世界史ノート 第6章2節

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2 東ヨーロッパ世界の成立             p.128〜 

ア.ビザンツ帝国の繁栄と衰亡

 ビザンツ帝国      394年 ローマ帝国東西分裂 → 東ローマ帝国の形成
  ゲルマン民族の侵入をあまり受けず伝統を維持。→商業とa 貨幣経済 の繁栄が続く。
  都b コンスタンチノープル (旧名c ビザンティウム )の繁栄。
  ローマ帝国以来の官僚制を維持、その頂点の皇帝は専制君主として権威を持つ。
  皇帝は教会の首長を兼ねるd 皇帝教皇主義 にたち、e ギリシア正教会 を直接支配。
  → 西ローマ帝国滅亡後、地中海世界の統一の再現を目指す。
 ユスティニアヌス帝の時代    在位527〜565 6世紀 ビザンツ帝国の最盛期
 →a ヴァンダル王国 、b 東ゴート王国 を追い地中海の旧ローマ帝国領を回復。
  → 東方ではc ササン朝ペルシア のホスロー1世と対抗。
  d 「ローマ法大全」 を集成。 e バギア=ソフィア聖堂  を建設。
  中国からf 養蚕技術 を学び、絹織物業を起こす。 
 領土の縮小   ユスティニアヌス帝の死後、次第に領土を縮小する。
  西方:イタリアの大半をa ランゴバルド王国 、b フランク王国 に奪われる。
  東方:ササン朝との抗争→c イスラーム勢力 の進出→シリア・エジプトを失う。
  北部:バルカン北部にスラブ民族移住。トルコ系のd ブルガール族 の国家形成。
  7世紀初め ヘラクレイオス1世 e 軍管区制(テマ制) を施行、領土を回復する。
 聖像崇拝論争   8世紀 フランク王国と結んだローマ=カトリック教会と対立。
  726年 ビザンツ皇帝レオン3世、a 聖像禁止令 を出す。→東西教会の対立。
  800年 フランク王国カール大帝の戴冠。 → ビザンツ皇帝も聖像崇拝を認める。
   →ビザンツ帝国でもb 聖像画(イコン) を作成するようになる。
▲E マケドニア朝の繁栄    867年 バシレイオス1世  世襲王朝を開く。
  → 10〜11世紀 一時勢力を盛り返す。軍管区制、a 屯田兵制 を充実させる。
  1018年 バルカン制覇をねらう、b ブルガリア王国 を破り、併合する。 
 ビザンツ帝国の衰退        11世紀末  貴族の大土地所有復活
  1071年 a セルジューク朝 小アジア侵入。b マンジケルトの戦い で敗れる。
    →ビザンツ皇帝、ローマ教皇に援助要請。→西ヨーロッパ諸国十字軍運動の開始
  11世紀末 c プロノイア制 を実施。:軍役奉仕の代償に貴族に領地を与える。
  1204年 ベネチアなどを中心としたd 第4回十字軍 がe コンスタンチノープル  を
   占領。→ f ラテン帝国 を建国。 → 1261年 ビザンツ帝国復活。
1453年 g オスマン=トルコ によりh コンスタンチノープル陥落 ビザンツ帝国滅亡

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   6世紀の地中海世界

   11世紀のビザンツ帝国とその周辺

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イ.ビザンツ帝国の社会と文化

1.中央集権的軍事力の強化:はじめはローマ帝国以来のコロヌス制による大土地所有制度
 であったが、7世紀以降、独自の土地制度を採用、そのため封建社会の形成はなかった。
  a 軍管区制(テマ制) =軍管区の軍司令官に軍事権と行政権を与える。
  b 屯田兵制 =軍管区司令官が部下の兵士に土地を分与し、代わりに軍役を課す。
  c プロノイア制 =貴族(地方有力者)に国有地を貸与して軍役を奉仕させる。
   → 11世紀以降は貴族が封建領主化し、農奴制による大土地所有制が復活した。
2.文化: 特徴 a 古代ギリシア文化とギリシア正教を融合させた文化 
 1.b ギリシア語 を公用語とする。 → 古典研究を受け継ぐ。
 2.c ギリシア正教 を国教とする独自の文化。→独自のキリスト教神学が発展。
 3.美術・建築 d ビザンツ様式 の建築  特徴は、ドームとe モザイク壁画 
   代表例 f バギア=ソフィア聖堂 (コンスタンティノープル)
       g サン=ヴィターレ聖堂 のモザイク壁画(イタリアのラヴェンナ)
 影響:スラブ民族の文化を開花させ、ギリシア古代文化を保存しルネサンスに影響を与えた。

ウ.スラブ人と周辺諸民族の自立

 a スラブ民族   インド=ヨーロッパ語族に属し、6世紀以降、東ヨーロッパに広がる。
       ┌ b 東スラブ人 (ロシア人、ウクライナ人)
       │
 スラブ民族 ┼ c 南スラブ人 (セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人)
       │
       └ d 西スラブ人 (ポーランド人・チェック人・スロヴァキア人)

1.東スラブ人 
 ノヴゴロド公国    862年a ノルマン人 (ルーシ)がリューリクに率いられ
   建国。先住民のスラブ人と同化。これがb ロシア国家 の起源とされる。
 キエフ公国    882年 ノヴゴロドからドニェプル川中流のキエフに移動
   10世紀末 a ウラディミル1世 の時、領土を周辺に拡大し、繁栄。
    →988年 b ギリシア正教 に改宗。封建諸侯が分立、農民の農奴化進む。
 「タタールのくびき」の時代   1243年 モンゴルのa バトゥ が侵入
   b キプチャク=ハン国 の支配、1243年から約240年続く。
 モスクワ大公国    15世紀 商業都市を中心として発展、東北ロシアを統一
   1480年 a イヴァン3世 、モンゴルから自立。
   → ビザンツ帝国滅亡(1453年)後、その後継者となりb ツァーリ を称す。
    農奴制を強化し、専制君主制の基礎を固める。首都モスクワの繁栄。
16世紀 c イヴァン4世 (雷帝)中央集権体制を固め、東ヨーロッパの大勢力となる。

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2.南スラブ人
 セルビア人     6世紀 a バルカン半島  南西部に移動、ビザンツ帝国に服属、
   b ギリシア正教 に改宗。 12世紀に独立、14世紀前半に、勢力強大となる。
  1389年 オスマン帝国の侵入 ▲c コソヴォの戦い で敗れバルカンのイスラーム化始まる。
 クロアティア人  スロヴェニア人   フランク王国の影響下、a ローマ=カトリック を受容。
 ※いずれも14世紀以降、イスラーム教国のb オスマン帝国  の支配下にはいる。
3.西スラブ人
 ポーランド人     10世紀に建国 a ローマ=カトリック を受容
  12世紀末から、ドイツ人のb 東方植民 にバルト海沿岸を奪われる。
  13世紀 バルト海沿岸のc リトアニア人 (インド=ヨーロッパ語族)が国家統一
  14世紀 d ドイツ騎士団 に対抗し、両国合体しe リトアニア=ポーランド王国 
    f ヤゲウォ(ヤゲロー)朝  が成立 → 15世紀 もっとも強大となる。
 チェック人     7世紀 モラヴィア王国建設 →9世紀、マジャール人に征服される
   a ローマ=カトリック を受容 10世紀 b ベーメン(ボヘミア)王国 を建設
  11世紀、神聖ローマ帝国の一部となる。 14世紀 プラハ大学創設。
4.スラブ人以外の民族(非スラブ人)
 ブルガール人      トルコ系民族。バルカン半島に移動。
  7世紀 a 第1次ブルガリア王国 建設、スラブ人と同化し、b ギリシア正教 に改宗
    → ビザンツに併合される。聖職者キュリロスによって▲c キリル文字 作られる。
  12世紀 独立(d 第2次ブルガリア王国 )→14世紀 オスマン=トルコの支配
 マジャール人      ウラル語族の遊牧民。先に西進したアヴァール人などを同化。
  9世紀末、パンノニアに移動後、定住。955年 a オットー1世 と戦い敗れる。
  10世紀末 b ハンガリー王国 を建国 c ローマ=カトリック を受容。
  15世紀に繁栄、 オスマン=トルコ帝国と争う。 16世紀 領土の大半を失う。
  17世紀には、神聖ローマ帝国(オーストリアのハプスブルク家)に組み込まれる。
補足▲d ルーマニア人  : バルカン半島のドナウ川北岸、ローマ帝国の属州ダキア以来
 ラテン系の人々が居住。 → スラブ人・ゲルマン人・マジャール人の侵入を受ける。
 →13〜14世紀 ルーマニア人として自立しワラキアとモルダヴィア両公国を建国。

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