ティムールの子孫a バーブル 、アフガニスタンのカーブルから北インドに侵入、 1526年 b パーニーパットの戦い でデリー=スルタン朝のロディー朝を破り
デリーを占領、c ムガル帝国 を創始。(スンナ派) = ペルシア語、アラビア語に通じ、回想録『バーブル=ナーマ』を残す。
b マンサブダール制 官僚の位階制度。官僚に位階に応じた給与地を与える。 給与地(ジャーギール)は土地そのものではなく徴税権という形をとる。
→ 全国土を測量し、徴税するなど、中央集権的な統治機構を整える。
新宗教への対応 15〜16世紀 イスラーム教とヒンドゥー教の融合を進める。
c カビール 人類は平等であると説き、不可触賎民への差別を非難。
d ナーナク 愛と献身によりカーストの区別無く解脱できると説く。
→e シク教 の成立。イスラームの影響を受けたヒンドゥー教の改革派。
パンジャーブ地方にひろがる。
ヒンドゥー教徒との融和政策 1564年 f 人頭税(ジズヤ)の廃止
自らもヒンドゥー教徒の女性と結婚、官吏にヒンドゥー教徒を登用。 第4代 ジャハンギール(在位1605〜27年) ヒンドゥー教徒との融和政策を継承。 イランのサファビー朝アッバース1世と争う。
宮廷中心にイラン文明とインド文明が融和 → a インド=イスラーム文化 の成熟。
絵画:b 細密画 の発達。→▲c ムガル絵画 と▲d ラージプート絵画 に発展。
e ウルドゥー語 の発生:公用語とされたペルシア語とインドの地方語と融合。
→現パキスタンの国語。インド人の言葉はf ヒンディー語 という。
建築 g タージ=マハル シャー=ジャハーン帝の王妃の廟。
=インド様式とイスラーム様式の融合したムガル時代の代表的建築
※南インドにはh ヴィジャヤナガル (ヒンドゥー教の王国)が16世紀まで繁栄。
外征を繰り返し、デカン高原を征服しほぼインド統一、領土最大となる。 イスラーム教(スンナ派)信仰を強化し、の融和政策を放棄。 → ヒンドゥー教寺院を破壊。
1677年 a 人頭税(ジズヤ)の復活 。ラージプート族を圧迫。
a マラーター王国 。デカンのヒンドゥー教徒を率いたシヴァージーが王国を建国。
ムガル帝国に反抗。後にマラーター同盟となる(イギリスのインド支配に抵抗)。
b シク教徒 の反乱。西北インド(パンジャブ地方)で反乱を起こす。
1707年 アウラングゼーブ帝の死後、帝位継承をめぐる争いが続く。
ベンガル、デカンに独立政権ができる。同時に▲c 英・仏のインド進出 強まる。
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1498年 バスコ=ダ=ガマ a カリカット に到達 → インド総督となる。
1509年 ディウ沖海戦で、マムルーク朝艦隊を破り、アラビア海の制海権を得る。
1510年 b ゴア を占領。→ ヨーロッパ諸国の、アジアにおける植民地の最初。
→ インドとの交易始まる(香辛料貿易)
1600年 東インド会社を設立
1640年 a マドラス に要塞を築く(現在のチェンナイ)
1661年 b ボンベイ をポルトガルから譲渡される(現在のムンバイ)
1690年 c カルカッタ に商館を建設
→ 1623年 アンボイナ事件以降、インド進出に転じた → フランスと抗争
1604年 東インド会社設立
1673年 a シャンデルナゴル を獲得
1674年 b ポンティシェリ を獲得
→ イギリスと抗争
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