新年の祈願
この生きた天地の中で物思ふのは人間である。思ふことを行はうとするのは人間である。思ふことを訴へようとするのは人間である。思ふことのない人間はない、訴へることのない人間はない。
人の思ふことはまづ感ずることから來る。思ふことの淺いのは、感ずることの淺さ不徹底さから來る。眞實に者を感ずることは必ずしも特別な學者であり、智者であることを要しない。反對に無知無學の凡人(たゞびと)でも、正直に謙遜に注意深くあることが必要である。このやうな人は、遂に眞理に徹する方向に方向にと導かれて、眞(まこと)の智者になることも學者になることも出來るのである。ではその導きの手はどこにある。私はルカ傳十章を思ひ出す。
「視よ、我なんぢらを遣はすは、羔羊(こひつじ)を豺狼(おほかみ)のなかに入るゝが如し、財布も袋も鞋(くつ)も携ふな。また途にて誰にも挨拶すな、孰れの家に入るとも、先づ平安この家にあれと言へ」といわれた。
遣はされて嚴粛なお仕事に從事するものに餘計な道草をする時はない。若しも私たちはこの世において、無駄な道草をしない純粹な氣持になつて、ゆかり因緣のある人に場合に遇ふ度に、現實の好みにも思ひにも囚はれず、心から平安この人にあれこの家にあれといふことが出來るならば、眞の平和はそこにあり、眞の平和はそのやうにして來(きた)るであらう。私はこの心を以て二十世紀の後半を迎へたい。この希望の實現のみを一と筋に祈り求めたい。
−−−羽仁もと子著作集「友への手紙」より−−−
ジャーナリズムと教育
よい意味でも、わるい意味でも、對者(あいて)を意識することなくして、ジャーナリズムは成立たない。ジャーナリズムは、いつの場合にも、はつきりと對者を意識してそれに呼びかける。そうしてその應答を待つ。ジャーナリズムの世界は、獨白(モノローグ)の世界ではなくて、對話(ダイヤローグ)の世界である。「汝と我」の世界である。對者と自分との間に、或る人格的關聯をさえ考え得られる世界だ。ジャーナリズムの愛—最も純粹にジャーナリズムを生きて來たものは、誰でもこの經驗に味到(みとう)する。教育のことも同様だ。教育されるものの無いところに教育は有り得ない。教育するものゝ前には、教育されるものがその唯一の對象として不斷に立つ。これに呼びかけ、これを搖り動かし、その應答を待つのが、教育道の始めでまた終りだ。偉大なる教師は、弟子との一問一答の間に、その教育効果を自由自在に發展させて行く。孔子がそれだ、プラトンがそれだ、ペスタロッチがそれだ。教育の形式は問答體が本筋である。對者かまわずに饒舌を弄する教師こそ、最惡の教師というべきだ。世界一の歌い手シャリアピンは、舞臺の上で聽衆と問答しながら、その勝れた藝術を、驚くべき自然さを以て展開し來るというではないか。十分に對者を意識し、しかもその對者に囚われることなく、對者の最高の要求に應えんとするところに、ジャーナリズム乃至教育道にとつての多くの示唆がある。
−−−羽仁吉一著「雑司ケ谷短信」上巻より−−−
起きたての家
揃つて早起をすること。家庭としてまたそれほど願はしいことはありません。早く起きてゐるものがあつても、まだ寢てゐる人があれば、その家はまだ半分だけ眠つてゐるのです。日が高くなつても、まだ半分眠つてゐる家は、どうしても仕事に追はれ、夜は從つて遲くなります。われわれの家庭はどうか潔(いさぎよ)く朝の太陽と共に寢床を出るやうに。さうしてめいめいが一日の仕事の支度をすつかりしてしまふように。
身じまひを甲斐々々しく十分にすること。家人のすべてが受持ちによつて、家に内外の掃除にかゝり、朝食の支度にかゝり、短い時間で家中すつかりきれいになつてしまふと、朝の食事を濟ませ、それぞれに一日の豫定によつて、各自の勤めにつきます—そとにるものも家に殘るものも—。主人や子供の出かけたあとは、主婦も大切な勤めにつく時と考へて、すぐと仕事にかゝり、午前中に一番主な仕事をかたづけるのは、本當によいことです。午前よりも午後、午後よりも夜と、仕事の負擔が段々輕くなるのはよい生活で、朝から晩までにダラダラに仕事のあるものは、疲れるもとだと思ひます。殊に朝が遲くて夜ほど仕事が重くなるのは、非常な不健康のもとになります。私たちは朝から段々に調子よく働いて、夜になるほど仕事が輕くなり、十時頃には眠つてしまふのが、身體にも頭にも一番よいのでせう。
−−−羽仁もと子著作集「家事家計篇」より−−−
夏の幸福
「この輝かしい夏に、生きてゐるといふことは贅澤といつてよい喜びである。草は萠え出で、蕾は綻び、牧場には點々と赤や黄の花が咲いてゐる。空には小鳥が飛び交ひ、松の木、ギレアデの乳香、新しい乾し草等の薫りで香ぐはしい。夜が來ても心は暗くならず、夜の蔭を喜び迎へる。澄み渡つた夜空に星の殆ど精神的な光線が注がれる。」(斎藤光氏譯)エマソンの「神學部講演」冒頭の一節である。人間の世界には、憂うべきこと、悲しむべきこと、傷ましいこと、醜いことの數々が、特に近ごろ次から次と起つて來るにかゝわらず、自然は時をたがえず、われわれの上にめぐつて來て、季節々々の豐かななぐさめを輿えてくれる。藤や山吹や躑躅につづいて 野薔薇が匂いはじめ、樂しい夏の近づいたことを知らせる。五月雨のふりそゝぐ中に、單純な明るい色をした杜鵑花(さつき)を見るのもよい。深い緑の間に點綴された純白な山梔子(くちなし)の花は、古典的であり、また近代的な感じもあつて、更に好ましい。最も遲れて葉を出す合歓花(ねむ)が、やがて咲きはじめる。夢を見ているような不思議な感じの花である。山百合もぽつぽつ咲き出して來た。更に夏のよろこびの一つは、日の永いことである。「人は皆炎熱に苦しむ、我は愛す夏日の長きを、薫風南より來り、殿閣微涼を生ず」といつた唐の文宗と柳公權の聯句には蘇東坡などの手嚴しい批評もあるが、とにかく日の永いことは何となく人の心をゆつたりさせる。佛門では安居(あんご)または夏行(げぎよう)といつて、夏の間一室に閉じ籠つて經を誦したり書瀉したりする習慣があつた。しばらく世間の騒音を忘れて、心を永遠の世界に通わせ天來の聲なき歌聲に耳を傾けるのも、夏の幸福の一つであろう。
−−−羽仁吉一著「雑司ケ谷短信」下巻より−−−
人の世の惱みとその使命
人の境遇の行詰り、それはその人に、奮ひ起(た)てよとの警鐘です。行詰りを滅びの前提と見るのは間違つてゐます。私たちに來る本當の意味の死や滅びは、行詰つてゐながら、その行詰りを感じない人と、それを諦めてしまふ所に來るものです。
私たちは、行詰りを感じて苦しむ時には、感謝しつゝ勇氣を以て、正しい方法によつて、その窮地を切り開いて行く道を、根かぎり探ねべきです。探ねあてた道は、どんなに險しくとも、後に退いてはなりません。
私たちの行詰りはまたどこから來るのでせう。自分の故(せい)もあり、他人の故もあり、二三代も前からのたゝまりの故もあります。そのさまざまの重荷を負はされて、その苦しみを最も深く感ずる人は、多くの人のために、その行詰りを打開くべく、第一線に立たされてゐるのです。その大切な使命を自覺して、愛と勇猛心を持つて、祈り励まさなくてはなりません。
多くの惱みある人を、單に不幸な人と見るのは間違ひです。惱める友を持つ人は、誰でもその人の貴き使命を敬ひ、その困難な仕事を、それぞれの立場から、本氣に助けなくてはなりません。
−−−羽仁もと子著作集「惱める友のために下巻」より−−−
『時』の後姿
歳月は人を待たず、どういふ場合のどんな事情も問題にしないで歩み去つてしまふ歳よ月よ。偉大な『時』の後姿よ。恐ろしい『時』の後姿よ。たつた今、自分に過ぎ去つた「時』の後姿を、見送る勇氣を持たないで、うなだれる或時の私に、その冷たい足音が、どんなにおそろしくひゞいて來たか。思ひ惱んで、することの遅い私に、この二十五年間、『時』の後姿は唯一の脅威であつた。私は『時』の前面を見たことがなかつた。ほんとに多くのものを持つて來て、私たちの前に置いて行つてくれる歳月よ。どうしてそれが私には見えなかつたか。『時』の前面は誰にも見えないのだ。見えない姿で近よつて來て、私たちの足許に、見えないいろいろの種子(たね)を置いてゆくのだ。左様ならともいはないで過ぎてゆく瞬間時に、唯、冷たく大きな後姿ばかりを見せて。
すべての『時』の後姿は、私たちが正直で謙遜であるかぎり、何人にもいろいろな悔を遺して過ぎてゆく。同時に『時』の前面が、さまざまの、目に見えない償ひの種子を持つて來てくれるではないか。すべての『時』の前面は恵みである。それが分ると、いつでも悔をのこして行つてしまふ『時』の後姿も惠みであることが分る。私が過ぎ去ると同時に、お前に来てゐる償ひの時を記憶せよと、『時』はその後姿を、悔いてゐる私たちに出來るだけハッキリと現はしてゆくのだらう。
目に見えるなつかしい『時』の後姿よ。
感謝すべき、見えない『時』の前面よ。
−−−羽仁もと子著作集「思想しつゝ生活しつゝ下巻」より−−−