2月中はずっと風邪を引いていて、老人ホームに行くのは控えた。全国の老人ホームや老人病院で、インフルエンザで亡くなる人の数が日増しに増えている。
二度目に見る、ショートカット。すっきりしている。午前中に風呂だったせいもあり、よく眠っている。その傍らで本を読みながら、ばあちゃんが起きるのを待っていた。1時間ほどすると目を覚まし、それなりに目を見開いたが、おお、よく来たねぇ、とは言わなかった。ああ、というような顔をしただけだった。
爪きりをして、軽くブラッシングして、楽しみな耳かきは、残念ながら、ほとんど収穫がなかった。
富士山の写真集と苺がのっかっているシュークリーム。
これもまた残念ながら、シュークリームはあまりおいしくなかった。母の好物だったのを思い出して買って来たのだが。さまざまな富士山の姿を眺めた。ほぉっという感嘆の声を聞きながら。
数日前、熊本国府高等学校のサイトの、熊本のことなら「なんでんかんでん」発信しようという意欲的なホームページ「熊本よかとこ」に行き当たった。「熊本の歌」と題するページに、実に懐かしい歌を見つけた。あんたがたどこさ、おてもやん、正調五木の子守唄、と並ぶ中に、「でんでられん」が紹介されていた。この歌の題名など知らなかったし、そのページに楽譜なし、とされているように、口から口へと伝えられた、多分、名もなき歌なのだろうが、子どものころから、ばあちゃんや母から聞かされて、よく口ずさんでいた。うろ覚えだが、なんとか採譜して、歌詞を親戚などに確かめて、この高校のサイトを運営しているパソコン愛好会にメールを送ろうと思っている。とりあえず、覚えているのは以下の通り。熊本弁で遊んだ歌。国府高校のページにもあるように、誘われたから、遊びに行きたいけれど、行けない、というようなことを歌っているようだが、ほんとうのところは、定かではない。もし「正しい」歌詞や解釈を御存じの方がいたら、教えてください。電子メールはこちら
でんでらりゅーば でてくるばってん
でんでられんけん でてこんけん
こんけられんけん こられられんけん
こーんこん
春のお彼岸。ばあちゃんの連れあい、つまりじいちゃんの祥月命日。そして、狂気の集団が起こした地下鉄サリン事件。
ちょうどおやつのおはぎを食べているところだった。春だから、ぼたもちか。食べかけを手に持ったまま、ウサギが驚いたような目で突然の訪問客を見つめる。身内が来たらしいことを察したのか、また、おやつを食べはじめ、ふと姉妹に気づいたように、手を差し出す。食べてみれ!
でんでらりゅーば、と歌ってみたが、知らん顔をしていた。聞いたこともないふうだった。手拍子などしても、騒ぎに乗る気もない。
少しかじっては、うとうとと眠り出す。はたと起きては、また食べたり、きょろきょろしたり。髪の後ろのほうがさらに刈り上げてある。若返ったように見える。耳かきはかなりの収穫があった。うれしくて調子に乗っていたら、痛さぁ。ごめんなさい。
前に一つぺろりと平らげた「雪苺娘」をお土産に持ってきた。おやつが終わってしばらくすると、袋を見て、それはなんね、と聞くので、真っ白の饅頭を見せると、食べたがった。まあ、ゆっくり食べてよ、と言った通り、じつにゆっくり食べはじめた。口の先に噛み切れない牛皮の切れ端を突き出したまま、口をもごもごしている。赤塚不二男の「シェーのイヤミ」の出っ歯が唇の上でひらひらしている。
口元はもちろん指のどれもこれもをべとべとなので、備えつけてあるトイレットペーパーを契って、口を少しぬぐってから渡そうとすると、両手はふさがっているということなのか、膝を指さす。膝の上にペーパーのかたまりを置いた。
半分ぐらい食べたところで、もうたくさんという顔をした。残り、食べられる? と妹が聞くと、食べられんかねぇ、と言い、妹の顔を見て一言。おもしろかねぇ。えっ、何が、何がおもしろいの? 何も答えない。
残りに手をつけないので、こちらに引き取った。それは、なんねって言わなくなったね、食欲なくなってきたのかな、と言い合っている矢先に、「雪苺娘」の入っていた袋を見て、それは、なんね。苺だけ取り分けて差し出すと、まだあるけん、うまかもんの口ん中に、ここに、と言いながら、膝の上のペーパーをまた指さした。ペーパーの中にも、うまかもんが入っているらしい。そのうち、苺だけしゃぶるように食べて、おやつの時間は終わった。
廊下をよその入居者の家族が通り過ぎる。誰じゃったかなぁ。ベストを着てたと思うんですけれど、手編みの、どこにいったのかしら、とスタッフに聞いている。ごめんなさい、探します。持ち物の行方不明事件は日常茶飯だろう。スタッフも大変だ。
ばあちゃんは今日もなかなかしゃべろうとしない。こちらの問いかけにもほとんど反応しない。手元にあったタオルの中に、先のペーパーを丁寧に畳み込んでいる。唐突に、そぎゃんこつはすることなか、と言ってみた。すると、ええっ? と反応した。なんであれ、非難されたらしいと察知すると、反応が素早いのはいつもの通りだ。
いまのばあちゃんを、おかあさんが見たら、どう思うかなぁ。と聞いてみた。ここで言うおかあさんというのが誰のことを指しているかは分かっていないだろう。でも、答えはしっかりしている。もう死ぬると思うだろたい。そうは言っても、なかなか死なないよぉ。死なんたいねぇ、どうなるやら。
妹がトイレに行った。どこ、行きよった? トイレだよ。なんのことやら、という顔。おしっこ、と言い直しても、同様。しゃがんで、おしっこしに行ったの、と言っても、あんた何してる、という顔。説明は諦めた。その前に、説明されることに、ばあちゃんが飽きている。
額に手を当ててなにかを考え込んでいるかと思うと、パタンと車椅子の袖にもたれ、頭を抱えるようにして眠り、はたと顔を上げて、考え込む。悲しげな表情。いつものように、ためつすがめつ、あたりを見回して、また、眠る。
スリッパの音が近づいてくる。はたと起きて、誰か、来たね。音には相変わらず敏感だ。どぎゃんすっとかい? 戻って来た妹に尋ねる。誰が? と聞くと、知らな〜い。
ツーショットの写真を撮ることにした。カメラを向けても、なかなか笑わない。ややもすれば、焦点の定まるまで頃合いを見計らっているうちに、前につんのめるようにして眠り出す。見合い写真を撮るから、笑って。見合い、という言葉には心動かされたようだ。もう、よかつらにはならんごたるねぇ、と言いながら、お澄まし。
夕食の時間になった。向いのベッドで寝ているかつての「仲良しさん」に声をかけた。身体がきつくてねぇ、あれもできん、これもできんと言う彼女としばらく話していたとき、ばあちゃんは、あん人は誰ね、と言っていたそうだ。妹がばあちゃんの車椅子を押していくうしろから、「仲良しさん」とエレベーターホールに向かった。
食堂のテーブルに車椅子をおさめると、目の前に同郷の熊本出身のご夫婦が座っていて、挨拶をするうちに、外面の人になる。また来るからね、と身体に触れながら言うと、まだおってもよかじゃろ。そう言いつつも、目は前を向いたまま、両隣りにいる孫たちに目もくれない。よその人に目を奪われているのか、気をとられているのか。もう一度、また、来るからね、と腕をぽんぽんと軽く叩くと、せからしかぁ、というような声で、はい、はい。手を払われて、下手したらぶたれるんじゃないかと思われるような、少し攻撃的な声音と視線だった。じゃあ、と去っていく方向に少し首を向けて、すぐに正面に顔を戻したきり、振り返りはしない。無意識ながらも、こんなふうにして、身内と過ごしたあと、ここでの生活に戻っていくのかな。