かきわりの風景

第二章 起

最近、自分の目について随分考えた。
母の詩に目や視界をテーマにしたものがあり、ここに書き写すまで、以下の二編の詩を一緒くたにして一編の詩と思い込んでいた。「失明するかもしれないと医者に告げられ、年を重ねてきたことへの悲しみや悔いにとらわれては郷愁に耽り、センチメンタルと受け取られかねない比喩を連ね、最終連に至ると、一転して、あふれんばかりの光とともに、沈み込む内面が外界へと解き放たれる」。


「翳む」

瞳孔を拡げる目薬が効いて 次第に視点がぼやけてくる
替わりに 看護婦のかん高い呼び声が耳にすべり込む
うつむいて 瞼を閉じると
肩上げした花模様のゆかた着て
菊池川べりで見送った精霊流しの
船端を飾る提灯の揺らぎが見える
雲仙岳の上に開いた不気味なきのこ雲が見える
敗戦の夜ひとりで泣いた用水路の川明かりが見える
阿蘇山の高岳で仰いだ砂金のような星が見える
有明の暗い沖合にひとすじの不知火が見える

貪り見た夥しい光景が 瞳のなかに犇めきあって
硝子体がどろどろに溶けてしまった
「網膜に穴が開きそうよ」
こともなげに 女医さんは言い
驚きもせず 黙って頷く私
年ごとに 見たくないものが見えるようになり
見てはならないものを見てしまい
眼をそむけても見えてしまう
あんまりものを見すぎたので
ピントの外れた水晶体を
網膜が支えきれなくなったのだろう

眼科外来の待合室に待つ人たちも
窓際に揺れる青葉も
うっすらと乳白色に覆われて
よろこびも悲しみもパステルカラー
夏の終わりにふさわしい
静かな朝だ


「その朝地球は」

その朝 地球はまるごと光に濡れていた

ヘッド・ミラーの中を あざやかな緑が走る
軒端のセルロイドの小旗が走る
道路が 赤いポストが 犬が 男が 女が走る
走って消える
まるで見知らぬ町のように

午前八時三十四分発直通綾瀬行通勤電車
最前車輌の窓際は
毎朝確保する 独りだけの時間と空間だ

カンヴァスは
透明なコバルト・ブルー
素早く描かれていく樹々の若葉
公園の紅いつつじ
自転車置場のひしめくハンドル
波打つ青い屋根瓦
煌くレール
信号機
リボンのように連なる車
道を急ぐ人々……

光は
溢れ したたり はじけ 散る

光の欠片が 私の目につき刺さり
快いいたみとともに 胸深く滲みていく

そして
ふたたび
そんな朝は来なかった


母が、晩年近く、都心の病院の眼科で診察を受けたと聞いた覚えはあったが、どんな症状だったのかも、治療に通っていたのかも知らず、失明に対する幻想や夢想から作られただけの詩なのかと思って、父や親しかった人たちに聞いてみたことがあるが、みな似たり寄ったりの記憶しかなかった。あらためて『翳む』を読み返して、症名の見当がついた。もともとゲル状の「硝子体がどろどろに溶け」るというのは比喩だと考えれば、老化現象のひとつとしての「網膜剥離」だったのではないか。

一年半ほど前、目がかすみ、目の奥が重く、肩凝りや頭痛が絶えないという日常にこらえきれずに、これはパソコンのディスプレーと電磁波のせいにちがいないと思い、インターネットで調べて「眼精疲労センター」を併設している、自宅からバスで30分ほどのところにある眼医者に行った。パソコン漬けの日々を過ごしている現代人らしく、仰々しい名前の「眼精疲労」と言われるか、あるいは、老眼鏡を作るよう勧められるかと思っていたら、まったく思いがけず、「緑内障」のケがあると言われた。その数日前、何かの弾みにギザギザの光が見え、それが次第に広範囲に渡っていって視界を遮るので、しばらく椅子に座ってじっとしていると、軽い吐き気もおさまりギザギザも消え、頭痛がしたあと何もなかったかのようになる、ということもあった。これにも、ちゃんと名前があって、「閃輝暗点症」と言われた。あまりに身近な目のことながら、知らないことばかりで、いちいち恐ろしげな名前がついているものだと感心した。

緑内障は遺伝的要素が強いから血縁にいないかと聞かれて、先の詩をごちゃまぜのまま思い出し、母は緑内障だったのかと思い始めたのだが、詩を読み返すこともせずにいた。それでいながら、事実を飛び越して、失明にまつわる感傷にしばしとらわれたりもしたが、医者が、この結果は視野の欠損を調べる「視野検査」に不慣れだったせいかもしれないと言ったのに気持ちが傾いて、また、老眼鏡ではなく、パソコン作業や読書向けに焦点を60センチに合わせた「中距離用」なる眼鏡を作ってパソコンに向かうようになって、「また眼鏡を掛け替え忘れた」とボヤくことしきりというていたらくのうちに、緑内障のことはいつの間にか忘れるようになっていた。

視野検査というのは、片眼で覗きからくりのような箱を覗き込み、正面に点灯している一点を見詰めたまま、広範囲に渡ってランダムに点滅する光が見えたら、その都度手元のボタンを押して合図し、視野に欠けているところがないかを、片眼ずつ5分から10分ぐらいかけて調べる検査だ。あっちこっちに移動して点滅する光を、眼を動かして追ってしまうと視野の検査にはならないので、あくまでも定点を凝視していなければならず、かなりの集中力を要する。検査結果は、盲点と視野欠損部とで図示される。左右それぞれ、外側に盲点があり黒く塗りつぶされていて、点滅する光を捕らえられなかった部分が濃淡のあるグレイで示される。視野欠損のない右眼は、盲点以外は真っ白だったが、左眼の内側にぼんやりとしたグレイの部分があった。

昨年の初夏、妹がバセドー氏病になり、甲状腺ホルモンの指令のままにエネルギーを使い果たした挙げ句に、微熱と無気力とで身動きがとれなくなったので、ウチに居候して猛暑を一緒に過ごした。ガンガンに冷やした部屋のなかで、朝食を共にしたあと仕事に出かけると、妹は、洗濯をしたり、テレビゲームをしたり、あらかじめ用意しておいた昼食をとったり、気が向けば、散歩をしたり、夕飯の買い物にでかけることもあったが、何かを作る気力も体力もなく、私が帰ってから食事を作って夕飯を済ませ、早い時間に寝てしまうという生活を、一、二ヶ月続けた。おかげで、出勤はもともと遅かったが、会社を引けるのも早くなって、家でパソコンに触るゆとりもなく、夏のあいだは、パソコンに向かう時間が減っていた。

このバセドー氏病も遺伝的要素が強いと言われていて、母方の祖母のすぐ下の妹が、終戦直後、満州から引き上げてきたころに発症し、戦後の混乱のなかで働きづめに働いて、幼い子どもを残して亡くなっていた。とは言え、遺伝というのは怪しい話だ。遺伝なら仕方がないと思え、ということだろうか。医療関係者としては、発症のメカニズムを解明できないものについて遺伝だと言い切れたら、複雑な説明をしなくても済む。病気だけではなく、何事であれ、なぜ自分が当事者になったのかを思い悩むようなとき、自分の意志や過失ではなく、外部要因によると考えたほうが楽になることは多い。犯罪や事故の加害者については、プライバシーを過剰なまでに保護しながら、被害者のプライベートについては暴きに暴こうとするメディアや、ワイドショー通になっていく視聴者の深層心理に相通じるものがあるのではないか。「…という環境や遺伝によるのなら、私は大丈夫だ、あなたも大丈夫、でも、あの人ならしょうがない」という具合に。

妹が一人で日常生活を送れるような体調を取り戻して自分の家に戻ったころから、職場で新しいプロジェクトが始まり、完成までの手順をあれこれと想像するにつけ、早く先へ先へと進みたくて、帰宅してからも休日も、暇さえあればパソコンに向かうようになった。パソコン以外で細かい物を見るのが億劫になり、読書を全くしなくなった。緑内障という言葉を聞いてから一年余り経っていて、一年に一回は定期検診に来るよう言われていたのを思い出し、視力検査と診察を受けたが、視力に変化はないし、また一年後に診せに来るよう言われた。

仕事帰り、駅の時計や携帯電話の文字が読みづらく、一向に本を読む気にならないのは、寝不足のせいか、集中力が衰えたせいか、ディスプレイの見すぎのせいかなどと思いながら、年を越した。正月に親の家に帰って、おさんどんの合間に、二年越しのジグソーパズルを完成させるのに熱中したのがいけなかったのか、仕事初めから数日経っても、正月ボケに、目のかすみや頭痛が加わって、仕事に集中できない。正月明け最初の連休中日に、ラグビーの大学選手権の決勝を友人と観に行くことになっていたし、なんらかのケアなりアドバイスなりをしてもらえないかと連休初日に眼医者に行ったところ、前回の検査は一年以上前だからと改めて視野検査をすることになった。

検査を終え診察室に戻ると、40代だから当然のことながら白内障も少し出ているが、と前置きしたあとで、視野検査の結果を見せながら、右眼は前回も今回も視野欠損はないが、とさらに間を空けて、左眼に緑内障が進行し始めたようだと言う。またもや、思いがけない診断だった。ただし、と続けて、前回と同じように、「視野検査」の慣れの問題もあるからまだ断定はできないが、治療は早いに越したことがない、眼圧を下げる点眼薬を左眼だけ朝晩二回続けて、一ヶ月後にまた検査を受けに来い、ほおっておくと、数年後にはもっと視野が欠けて物が見づらくなるかもしれない、眼鏡はちゃんと使い分けているか、と言う。中距離用の眼鏡は作って一年以上経っているので、会社や家でパソコンや本に向かうときに掛け替える癖はついたが、時々忘れる。忘れていることに、目や頭が痛くなって初めて気づくていたらくはまだ続いていた。点眼といい、眼鏡といい、「ねばならない」が増えて気が重い。

緑内障に関するパンフレットが待合室に置かれていたので、一部貰って、昼食をとりながら、ぱらぱらと読んでみた。ーーー緑内障は、何らかの原因で視神経が障害され視野(見える範囲)が狭くなる病気で、眼圧の上昇がその病因の一つと言われています。ーーーそれに続けて、眼の構造、緑内障の種類や症状、検査や治療、日常生活の心得などについて、絵や写真入りで説明してある。医者に言われた通りに、朝晩目薬をつけて、よく眠り、眼鏡を使い分け、適度に目を休め、その後のことは、一ヶ月後の診断を待つしかない。

翌日、ラグビーの試合に満足して、緑内障の話題も酒の肴にした。週明けには、友人が、二三年後には視神経細胞そのものの死滅を防ぐ緑内障の特効薬が出るというニュースを教えてくれた。目薬を買うのは好きだが差すのは苦手な上に、薬を飲むにしたって忘れがちになる年頃なのに一滴減ったかどうかを見極めるのは難しい。処方された点眼薬は冷蔵庫に置いてあってほとんど同じ場所で同じ手順を踏んで差すから、いま差したばかりなのか、昨日の記憶なのか分からなくなる。朝、差したかどうか思い出せなくて、とりあえず冷蔵庫を開けてみて、あ、昨日のイチゴがある!とさっきも思ったから、もう差したんだ、と確認したりする。

容器の側面をギュッとつまんで点眼するとカチッとカウンターが動き、それから12時間後までは蓋がロックされるような点眼器があったらいいが、そんな装置は重くてかさばるし、点眼し損ねたときの細工も必要だし、高価だろう。目薬に限らず、この薬は食後三回、あの薬は寝る前に一回と設定しておくと、服用を確認するまでうるさくつきまとうロボットを作れば、迫りくる高齢化社会ではヒット商品になるかもしれない。古来、白内障は白底翳(そこひ)、緑内障は青底翳と言われ、確かに、かつては黒目の部分が白くなった老人をよく見かけたものだ。とすると、緑内障で失明したら、目が青くなるのだろうか、それも悪くないと思ったが、日本人は青くならないのだそうだ。

ともすれば鬱陶しくなりがちな気分を笑い飛ばして大げさに考えないようにした。それでいながら、ラグビーを一緒に観戦した友人と勝手に盛り上がって、学生時代の飲みダチとのメイリングリストをあらかじめ人々に諮ることもなくドタバタと立ち上げることにしたり、プロジェクトの開発ツールについて立て続けにプログラマーにリクエストをし始めたり、寝不足だったが遠来の客があったのでカラオケに遅くまで付き合ったりしたのは、目の見えるうちにできることはしておこうとでもいうような感傷がなかったとは言えない。

第二章
第一章
かきわりの風景