かきわりの風景

よく晴れた秋の朝、町まで出かけた。空気が澄んで乾いていて光が直接届くのだろうか、目に映る風景の色も輪郭もくっきりとしている。頭上に、紅葉し始めたプラタナスの葉、黄色い葉もあれば、赤くなった葉もあれば、緑のままの葉もある、その一枚一枚がはっきりと見える。建物と空の境目も山の端も、色が交じり合うことはない。

いつかどこかで見たことのある風景。

20数年前、東京の外れの、丘陵の多い土地を友人と散歩したとき、坂道を先に登って行った友人の後姿が、夕焼け空のもと、まるで舞台の書き割りの中にいるように見えた。それから10年ほどして、友人の訃報が届いた。数年前、街中にぽっかり開けた小さな公園に出くわした。すぐ裏手をJR線も新幹線も通っているようなところなのに、その一角だけ昭和40年代の家並みで、暮れなずんだ懐かしい風景は、どこからか飛んできた蝙蝠も加わって、20数年前に見た書き割りの風景をふと思い起こさせた。

20数年前だって、既に、昭和40年代なんぞ、それからさらに20年近く前のことになるが、高度経済成長とバブル期を経て一変してしまったはずの東京でも、いつかどこかで見たことがあると思わせる風景にぶつかる。昭和40年頃の家を見つけたなら、そりゃ当たり前だろうと思われそうだが、具体的な景色そのものだけではなく、その風景を見ている自分の内面、時には、その風景の中にいる自分の姿を見出して、いつかどこかで見たことがあるような、と。


第一章
第二章
第三章
第四章


なんでんよか
祭りのあとさき
がまだすじいさん
ばあちゃんも生きとるよ