者はより良い見学ができた。 アンジェのカテドラルも尋ねる。ファサードが修理中でカバーがかかっていて残念。 午後練習。 夕刻、十字架崇敬の典礼。

19日、今朝も早起きで、朝課と賛課 。 小時課をいくつか聞き、午後練習、地元の新聞社のインタビュウが入る。 ヴェスペルはサントセシール、とサンピエール両方で聞く、。 サントセシールがよい。詩編唱など、かなりきちんと聞き取れる。 22時より3時間半の復活徹夜祭。 熱い祈りがつづく。


  


20日 復活の大祝日。 賛課から始まる。歌われる音楽だけのペーパーを急遽つくってきたが、やはり訳もつけて、きちんとしたものを次から用意したい。(聖木曜と、復活の主日の分)。 入祭・挨拶のあと、 Salve Festa  行列の後 3時課からミサに戻る。 ソレムの歌隊の状況は少し首をかしげる。やたらとのろいし、指導力にも、やや、物足りないものを感じる。2009年〜2011ごろが最高か?イヴ・マリのことをきいたが、修道院長も彼の所在は把握していないという答えであった。
復活の主日のミサのあと、出発、トゥールで昼食、3時前ガック神父トマス・ベケット修道院着。 5時ごろより、ショーモンの聖堂でヴェスペレ。 若い神父が主任司祭として堂々と司式。普段はあちこちで働いている神父たちも帰ってきて、元気に歌いよいヴェスペレであった。ゴンザーガ(ハリーポッター)帰ってきていた。前の主任、ギョームは
南のモントバン(多分)で働いているそうだ。今年はマニフィカトガちゃんと歌えてやれやれ。夕食はまたおおごちそうでウイキョウという野菜が美味しかった、。大きな魚の蒸し煮、美味しいソースでいただく。

21日 復活の月曜日。 ミサ、司式はガック神父で主任がオルガンを巧みに弾く。地味で皆の陰にいたような若者だったのでびっくり。無事歌えてほっとする。昼食はまたおいしい。見たことがないような太さのホワイトアスパラガスとジビエのシチュウ。
加藤尚子と井上明香 と私でラモーの「Hymne a la Nuit」 を歌う。 神父様たちにはおねがいしてヴェスプレの中で歌われた15世紀の写本の歌をもう一度歌っていただいた。


     

大急ぎでバスは走るが、ヴェズレーでの夕の典礼には無理で、今夜の宿へ。

22日 ヴェズレーでお昼まで過ごす。小さな静かな古いサンチャゴ巡礼の出発の町。午後、ランスに、菜の花畑が美しい。 ことしのご復活が遅かったせいでフランスはどこも花が美しかった。 とくにライラックと藤が印象的だった。午後遅めにホテルに。少し時間があり、買い物と、町の見物にでる。数年前に主人ととまっあたりも歩いてみる。

23日 午前中ランスの大聖堂、藤田嗣治の礼拝堂見学、大聖堂は朝とてシャガールのステンドグラスが美しい。礼拝堂はまだ閉まっている時期なのだが、交渉してあけてもらった。私は2度目だが、メンバ―の大半は初めてで喜ばれた。 少しシャンパーニュに入り込み昼食、ドンペリのカーヴを見学、モエの試飲もさせてもらう。
予定どうりに空港着。帰国の途に就く。

今回の旅は柳本さんのおかげでとてもスムースで、よい旅であった。




                                              訳 柳本



  
2013  12  クリスマス


12月23日に発ち、27日帰国でまた一人旅でした。
11月末から、いくつかのコンサート、ミサなどこなし、23日に昼便で発つ。
予定どうりに、パリに着く。空港を通るTGVが時間がづれたためモンパルナスに行かねばならない。ただしその列車はサブレーに停車するという。列車まで2時間以上あったので、シャトルバスに乗ったのだが、
大誤算。クリスマス直前とて、道路は大渋滞、あっというまに時間がたち、はらはら、いらいらするがどうにもならない。モンパルナスに着いたのは、、、発車時刻5分過ぎ、、、、。どうしよう、、、。どこかホテルを探す? まず明朝の、切符を手当しなくては、と駅にはいると、人があふれて、明らかに異常な状態、大きなボードを見ると私の乗るはずの列車がまだいる、、、、今日は台風並みの荒れたお天気だったうで、すべての列車が遅れていたという状況でした。これはラッキーなのかしら。 1時間遅れで出発、途中からホテルに連絡、タクシーに遅れることつたえてもらう。今回も、ホテル着は11時近く、横の暗号扉からはいる。

24日25日の典礼は 2010年と全く同じなので省略。。 イヴマリの不在がやはり聖歌の質に影をおとす。  オルガンがすばらしかったので、修道士かと聞くと、プロだという。

グランドホテルは25日お昼でおしまいなのだが、今年はごはんもベッドメーキングもいらないから26日昼まで過ごさせてもらう。 つんつんしていたマダムも、こう毎年来て、しかも何人も友人を連れてくるのだから、だいぶ、やわらかくなってきた、、、。


26日は 今年は 聖ステファンの祝日
賛課 の インヴィタトリウム が美しい、曲は A..M. V で判明
   Ant. Invitatorium    Christum natum,     Ps,94
   Ant.            Lapidevarunt Stephanum    Ps.92
   Ant           Lapides torrentes        Ps.99
   Ant.           Adhaesit anima mea      Ps. 62.
   Ant.           Stephanus vidit         Cantique
   Ant.           Ecce video            Ps. 148,149,150
   Re.b           Fortitudo mea
   Hym           Christus est vita
   Verset         Posut, Domine,i
   Ant. Benedictus    Patefactae sunt
ミサは G.T.どうり、


すっかり明かりをおとし、休眠体勢のホテルを出て、予約しておいたタクシーでサブレーに。 在来線、TGVともに問題なく、空港着。 機中ではよく寝たので、帰国後も体調良く暮れのあわただしさに、突入







    2013 聖週間から復活までSolesmes faで過ごす旅 


今年も聖週間からご復活までソレムで過ごす旅をしました。 
戸塚教会の友人に2008年にJCDAのために書いたものを教会報に掲載したいとの申し出を受けました。 もう5年も前の文章ですので、すこし直しました。今年はこれを記録にいたします。 典礼は細かく書いた昨年2012年とおなじです。朝課第2朗読と第3朗読に差し替えがあっただけで、そのことは次の文章に書きました。 ソレムの歌は去年より安定し、ほっとしました。やはり、エレミヤを受け持ったソロたちの歌は素晴らしかったし、ヨハネの受難の朗読も感動的でした。
旅は今年もショーモンのトマスベケット修道会のGAC神父様のところを訪問、復活主日のヴェスプレと翌日復活の月曜のミサをごいっしょに捧げ、そののち、ショパンがすごしたジョルジュ・サンドのノアンの館を訪問してパリにもどりました。 ことしは、3月下旬からこれまでにないとフランス人がいうお寒い日が続き、ダウンの離せない旅でした。



   ソレムで過ごす聖週間と復活       戸塚教会・教会報のための文章

                                        渡辺宏子

私はカトリック由比ガ浜教会の会員で、グレゴリオ聖歌と取り組み出して、25年を越えました。私がソレムの合唱長でいらしたソルニエ師の講習会に行くようになり、時折ソレムの村に過ごすようになってもうずいぶんたちます。何時行きましても、修道士たちの祈りの声は美しく、心洗われるのですが、クリスマスの時期と聖週間からご復活の時期の祈りはことさらです。聖水曜日に日本を発ち、ご復活まで過ごす旅も私にとっては5回目、友人達を誘っての3回目の旅を今年も実行してきました。何度もご一緒してくださる戸塚の教会員の方もあり、何か、書くようにとお頼まれした次第です。
今年は3月31日がご復活と割りに早い暦でした。聖水曜日に成田を発ちますと、かなり遅くなりますがなんとかその日のうちにソレムにつけます。修道院のまん前のホテルが定宿です。聖木曜日、朝の賛課から聖務日課にあずかります。この日は朝のミサは無く、夕方から「主の晩餐」のミサがありますので、たいていこの間に近くのアンジェという町に残る黙示録のタペストリーを見に行きます。
「聖なる3日」と云う特別な典礼が夕刻の「主の晩餐」のミサから始まります。千数百年間伝えられた典礼が、現在のグレゴリオ聖歌の規範版・グラデュアーレ・トリプレクスの見事な聖歌を伴って捧げられます。修道院長による洗足式の間に7つの交唱(そのうち6曲は10世紀以前のものです)すべてが歌われました。修道院長は大きなシーツのようなものを腰に巻きつけ、丁寧に12人の足を洗い、その後、接吻をします。奉納唱はUbi caritasです。拝領祈願の後は、Pange linguaを歌いながらのご聖体の移動で、何十人もの司祭がしたがって、仮祭壇に移します。聖堂の中ほどの15世紀の、降架されたイエスをお棺に入れようとしている人々の像のあるスペース・右袖廊です。像の前に祭壇をしつらえ、そこに聖櫃がおかれます。何人もの修道士がミサのあとも、翌朝も(多分夜中も)膝をつき祈っている姿が印象的でした。その静かな姿から、まさにいまゲッセマネで苦しまれている、いまピラトの前で痛めつけられている、そんなイエスを想う沈痛な空気が漂ってくるのです。
 ソレムの修道院は大部分の聖務日課を公開していますが、朝課(読書課)は、非公開です。しかし、聖金曜日と聖土曜日は、朝6時30分から、朝課と賛課を続けて(ほぼ2時間)公開します。それが聞きたくて出かけるのです。ルネサンス期の作曲家ヴィクトリアやジュズアルド、タリスなどに、「聖週間のレスポンソリウム」とか、「テネブレ」という名曲がありますが、その源のグレゴリオ聖歌が歌われるのです。朝課の内容は、3つの夜課からなりその1つの夜課は3つの交唱つき詩篇と、朗読が3つにそれぞれレスポンソリウム(応唱)と云うセットがなされます。詩篇唱もみごとですが、やはり白眉は聖金曜、聖土曜ともに第一夜課で朗誦される朗読、「エレミアの哀歌」です。合唱長たちソリストの歌う単旋律の哀歌は、私はどんな合唱大曲にも勝ると感じました。やはり、精神の問題でしょうか。末尾に必ずつけ足して歌われる「Jerusalem,Jerusalem,convertere ad Dominum Deum tuum」(エルサレムよ、エルサレムよ、お前の神なる主に向き直れ)の節の哀切で真摯な響きは、私を一気に2000年前のエルサレムにつれていきます。
そのほか、聖金曜日の第2夜課の朗読は聖ヨハネ・クリゾストモ司教の説教。第3夜課は大聖レオ教皇の説教。 聖土曜日の第2夜課は古来有名な「聖土曜日の旧い説教」第3夜課はサルディニアの司教メリトニスの説教でした。数年前にこの典礼のラテン語と日本語の対訳テキストを楽譜も入れて作りましたので、友人たちも良く理解できたことと思います。そして毎回残念に思うのは、以前は真夜中におこなわれたお勤めでしたから、詩篇が一つ済むごとに燭台の蝋燭が一本ずつ消され、テネブレ(暗闇)になるはずなのですが、今は最後の蝋燭が消えた時には、朝の光が高窓からさしこんで、テネブレは体感できないのです。
聖金曜日「主の受難」16時から2時間、聖土曜日「復活徹夜祭」 22時半から3時間、復活の主日のミサ10時から2時間、と長大で、みごとな綴れ織りのような典礼が続きます。合間に小時課や、夕の祈り、終課などもあり、修道院と門前のホテルとを、鐘の音にうながされて行き来して4日を過ごすのです。一行23人、信者も未信者も、グレゴリアン経験者も初体験の人も、全員がすべての典礼に与り、倦むということがありませんでした。
音楽的には先ほど書きましたエレミアとならんで、何度聞いても鳥肌がたつような感動を受けるのは3人のソリストによる聖金曜日の「ヨハネによる主の受難」の朗読(朗唱)です。解説役の圧倒的な安定感、イエス役の低い地を這うようなトーン、その他の役の非常に高いトーンの澄み切った調子、それぞれみごとな歌唱で「その時」が再現されます。
ほかにも思い起こせばお伝えしたいことは多々有りますが、根本的には聖ベネディクトが修道院の規則を定めた6世紀以来、
延々と続けられた祈りの深さ、篤さと云うものに打たれ、彼らを祈り歌い続けさせる存在に思い至らざるをえない、ということです。
 カトリック教会の典礼において16世紀中葉のトレントの公会議以来の大変革を実行したのが、1960年代前半におこなわれた第2バチカン公会議です。ここで決定された新しい憲章による改革、特に自国語で典礼が執り行われ、自国語の典礼聖歌を持てると云う事は、世界中のカトリックにとってなによりのお恵みでした。共同体として、心を合わせて、神を賛美し、自然に信仰を分かちあうことができます。高田三郎先生が中心になって作られた日本語の典礼聖歌はわが国の教会共同体のありようにとてもふさわしいと思います。しかし、もっと個人的な「在ってあるもの」へ観想を導く、といった別のタイプの宣教にはグレゴリアンに勝るものはありますまい。私にとって、グレゴリアンは深く心の内奥に沈潜するときのなによりの手立てです。
私の指導するグレゴリアンの2つのグループの聖歌が「在ってあるもの」「自分より大きなもの」を想起させるようなものだとは、おこがましくて、とても申せません。しかしこれとても経験の「積み重ね」、をしなくては、前進もないのです。まだまだ私たちは過程です。が、どうぞ一度グレゴリアンミサにおでかけください。ラテン語の響きに身をゆだね、文言の訳をお読みになって黙想していただければと思います。
この聖週間をソレムで過ごす旅は毎年とは行かないでしょうが、継続していきたいと思います。ぜひ一度、観想修道会の修道士の祈りとともに過ごす「聖なる3日」を体験なさってください。   
 
                                         2013年4月30日  
日本合唱指揮者協会員  日本グレゴリオ聖歌学会理事   http://www.yk.rim.or.jp/~hiro3 

   






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  2012   Solesmes 聖木曜から復活の月曜       

4月4日
 
 4月今年は一人旅である。ANAの昼便でいくと、ちょうど具合のいい空港をとおるTGVでルマンまでいけたのに、今年からダイヤが変わって、モンパルナスまでいかなくてはならなくなり、タクシーを使う。チップを入れて六千円くらいだったので、まあよしとしましょう。後はオンタイムで20時45分前後にサブレ―着。タクシーをルマンから頼んだのだが廃業したようでらちが明かず、ホテルから頼んでもらう。9時すぎだというのに、薄明るい。緯度の関係か、夏時間のせいか

          
  



4月5日(聖木曜日)
 真面目に、6時30分にSte. Cecilにいったのに、閉門であった。
  7:30  St. Piere Laudes
 10:00  St.Piere Terce 
 13:00  St.Piere Sexte
 13:45  St.Piere None
 17:30  St,Piere Missa 主の食卓
 21:00  St.Piere Compli
出掛ける前は例によっていそがしかったので、今日は出歩かず、ホテルと聖堂を行き来のみ。
きょうの小時課は何れも、Deus, in adjutorium からはじまり、Hymは同一メロディーHym. p、56。合唱長イヴマリに声がしない気がする。ミサの、Graduare のとき、8人ほどが中央に出て。まんなかのあまりみかけなかけなかった、若く背の高い修道士がリードをしていたが、もう一つ音楽が立ち上らない気がした。Tr.もVはソロでなく、数人のゾりであった。 Officeでは聞いている他の修道会などの司祭もミサには加わるので、主の食卓のミサは、大勢の司祭である。 洗足式、7曲全部歌い、奉納は Ubi caritas. GT.どうり。
今日はVepres なかったみたい。
ホテルの夕食、ホタテガイのソテー、クルミと野菜の付け合せおいしかった。お茶はあとにして、Compli にいく。




       





4月6日(聖金曜日)
  6:30  St. Piere Vigiles et Laudes
 10:00  St. Piere  Tierce
 12:15  Ste. Cecil  Sexte
 12:45  St. Piere   Sexte
 16:00  St. Piere   None et Celebration de la Passion
 18:45  Ste. Cecil Complies
 20:30  St.Piere  Copmlies
朝課から一日がはじまる。何の挨拶もなく最初のAnt.からはじまる。第一夜課は昨年のとうり、Ant.つきPs, 2,21,26(2,22、27)、ここまでは何も感じなかったが、この後のLamentetion と Responsoliumで首をかしげる。やはりイヴマリはいない。聖歌に力がややかけているような、、、。第2夜課は朗読が昨年とことなり、サルディニアの司教メリトンの説教 Reaponsplium は昨年と同じ。第3夜課の朗読はOperibus Ruperti Tutiensis abbatis。. Responsolium はやはり昨年と同じ。引き続き賛課に入る。やはり最初のAnt. から始まる。詩編唱はほんとによくこなれて美しいが、院長側と反対側の声の調子がやや異なる。院長側がより透明で反対側がややガサガサしている。
Ps.148,148、150の後小朗読。そのあとの応唱で Cristus factusu est をうたったが、おしまいのCrucis のcis の2つ目の音が変えられている。 この曲は今週何度となく聞くが、いずれも修正された音であった。C→D イヴマリの不在が気になって落ち着かない。 すんでから顔見知りの修道士に聞くと、「彼はメキシコに行ったよ」とのこと!!!ナント
真面目に小時課にでて、聖務日課の理解につとめる。
9時課と聖金曜日の典礼。ヨハネの受難の朗読がある。イヴマリの不在が気になったが、見事であった。 イエス役が新しい人であったが、過不足ない歌いぶり、コロニスタと シナゴーガーは昨年と同じ人で、素晴らしかった。枝の主日にソレムにいたことがないので枝の主日の朗読がどうなのかわからないが、ヨハネに関してはメロディーが、一般的なのと異なり、特に心に沁みる。ソレムの全集のヨハネはふつうのなのだが、どいう言う経緯で今のメロディーになったのか、しりたいし、譜面がほしいなーとおもった。イエスが亡くなったところで、修道士たちは全員床にひれ伏して祈る。 この後の正式共同祈願10個全部する、立ったり座ったり頭を下げたり10回するので、大変!!:十字架崇敬の儀式は聖歌も美しく荘厳である。 捧げ持つ十字架が小ぶりな金属の十字架であるのがちょっと不思議。GT, 175 の Crucem tuam は 181ページまで歌った後に入った。 Crux Fideris GT,全曲うたう。
終課、唐突に、回心の祈りから始まる。Ant.もなしで、Ps.4,99,133 Hym もなく。Maria
のAnt。もない。An1の指定の歌、
小朗読はFeriaW.


          






4月7日(聖土曜日)
  6:30  St. Piere Vigiles et Laudes
  9:30  Ste. Cecil Tierce      10:00  St.Piere Tierce
 12:15  Ste. Cecil  Sexte     12:45  St.Piere Sexte
 13:30  St.Piere  None       14:15  Ste. Cecil None
 16:00  St. Cecil Vepre      17:00  St,Piere Vepre
 22:30  St.Piere   終了 1:20

この朝の第一夜課のラメンテイションはとてもよかった。この時以後、ゾリは全部鷲の譜面台の前の5人になり、ずっとまとまってよくなった。其々の夜課の最初の詩篇3つをAnt.付きで歌うとそのあとVersicli が来ること。その後 朗読3つと其々にResponsoriumが歌われるが、その3つ目のRep.のみ、ヴァースで Grolia Patriまで歌うこと発見。  ろうそくは夜課の詩篇9つと賛課の3つの詩篇、カンティクム、148,149、150のセットで14本が消え1本残る。第一夜課の朗読は昨年と同じ。 第2夜課は
「Commentario Origenis presbyteri in Epistulam Romanos」 第3夜課の朗読は、
「Sermonibus sancti Leonis Magni Papae」 であった。
2つの聖堂をいったりきたり。3時課のあとでサブレーまで散歩。お土産をさがす。日本だと1200円くらいするPresidentのチーズがまだ賞味期限がせまっていないのに、スーパーで250円くらい! 円高還元ということはありえないのかしら?市役所の前でタクシーを頼み帰る。6時課に間に合った。 あとはしずかな散歩ですごす。
セシールのVepre 美しかった。
復活徹夜祭  聖堂前のテラスで、火の準備がはじまっている。聴衆以前ほど多くないような感じを持った。30センチくらいの細いろうそくをもって着席。行列で入堂。復活賛歌と思われる聖歌が歌われたが(ソロ)、ひよひよした声で、あぶなっかしい。言葉の典礼、7つの朗読全部する。朗読、聖歌、祈りの伝統的なパターン。終わると高らかに鐘がなり、オルガンがはいって、Gloria。今年も洗礼式があった。 Sanctusにきれいなオルガン伴奏がつく。 1時半近く、輝かしいオルガンに送られて聖堂をでると、まあるい月がうす雲をまとって、輝いていた。



        







4月8日(復活の主日)
  7:00  St,. Piere   Laudis
 10:00  St. Piere   Tierce & Messe pontificale
 13:00  St..Piere   Sexte
 13:50  St. Piere   None     14:45  Ste.Cecil   None
 16:30  Ste.Cecil   Vepre     17:00  St. Piere  Vepre
 20:00  St. Piere   Complies

 昨年のLaude は、すべて合唱長イヴマリと全員の交唱で、すばらしかった。今年は?
ゾリと全員。やはり昨年のようにはいかなかった。聖金曜、、聖土曜の聖務日課はすべて、冒頭のあいさつがなく最初のAnt. ではじまったが、この日のLaudesはあいさつあり、そして美しいInvetatorium が歌われた。(Hym の本)
2008, 2011 ともミサあずかって、ソレムをはなれたので、この日のVepre は初めての経験 Ste. Cecil の聖歌の美しいこと、4つめの 詩編としてうたわれた 113A は、普通の詩編唱ではなく、Omnes Gentes と同じメロディー、Alleliua 応答つき、 ソルニエ先生がガリアの伝統のものとおっしゃたのと同じであった。ベネディクションがつづき、冒頭はきれいなAdoro te 。 途中で失礼してPt. Piere へ。ベネディクションがはじまるあたりで、すべりこむ。さすがに、今日はミサもヴェスプレも参会者hいっぱい。
シャンペンをたのんで、ディナー。一人はやはりつまらないといえば、つまらない。しかし一人なので、思う存分に聖務日課をきくことができ、かなり組み立てがわかった。
Compli Regina Coeri うれしく聞く。 荘厳調。



        





4月9日 (復活の月曜)
 6:45  Ste, Cecil    Laudes     7:45  St. Piere  Laudesu
10:00  St. Piere    Terce+Mess
13:00  St. Piere    Sexte
今回のソレム訪問の大事な目的は、来年の聖金曜と聖土曜の朝課の朗読の確認だったのだが、イヴマリの不在ではたせなかった。 英語を話す、背中の丸いおじいさんの修道士、ミサの時、まえから4,5番目の人に聞くと、まだ来年のパンフレットは出来ていないとのこと。朗読の本はおしえてくれたが、私はテキストが全部ほしかったので目的は不十分な結果になった。 秋になったら、新しい合唱長にメールをいれなくてはならない。 イヴマリみたいに優しくて親切な人でありますように、、。
サブレ―の駅に行くと、ストライキで列車のいくつかは走らない、、とのこと。 私の乗る列車は幸い大丈夫でほっとする。
ルマンで乗り換え予定どうりにCDG につく。
来年の同じ時期に友人たちを誘ってでかけるつもりだが、イヴマリの不在はとても残念である。歌そのものは今年より上等になっていることを心より願うものである。
もちろん今年も、十分に精神的にたかいものであり、初めて聞く方の心を大きく打つものであるとは思うが、ここ15年くらい聞いてきて、2008〜2011年という時期、イヴマリのもとで最高だったので、どういう事情か、わからないが非常に残念であった。








 
         ******   ******   ******







 2011 ソレムですごした
          聖週間から復活の主日



  2011年のご復活は 4月24日と大変遅い年まわりであった。いつ行ってもソレムの祈りに与るのは感動的なのであるが、聖週間はことさらであり、なるべく多くの友人に味わってもらいたいので、2008年に次いででかけることにした。私自身はこの時期3回目である。東京と鎌倉のグループでこの春は「グレゴリオ聖歌と講話による聖週間の黙想」という行事を計画したのだが、3月11日の東日本大震災をうけ、東京の行事は中止とした。鎌倉は1か月を経ていたので予定どうりに、4月17日枝の主日に実行、中一日おいての、出発となった。まだ交通事情が不安定なので、ほとんどの人が成田に前泊し、20日のフライトで出発。いつものように、CDGからTGVでルマンへ。そこからバスで夜9時過ぎソレムのホテルに入る。昨年暮れのようなトラブルもなく、予定どうり。


4月21日 (聖木曜日)

早起きして Ste.Cecil 賛課にいったのに、門が閉まっていて入れない。皆で川沿いの道を橋まで歩く。朝の散歩。藤が見事に咲き、朝焼けの修道院が、川面に荘厳である。


         
   

7:30  St. Piere 賛課 40分  

朝食の後今日は、小時課をカットして、アンジェのお城と有名な「黙示録のタペストリー」を見に出かける。良いお天気で青空に城塞がはえる。タペストリーは見事。保護のため薄暗い展示場で私は3度目の再会。昼食は場内のレストラン。夕方からの典礼に間に合うようにソレムに帰る。

15:30  主の食卓のミサ

GT.どおり。洗足式。修道院長がシーツのようなものを体に巻きつけて12人の足を丁寧に洗う。Gt.の7曲歌う。奉納、拝領とつづき、Pange linguaで身廊中ほどの安置所にご聖体を移動。付き従う司祭が多いので、一層荘厳である。ミサの後も、何人もの修道士が跪いて祈り続けている。聖堂に出入りする人も、すべてひと時、跪いて、主の受難をしのぶ。
夕食。メンバーの小林さんご夫妻が4回目の結婚記念日ということで,みんなでお祝い。4年前ご新婚の時、新婚旅行にソレムもお考えだったのに、事情でいらっしゃれなかったということで、今回の旅行にご参加、うれしい出会いでした。


21:00  終課(コンプリ)
 
    アンジェ城      Sloesmesの典礼の予告

4月22日(聖金曜日)

6:30  朝課+賛課 

翌日の聖土曜日の同じ典礼とともに、最も注目される典礼。今回は, 合唱長、イヴマリにあたらしく決定したプログラムをおしえてもらい、全体のラテン語と日本語訳、歌われる聖歌も含めた決定版のパンフレットを用意した。落ち着いて典礼があじわえるはずである。 朝課は第1、第2、第3という3つの夜課からなり、それぞれがAnt.つき詩篇3篇。3つの朗読と3つの大応唱という長大な構成である。 第1夜課の朗読は、伝統的な「哀歌」Lamentation で、最上のソリストたちで歌われ、まことに美しい。 第2夜課の朗読は聖クリゾストモス司教の教話、第3夜課のは聖レオ大教皇の説教からで、普通の朗誦でとなえられた新たに用意したパンフレットは日本人にはまことに具合がよく、メンバーにも喜んでもらえた。かなり大変な作業であったので、それが実って、うれしかった。 この作成に協力してくださった旅行社ステラの久田さん、そして、第2夜課と第3夜課朗読箇所の翻訳をしてくださった渋谷教会の田中主任司祭に心から感謝申し上げるしだいです。 
その後賛課がつづき、2時間15分の典礼であった。 
朝食ののち、少し休憩、

10:00  三時課

12:45  六時課 

六時課は、 女子ベネディクト会の サントセシール の聖堂で与る。
うつくしい。祈りの歌声である。まさに彼女たちは神様にのみ歌っているからであろうか、また建物の構造のせいもあり、歌詞を聞き取るのは非常に難しい。この美しい小さな聖堂では私はいつも、聞き取ろうとする努力は放棄し、私自身の黙想に沈潜する。  この聖堂には瀟洒な塔があるのだが、工事中で足場がかかり、カバーがかけられ残念であった。  この日の昼食はみなさん自由。私とルームメイトはお湯を沸かして、インスタントのお雑炊と、もずくスープ。

16:00  九時課と主の受難の典礼
  Grand office de la Crois et communion


九時課は、「Iesus clamans voce magna」の交唱で始まり、詩編3つ、後、言葉の典礼に入る。2つの朗読の後いよいよ、「ヨハネによる受難の朗読」。前回もっとも印象的であった。今回も3人の修道士による朗読はすばらしい。イヴマリは今回もイエスさま役。安定した語り手、美しい高音の第3の役で歌われる福音は、見事である。このメンバーによる CDがほしいとつくづく思った。そののち盛式共同祈願が、10、すべて唱えられた。それから、十字架の崇敬の典礼に進む。司祭たちの入場するところから十字架ははいってきた。小型の金属の十字架である。さまざまの歌がうたわれたが、ほとんど出発前の由比ヶ浜での黙想会で歌った聖歌が多く、うれしく、心に沁みた。
ホテルのディナーはおさかなだったが、大斎というには少々豪華であった。

20:30  終課


4月23日 (聖土曜日)

6:30   朝課+賛課

昨日と同じ長大な典礼であるが、倦むということがない。詩編が歌われるごとに、山型のろうそく台のろうそくが1本ずつ消されていく。前回の記録にも書いたが、現在ソレムでは早朝に行われているので、ろうそくが消されていっても、暗闇になることはなく、徐々に朝の光で明るくなるので昔からこの典礼の別称であった「テネブレ」(暗闇)を味わうことはできない。やはり、ソリストたちのラメンテイション(第一夜課朗読)が絶品であり、それぞれの大応唱もうつくしい。なかなか聞く機会のないものなので、このためのソレム訪問である。第二夜課は古来話者不明の聖土曜日の古い教話。第3夜課はサルデニアの司教メリトンの説教であった。第3夜課の朗読はほとんどレクトトーンで終止のみ5度下がる、というようにトーンダウンしていた。
かつては、聖木曜から聖土曜まで、3日にわたっておこなわれたテネブレは現在ソレムでは聖金曜と聖土曜日に圧縮されてあたらしく決定したようである。これが、バチカンの決定で全世界的なのかは私には不明であるが、ソレムでは決定。聖歌は毎年おなじ。第一夜課の朗読は1組のみ。第2夜課の朗読は2種類あり、隔年。第3夜課は3組あり、3年周期で動く、ということのようである。賛課が続いて2時間余の朝の典礼が終了。
朝食。このホテルのパンは美味しくてどうしても食べ過ぎてしまう

10:00  3時課


その後サブレーの町まで散歩に出る。列車でソレムに来るときは、:ここが最寄りの駅である。サブレーというお菓子の発祥の地であり、町の中心にある「メゾンドサブレー」というお菓子屋さんでお土産のお菓子を皆仕入れる。町の聖堂にご聖体訪問をした人たちもいた。町で簡単にお昼をすませ、半数はタクシーで、元気な人は更に徒歩でソレムに帰る。徒歩組は、牧場に入り込んだりして、面白くもあり、またちょっと大変な散歩になった様子。

17:00  ヴェスプレ(夕の祈り)

AM.1 のまま。
夕食、このホテルは☆3つだが、レストランは☆4つだそうで、とてもおいしい。また飾り付けもスマートでなかなかである。今夜のトマトのサラダは美しい。くせのないつまみ菜のような野菜がよくつかわれている。あれはなにかしら? さあいよいよ復活徹夜祭。こんなにおなかがいっぱいでは眠くなるにちがいない。

            



22:30  復活徹夜祭

修道院は22:00に開門されるので、遅れないように出かける。ありがたいことに、顔見知りの接待役といったブラザーが私たちのために席を用意してくださっている。だからよけい遅刻なぞできない。聖堂に行くと前のテラスにかがり火が焚かれ、火の祭儀の用意が始まっている。細長いろうそくを受け取って入堂。日本の教会と同じようにはじまる。違いは司祭が大勢で、聞かれる言葉、歌がラテン語というだけであり、なにがどう進行しているかはまったく理解できる。朗読・聖歌・祈願というセットが7つすべておこなわれた。たったり、すわったり、跪いたりかなり大変。みんな眠気との戦いがはじまる。Gloriaがオルガンとともにはじまりアレルヤをうたう。そのあと洗礼式がある。受洗者は名家の老人か?立派な軍服を着た人がつきそう。ソレムの聖堂での洗礼式は初めての体験だった。リタニアもあり、かなりながい。少々のポーズ後、朝課がつづき、みんなあちこちで船を漕ぐ。終了は夜中の1時30分近かった。後奏のオルガンが美しい。



4月24日 (復活の主日)

00   賛課


昨夜は大変遅かったのに、メンバーは頑張ってほとんど出席
この典礼は、すべての聖歌がイヴマリと全員の交代でうたわれ、素晴らしく、私にとって今回の旅の一番の聞きものであった。昨夜1時半まで歌っていて、イヴマリは、朝7時からどうしてあんなに生き生きとした声が出るのだろう
やはり、神様の特別なお恵みをいただいているに違いない、、、賛歌は「Aurora lucis」なつかしい。フォントブロウの講習会ずいぶん歌った歌。
ソレム最後の朝食

10:00  3時課+復活日中のミサ

入祭唱の後、3時課 そのあと修道士たちは 「Salve Festa」を歌いながら、プロセッション。列を整えて聖堂をでて、修院の中を経巡っている様子。歌声がだんだん遠くなり、やがて聞こえなくなる。しばらくするとまたかすかに聞こえだして、やがて、聖堂にもどってきた。そして復活のミサがはじまる。続唱の後にアレルヤ。アレルヤはヴェルススの後にアレルヤに戻ったところで一同立つというのが定例となっている。KrialeはV(GloriaだけU) Credo はX、奉献文は長大でたぶんローマ奉献文だとおもう。主の祈りは1番ポピュラーな分。これまでは、ほとんど、BかCだった。ミサ終了まで2時間。


これで、今回のソレム滞在はおしまいである。夕刻のヴェスペルまで参列したいのは、山々なれど、ガック神父様が待っておられるので、ショーモンスュルロワールまで走る。そこの教区教会で夕の祈りと、ベネディクション。賛歌と幾つかの聖歌を用意したが、私たちには詩編唱は残念ながらまだ無理。
翌日復活の月曜日のミサをご一緒にあげる。復活月曜の固有文は私たち。ソレムでも空いた時間に、バスで移動中も練習をした。通常文は、当然T、「Lux et origo」。かわいいパイプオルガンがあるのに、オルガニスト不在とのことで、われらがMrs.小林に急きょ奏楽を要請。見事にやりとげてくださり、とてもうれしかった。特に拝領唱のあと、弾いてくださった Regina Caeli はすてきだった。花井氏の作曲とか。 24日夜と25日のお昼と、ガック神父のエルミタージュ村の共同体でおもてなしを受ける。At Family なおもてなしで、美味しく、楽しい時間でした。このあと、フォントブロウの大修道院跡、トゥール、オルレアンとめぐり、パリに入る。エルサレム会の典礼に預かり、ジベルニー、バルビゾンに遊んで、29日に帰国。
 

Shaumonn-sur-loire の教会   Fontebraud  
 
ジベルニーにて   




今回の旅行は、ステラ コーポレーションにおせわになった。ステラのブログをご覧になると、楽しい写真をもっとたくさんご覧になれます。
    「星空経由の伝言板」

 
 
 
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 2010 Solesmes のクリスマス

 11月半ばからいそがしかった。12月20カンタ 21鎌倉でミサ。22パリへ 飛ぶ。TGV 20分遅れ、雪で1時間以上遅れルマン着9時30分鉄道会社がタクシーでサブレーまで送ってくれる。同乗者は英語の達者なドイツ人でたすかる。サブレー駅でメーター倒し、あと18ユーロくらいでソレムにおくってもらう。ルマンからホテルにTEL、横の扉の暗証番号を  きく。11時過ぎ着。

 ソレムの典礼は美しいのだが、胃の調子がよくない。食べすぎみたい。 23日サブレーまで散歩、チーズとサブレー、カシュカシュでお土産の洋服など買う。ポストで切手がほしくて帰りも歩いたのでかなり疲れた。典礼と典礼の間寝る。 時間がよくわからずコンプリ、ミスする。夕食をとっていたら、イヴマリがきてくれて、夜課のヴィジルばかり集めた本をプレゼントされる。シャンパンのみながらしばらくは話し。うれしい時間でした。

  24日ラウデのあと、特別な歌イヴマリがうたう。
 24日の夜、すばらしいディナーだが一人はなんとなくつまらない。9時過ぎからの夜の典礼と夜半のミサはすばらしい。

  25日 ラウドと暁のミサドッキング   いつものように3時課は日中のミサとドッキング。第2ヴェスペル、美しい、うれしいことにベネディクションがつき、すばらしいアドロテ、また少し変化があるがとてもうつくしいタントムエルゴがきけた。またセシールのコンプリで聴いたアルマレデンプトーリスは今回の旅の最高

 午後、イヴマリが新しい宿に連れて行ってくれる。前に松原先生たちが泊まった家。寒さを心配したがそれほどのことはない。ただシャワーしかないので、それはパス。17,8世紀からありそうな建物だが、窓はペアガラスだし、電気の温水ヒーターがあり、お湯は完璧、ただトイレのタンクがすこし漏った。体調わるく(胃)、昼少々。夜は食べず。翌朝「赤いきつね」でやや好転。

 26日、聖家族のミサ 6時課まできいて、タクシーでサブレーに、時間どおりにうごいて、ほっとする。ゴドバルのあとは、いつも迷うのだが、1階エスカレーター昇ると左手にスターラインのコーナー、アナはその奥のほう。

  ソルニエ師みかけず。ソレムにおかえりでなかったらしい。残念でした。質問があったのに。


Solesmes クリスマスの典礼

23 Laudes
  Ps.66 sans antienne Am T P.43~
  De Sion veniet    Ps.50      前後にAnt.
  De Sion veniet Ps.87
  Convertere,Domine Ps.89
  Hauruetis aquas Cant.d’Isaie 12
           冒頭の飾りなしレクトトーンで開始、立たない
  Domine legifer Ps.148~150 Ps.連続
   Lecture breve ラテン語
  R. br. Super te,
  Hym.  Maginis prophetae vocibus   A年用
       ad Benedictus Ant. Ecce completa sunt  

  Missa + Tertia
    入祭唱ではじまり、最初の挨拶の後すぐ3時課のPs.にはいる。
    前後にAnt.
       Ps.119,120,121 (火曜から土曜のぶん)
      (固)Prope es tu, Ostende nobis, Confortamini,et iam, Ecce          Dominus
      Kyrie ][(A)

  Vespre
  De Sion veniet Ps. 138
  De Sion veniet 続き 
  Convertere, domine Ps.139
  Dominus legifer noster, Ps 140 (Psaum du Jeudi)
  Lectur breve R. br Veni ad liberandum nos
  Hym. Verbum salutis omnium
      ad Magnificat Ant. O Emmanuel


24 Laudes
  
Ps. 66
  Iudaea et Iarusalem Ps. 50 たぶんGreen book P7~
  Hodie scietis Ps, ?
  Crastima die Pa. ?
  Tu Bethlehem, Cantique du jour
  Crastina erit Ps. 148~150
  Lectur Breve R, br Super te,Ierusalem
  Hym. Magnis prophtae vocibus
     ad Bunedictus Ant.Completi sunt dies Mariae
鐘がなり、香とともにイヴマリの語り(かなり長い)あとみな全身投置


  Missa+Tertia
   
入祭唱・挨拶・3時課Ant. Iudaea Ps。?
      (固) 降誕前晩    K. ][

  Vespre
  
Rexpacificus Ps.112 オルガンとともに入場
  Magnificatus est Ps. 145      派手なガウンの5人(イヴマリと
  Levate capita vestra Ps.146      ほか4人)鷲のところでうたう
  Verbum supernum Ps. 147      だいたい5人対全員ですすむ)
  Lectur breve R.br. Ludaea et Jerusalem
  Hym. Christe,redemptor
     ad Mag. Ant. Cum ortus

  Nocturno+Missa
21 :30 より夜課はじまる。 イヴマリのプレゼントの本のとおりに進む。
TNocturno 全部きちんとうたい、歌手も立派。Ant,つきPSが6、朗読(キチンと朗唱)R. 4.長大。 U Nocturno は 簡略でレクトトーンで終わる、R。もとなえて残念。構成はTとおなじ(最初のR XはO magnumなのに)
V Nocturno はオルガンがはいった。Ps.はなく、Ant.つきCanticum のあと朗読とR は4. ほとんどレクトトーンだがR。は歌った。ただし歌手は年寄りがおおくてあまりよくない。最後のRは全員起立。Te Deum (修道院版) この後院長が福音書朗読。はじめてきくうつくしいメロディーだった。
トイレ休憩。引き続き 夜半のミサ 
(固)降誕夜半    K.\ Cr. U 奉献文そう長くない
   終了  12:40


25 Laude+ missa 6 :45~
暁のミサの入祭唱、あいさつのあと ラウデにはいる。
      Quem vidistis ? Ps.92
      Genuit puerpera Ps. 99
      Angerus da pastores Ps.62
      Facta est cum    Cant. Dn. 
      Parvus filius hodie Ps. 148,148,150
Kyrie からミサに進行  (固)Aurora K.] Gl.Wad liv. Cr.T S.A. ]
拝領唱のあと ad Banedicutus Ant, Gloria in excelsis Deo
其の後 拝領祈願から閉祭に。


  Missa   10 :15~
      日中のミサの入祭で開始 あいさつのあと
      3時課 ant, Natus est nobis Ps. 119,120,121
  Kyrie にすすむ。 (固)降誕日中、 KV  Cr.X
      奉献文 第一ローマ で長大、院長司式   1時間50分


  Vespure U  17 :00~
   
Tecum principium Ps. 109
   Redemptionem misit Ps. 110
   Exortum est in tenebris Ps. 111
   Apud Dominum misericordia Ps. 129
   Verbum caro factus est Io 1,14
   Lecture breve R.br Verbum caro factus est
   Hym. Criste redemptor
      ad Mag. Hodie Christus natus est かなり音が違って耳新しかった

    
   Litanie p,33 閉祭
   Salut du Tres Saint Sacrament ベネディクションうれしい
      Adoro Te devote ではじまる。 うつくしい。 
      Tantum ergo (Cの本 P.197 とてもいい)

 
  Copmretorium
    
Ste Cecil できいた Alma Redemptoris 最高。
    アヴィニョンよりずっといい



26 Laude 
   
Ps.66 Invitatorium みじかい
   Patores venerunt    Ps.92
   Pastores dicite   Ps.99
   Erst ioseph et Mater Ps.62
   Intrante magi Cant. Dan.3
   Puer Iesus proficiebat Ps. 148.149.150  
   Lecture breve R. Br. Christe, Fili Dei vivi (楽譜あり AMTp.72)
   Hym. Criste,splendor Patris
      ad Benedicutus Et ut perfecerunt omnia

  Missa
聖家族のミサ入祭唱のあとあいさつ
      3時課  Ant.不明  Ps. 不明
      (固) 聖家族 GT. P.51 K. W* Gl Y Cr.V S.A. Y








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修道院ですごした聖週間    渡辺宏子


          2008/05/31  JCDA コンタクトに投稿




「受難から復活へ」が今年のJCDAの春のテーマでした。この一週間をカトリックでは、聖週間といいますが、ことしの復活祭は3月23日と最も早い時期でした。ちょうど春休みにかかるので、これまで引き受けていた自分の教会での聖週間の典礼の歌の仕事を失礼して、フランス・ソレムのベネディクト会修道院の〔聖なる三日〕の典礼に与ろうと、友人たちをさそってでかけました。2005年に続き2度目のソレムでのご復活です。前回は急なお誘いを受け勉強もせずにでかけたもので、ちゃんと下調べをしてもう一度と、云う思いも抑えがたかったのです。


 聖水曜日の朝、成田を発つと、同日夜9時過ぎにソレムにつきます。翌早朝の賛課、短い時課をいくつか味わいいよいよ夕刻「主の晩餐」のミサから「聖なる3日」がはじまりました。見覚えのある修道士たちにまじって韓国からの若い司祭が何人もいるのが目を引きます。修道服はベネディクト会ではなく、私の先生ソルニエ師(ソレムの前合唱長で目下ローマの教皇庁立宗教音楽大学の教授)のもとで勉強中のひとたちです。バチカン版といわれるグレゴリアンの規範版グラデュアーレ・トリプレックスによる見事な聖歌が続きます。修道院長による洗足式のあいだに7つの交唱すべてが歌われました。奉納唱はUbi caritasです。拝領祈願の後は、Pange linguaをうたいながらのご聖体の移動で、何十人もの司祭がつきしたがって、仮祭壇に移します。聖堂の中ほどの15世紀の、降架されたイエスをお棺に入れようとしている人々の像のあるスペース・右袖廊です。像の前に祭壇をしつらえ、そこに聖櫃がおかれます。何人もの修道士がミサのあとも、翌朝も(多分夜中も)膝を着き祈っている姿が印象的でした。その静かな姿から、まさにいまゲッセマネで苦しまれている、いまピラトの前で痛めつけられている、そんなイエスを想う沈痛な空気が漂ってきたのです。

 ソレムの修道院は大部分の聖務日課を公開していますが、朝課(読書課)は、非公開です。しかし、聖金曜日と聖土曜日は、朝6時30分から、朝課と賛課を続けて(ほぼ2時間)公開します。それが聞きたくて出かけるのです。ルネサンス期の作曲家ヴィクトリアやジュズアルド、タリスなどに、「聖週間のレスポンソリウム」とか、「テネブレ」という名曲がありますが、その源のグレゴリオ聖歌が歌われるのです。朝課の内容は、3つの交唱つき詩篇と、朗読が3つにそれぞれレスポンソリウム(応唱)と云うセットが3つなされます。詩篇唱もみごとでしたが、やはり白眉は最初の朗読、「エレミアの哀歌」でした。合唱長たちソリストの歌う単旋律の哀歌は、私はどんな合唱大曲にも勝ると感じました。やはり、精神の問題でしょうね。おしまいに必ず歌われる「Jerusalem,Jerusalem,convertere ad Dominum Deum tuum」(エルサレムよ、エルサレムよ、お前の神なる主に向き直れ)の節の哀切で真摯な響きは、私を一気に2000年前のエルサレムにつれていきました。
そのほかの朗読はこれまでアウグスティヌスの詩篇註解と、ヘブライ人への手紙が朗唱されたのですが、今回はオリゲネスなどの教父の著作、レオ大教皇の説教などでした。そしてやや残念だったのは、以前は真夜中におこなわれたお勤めでしたから、詩篇が一つ済むごとに燭台の蝋燭が一本ずつ消され、テネブレ(暗闇)になったはずですが、今は最後の蝋燭が消えた時には、朝の光が高窓からさしこんで、テネブレは体感できなかったのです。


 聖金曜日「主の受難」16時から2時間、聖土曜日「復活徹夜祭」 22時半から3時間、復活の主日のミサ10時から2時間、と長大で、みごとな綴れ織りのような典礼が続きました。合間に小時課や、夕の祈り、終課などもあり、修道院と門前のホテルとを、鐘の音にうながされて行き来して4日を過ごしたのです。一行十二人、信者も未信者も、グレゴリアン経験者も初体験の人も、全員がすべての典礼に与り、倦むということがありませんでした。

 音楽的には先ほど書きましたエレミアとならんで、今思い出しても鳥肌がたつような感動をうけたのは3人のソリストによる聖金曜日の「ヨハネによる主の受難」の朗読(朗唱)です。解説役の圧倒的な安定感、イエス役の合唱長イヴマリの荘厳な深い声、その他の役の非常に高いトーンの澄み切った調子、それぞれみごとな歌唱で「その時」が再現されました。

 ほかにも思い起こせばお伝えしたいことは多々有りますが、根本的には聖ベネディクトが修道院の規則を定めた6世紀以来、延々と続けられた祈りの深さ、篤さと云うものに打たれ、彼らを祈り歌い続けさせる存在に思い至らざるをえない、ということです。

 カトリック教会の典礼において16世紀中葉のトレントの公会議以来の大変革を実行したのが、1960年代前半におこなわれた第2バチカン公会議です。ここで決定された新しい憲章による改革、特に自国語で典礼が執り行われ、自国語の典礼聖歌を持てると云う事は、世界中のカトリックにとってなによりのお恵みでした。共同体として、心を合わせて、神を賛美し、自然に信仰を分かちあうことができます。高田三郎先生が中心になって作られた日本語の典礼聖歌はわが国の教会共同体のありようにとてもふさわしいと思います。しかし、もっと個人的な「在ってあるもの」へ観想を導く、といった別のタイプの宣教にはグレゴリアンに勝るものはありますまい。私にとって、グレゴリアンは深く心の内奥に沈潜するときのなによりの手立てです。

 私の指導するグレゴリアンの2つの会の聖歌が「在ってあるもの」「自分より大きなもの」を想起させるようなものだとは、おこがましくて、とても申せません。しかしこれとても経験の「積み重ね」、「積み重ね」をしなくては、前進もないのです。まだまだ私たちは過程です。が、どうぞ一度グレゴリアンミサにおでかけください。ラテン語の響きに身をゆだね、文言の訳をお読みになって黙想していただければと思います。

 さて、私達の旅は復活祭のヴェスペルと翌日、復活の月曜のミサを、わたしの友人であるガック神父の共同体の方々、近在の信者さんたちとショーモンシュルロアールの綺麗な教会でお献げして終わりました。
毎年!!と云う人もいますが、そうもいきません。2011年がとてもおそい4月24日のご復活です。この年にまた多分出かけます。JCDAのみなさまのレパートリーにキリスト教関係のものは少なくないと思います一度、本当の修道士の祈りの歌をお聴きになったらいかがでしょう。CDでなくやはり目の当たりにして。どうぞご一緒に。
    
          2008/05/31 JCDA コンタクトに投稿  
  2008/07/20 改訂

 


 
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