2 東ヨーロッパ世界の成立 p.128〜
ア.ビザンツ帝国の繁栄と衰亡
A
ビザンツ帝国 394年 ローマ帝国東西分裂 → 東ローマ帝国の形成
ゲルマン民族の侵入をあまり受けず伝統を維持。→商業とa 貨幣経済 の繁栄が続く。
都b コンスタンチノープル (旧名c ビザンティウム )の繁栄。
ローマ帝国以来の官僚制を維持、その頂点の皇帝は専制君主として権威を持つ。
皇帝は教会の首長を兼ねるd 皇帝教皇主義 にたち、e ギリシア正教会 を直接支配。
→ 西ローマ帝国滅亡後、地中海世界の統一の再現を目指す。
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→a ヴァンダル王国 、b 東ゴート王国 を追い地中海の旧ローマ帝国領を回復。
→ 東方ではc ササン朝ペルシア のホスロー1世と対抗。
d 「ローマ法大全」 を集成。 e バギア=ソフィア聖堂 を建設。
中国からf 養蚕技術 を学び、絹織物業を起こす。
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C
領土の縮小 ユスティニアヌス帝の死後、次第に領土を縮小する。
西方:イタリアの大半をa ランゴバルド王国 、b フランク王国 に奪われる。
東方:ササン朝との抗争→c イスラーム勢力 の進出→シリア・エジプトを失う。
北部:バルカン北部にスラブ民族移住。トルコ系のd ブルガール族 の国家形成。
7世紀初め ヘラクレイオス1世 e 軍管区制(テマ制) を施行、領土を回復する。
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D
聖像崇拝論争 8世紀 フランク王国と結んだローマ=カトリック教会と対立。
726年 ビザンツ皇帝レオン3世、a 聖像禁止令 を出す。→東西教会の対立。
800年 フランク王国カール大帝の戴冠。 → ビザンツ皇帝も聖像崇拝を認める。
→ビザンツ帝国でもb 聖像画(イコン) を作成するようになる。
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→ 10〜11世紀 一時勢力を盛り返す。軍管区制、a 屯田兵制 を充実させる。
1018年 バルカン制覇をねらう、b ブルガリア王国 を破り、併合する。
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1071年 a セルジューク朝 小アジア侵入。b マンジケルトの戦い で敗れる。
→ビザンツ皇帝、ローマ教皇に援助要請。→西ヨーロッパ諸国十字軍運動の開始
11世紀末 c プロノイア制 を実施。:軍役奉仕の代償に貴族に領地を与える。
1204年 ベネチアなどを中心としたd 第4回十字軍 がe コンスタンチノープル を
占領。→ f ラテン帝国 を建国。 → 1261年 ビザンツ帝国復活。
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イ.ビザンツ帝国の社会と文化
1.中央集権的軍事力の強化:はじめはローマ帝国以来のコロヌス制による大土地所有制度
であったが、7世紀以降、独自の土地制度を採用、そのため封建社会の形成はなかった。
a
軍管区制(テマ制) =軍管区の軍司令官に軍事権と行政権を与える。
b
屯田兵制 =軍管区司令官が部下の兵士に土地を分与し、代わりに軍役を課す。
c
プロノイア制 =貴族(地方有力者)に国有地を貸与して軍役を奉仕させる。
→ 11世紀以降は貴族が封建領主化し、農奴制による大土地所有制が復活した。
ウ.スラブ人と周辺諸民族の自立
a
スラブ民族 インド=ヨーロッパ語族に属し、6世紀以降、東ヨーロッパに広がる。
┌ b
東スラブ人 (ロシア人、ウクライナ人)
│
スラブ民族 ┼ c
南スラブ人 (セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人)
│
└ d
西スラブ人 (ポーランド人・チェック人・スロヴァキア人)
1.東スラブ人
建国。先住民のスラブ人と同化。これがb ロシア国家 の起源とされる。
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B
キエフ公国 882年 ノヴゴロドからドニェプル川中流のキエフに移動
10世紀末 a ウラディミル1世 の時、領土を周辺に拡大し、繁栄。
→988年 b ギリシア正教 に改宗。封建諸侯が分立、農民の農奴化進む。
▼
b キプチャク=ハン国 の支配、1243年から約240年続く。
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D
モスクワ大公国 15世紀 商業都市を中心として発展、東北ロシアを統一
1480年 a イヴァン3世 、モンゴルから自立。
→ ビザンツ帝国滅亡(1453年)後、その後継者となりb ツァーリ を称す。
農奴制を強化し、専制君主制の基礎を固める。首都モスクワの繁栄。
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16世紀 c
イヴァン4世 (雷帝)中央集権体制を固め、東ヨーロッパの大勢力となる。
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4.スラブ人以外の民族(非スラブ人)
E
ブルガール人 トルコ系民族。バルカン半島に移動。
7世紀 a
第1次ブルガリア王国 建設、スラブ人と同化し、b
ギリシア正教 に改宗
→ ビザンツに併合される。聖職者キュリロスによって▲c
キリル文字 作られる。
12世紀 独立(d
第2次ブルガリア王国 )→14世紀 オスマン=トルコの支配
F
マジャール人 ウラル語族の遊牧民。先に西進したアヴァール人などを同化。
9世紀末、パンノニアに移動後、定住。955年 a
オットー1世 と戦い敗れる。
10世紀末 b
ハンガリー王国 を建国 c
ローマ=カトリック を受容。
15世紀に繁栄、 オスマン=トルコ帝国と争う。 16世紀 領土の大半を失う。
17世紀には、神聖ローマ帝国(オーストリアのハプスブルク家)に組み込まれる。
補足▲d
ルーマニア人 : バルカン半島のドナウ川北岸、ローマ帝国の属州ダキア以来
ラテン系の人々が居住。 → スラブ人・ゲルマン人・マジャール人の侵入を受ける。
→13〜14世紀 ルーマニア人として自立しワラキアとモルダヴィア両公国を建国。
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