世界史ノート 第8章3節

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3.トルコ・イラン世界の展開                 P.164〜 

ア.ティムール朝の興亡

 ティムール朝    14世紀中ごろ 中央アジアのチャガタイ=ハン国、東西分裂。
 1370年 チンギス=ハンの子孫と称すa ティムール が建国。東西トルキスタンを
   統一し、イル=ハン国滅亡後の領土を併合。トルコ=モンゴル系のイスラーム国家。
   → キプチャク=ハン国、北インドに侵入。さらに小アジアに進出。
 1402年 b アンカラの戦い  :オスマン軍を破り、バヤジット1世を捕らえる。
  → c 明  への遠征を計画、途中オトラルで病死(1405)
 トルコ=イスラム文明    イラン人とトルコ人の世界を支配。イル=ハン国以来の
   イラン=イスラム文明が中央アジアのトルコ人に伝わる。
 都a サマルカンド  (後にヘラートに移る)の繁栄。
    14〜15世紀 中央アジアの商業・学芸の中心となる。イラン文学、細密画が発展。
  b ウルグ=ベク 、天文台を建設。天文学、暦法も発展。暗殺され、以後衰退する。
 ティムール朝の滅亡    ティムールの死後、一時分裂。
  1507年 トルコ系a ウズベク人 シャイバニ朝滅ぼされる。
    →イランにはサファヴィー朝が成立。

イ.オスマン帝国の発展

 オスマン帝国の成立   13世紀末 a 小アジア  のルーム=セルジューク朝が衰退。
 1299年 その臣下のb オスマン=ベイ が戦士集団を率いて有力となる。
   小アジア西北部で自立し、建国。最初の都は小アジアのブルサ。 
バルカン半島進出   ビザンツ帝国の衰退に乗じて進出。 →ヨーロッパ諸国に脅威となる。
 1366年 ムラト1世 ビザンツから奪ったa アドリアノープル を都とする。(エディルネ)
 1389年 ▲b コソヴォの戦い  ムラト1世、セルビア人などスラブ諸民族の連合軍を破る。
  → イスラームのバルカン支配の始まり。
 バヤジット1世  
 1396年 a ニコポリスの戦い でバルカン諸国と仏・独の連合軍を撃破。
 1402年 b アンカラの戦い  でティムール帝国に破れ、一時衰退。
 メフメト2世   国力を回復。
 a 1453 年 b コンスタンティノープル を占領。c ビザンツ帝国 を滅ぼす。
    →d イスタンブル  と改称、首都とする。トプカプ宮殿を造営。
 セリム1世    16世紀 イランのa サファヴィー朝 を破り、シリアに進出。
 1517年 b マムルーク朝  を滅ぼし、エジプトを併合。
  両聖都メッカ、メディナの保護権を獲得。オスマン朝のc スルタン が、カリフ政治
  の後継者と認められ、宗教的にもd スンナ派イスラーム教 の擁護者となる。
 スレイマン1世   16世紀前半 オスマン帝国の全盛期。南イラク、北アフリカに拡大
 1526年 a モハーチの戦い でb ハンガリー 軍を破る。 
 1529年 神聖ローマ帝国の首都b ウィーンを包囲  (第1次)→1カ月包囲した後に撤退。
   → 宗教改革期のキリスト教世界を圧迫。
 1538年 c プレヴェザの海戦   スペイン、ローマ教皇、ヴェネツィアの連合軍を破る。
 1536年 フランス(フランソワ1世)と同盟、e カピチュレーション  
    フランス商人に領内のd 居住と通商の自由  を認める。次いでイギリス・オランダにも認める。
  背景:フランス(フランソワ1世)と神聖ローマ帝国(カール5世)の対立。
 1557年 スレイマン=モスクを建設。 オスマン時代の代表的建築。
 

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 1571年 f  レパントの海戦   スペインの無敵艦隊に敗れる。
    → 地中海の航行権は維持し、17世紀までヨーロッパの大きな脅威として続く。
※オスマン帝国の政治
 a スルタン の専制支配:政治権力と共に宗教的権威をもつ▲b スルタン=カリフ制 
  基本は c イスラーム法(シャリーア) にもとづく政治。
    → スルタンの勅令や慣習法はカーヌーンと言われ、それを補った。
  ・州・県・郡に分かれた行政機構。
  ・キリスト教徒・ユダヤ教徒の共同体(d ミッレト )には自治を認める。
  ・イクター制の継承:トルコ人在地騎士(シパーヒー)にはe ティマール (徴税権)を与える。
  ・f イエニチェリ (キリスト教徒で強健・美貌の青年を奴隷としたもの)軍団を整備。
   →デウシルメ(強制徴兵)によって徴兵。スルタン直属軍として各地の征服で活躍。
オスマン帝国の衰退(17世紀) スルタンの権威の低下→大宰相(ヴェジラーザム)が実権握る。

ウ.サファヴィー朝

 サファヴィー朝の建国   ティムール朝滅亡後、イランでa 神秘主義教団 の勢力が強まる。
  1501年 教団の長のb イスマーイール1世 が王朝を開く。国王はc シャー を称す。
     キジルバシ(トルコ系遊牧民の部隊)を軍事力として支配域をひろげる。
   首都 ▲d タブリーズ 。西アジアに進出しチャルディランの戦いでオスマン帝国と戦う。
  シーア派の▲e 12イマーム派  を国教とする。
  イランの民族意識の高揚に努める。 → スンナ派のオスマン帝国と抗争。
 アッバース1世(大帝)   16世紀末〜17世紀初め 全盛期。
  a オスマン帝国 からアゼルバイジャン(タブリーズ)とイラクの一部(バグダード)
  を奪い、b ホルムズ島 のポルトガル人を追い払う。
  新首都 c イスファハーン の建設 = 「d 世界の半分 」と言われて繁栄。
    「王の広場」「王のモスク」などペルシア風建築。
  織物業(ペルシア絨毯)の隆盛  → ポルトガルなどヨーロッパ諸国との交易。
17世紀中期以降、次第に衰退。1722年にアフガン人によって滅ぼされる。
 

  オスマン帝国とサファヴィー朝

 

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