セカンドオピニオンに安堵した翌日、眼精疲労センターを予約していたので、雪か雨かという中を余裕を持って出かけると、予約時間より早めに着いた。眼科医の並びにカイロプラクティックがあって、そこに通っている眼科医がいるとも聞いていたので、普段から整体やらなにやらには不審を覚えてはいたが、「てもみん」に四回も通ったことだし、そして、限界も感じていたので、覗いてみた。「ほぐし」か治療かと聞かれた。治療と言われてもぴんと来ないが、肩凝り、頭痛、腰痛だと並べたてると、50分ほど時間があればいいと言うので、センターの30分後に予約した。今までにこういう治療を受けたことがあるかと問われ、治療って言われてもと首をかしげていると、整体や鍼だけどと言われて思い出した。鍼に一年近く通ったこともあるし、その前後に、カイロや整体などあっちこっちに行った。 |
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一時期、一日に100から300ぐらいのホームページを駆けめぐり、適当なサイトについて100文字以内で説明文をつけるという仕事をしていて、マウスのクリックのしすぎで、右の人差し指、腕、肩に激痛を覚えるようになっていた。当時は、インターネット環境もいまほど充実していなくて、新し物好きの人や、公共団体や企業が、手探りで開設したようなサイトが多く、熱心にネットサーフィンをする人も限られており、マウスのクリックのしすぎで体に支障を来すなどということは、整体や鍼の治療士には理解しがたいことだったろう。 |
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それでも、衣装を変えれば悪魔憑きを落とす巫女もできそうな新宿御苑脇のマンションの一室で店を開いているおばさんとは、最初気が合ったのだが、彼女としては力一杯指圧しているつもりが、痛くも痒くもない顔をしているので、だんだん乱暴になって、すりこぎのようなものでごりごりとやるようになり、やめた。父や妹がかかりつけ医のようにしているカイロには、二、三回行ったことがあるが、こちらの不信心が伝わるのか、先方も敢えて通うよう勧めはしなかった。南阿佐ヶ谷にあった鍼では、最初、こちらの不信心を見抜いたように、慎重に丁寧な対応をしてくれたが、常連になると手を抜いて、首や頭などに、痛いっ!あ、ごめん、などというような鍼をさすようになったので、やめた。家の近くにあるカイロに通ったこともあるが、どういうわけか、女の整体師というのは、なにやら理屈が多くて、おしゃべりで、静かに眠らせてくれよという不満が募って、やめた。 |
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そういう「治療歴」があるとは言わず、今度も女傑だし、どうなることか分からないが、「できたら週二三回通って、早く治したほうがいいが、時間や経費の都合もあるだろうから無理強いはしない」と言われて、とりあえず、週一回通ってみることにした。 |
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左右の骨盤の位置がずれていて、その歪みのせいで背骨も曲がり、頸椎に障りが出て、その頸椎が視神経につながっていると言う。まるで、左右の骨盤の位置がずれているから、緑内障になったのだと言いたげだったが、体というのはそんなに単純なものじゃないと大仰に構えている者としては、動揺することもなく、されるがままにしていた。仰向けになると腹を押し始めた。かなり痛い。背中を触った感じでは、胃腸が弱っているようだったが、えっ、便秘じゃないの?と言いながら、グイグイと押す。脂肪の層を超えて、内臓の向こう側にまで達するべく押すわけだから、相当な力仕事だ。このあたりは子宮だが、婦人科系に問題はないかと聞かれ、子宮筋腫だったことを思い出した。それを聞くと途端に、ここに通って子宮筋腫が治ったという方もおられますと嬉しそうに言う。 |
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十年前に診断され、定期検診を受けろと言われて何回か行ったが、小さいのがありますね、それで?と聞かれ、それで?って聞きたいのはこっちのほうだと、しばらく検診もさぼっていたが、去年、健康診断のついでに診てもらったら、やはり小さいのがあるというだけで、歳も歳だし、そのうち消えちゃうんじゃないかと思ってると答えると、がっかりしていた。もう何年も、風邪を引いても医者に診てもらったこともないし、朝の定期便は欠かさないし、冷え性じゃないみたいだし、ま、更年期障害ののぼせかもしれないけど、などと言って笑わせると、人間には自然治癒能力があるのですと語りたそうだったが、そうだよねぇ、私はそんなふうにして生きてきたかもねぇ、という顔をしているのに愛想を尽かして、最後に治療士はこう言った。基本的に丈夫なんですね。 |
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そう、基本的に丈夫なんだろう。以前、緑内障についてネットサーフィンをしていると、緑内障専門医のサイトに、緑内障患者には禁煙させると書いてあり、もしそんなことを言われたら、タバコは、考えて書く、書いて考えるという日々のありように欠かせないから禁煙はできないと反論しようと思っていたが、禁煙か失明かという選択肢なら禁煙を選ぼうかと気持ちが揺れ始めていた。しかし、何をしちゃいけないもなにもなさそうだ。もちろん、医者に、タバコは?とは聞きはしなかったが。 |
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幼稚園の頃のエピソードとして、じゃり道で転んで、立ち上がったときには、掌に何かをつかんでいた、アンタはそういう子だったと言われた覚えがある。どこかで見た四こまマンガを自分の体験とすり替えたような気もしないではないが、転んでもタダでは起きないというところはある。タダでは起きずに何かを溜めこむ。ストレスとウンコと金はたまらないが、脂肪とモヤモヤと房水はためこむ。そんなタチなのか。十代の頃から「視野狭窄」という言葉に心惹かれていた。アベコウボウがよく使っていた言葉だったか。比喩ではなくて物理的にそうなったらしい。比喩にしても然りかもしれないが。 |
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目薬は、何度も繰り返すように、買うのは好きだが、差すのは苦手だ。いまや、毎日、朝と晩に一回ずつ差し、顔を仰向けて天上を見上げ、両瞼を広げ、ああ、落ちてくる、怖いと思いながらも目を閉じないようにして、つまり、目も指も力尽くになって目薬を差している。この分だと、目の見える限り一生定期的に目薬を差すことになるのだろうから、そのうち慣れるにちがいないが、目薬を差すたびに、ああ、面倒くさい、と口をついて出る。 |
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先に引用したパンフレットに、「視野(見える範囲)」と書かれていて、わざわざ注釈がついていると「視野」とはなんだろうということが気になってくる。視野の狭い人という比喩的な言い方があるが、緑内障でもないのに、実生活のなかで視野の狭い人というのはいる。認識したくない、見たくないものは見ないようにしている、見たいものしか見ない、という具合なのだろうか、家から会社までのあいだの風景などとんと目に入らず、右斜め前ぐらいで手を振っていても、まっすぐ前しか見ていないから気づかない。いな、そういう性分だというだけではなく、何かに夢中になっていて、そのちょっと周辺のことなどまったく目に入らなかった、とか、必死になって探し物をしているのに、あんまり目前にありすぎて気づかなかった、というようなことは、日常のなかでよくある。 |
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電車の人身事故には、犠牲者が視覚障碍者であることが多いという。白い杖を左右に振りながら、堂々と歩いているように思いこんでいた。考えてみれば、大きく振らなければ、道順を示す点字の境目にも障害物にも触れることはできないだろうし、ああして大きな身振りをしなければ、せかせかと忙しく脇目もふらずに歩いている「目明き」の目にもとまらないだろう。その風景を目は見ているのに、その意味を認識していないことが、なんと多くあることか。先日の雪の日、荷物を胸に抱えたおじいさんが、大声で叫びながら歩いていた。どいてくれよぉ、困るんだよぉ、俺は目が見えないんだよぉ。ぎくっとして、声をかけた。大丈夫ですか?きょとんとした顔をしておじいさんは黙ってしまった。黙られてしまって、それ以上言葉が出てこず、馬鹿みたいにまた、大丈夫ですか?と聞くと、小さな声でスイマセン、大丈夫、と答えたっきり、声を発しなくなった。誰にも声をかけられずにきたのに、ずかずかと踏み込まれて、おじいさんの世界はぶち壊されてしまったのかもしれない。その後、自転車に乗っているのを見かけた。 |
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頭が、見たいものを見たり、見たくないものを見なかったり、他のことを考えすぎていて見えてるはずのものが見えていなかったりするわけで、何かを認識しているのは頭であって、眼そのものは窓口にすぎない。認識しようとしまいとに関わらず、眼が「捕らえることのできる範囲」だったら、大きさや形や状態から客観的に測定できないものか。これから定期的に続くであろう、視力検査や視野検査が、努力や頑張りによらずに済むようになる時は来ないのだろうか。 |
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次の土曜日、予約の十分前にカイロに行くと、女傑は他の客にかかっていて、治療士は背の高い男性だった。時間通りにつけば担当は同じだったのか、それとも、途中で電話予約が入ったときに、指名があれば合わせるが、皆同じ技術を持っているから心配するなという応対をしていたように、同じ知識、同じ技術、同じ経験だから、誰が担当という制度は敢えて設けないようにしているのか。そのように「同じ」だとしても、治療士自身の体重、身長、手の大きさ、リーチ、親指の先の表面積、腕力、膂力、スタミナ、皮膚、体温、男女の性差などの個性に加えて、皮膚感覚、肌が合う合わない、手の温かさといったことこそが、「治療」のコミュニケーションの要になるのではないか。上手いとか下手だとかいう以前に、「治療器具」そのものが千差万別であるからには、「同じ」ようなことをして事足りると考えるのは、西洋医学の処置と似ていやしないか。科学的根拠、長期に渡る実験や実証を経て、統一規格を出す西洋医学や東洋医学の漢方薬とは違って、どこをどう押すか曲げるかひねるかという知識や方法がどんなに規格統一されたとしても、治療士の「出来不出来」で、その成果は違ってくるのではないだろうか。 |
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ホテルのマッサージやバリ、香港、韓国、タイなどのマッサージを楽しむ人たちが身近にいるが、そういったものは一切受けたことがない。鍼や整体に通っていたころ、一度だけ、ギシギシとしていた右腕や右肩が奇跡のようにすんなり動くようなマッサージを経験したことがあるが、その治療士の一度っきりの奇跡だと思って、その後、行っていない。大体、店名はもちろん、治療士の顔も名前も覚えていないし、通うには不便なところでもあったから、その後通おうとは思いもしなかったが、もし期待して行こうものなら、その本人に担当されたとしてもガッカリさせられること必定だ。相性のいい人に出会ったら、高い金を払って、定期的に決まった時間にケアを受けるようにすれば、奇跡は何度も起こるのかもしれないが。 |
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さらに一週間後にカイロに行くと、今度は女傑だった。前とは違って寡黙で、皮膚感覚は彼女のほうがより相性がいいように思われたが、言語感覚がひっかかる。痛がって当然のところを押されて、あるいは、指圧が強すぎて、痛いと言うと、「痛いですぅ?」と聞くが、かつてよく指摘された「半疑問」以上に妙に語尾のイントネーションが揺れている。もっと不思議なのが、息を吸ってください、「はい、吐いてー」と言う代わりに、「いきまぁす」と言うことだ。聞き違えかと思ったが、何度耳を澄ませても、隣で彼女が発声しているのが聞こえてきても、いつも「いきまぁす」と言っている。息をはきますの省略のつもりなんだろうが、「いきみまぁす」、はたまた、「逝きまぁす」としか受け取れない。だいたい、人が痛がっているのを確認したり、人に呼吸のタイミングを指示したりするときに、人の立場に立って、痛いです、吸います、吐きますと言うこともなかろう。 |
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三月初めの土曜日に、眼医者に行った。今まで気づかなかったが、待合室の壁に、眼精疲労センターについての案内が掲示されていた。 |
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眼精疲労とは、目が疲れる、目がかすむ、頭が痛い、肩や首が凝る、近くがよく見えない、視力が落ちた、物がかすんで見えるといった症状を言うが、調節障害、屈折異常、白内障、緑内障、ドライアイ、眼鏡の不適正などの可能性もあるから、医者に相談すること。医者が必要と認めたら、リラクゼーションルームで、聴覚はヒーリングミュージック、嗅覚はアロマテラピー、触覚は指圧・マッサージ・温冷パックなどの治療を。 |
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「嗅覚」という文字が「臭覚」となっていたのが気になったが、それはいいとして、ナースや医者から話を聞いたり、最初にホームページで読んだりしていたはずなのに、いまはじめてこの眼科医の全貌が分かるという風だった。 |
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セカンドオピニオン医に言われた通りに、わざと「寝不足気味」にしたわけではなく、普段通りに一週間を過ごしたその普段通りに土曜日に起きて医者に行ったら、眼圧は、両眼とも21と出た。その数値を見て、開口一番、「ちゃんと寝てますか」と言われ、一瞬、悪戯を見透かされた子どものような気になったが、ドリエルなどを服用し、最低七時間は寝ていると答えた。コンピュータを一日にどれくらい使っているのか聞かれ、毎日、朝十時から夜七時、八時ぐらいまで、以前とは違って、家では休日にしか使わない、昼休みや休憩時間は随時とれるが、つい忘れてしまう、休もうと思えばいつでも休めるのに休もうということを思いつかない、と答えながら、それじゃぁ、駄目なんだよと言われるかと思いきや、そうでしょうね、コンピュータはそういうところがあると相づちを打つ。熱中するとあっという間に時間が経つ、それがよくないからと言って、頻繁に休んだら仕事は捗らないし。そう言われて、コンピュータの不条理をよくご存知なのだと初めて気がついた。コンピュータが人の時間や労力を肩代わりするようになった代わりに、ハードの性能がよくなればなるほど、コンピュータをそのように操作するための人の時間や労力が増えているという実態を。 |
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まだ治療の対象になっていない右眼と、しみないけれど副作用があると言われているキサラタンという点眼薬について質問すると、淀みない答えが返ってきた。右眼も、眼圧が高いので、視野が欠ける前に点眼を始めよう、キサラタンは一日一回の点眼で済み、これを副作用とは言わないという人もいるが、まつげが濃くなったり皮膚が黒くなったりする、点眼液が外に溢れやすい人は、目の縁や下が黒ずむ、とのことだった。そんなに目玉が大きい癖に、と人にはよく言われるが、滴の落下地点を間違えることが頻繁にある。近すぎて点眼器の先がぼやけてしまってどの程度まで液が押し出されているのか分からないから、いつ落ちてくるか正確に予想ができず、落ちてきた瞬間に、つい、まぶたを閉じてしまったり、それに呼応するようにして手がぶれてしまったりするからだ。寝不足で起きた朝や一日中パソコン作業をした夜などは、目薬が爽やかにしみるどころではなく、涙がぽろぽろ出るほど痛い、あれは、涙ではなくて、房水なのかと聞くと、そんなに即効性があっては大変だ、それはやっぱり涙でしょうと軽やかに答えてもくれた。風雲急を告げたような気がした頃、白内障専門医ではないかと疑惑の目を向けたことも忘れて、両眼とも毎日二回レスキュラを点眼しまぁす、と明るく返事をした。それにしても、レスキュラといい、キサラタンといい、症状名だけではなく薬の名前のなんと恐ろしげなことよ。怪獣みたいな名前だ。 |
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家に帰って、初めて、眼科医のホームページを隅から隅までじっくりと読んだ。プロフィールを読むと、親の代から当地で開業していて、順天堂大出身、親から院長職を引き継ぎ、ほぼ同年配で、正面からの顔写真が掲載されていたが、やはり横顔の端正な人だ。素人臭さからすると、院長自身が作ったページだろうと思われた。「中高生からの質問」というコーナーが秀逸で、子どもたちを対象にアンケートをとって、その中で自由に書かせた文を短くまとめ、一問一答形式で200件ほど、的確かつユーモラスなコメントをつけていた。「どうせ、ゲームばかりしてるから目が悪くなるという結論を出すためにこんなアンケートをするんだろう、そんなものやったって意味がない」という子どもの声を冒頭に載せて、原始時代には戻れない、ゲームやパソコンなどで目を使わざるを得ない現代だからこそ、眼医者として考えるべきこと、やるべきことがあるのではないか、という趣旨のことが書かれていた。お見それいたしました。 |
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太陽や部屋の電気などの反射光によって物を見るだけではなく、パソコン、ゲーム、携帯、テレビと、光源を背景に隠し電磁波を発するディスプレイを見詰め続ける現代の典型的な日常生活を過ごしながら、緑内障初期とはいえ、眼圧をおさえる薬だけで症状悪化を食い止められるのかどうか、新ケースとして、注目に値する、今後の瞳孔、じゃなかった、動向ではある。 |
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先々週の金曜日に飲み過ぎて、土曜日の眼精疲労センターもカイロプラクティックもキャンセルした。先週の火曜日にも飲み過ぎて、翌朝、どうやって帰ってきたのか思い出せないほどだったが、ベロンベロンになりながら寝る前に目薬をしたのだけは覚えていた。予約を入れるような非日常的なことがもはや億劫になり、目薬にも慣れてきたようだが、毎日、眠剤や導眠剤を飲むのは避けていたので、先週の木曜日、寝そびれてしまった。 |
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連休前の金曜の朝、会社のすぐ近くにある予約制のメンタルクリニックに電話を入れると、東北なまりの男性が出て、事情を聞かせてくれと言う。一人でやってるんだろうか、それとも、患者が出たんだろうか、と思われるほど、電話に出るまで長々とベルがなったし、威圧感がなくて親近感を覚えるほどだったが、電話に出たのは医者で、混み合っていたところを、休み時間を潰して時間を作ってくれたようだった。電話のあと出勤すると、一月の初めに新年会をしようと言っていた友人から、今日は休みなのでランチを一緒にしないかというメールが届いていて、三ヶ月ぶりに会って緑内障周辺の話をして、いろんなことに一区切りついたような気がした。 |
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クリニックに来るよう指定されたのは、午後の部が始まる十五分前で、フットワークの軽そうなお兄ちゃんが出てきて、あ、さっき電話くれた人ね、いま事務員がいないから、あとで診察カード作ってもらってね、と言いながら診察室に入る。緑内障で眠れないと困るから眠剤をとだけ言うつもりが、細かく細かく事情を聞き出されて、若い頃から不眠のケも偏頭痛のケもあったようだが、仕事も面白いらしいし、今までは眠れなくても支障はなかったろうが、緑内障ならよく眠ったほうがいい、開放隅角緑内障なら薬の問題はない、十代二十代の頃、祖母から貰ってよく飲んでいたセデスの顆粒についても話したので、その当時のものは何故か製造中止になって違うのになるがと断ったうえで、レンドルミンという安定剤とセデスの顆粒を二週間分処方してくれた。会社が近くなら時間が空いたときに来てと、終始、気さくな対応だった。診察を終えると、受付に女性がいて診察カードを作ってくれたが、大きなマスクをしていて花粉症ではないかと思われた。 |
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三ヶ月近くかけて、緑内障狂想曲とでも言えそうなものを、ノートやパソコンに書き殴ってはつぎはぎし、何度もプリントアウトしては読み返して書き直すうちに、緑内障も目薬も眠剤も日常の一部となったかもしれない。三年越しで白内障の手術を受けるかどうか悩んで医者を次々に変えたりしている父には、まだ話していない。四の五の六の七の言い始めたら、横顔の端正な医者を紹介しようかと思っている。 |