スコットランドと同君連合。国王、b 王権神授説 をとなえ、専制政治を展開。
c 議会 を無視して新税をとりたて、大商人に独占権を与える。 → 議会と対立。
d 国教会 による統制強化。→カルヴァン派e ピューリタン の不満強まる。
ジェントリ・ヨーマン・商工業者(e ピューリタン が多い)、議会(下院)を支持。
→ 国王による弾圧が強まる。
→1620年 その北アメリカ移住始まる。ピルグリム=ファーザーズ(後述)
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1628年 議会 a 権利の請願 を提出 中心人物 エドワード=コーク
要点 b 議会の承認なしに課税しないこと・国民を法律によらず逮捕しないことなど
→国王、これを無視、議会を閉鎖(〜1640年)
1639年 c スコットランド の内乱 新教徒の▲d 長老派(プレスビテリアン)
が国王の国教会強制に反発し反乱を起こす。
→ 議会、課税に反対したので、すぐ解散 = a 短期議会
同年、再度議会を召集=b 長期議会 (〜1653年) 国王と議会の対立深まる。 1941年 議会、国王の国教会強要に対し大抗議文を出し、その宗教政策を批判。 背景 宗教対立 国王は国教会を強制し、カトリック・ピューリタン・長老派を弾圧。
イ.a 議会派 とロ.b 王党派 の内乱始まる
イ.ジェントリ・ヨーマンからなるピューリタン各派(東南部に多い)→ 二派に分裂
c 独立派 :教会の独立を主張
ジェントリ・独立自営農・民新興商人 国王との戦いを積極的に進める。
d 長老派 :長老による教会運営を主張
商人・保守的ジェントリ。王権に妥協的で立憲王政を主張。
ロ.b 王党派 =聖職者・特権的大商人・貴族・大地主などの国教会信徒(北西部に多い)
→ 当初はヨークを拠点とした王党派がロンドンを拠点とした議会派より優勢であった。
a 鉄騎隊 (Ironsides)を創設 ジェントリ・ヨーマンを中心とし、ピューリタン
信仰によって結束した軍隊。さらに、▲b 新型軍 (New Model Army)編成
=鉄騎隊にならって編成された議会軍。
1645年 ▲c ネースビーの戦い 新型軍が王党派軍を破る。
1647年 国王、捕らえられる。
b 共和政 (▲c コモンウェルス )樹立
→ 1649〜1660年の約10年はイギリス史上唯一の王のいなかった時期となる。
絶対王政が倒され、共和政が実現された。
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中産階級を保護(王党派の土地を没収し地主に与える)、貧農や労働者の要求は抑える
→ a 水平派 (土地の均分、普通選挙を要求)を厳しく弾圧。
b アイルランド とc スコットランド を征服 → bはカトリックが多く、王党派の
拠点であるとして征服した。大規模な土地の没収を強行し、植民地とする。
d 重商主義 政策の推進 →1651年 e 航海法 制定(〜1849年)
=商品の輸出入をイギリス船または産出国の船だけに限定。→f オランダ と対立。
→65〜67(第2次)、72〜74(第3次)。→新大陸のオランダ領を奪う。
1664年 ニューアムステルダムを占領しa ニューヨーク と改称する。(後出)
→b 軍事的独裁体制 への不満強まる。1658年 死去、その子リチャードが嗣ぐ。
再びピューリタン弾圧を強化、カトリックを保護したのに対し、議会が反発。
1673年 b 審査法 制定 :国教会信者以外の者が公職につくのを禁止。
1679年 c 人身保護法 制定:法によらぬ逮捕・裁判を禁止。→議会活性化。
a トーリ党 :一定の王権と国教会を支持。貴族や大地主に多い。
b ホイッグ党 :議会の権利尊重、王権の制限を主張、商工業者・進歩的貴族に多い。
1688年 議会の両党が共同し、国王追放を議決、王女b メアリ (新教徒)と
その夫オランダ総督c ウィレム をオランダから迎える。国王フランスに亡命。
※戦闘も、流血もなく、権力の交替が行われたとして、このように言う。
1689年 議会 d 権利の宣言 Declaration of Rights 決議。
→e ウィリアム3世 とf メアリ2世 が承認して即位、共同統治となる。
〃 年12月 議会 g 権利の章典 Bill of Rights を公布。
= 国民の諸権利が認められ、議会主権にもとづくh 立憲王政 が確立。
ピューリタン革命と名誉革命をあわせてi イギリス革命 という。
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ウィリアム3世の晩年、a 議会の多数派が内閣を組織する 政治形態となる。
1707年 b アン女王 の時 イギリス(イングランド)とスコットランドが合併。
→c 大ブリテン王国(グレートブリテン) の成立。
1714年 ドイツのハノーヴァー選帝侯をむかえ、a ジョージ1世 即位
→b ハノーヴァー朝 (現ウィンザー朝)。英語話せず、政務を大臣に任せる。
1721年 ホイッグ党 c ウォルポール内閣 の成立 〜42年(初代首相)
d 内閣は議会に対して責任を負う =責任内閣制となる。
→ イギリス立憲王政の原則=”▲e 国王は君臨すれども統治せず ”
f 参政権 :地主(ジェントリや貴族)など財産を持つものに限られていた。
a 「朕は国家なり」 と自ら述べ、b 太陽王 と言われる。
c 王権神授説 :ボシュエによって理論化された絶対主義の王権の理論。
財務総監e コルベール を登用(前出) 重商主義政策を展開。東インド会社再建。
a 南ネーデルラント継承戦争 1667〜68 スペイン領ネーデルランドの継承権を主張して出兵
b オランダ戦争 1672〜78 南ネーデルラント継承戦争の際のオランダの妨害に対する報復
c ファルツ戦争 1688〜97 ドイツのファルツ選帝侯領継承権を主張して出兵
a ユグノー が大量に国外亡命。フランスの産業発展を阻害。
孫のa フェリペ5世 をスペイン王位につける。オーストリア(ハプスブルク家)
が反発、イギリス・オランダと連合してフランスと戦う。
→新大陸でのb イギリス との植民地戦争▲c アン女王戦争 が同時に起きる。
1713年 d ユトレヒト条約 ブルボン家のスペイン王位継承認められる。ただし
フランスとスペインの合併は永久に禁止される。イギリスは海外領土獲得(後述)
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1701年 a スペイン継承戦争 で神聖ローマ皇帝を助け、王国に昇格。
18世紀前半 2代b フリードリッヒ=ヴィルヘルム1世 財政・行政の整備、
軍備の増強をはたす。 → c 絶対王政 の基礎を築く。
a フリードリヒ2世(大王 ) 、オーストリアのb マリア=テレジア が
ハプスブルク家領土を継承することに反対。c シュレジエン を占領。
プロイセン・d バイエルン公 ・e フランス 対 オーストリア・f イギリス の戦争となる。
→プロイセン勝利しシュレジェンの領有認められる。→オーストリアのg 外交革命 。
プロイセン・a イギリス 対 オーストリア・b フランス ・c ロシア の戦争となる。
→1763年 シュレジェンを確保(領土1.5倍に)。列強としての地位を高める。
啓蒙思想家c ヴォルテール を招く。d 啓蒙専制君主 として、
信教の自由の承認、産業の育成、司法改革など近代化政策を進める。
=e 市民層 の成長が十分でないところでf 君主 が上から主導して行った改革。
その基盤 g ユンカー が農民をh 農奴 的に使役するグーツヘルシャフトを経営。
→ 彼らが軍隊・官僚機構の支配的地位を占める絶対主義的体制。
a オーストリア継承戦争 (1740〜48)でプロイセンにシュレジェンを奪われる。
→b 「外交革命」 :長年の対立を解消してc フランス と結ぶ。
d 七年戦争 (1756〜63)仏・露と結び普と戦う。内政ではe 啓蒙専制主義 をとる。
啓蒙専制君主として、宗教寛容政策、農奴解放、教育・医療の充実など、
上からの近代化をはかるが、貴族層の反対で失敗。
オーストリア=(a ハプスブルク 家)の領土:▲b 複合民族国家 の状況。
c チェック人 (ベーメン)、d マジャール人 (ハンガリー)、
北イタリア、ベルギー → 皇帝の画一的改革、各民族の反発を受ける。
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自ら西欧諸国を視察し、b 西欧化政策 を押し進めた。さらに領土拡張進める。
東方:シベリア経営を推進 → 中国(清王朝)との国境紛争起こる。
1689年 c ネルチンスク条約 清(d 康煕帝 )と国境を定める。
デンマーク人▲e ベーリング にカムチャツカ探検を命じる。
南方:f オスマン帝国 を圧迫して、アゾフ海に進出。
北方:g 北方戦争 1700〜21年 スウェーデンのh カール12世 即位(15歳)
→ ロシアがポーランド、デンマークと結びスウェーデンを攻撃。
→ スウェーデン(h カール12世 )を破り、ロシアがi バルト海 の覇権獲得。
1703年 j ペテルブルク (後にレニングラードに改称、現在旧称に戻る)建設。
→1712年より 首都とされる。(ロシアの西欧化進む。)
啓蒙専制君主として上からの近代化をはかる。ヴォルテール、ディドロとも交遊。
1773〜75年 a プガチョフの農民反乱 を鎮圧 → b 農奴制 を強化。
南方 黒海方面への進出 オスマン帝国からc クリミア半島 を獲得。1783年。
東方 1792年 d ラクスマン を日本に派遣。(江戸幕府、交渉拒否)
西方 1772〜95年 e ポーランド分割 に加わり、領土を拡大。
a プロイセン(フリードリヒ2世) ・b オーストリア(ヨーゼフ2世)・
c ロシア(エカチェリーナ2世) による第1回分割。
→ ポーランドは反発、憲法制定など近代化を試みる。
a フランス革命 が起こり、西欧諸国の関心がポーランドから離れる。
b コシューシコ ら義勇兵を率いて戦うも、ロシア軍に敗れる。
→ ポーランドの残りの国土の分割。→ a ポーランド滅亡 。
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b ロシア・ポーランド・デンマーク VS c スウェーデン
b フランス VS c オーストリア・イギリス・オランダ・プロイセン
新大陸での英仏の植民地戦争(d アン女王戦争 )が同時に起きる。
1713年 e ユトレヒト条約 ブルボン家のスペイン王位継承認められる、他。
オーストリアのb マリア=テレジア の即位に異議を申し立て、出兵。
c プロイセン・フランス・バイエルン公国 VS d オーストリア・イギリス
新大陸での英仏の植民地戦争(e ジョージ王戦争 )が同時に起きる。
1756年 オーストリア、フランスと結ぶ = e 外交革命
b オーストリア・フランス・ロシア VS c プロイセン・イギリス
並行して北米大陸でd フレンチ=インディアン戦争 、インドでe プラッシーの戦い
→ フベルトゥスベルク条約、パリ条約で終結