5月2日 その2

ベッドの頭のほうを少しずつ上げる。電気仕掛けだ。適当な高さのところで止めて、持ってきたビデオテープをビデオ一体型のテレビで見た。先日、親戚の結婚式で沖縄に行ってきた。沖縄がふるさとではないけれど、新郎にとって、縁の深い土地だったので、熱帯植物に囲まれた手作りの結婚式が行われた。そのときに泊まったホテルが、テレビの推理ドラマのロケに使われていたので、途中からビデオに録画して、妹とばあちゃんに見せることにした。なんのコメントもないが、じっとテレビに見入っていた。

ああ、頭がおかしくなってしまった、とつぶやいては、うとうとするということを何度か繰り返すうちに、目が覚めてきたようで、少し笑うようになった。

宇治金時ぜんざいをうまそうに食べる。クリームとムースでできているので、うまく噛み切れないということもなく、喉の通りもいいようだ。お土産には、ほっぺたが落ちそうなほど甘くて、ふんわりと柔らかいお菓子にかぎる。

爪切りと耳かき。

お腹も体も気持ちんようなってきた、のだろう。悲しい気分はどこかにいってしまったらしく、よく笑うようになった。

天気がよかったので、車椅子を押して外に連れ出した。近所の民家の庭に聳え立つ大木から藤の花が下がっている。ほら、と指をさしても、目に入らないようだ。しゃがんで、ばあちゃんの目の高さから藤のほうに手を伸ばすと、その行方を目で追うようにして、ようやく視線の先に藤の花をとらえた。おお、きれいかねぇ。

畑や林のあいだに民家が散在する。幹線道路からは離れているが、ひっきりなしというほどではないにしても、車がよく通る。端に避けにくい道だ。歩道などはない。車の通るところはきちんと舗装してある。脇のほうは材料費節約のためか、徐々に厚みがなくなって、側溝に向かって坂になっている。体を避けるのだけでも、足元がふらつきそうになる。車椅子を支えるとなると、なおさらだ。

風が冷たくなってきた。ばあちゃんは寒そうだ。自分の意思で車椅子に乗り始めたわけではないから、手で輪を回すようなことは一切しない。体を固くしたまま、汗一つかくこともない。もっと車椅子日和のときに、また改めて散歩しよう。

事務所で雑巾を借りて、車輪の汚れを落とし、食堂に入る。

定位置に車椅子を納めた途端、よそゆきの顔になる。向かいの、水俣出身のご夫婦に、何度も何度も頭を下げて、挨拶をし始めた。じゃあ、そろそろ帰るね。ああ、と言って、振り返りもせず、社会のなかで緊張しているかのように、しゃんと前を向いたままでいた。

5月17日

洒落たとっくりのセーターを着て、いびきをかいている。濃いあずき色の地にセピア色の花模様。口をぱっくり開けて、ふとんの上に出した右腕を肘から上に曲げたまま、ぴくりともせずに寝ている。おしゃれなセーター、午前中お風呂に入ったらしく、すっきりした顔に頭、骨と皮にやせた体。いびきが聞こえなければ、右腕が妙に曲がっていなければ。いつか訪れるシーン。いつか見たシーン。

口元に耳を寄せる。起きるまで待っていようと、ばあちゃんの車椅子に座ったが、しばらくすると、お尻がしめっぽくなってきた。完全オムツになってから、間もないとは言え、少なくとも、2週間は経っている。お茶をこぼすこともあるだろうし、漏らしてしまうこともあるのかもしれない。しょっちゅうマットを洗濯するわけにもいくまい。同じようなクッションを探して来て、交互に洗濯のために持ち帰ることにしよう。衣服類の洗濯はもちろん、近ごろは補充についても、全面的にお任せしっぱなしなので、これぐらいしないと申し訳ない。

廊下を清掃する機械がうなりを上げ始めると、目を開けた。何かもごもご言って、すぐに目を閉じた。口を開けたまま、そして、いびき。30分ほどしたら、ほんとうに目を覚ました。ベッドを起こして、耳かきと爪切り。足の指の爪は、亀の甲羅のよう。切ってからやすりで削っても、なかなか丸みが出ない。

そこにおやつを持って、スタッフがやってきた。スポーツ飲料とヨーグルト。この年代の人は、あまりヨーグルトは好きではないように思われるが、おやつやデザートとしてよく見かける。好きな人もいるだろう。が、少なくとも、ばあちゃんは、チーズや牛乳の類は好きではなかった。体にいいからと義務で口にしていた。死ぬまで、体にいいもの、栄養価のすぐれているものを食べなければならないのだろうか。

こうしたスプーンものは、たっぷり中身をすくって口にいれるのが常なのに、スプーンの先に、しかも、縁にへばりついているのを少しだけすくって、のろのろと口に運ぶ。少しすくっては、スプーンを差し出す。食わんね。遠慮すると、カップをためつすがめつして、ラベルを読んでいるのか、色を見ているのか、模様を眺めているのか、こりゃぁ、と言いながら、カップを上に掲げる。時間が止まっているように見える。おいしいの、と聞いてみると、うまかよ、と言いはするものの、なかなかスプーンを口につけようとしない。

甘みがついているにしても、あの酸味と独特のにおいは、味覚も嗅覚もぼやけているとは言え、いまでも苦手に違いない。何度も勧めようとするので、おいしくないんでしょ、と聞いてみた。うん、うもなかぁ。じゃあ、食べなくていいよ、とカップを取ろうとすると、なんの抵抗もなく、手放した。

お土産の大福は、皮がかたすぎたので、あんこをスプーンですくって、渡した。持ってきたリンゴのジュースをコップに入れなおすと、こぼれないように少なめに入れた分だけ、飲み干した。

足が痛いような気がする。これが今日の反復キーワードだ。足をさすったり、膝の下に物をあてがったりしてみるが、痛くなくなったともなんとも言わず、他に気を取られて、足のことには触れない。が、しばらくすると、その言葉を言ってみる。ほんとうに、言ってみる、といった感じなのだ。誰かの口まねなのだろうか。

斜め向かいの部屋で、オムツ交換をしている。スタッフが、仕切りのカーテンを閉めたり開けたりして、四人部屋の一人一人のオムツを換えているようだ。その様子が、ばあちゃんには、奇妙に思えたらしい。なんばしよっとだろか、と言ったっきり、まばたきもせずに、じっと向かいの部屋を見ていた。ばあちゃんの順番が回ってきたので、時間つぶしに自分もトイレに行った。

そろそろ夕食の時間なので、ばあちゃんを車椅子に移すことにした。前回は、スタッフに頼んだが、今日は自分でしてみた。足はまったく力を持たず、いくら軽くて小柄だとは言え、意思を持たない物体を抱えあげて移動するようなものだ。スタッフの腰にかかる負担は相当だ。一緒に暮らしていたころ、散歩に出た帰りに、もう足が痛くて歩けないというので、おんぶしようとしたが、しゃがんでばあちゃんを背負って、そのまま立ち上がることができなかったのを思い出す。

ベッドの上での位置を抱きやすいように修正して、ばあちゃんの股の間に右足を入れて、両脇を抱えこむようにして、動かす。まだ足が動いていたころよりも、重くなったような気さえしたが、とにかく、無事、移動を果たして、ほっとした。

そして、食卓につくと、ばあちゃんはいつものように、よそ様になった。


春夏のページに戻る あんたがたどこさ 世間は春爛漫だけれど