世界史ノート 第8章4節

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4.ムガル帝国の興隆と衰退          p.167〜  

ア.ムガル帝国の成立とインド=イスラーム文化の開花

 ムガル帝国の建国  
  ティムールの子孫a バーブル 、アフガニスタンのカーブルから北インドに侵入、
  1526年   b パーニーパットの戦い でデリー=スルタン朝のロディー朝を破り
   デリーを占領、c ムガル帝国 を創始。(スンナ派)
    = ペルシア語、アラビア語に通じ、回想録『バーブル=ナーマ』を残す。
 アクバル大帝   第3代 a アグラ に遷都 1576年までにインドの大半を支配。
  b マンサブダール制  官僚の位階制度。官僚に位階に応じた給与地を与える。
   給与地(ジャーギール)は土地そのものではなく徴税権という形をとる。
  →  全国土を測量し、徴税するなど、中央集権的な統治機構を整える。
  新宗教への対応 15〜16世紀 イスラーム教とヒンドゥー教の融合を進める。
  c カビール  人類は平等であると説き、不可触賎民への差別を非難。 
  d ナーナク   愛と献身によりカーストの区別無く解脱できると説く。
       →e シク教 の成立。イスラームの影響を受けたヒンドゥー教の改革派。
      パンジャーブ地方にひろがる。       
  ヒンドゥー教徒との融和政策  1564年 f 人頭税(ジズヤ)の廃止  
    自らもヒンドゥー教徒の女性と結婚、官吏にヒンドゥー教徒を登用。
 第4代 ジャハンギール(在位1605〜27年) ヒンドゥー教徒との融和政策を継承。
   イランのサファビー朝アッバース1世と争う。
 シャー=ジャハーン   第5代 在位1628〜58年 
 宮廷中心にイラン文明とインド文明が融和 → a インド=イスラーム文化 の成熟。
    絵画:b 細密画 の発達。→▲c ムガル絵画 と▲d ラージプート絵画 に発展。
  e  ウルドゥー語 の発生:公用語とされたペルシア語とインドの地方語と融合。
    →現パキスタンの国語。インド人の言葉はf ヒンディー語 という。
  建築 g タージ=マハル   シャー=ジャハーン帝の王妃の廟。
        =インド様式とイスラーム様式の融合したムガル時代の代表的建築
  ※南インドにはh ヴィジャヤナガル (ヒンドゥー教の王国)が16世紀まで繁栄。

イ.ムガル帝国の衰退と地方勢力の台頭

 アウラングゼーブ帝   第6代 在位1658〜1707年 
 外征を繰り返し、デカン高原を征服しほぼインド統一、領土最大となる。
 イスラーム教(スンナ派)信仰を強化し、の融和政策を放棄。
  → ヒンドゥー教寺院を破壊。
  1677年 a 人頭税(ジズヤ)の復活 。ラージプート族を圧迫。
 地方勢力の台頭    
  a マラーター王国  。デカンのヒンドゥー教徒を率いたシヴァージーが王国を建国。
   ムガル帝国に反抗。後にマラーター同盟となる(イギリスのインド支配に抵抗)。
  b シク教徒  の反乱。西北インド(パンジャブ地方)で反乱を起こす。
    1707年 アウラングゼーブ帝の死後、帝位継承をめぐる争いが続く。
   ベンガル、デカンに独立政権ができる。同時に▲c 英・仏のインド進出 強まる。

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補足:ヨーロッパ勢力のインド進出(テキスト p.169の地図および10章2節を参照)
 ポルトガル  の進出
  1498年 バスコ=ダ=ガマ a カリカット に到達 → インド総督となる。
  1509年 ディウ沖海戦で、マムルーク朝艦隊を破り、アラビア海の制海権を得る。
  1510年 b ゴア を占領。→ ヨーロッパ諸国の、アジアにおける植民地の最初。
  → インドとの交易始まる(香辛料貿易)
 イギリス   の進出
  1600年 東インド会社を設立
  1640年 a マドラス に要塞を築く(現在のチェンナイ)
  1661年 b ボンベイ をポルトガルから譲渡される(現在のムンバイ)
  1690年 c カルカッタ に商館を建設
  → 1623年 アンボイナ事件以降、インド進出に転じた → フランスと抗争
 フランス   の進出
  1604年 東インド会社設立
  1673年 a シャンデルナゴル を獲得
  1674年 b ポンティシェリ を獲得
  → イギリスと抗争
18世紀以降、ヨーロッパ勢力の侵略激しくなり、ムガル帝国の領土減少。
 1757年 c プラッシーの戦い  イギリスのインド支配が確立する。(後出)
 

  ムガル帝国

 

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